第2章 龍神様の捧げ物

第6話 奸計の地

 どこからか、泣き声が聞こえる。小さくしゃくり上げるような泣き声に、おそらく子供だろうと采希さいきは思った。

 声の主を捜そうと辺りを見渡す。

 視認出来ないほど暗い背景に、薄ぼんやりと浮かび上がる、歪な楕円形の影。


 それは、子供が項垂れてしゃがみ込んでいる後ろ姿に見えた。

 ただその大きさは両手に乗せられるほどで、小さめの猫くらいのサイズだった。


 よく分からない形の、着物のようなものを着ている。丈は短いが、腰から裾に掛けてふんわりと広がったような形だ。

 声を掛けていいものか迷っていると、しゃがみ込んで泣いていた小さな子供が振り返った。

 黒目がちな吊り上がり気味の大きな眼。真っ白な肌と赤い小さな唇。

 ものすごく可愛い、と采希は思う。ただし、人ではないとすぐに分かった。

 虹彩が縦になっている。猫とよく似た、それ。


「あー……、何で泣いてるんだ? こんな所で、一体――」

「お願い、来ないで」

「は? 来ないでって、どこに?」

「ここに。来たら、ダメ。飲み込まれる……」

「えっと……」


 何の事だか分からず、采希は戸惑う。


「君は誰だ? なんでここにいる?」

「お願い、します」


 徐々に輪郭がぼやけ、消えていった。



 * * * * * *



「ねえ、ホントにこの道で大丈夫なの? めっちゃ山奥に見えるんだけど!」


 榛冴はるひの言葉に、采希も頷く。


「どう見ても山の中だねぇ。しかも、山を一つ越えた先の山だし。腰、いてぇ……」

凱斗かいと兄さん、どこまで行くの? もう日も暮れそうだよ」

「地図によるとだな、もうすぐ着くらしいぞ」


 琉斗りゅうとがのんびりと、ハンドルを握る凱斗の代わりに答える。

 いつもは口数の多い凱斗だが、滅多にない山道の運転に、顔も肩も強張っていた。

 後部席からルームミラーに映る凱斗の眉間に気付き、采希は少しだけ、申し訳なく思う。




 凱斗、琉斗、采希、那岐なぎ、榛冴の五人は、今、山道を車で登っている。

 采希の言葉通り、二つ目の山を登っているところだ。

 彼らはこの先にあるという、秘湯を目指していた。

 なぜ、こんなところにいるかと言うと……


「大体さ、普段から事あるごとにうちの悪口を言ってたり、家の前を通っただけで舌打ちするような人が、宿泊券をくれたって時点で怪しいよね?」


 ――という訳だった。その人物は近所でも評判のよくない、頭のてっぺんが極薄のガリガリに痩せこけた老人だった。

 その老人が何故か、『温泉宿の宿泊券が手に入ったから』とうちを訪ねて来た。

 たまたま対応したのが蒼依だったため、怪訝に思いながらも笑顔で受け取っていた。

 もしも自分の母・朱莉だったら、と考えて、采希はぶるんと頭を振る。思わず怖い想像をしてしまった。


(母さんなら警戒して受け取らない。ついでに嫌味のふたつやみっつ、言いそうだ)


