128. S01&03:Chased by Wolves

 ――――― Side: 01 & 03 ―――――




 生きている喜びを噛み締めつつ、束の間の休息を取っていたサムとグレタ。

 暫くすると、徐々に暴力的な怒号と複数の足音が遠くから薄っすらと聞こえてくるようになった。

 追手だ。


「ヤバい、逃げるわよ!」

「わ、分かった!」


 まだまだ体力を回復できていないサムだが、迫る追手の前で駄々をこねるわけにもいかない。

 仕方なく重い両足を必死に動かす。


 聞こえてくる騒音は、二人が逃げてきた南からが一番大きい。

 加えて、東西の両方からも薄っすらと聞こえている。

 恐らく、そちらの方からも何かが迫っっているのだろう。

 逃げられる方向は、もう北しか残されていない。

 北へ走れば走るほど、眼前の外周城壁が徐々に大きく高くなっていき、壁面の質感やシミ汚れなどもはっきりと見えてくる。


「ね、ねぇグレタ!

 このままじゃ、城壁にぶち当たるんじゃない!?

 大丈夫なの!?」


 走りながら、サムがグレタに問う。

 グレタの話では、スラムの城壁に近い一帯は密輸組織の縄張りだったはず。

 近づいただけで危険であり、特に今のサムとグレタが行けば彼らに捕らえられて追手に差し出される可能性が高いという。

 このままの進路で行けば、間違いなく彼らの縄張りに突入してしまうだろう。


「もう遅いわよ!

 他に逃げ道はない!

 このまま当たって砕けるわよ!」

「当たるのはいいけど砕けるのはダメじゃない!?」


 そうこう言っている内に、周囲の景色が変わる。

 ボロ屋と廃墟が占めていたスラムの光景が、倉庫めいた大きめの建物が並ぶ光景になった。

 スラム深部の廃屋と違い、ここ一帯の建物はちゃんと保守と補修がなされているらしく、古くはあるが決してボロくはない。

 窓にはガラスこそ無いものの、全て板で隙間なく打ち付けられており、雨風を凌げるだけでなく、建物内を覗き見ることができないようにされている。

 ここはその昔、都市拡張の際に資材置き場として使われていた一帯で、臨時倉庫が多く建設された場所だ。

 役目を終えて破棄された今では、密輸組織「巾着鼠スマグラット」の縄張りとなっている。


 保守はされているのに人気が感じられない、異様な雰囲気。

 そんな不気味な路地を、二人はひた走る。



「止まれ」


 突然、低い声が聞こえた。

 横の路地から一人の男が現れ、二人の前に立ちはだかる。

 ボロいマントに曲刀を下げた長身痩躯の男で、口元は襟巻きで隠れている。

 素顔ははっきりしないが、その両目には剣呑な光を湛えている。

 明らかに暴力に慣れている人間だ。


「ここより先は『私有地』だ。

 用がなければ即刻立ち去れ」

「あ、あたしたちは『脱出』希望よ!」


 まるで暗号のような言葉に、男は一瞬だけ黙り、観察するような眼差しを二人に向けた。


「名前を言え」

「グ、グレタとサムよ」

「……付いてこい」


 それだけ言うと、男は踵を返した。


 ホッとしたグレタは、サムの手を引いて男に付いていく。


「ね、ねぇグレタ」

「なによ」


 サムが口元を隠しながら、小声でグレタに耳打ちする。


「『ダッシュツキボウ』って何?」


 用心棒らしき長身痩躯の男が態度を変えた、グレタの一言。

 それがどういう意味か、サムにはチンプンカンプンだった。


「『脱出』ってのは、街の外に逃がしてもらうっていう意味よ」

「街の外に……逃してもらう?」

「そ。巾着鼠スマグラットは密輸業者って言ったでしょ?

