第四章

第13話 残されたものは未練か

 今はもう思い出したくないことだが、中学2年から3年の夏にかけて幼馴染の姫乃澪と付き合っていた。そして別れた。


 最後に決定的なことがあったとはいえ、別れた理由は至極単純。あいつの冷たい対応だ。いつ話しかけても愛想なく素っ気ない答えしか返ってこなかった。

 そんなことは付き合う前から分かっていたはずだが、そのことにとうとう我慢の限界が来て別れたのだ。


 だが最近、澪は変わった。気付いたのはおそらくあの日、一緒に帰ったあの日。あの日、澪から本当に久しぶりに「ありがとう」という言葉を聞いた。それはとても衝撃的だった。

 澪が素直になって感謝の言葉を伝えてくるなんて思ってもいなかったので、あの日のことは鮮烈に覚えている。

 この前の雨の日にも、昔のことで「ありがとう」と言われたので、澪が変わったのは間違いない。


 なぜ澪が変わったのかは分からない。何を思って素直になろうと思ったのかなんて知らない。でも、少し素直になった澪は悪くなかった。決して嫌いではなかった。


 そんな澪とまた今日も関わる。ゴールデンウィークも近づき、「休みの日にどこいく?」なんて会話がちらほら聞こえ始めてきた日のことだった。


「じゃあ、クラス委員の2人、プリントを職員室に運んでおいてくれ」


 授業が終わり、先生はそう言い残して出て行った。先生に言われた通り、澪はプリントの置かれた教卓の元へと向かい、1人で運ぼうとし始める。


「おい、澪。手伝うぞ」


「別に私一人で平気」


 目を合わせず少し俯きながら素っ気なく突き放してくるが、腕は少し震えていて強がっているのはすぐに分かった。

 

 そもそもプリント運びは委員長、副委員長2人でやる仕事なので、相手が澪がどうか関係なくやらなきゃいけない仕事なのだ。さすがに嫌いだからといって相手に押し付けるのは良くない。まして相手が女子ならなおさらだ。力仕事は男子の仕事なのだし。


「いいから半分寄越せよ。大体これクラス委員の仕事だろ?俺も委員長なんだからやらせろ」


 強引に半分奪い取ろうとする。これまでなら俺のことを無視して1人で行くか、半分貰っても無言だっただろう。

 だが少し言いにくそうにしながらも素直に礼を言ってプリントを渡してきた。


「……分かった。その……ありがとう」


「おう」


 まただ。何度目だろう。また澪が素直になっていることに気付く。素直な澪というのはまだ慣れない。どう反応していいか分からず戸惑う。

 最近変わったよな?と聞いてみようか。だが、聞いたところで何になる?特に何かするわけでもない。わざわざ会話を広げる必要なんてない。

 結局、それだけ会話してあとは黙ったまま職員室へとプリントを届けた。


 プリントを届け終えると、何やらクラスの男子が何人か集まっていた。その集団の中から、涼が声をかけてくる。


「あ、仁!プリント運びお疲れ!こっちおいでよ」


 かなり大きな声なので俺に教室のみんなの視線が集まってくる。相変わらずの元気さに少しだけ苦笑しながら、涼達のところへ向かった。


「なに話してたんだ?」


「学校が始まってから3週間ぐらい経ったじゃん?そろそろ誰がどういう人なのか分かってきたことだし、どの人が一番可愛いかを決めようと思ってさ」


「ああ、なるほどな」


 修の説明に納得する。よくある話だ。中学の時も仲良い男子とこういう話をした。まあ、その時は澪のことをめっちゃ惚気ていたわけだが……うん、あの時のことは忘れよう。


「やっぱり断然、姫乃さんだろ!」


 涼が高らかに宣言する。


「えー、そう?姫乃さんは確かに顔は可愛いけれど、性格がきついというか壁を作ってる感じがない?」


「俺もそう思う」


「いや、そうだけどさ。見る分にはいいじゃんかー」


 周りの奴の反論に少しだけ不満げに返す涼。やはり、周りからの澪は話しにくい印象らしい。これまでのクラスの雰囲気を見ていればなんとなく皆がそう思っていることは分かっていた。