 榛冴の愚痴は続く。


「こんな山奥じゃさ、きっとコンビニもないんだよ? 豪華な料理って言ってたけど、期待できるはずないじゃん」

「まあ、そう言うなって榛冴。どうせタダなんだし、のんびり温泉もいいんじゃないか?」


 凱斗は、狭い山道を運転するのに集中していて、琉斗は助手席で地図を眺めながら榛冴をなだめる。

 脳筋系の琉斗だが、地図を見るのが得意だった。

 進んだ距離もほぼ正確に分かるらしく、ナビゲーターとしては一番役に立つ。

 後部シートには采希と那岐に挟まれて榛冴が乗っていた。


「あの性悪爺がさ、本当に親切心でタダ券くれると思う? 絶対ウラがあると思わない?」


 そう榛冴は主張していたが、結局、温泉に入りたい凱斗に押し切られる形で、全員ここにいる。

 祖母と母親たちは仕事のため家に残っていたが、そもそも宿泊券は5枚しかなかった。


 那岐はただ一人、この旅行に行くことに乗り気ではなかった。

 みんなが温泉の話で盛り上がっていても、隅の方で困ったような顔をしていたのだった。

 そんな弟の様子が心配になった采希は、那岐に声を掛けた。


「那岐、行きたくないなら俺と留守番してるか?」


 そう聞いてみたが、那岐は首を横に振った。


「行くならみんなで一緒に行動する方がいいと思う。なんで行きたくないって思ったのか、僕には説明できないから」


 那岐の言葉を聞いて、采希は少し嫌な予感がした。


(こいつの勘って、当たるんだよな……)





 がたごとと山道を走り続け、ようやく着いたのは予想通り小さな旅館だった。

 榛冴が大きくため息をつく。『ほら、やっぱり~』と呟く榛冴の肩に、凱斗の手が乗せられる。


「建物の大きさが料理と比例する、って訳じゃないと思うけどな。さ、行くぞ榛冴」


 凱斗が榛冴を促して、先に玄関をくぐる。

 采希と那岐も後に続こうとして、いきなり那岐が立ち止まった。首を回して、後ろを振り仰ぐ。


「那岐、どうした?」

「采希兄さん、ここ、動物の気配がない」

「……この近辺にそんなに民家があるようには見えないけど、それでも動物がいないのか?」

「うん……鳥もいないみたい。結構、深い山なのに」


 怪訝な顔で辺りを見渡す采希たちを、受付を済ませて戻って来た凱斗と琉斗がそれぞれ肩を抱くようにして、玄関に引きずって行った。




 小さな老婆に案内されたのは、斜面を利用した半二階にある、彼らが思っていたよりは広い和室だった。


「結構広いな」

「みんなで同じ部屋で寝るのはいつ以来だ?」

「あ、一応テレビはあるんだ。……でもスマホの電波、届いてないんだよね……」

「冷蔵庫の中、ビールが冷えてるぞ。――これ、飲んだら追加料金になんのかな?」


 それぞれ部屋を確認している中で、那岐が一人窓に近寄る。

 窓から見えるのは山の景色ばかり。

 どこか警戒しているような弟の背中に、采希は少し不安になった。


 行きたくないけど、その理由が分からない。

 いつもなら采希は、那岐がそう言った時点で旅行には反対しただろうと思う。

 なのに、今回に限って凱斗の提案に『まあ、いいか』と思ってしまった。

 采希は那岐と並んで窓辺に立ち、小さな声で尋ねる。


「――お前、何か視えてるのか? それとも……」

「采希兄さん、この部屋に来るまで窓から周りの景色を確認してたんだけど、この近辺には人が住んでる様子もないみたい」

「秘湯とか言われる場所なら、そういうもんじゃないか?」

「そう……なのかなぁ? なんだか、すごく落ち着かないんだけど」


 普段はフットワークが軽く、こまめに動き回る那岐だったが、本人が『落ち着かない』と言う時ほど、那岐は動かなくなるのを采希は知っていた。


 それは大抵の場合、那岐があまり良くない気配を感じている時だった。


 一応警戒しておいた方がいいか、と考えた采希だったが、那岐の言うヤバい気配は自分たちには多分、どうしようもない。


(そもそもこんな山奥の旅館で起こりそうな事って何だ? 何かが出るいわく付きの部屋があるとか、気付いたら外国にいて自分の臓器が有効活用されていたりとか……)