 密輸するものの中には当然、人間も含まれているのよ」

「そ、それって違法なのでは?」

「何を今更なこと言ってんのよ。

 密輸業者って時点で、既に存在そのものが違法よ。

 物を運ぼうが、人を運ぼうが、何を運ぼうが、全部違法に決まってるでしょ?」


 グレタの言葉は、半分が正解で半分が間違いだ。


 正しいのは言葉の前半──「密輸組織は存在そのものが違法」という部分。


 密輸業者は、領の秩序を乱す存在だ。

 まともな領主であれば、彼らを駆逐しようとするだろう。

 実際、他の犯罪組織同様、密輸業者は殆どの領主からパブリック・エネミーと見做され、重点的摘発対象とされている。


 まともな領主がいれば必ずその逆の領主もいるわけで、そういった者の多くは犯罪組織と繋がりがあったり、酷い者では領主自ら犯罪シンジゲートの首領をしていたりする。

 ただ、そういった領主でも、密輸業者とだけは繋がりが薄い。

 それはなぜかというと、領主という存在は基本的に「密輸」という行為をする必要がないからだ。

 領主は、領地における「王様」である。

 領地内限定ではあるが、その権能は凄まじく、王国法の「領主に対する禁則事項」で定められた事柄──例えば、無断での軍備増強や、申請なしの大量破壊兵器の保持など、所謂「王家の脅威」となる行為──に引っかからない限り、領主は自領で何をしても許されるし、何を入手しても良いとされている。

 違法奴隷しかり、麻薬しかり、危険生物しかり、庶民にとっては「ご禁制品」だが、領主にとってはただの「商品」でしかない。

 あらゆる品物を堂々と入手できるのだから、「密輸」などというコソコソ運ばせて手に入れる行為をする必要はない。

 故に、密輸業者と関係を結ぶこともない。


 もちろん、麻薬や違法奴隷などを堂々と調達すれば名誉に傷がつくし、諸侯から批判が殺到するので、密輸業者を利用してコッソリと入手する気の小さい領主もいる。

 が、大抵は「麻薬じゃない、専属の薬師が薬を作るために求めた材料だ」「違法奴隷じゃない、身売りしていたのを保護しただけだ」など適当な理由を付けて、合法であるように見せかけて堂々と入手している。

 それで実際に批判を完封できるので、やはりコッソリと手に入れる必要はない。

 よって、領主が密輸業者と密接に関わることはほぼ無いのだ。


 それは裏で闇組織と繋がっている悪徳領主も同様で、寧ろ彼らは密輸組織を積極的に排除・吸収しようとする傾向にある。

 そもそも、領主という存在は密輸業者の最大の売りである「密輸」そのものを必要としないため、たとえ相手が悪徳領主であっても魅力はほぼゼロだ。

 逆に、繋がりがある闇組織の競争相手になりうるため、「視界に入らなければ放置、入れば排除」というスタンスの者が多い。

 中には上納金アガリを求めて密輸業者を容認するしょうもない領主もいるが、他の犯罪組織の方が上納金アガリが多い上に、密輸は税収を低下させる懐に入る金を減らすので、やはり重用することはない。