 明らかにクラスで浮いている存在だし、クラスメイトと親しげに話しているところをほとんど見たところがない。

 唯一あるとすれば、舞くらいだろう。この前聞いた感じだと、時々挨拶を交わしたり勉強の質問を受けているらしい。


 だが彼女だけだ。他に話している人は見たことがなかったので、涼が澪のことを推しているのは予想外だった。まあ、見た目だけはいい奴なので分からなくもないが。


「へえ、涼は姫乃さん推しなんだ?まあ、見る分には可愛いよな」


「でしょでしょ!」


「でも、そんなこと言ってるけど、涼の場合は話しかける勇気がないだけだろ?姫乃さんに限らず女子に。ほんと照れ屋だよな」


「それ言えてる」


 ちょっといじってやると、修もつっこんできた。


「うるさいな、平気で女子と話せる仁と修がおかしいんだよ。普通の男子はこんなもんだって」


 予想通り図星だったようで涼は拗ねたようにちょっとむくれる。ほんともったいない。積極的になれればもっとモテるようになるのに。そう思わずにはいられない。


「別にただ人よりこれまで話す機会が多かっただけだよ。慣れだよ慣れ。ね、仁?」


「まあ、そうだな」


「慣れって言われても、どうしようもないじゃんかー。修は舞さんがいるから慣れるのが簡単なんだよ。あんなに仲良いなら慣れて当然じゃん」


「確かに修と舞ってほんと仲良いよな。前から思っていたんだが付き合ってるのか?」


 修と舞はなんだかんだ一緒に動くことが多い。ちょくちょく2人で話しているのも見かけるし、みんなでいる時も2人はかなり仲良さげだ。

 気にはなっていたが、他にも色々気になることがあり、尋ねる機会を逃していた。せっかくの機会なので、言及してみると、意外にも修は慌てたように視線を彷徨わせ始めた。


「へ?!い、いや……」


「あれ?仁知らないの?」


「何が?」


「修はね、こんな余裕そうな感じでいるけど、好きな子には積極的になれないヘタレ野郎なんだよ」


「へー?」


 涼からの説明はとても興味深いものだった。こんなにイケメンな奴なのに純情とは。あまりのギャップが面白く、ついにやけて修の方を見てしまう。すると修は少し目を細めて睨んできた。


「なんだよ、仁。絶対仁はからかってくるって分かってたから言わなかったんだ」


「そんな隠すなよ。大丈夫、これからは相談に乗ってやるから」


「やだね、絶対からかう未来しか見えないし。だいたい僕のこといじってくるなら、そっちはどうなんだい、仁」

 

「俺?」


「とぼけるなよ、胡桃さんといい感じだって話。結構噂になってるよ?胡桃さんもかなり可愛いって有名な人だからね。美男美女でくっつくんじゃないかって」


「ただ勉強を教えてるだけだよ。他は何もない」


「ふーん?」


 肩を竦めて否定するが、訝しそうに見て疑ってくる。上手い誤魔化し方がないか考えたその時、チャイムが鳴った。


「ほら、自分の席に戻ろうぜ」


「絶対後で詳しく聞くから」


 そう言われながら席に戻る。まったく面倒なことになった。絶対後でしつこく聞かれるだろう。どうやって話を逸らすか考えながら授業を受けていった。


 授業が終わり放課後になると、結衣がやってくる。最近は放課後、彼女に勉強を教えるのが恒例になりつつあった。最初に教えた数学に限らず、化学や物理なんかも教えている。


「仁くん!今日もよろしくね」


「ああ、じゃあ、図書館行く?」


「うん、実は最近化学も分からなくて、そっちも教えてもらえると嬉しいな」


「別にいいよ」


 結衣に誘われて席を立つ。ふと、視界に澪の姿が映った。周りには誰もおらずぽつりと浮いている。勉強をしているのか黙々と机に向かって何かを書いていた。


 ほんと変わらない。相変わらずな奴だ。入学してからもほぼ毎日放課後まで学校に残って勉強をしている気がする。まあ、コツコツとあれだけ勉強できるのは、それだけで本当に凄いと思う。

 

「なに?姫乃さん?あの子少し苦手だなぁ」


 俺が澪を見ていることに気付いたらしく、結衣は少しだけ低い声を出した。


「苦手?」


「うーん、なんていうか壁を作っている感じがあるし、あんまり愛想ないしね。話した感じもつまんないし」


「……確かに」


「でしょー?姫乃さんのことはもう置いておいて、図書館行こ!」


「あ、ああ」


 ぐいっと手を引かれて澪から視線を切り前を向く。


 澪が無愛想で引っ込み思案なのは知っていたし、俺自身そう思っているのに、いざ他人に言われると少しだけなんとも言えないもやもやが胸に溜まる。

 嫌いな奴なんだから別にこんな気持ちになる必要なんてないのに。


 たまる鬱憤を無視して、結衣との会話に集中する。だけど澪の勉強している姿がやけに脳裏に強く残って消えなかった。


 図書館に着けば、いつものように雑談しながら勉強を教えていく。

 勉強を教えることは自分のためになる。自分がどう考えているかの頭の整理になるし、強制的に考えていることを言語化して相手に伝えなければならないのにより深く覚えることが出来る。教えるのは多少面倒でもそれ以上にメリットがある。