 そんな事を考えていた采希を余所よそに、那岐が小さな声で呟く。


「特に何か見える訳でもないし、おかしな気配がある訳でもないんだ。ただ、なんだか普通と違う感じがして……」

「俺には何も感じないから分かんないけどな。みんなにも話しとくか?」


 ちょっと首を傾げて、那岐は小さく首を横に振る。


「うまく説明できそうにないから……まだ、言わなくていいかも」





 思った以上に豪勢な食事に、凱斗たち兄弟は満足気だった。采希と那岐は不安な気持ちをうまく隠しているつもりだったし、実際、凱斗たちが気付いた様子もない。

 次々と運ばれる料理とお酒に、どんどん杯を重ねていく。

 采希は元々酒に弱くはないが、そんなに酒好きでもなかったので、ちびちびと飲んでいた。

 今日は酒に強い那岐まで、さっきからグラスのビールが一向に減らない。

 そんな二人に、琉斗が目ざとく気付く。


「どうしたんだ、那岐? 全然飲んでないようだが。采希もたまには日本酒とか、どうだ?」


 地酒らしいラベルを見せながら、琉斗が上機嫌で話しかける。


「僕はいい。あんまり飲みたい気分じゃないから」

「俺も。何だか、疲れた」


 采希が断ったのは、言い訳ではなかった。夢見が良くなかったせいで少し寝不足なのに、日本酒など口にしたら寝落ちは確実だ。

 おまけに長時間、車に乗っていて、背中全体が怠かった。


「だったら一足先に風呂に入ったらどうだ?」


 琉斗に言われ、采希は那岐を見る。

 眼が合い、どちらからともなく頷いた。




「白い温泉なんだね、効能、なんだろう?」


 那岐が嬉しそうに効能書きを読んでいる。

 所々かすれた文字を追っていくと、ひとまず腰痛には効きそうだった。


 五人全員で入るには狭いかもしれないが、采希と那岐の二人だけなのでお互い湯船で思い切り身体を伸ばす。


「……なぁ、那岐」

「はい、なんすか?」


 顎までお湯に浸かり、幸せそうに目をつぶった那岐が答える。


「ここ、山の中なのに何の生き物の気配もないって、変じゃないか? 動物だけじゃない、虫なんかもいないように思えるんだけど」


 那岐がぱちっと目を開ける。視線が忙しなく動く。


「……言われてみたら、そうかも。采希兄さん、なんだか……」

「うん、ここだけ別の空間みたいな……」


 自分が口にした言葉を、采希は後悔した。

 並行世界パラレルワールド、異空間、神隠し、不思議な駅へと到着する電車。

 そんなものが次々と頭に浮かんだ。

 温泉に浸かっているのにぞくりとした寒気を感じる。


「那岐、こういう状況って、何て言えばいいんだ?」

「うまく言えないけど……違和感とか? 異質な何かがある、みたいな感じかな。でも、本当によく分からない。正直言うと、ちょっと不安なんだけど……」

「…………」

「何となく、だけどね。意識を凝らしても、何かが邪魔してよく見えない感じで……」

「那岐、戻ったら凱斗たちにも話してみよう。できるだけ早く、ここを離れた方がいいんじゃないかって気がしてきた」





 何となく温まった気がしないまま部屋に戻ろうとすると、采希の視界に自販機が置いてあるのが見えた。


「あ、ちょっとコーヒー買ってく」

「じゃ、采希兄さん、先に戻ってるね」

「うん」


 自販機の取り出し口に缶が落ちる音が、妙に響いた気がした。


(客は俺たちだけ、なのか?)


 しんとした薄暗い小さなロビーが、少し怖い。

 缶を取り出そうとして、わずかに身体に電気が走った気がした。


(静電気? 缶コーヒーで? まさかね)


 心の奥から湧き出て来る不安を振り切るように、采希は急いで部屋に戻る。廊下にまで騒がしい声が聞こえてきて、思わずほっとした。


「ただいま」

「おー采希、もう布団敷いてもらったぞ。お前、どこにする?」


 凱斗の楽しそうな声が出迎える。まるで修学旅行のノリだ。

 どの位置にするか物色しようとして、采希は気が付いた。


(――あれ?)


「……那岐は?」

「は? お前と一緒だろ?」

「俺より先に部屋に戻るって……え?」


 自販機からここまで、分岐はなかった。


 ――なら、那岐は?


 采希は慌てて部屋を出る。薄暗く短い廊下には誰もいない。


「なんだよ、どうしたんだ采希……ん? なんだこれ?」


 凱斗の声に采希は部屋を振り返る。

 凱斗は、何かを首のあたりから手で払う仕草をしていた。その手になにも触れなかったらしく、自分の手を怪訝そうに見ている。


「あれ? 琉斗兄さん?」


 今度は榛冴だ。

 采希がそちらを見ると、琉斗が首を項垂うなだれて座っている。その姿に既視感を感じて、采希は部屋に戻る。


(――なにか、変だ)


 琉斗は口から涎を流し、眼を見開いたまま痙攣したように身体を震わせている。


「琉斗?」


 凱斗が触れようとすると、何かに弾かれたように手を引っ込めた。


「いってぇ……何、今の?」

「え、なに? どうしたの?」


 榛冴が同じように琉斗に手を伸ばすと、難なくその身体に触れた。

 琉斗の肩を掴んで揺さぶる。


「琉斗兄さん、大丈夫?」


 采希は小さく舌打ちする。琉斗の様子に、心当たりがあった。


(こんな時に……)


 采希はぎゅっと目を閉じ、大きく息を吸い込む。

 声が震えないよう、ゆっくり息を吐き出した。


「凱斗、ちょっとマズい事態かも」

「なに?」

「那岐が消えた」

「は?」

「で、多分、琉斗は何かに憑依されてる……と思う」

「……マジ?」

「凱斗が触れないのは、多分そういうことだと思うけど。那岐がいないから自信ないけどな」


 こういった話題が苦手な榛冴は、もう倒れそうな表情で震えている。

 那岐が、凱斗には悪い霊が寄り付かない、と言っていたのを采希は思い出していた。

 凱斗が琉斗に触れられない、それは琉斗が善くない霊に憑かれているということだ。


(だったら、除霊機能もついてりゃいいのに)


 生憎そんなオプションはなく、多分対処出来ない従兄弟たちと、力はあっても封印されて使えない自分ではどうしようもないだろう、と考える。

 凱斗はそれでも果敢に琉斗に手を伸ばしているが、ことごとく跳ね返されている。


(邪霊は凱斗の力には反発する。……俺だったら、どうだろう? 榛冴みたいに触れるのか?)


 琉斗の痙攣は次第に強くなる。このままでは琉斗の身体がもたない。

 試せる事は試してみるべきだろう、と采希は思った。

 采希が凱斗の肩に手を掛ける。


「俺に、やらせて」

「……でも采希、お前、封印されてるって」

「そうだな。だから何の役にも立たないかも。でも試させてくれ」


 不安そうな表情をしながらも黙って場所を譲った凱斗に替わり、采希が琉斗の正面に座る。

 采希がそっと手を伸ばすと、特に抵抗もなく琉斗の身体に触れることが出来た。


 那岐によると自分にも霊能力があって、どこぞの巫女に封印されているらしい。

 困った事に、どうすればその力を使えるのか、采希には全く見当もつかなかった。


(お前な、毎度、憑依されてんじゃねぇよ。こっちの苦労も考えろっての)


 心の中で文句を言いつつ、采希は琉斗の身体を抱きかかえるように腕を回す。


「あー……凱斗、榛冴、あと、よろしく」

「え? 采希兄さん?」


 琉斗を抱きかかえた腕に力を込める。

 采希は自分の額がぴりぴりするのを感じた。眼のずっと奥、ちょうど自分の頭部の中心あたりから何かが額の方に流れ込むのを感じた。


 どうすればいいのか、分からない。

 なので、ひとまず自分の意識を頭の中心に向けてみる。


(頼むから、誰か、こいつを助けてくれ。俺の身体や命を使っても構わない。俺に力を貸して。お願いだ、誰か……!)


 額のあたりで、光がスパークする。


 ――ぷつん……


 視界も、音も、采希の感覚全てが、消えた。

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