 それにせっかく頼ってくれているのだから力になりたい。そういう気持ちもあり、ずっと結衣に勉強を教えていた。


「…………ここは、よく出るパターンだから覚えておいた方がいい。グラフの形を把握する上で絶対必要になるから」


「分かった。この変形を覚えてくればいいんだね」


「ああ、この後の数学で何度も使うから出来るだけ早く覚えた方がいい」


「任せて。明日までにはばっちり覚えてくるから」


 そう言ってぐっと力瘤を見せてくる。だが、明らかに筋肉が足りておらず、ふにふにと柔らかそうな力瘤だった。


「それにしても、ほんと仁くんって凄いよね。頭もいいし、それにかっこいいし。絶対中学の時もモテてたでしょ」


「別に、そんなんでもないよ。それを言うなら結衣の方がモテてたんじゃない?」


「私なんか全然だよ。仁くんの方がモテるって。クラスの女の子の間でも話題だよ。仁くんイケメンだって」


「あはは、それはどうも」


 軽く笑いながら話題を流す。なぜだろう。かっこいいと言われることが最近少しだけ虚しい。高校デビューをして初めて「かっこいい」「イケメン」と言われた時は自分の努力が報われたようで嬉しかった。

 だけど、結衣から何度も言われるにつれて何か引っかかるようになった。外側しか見られていないような、そんな感覚だ。俺自身を見てくれていない感じがしてしまう。結衣に言われるたびに何か違和感みたいなものが胸につき刺さる。


「……話題といえば、もうすぐゴールデンウィークだよな。結構クラスのみんな話ししてるし」


「確かにね。「どこ行く?」って私も華とかと相談してるよ。仁くんはゴールデンウィークどこか行くの?」


「んー、修と涼とかいつもメンバーでカラオケは行くかって話にはなってる。運動部はゴールデンウィークも部活あるらしくて、その一回だけかな。友達みんな部活で忙しいらしい」


「へー、そうなんだ。じゃあ、結構ゴールデンウィーク暇だったり?」


「実はな。まあ、勉強でもやっておくさ」


 肩窄めておどけてみせる。まさかみんな部活で忙しいとは。部活に入らなかったのが少しだけ悔やまれる。まあ、勉強で勝ちたい奴もいるわけだし、ゴールデンウィークを勉強して過ごすのも悪くはない。

 勉強で何の教科をどのように進めるか考え始めた時、唐突に結衣は誘ってきた。

 

「……じゃあさ、空いてるなら映画でも見に行かない?」


「えっと……」


 こちらの様子を窺うように上目遣いに覗き込んでくる結衣。不意を突かれた提案に少しだけ言い淀んでしまう。


 いつかは今の距離感を縮めてくるかもとは思っていたが、こんなに早く来るとは。

 俺だって鈍感ではない。薄々結衣の好意には勘付いていた。ここまで何度も勉強の教授を誘われて色々話していれば、流石に相手の好意に気付く。


 中学までの俺なら気付いた時点で多少距離を置いて、友人としての距離感を保っていただろう。

 だがそれをせずにずっと二人きりで勉強を教えていたのは、どう接していくべきか考えあぐねていたからだ。


 まだ関わり始めて2週間ぐらいしか経っていないが、それでも多少は相手のことが分かってくる。結衣は話しやすいし、見た目も可愛い。特に嫌う要素はない。そんな相手から好意をよせてもらって嫌なわけがない。

 仲を深めてもいいのだろうか?もう遠慮する相手はいない。選択は自分の自由だ。ここが分岐点だろう。結衣のこの誘いを受ければ、より親しくなれるだろう。断れば今はただの友達のまま。


 多少は知ってもまだそれほど相手のことは知らない。結衣はいい人だとは思うが、特別惹かれる何かを感じているわけではない。それでもきっと好きになるとは本来こういうものなのだろう。


 澪との出会いが例外なだけで、本来何か特別な事件が起きてそれを救うことで恋が芽生えたり、あるいは一目惚れをして強烈な恋心が生まれたり、なんてそんなことはきっと滅多にないのだ。

 普通はいいなと思って仲良くなって親しくなって相手を知って、緩やかに好きになっていくものなのだろう。周りの恋愛を見ればそういう恋愛がほとんどだ。

 きっと付き合うのに強烈に惹かれる必要はないのだろう。なんとなく良い。その程度の好意から付き合ってより惹かれていくのがよくある恋愛なのだと思う。


 軽いな、と思わなくもない。でもそれはきっと俺がその滅多にない恋愛を経験したからであって、そんな人はそんなにいないのだと思う。だから、おそらくこういう近づき方が普通なのだ。

 

 これはいい機会なのかもしれない。澪も変わったのだ。俺も一歩踏み出してみようか。澪のことは忘れて。

 もともとリア充になって楽しく過ごすために高校デビューをしたのだ。きっとこれは良いきっかけだ。過去を振り切れるなら進んでみても良いのかもしれない。そう思い、俺は提案を受けることにした。


「そうだな、行くか」


––––––––この選択が間違いだったとは知らず。

 

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