 そんなわけで、いい領主・悪い領主を問わず嫌われている密輸組織は、間違いなくグレタの言う通り「存在そのものが違法」だろう。

 が、その後に続く「何を運ぼうが全部違法」というのは、あまり正確ではない。

 少なくとも、この領では。



 ことは、先代ストックフォード伯爵の時代まで遡る。

 まだ領の発展が不安定だった時代。

 頭が柔らかい部類だった先代ストックフォード伯爵は、密輸組織に対して他の領主とは違う対応を取った。


 それは、特定の密輸組織に多少の目こぼしを与えて他の密輸業者を取り仕切らせる代わりに密輸の内容を報告させる、という限りなく黒に近いグレーな奇策だ。


 密輸業者を一つ一つ叩いて回っても、結局はイタチごっこになって切りがない。

 取り締るにしても予算は必要だし、過度の取締は正常な商取引の妨げになる。

 根絶させようとすればするほど相手は狡猾になり、より危険な橋を渡るようになる。

 であれば、無理に根絶など考えず、逆に必要悪と割り切り、少数だけ残して管理下に置けばいい。

 そんな思惑から、先代ストックフォード伯爵は、当時最大勢力だった密輸組織──巾着鼠スマグラットに目を付け、交渉を持ちかけた。


 密輸する品物は全て、事前に領主に報告すること。

 その中には、フェルファストからの脱出を測る逃亡犯や、他の闇組織から依頼された輸出入品も含まれる。

 禁制品の密輸は規定の品目のみ、独自での密輸を容認する。

 その他の禁制品は事前に報告の上、領主の同意下でのみ密輸を許可する。

 これらの規定を守る限り、領主は密輸組織「巾着鼠スマグラット」の摘発をしない。


 この条件を主軸にした提案を、先代ストックフォード伯爵は当時の巾着鼠スマグラットに持ちかけたのである。

 結果は即答。

 巾着鼠スマグラットはチーズを前にした鼠が如く、もしくはチュー◯を前にした猫が如く、思いっきり食いついたのだった。


 巾着鼠スマグラットとしては、実質的に領主の犬に成り下がることになってしまうし、領主が容認したご禁制品はどれも利益率悪影響が大きいとは言えないものばかりだったが、それでも領主公認になれること、それによって同業者を任意に排除・吸収できることなどなど、旨味とメリットの方が圧倒的に大きかった。

 密輸組織は、何処に行っても領主から嫌われる。

 巾着鼠スマグラットが……いや密輸組織という嫌われ者がこれ以上大きくなるには、この話に乗るしか無い。

 逃す手は、何処にもなかった。


 そうして、巾着鼠スマグラットはフェルファストにおけるほぼ唯一の密輸業者となり、領内における密輸全般が秘密裏に領主の監督下に置かれることとなった。

 その効果は絶大で、都市内の犯罪組織は大いに抑圧され、治安は同規模都市の中でも最良の部類にまで向上した。

 禁制品であれ逃亡者であれ、その数も、行き先も、出市のタイミングも、移動経路も、全てが領主に把握されているので、領主の意向一つで簡単に拿捕・排除される。

 これにより、跋扈していた犯罪組織は収入源を大いに削られ、ほぼ生かさず殺さず状態。

 犯罪者たちも、その圧倒的な捕縛率から、そもそも犯罪を犯す気が失せる。

 かと言って、巾着鼠スマグラットを介さない密輸・密航は困難だし、他の密輸業者を頼ろうにもほぼ巾着鼠スマグラットによって潰されているので宛がない。

 独自で密輸をやろうとしても、ルートが限られすぎているので収益が少ない。

 市場を独占している巾着鼠スマグラットからも邪魔が入るし、抵抗すれば潰される。

 こと「密輸」に関しては、巾着鼠スマグラットに頼る以外に選択肢はないのだ。


 このように、この領では密輸そのものが領主の管理下にあり、部分的に黙認されている。

 そのため、グレタの「何を運ぼうが全部違法」という発言は、完全に正しいというわけではない。

 領主の知るところにあって、なおかつ領主の目こぼしがある「密輸」に関しては、原則論では違法でも、実際にはグレーなのだ。


 ただ、こんな真っ黒なボーダーラインで灰色を見つけるような行為は、犯罪組織や為政者の仕事だ。

 グレタたちのような一般人が密約や内情を知っているはずもない。

 実際、巾着鼠スマグラットに関係のない一般住人が密輸に関われば領法違反として問答無用で衛兵隊に捕縛されるので、グレタが「密輸は須らく違法」という考えに至ることは至極まっとうだろう。



「い、違法なら、彼らに頼るのは不味いんじゃないかい?」

「もう逃げ道がないのよ。彼らに任せるしか方法はないわ」


 追手に追われて、スラムの最北端まで逃げて来た。

 二人に残された逃げ場は、もう「城壁の外」だけだ。

 この八方塞がりの状況を脱するには、密輸業者である巾着鼠スマグラットしか知らない秘密の抜け道で街の外に逃がしてもらうしかない。

 だから、グレタは「脱出依頼」を巾着鼠スマグラットに出したのだ。


「最終手段、か……」


 グレタが前に言ったことを思い出し、サムが暗い顔になる。


「お金のことはできるだけ誤魔化すつもりだけど……さて、どうなるかしらね……」


 二人が巾着鼠スマグラットの利用を最終手段と位置づけたのは、支払うお金がないからだ。

 後払いで仕事を引き受ける裏組織などないし、金がない人間の依頼など誰も相手にしない。

 グレタとサムの場合、金がないだけでなく自身もお尋ね者状態なので、最悪彼らに捕らえられ、そのまま追手に突き出されてしまう。

 とは言え、もう他に手がないのもまた事実。

 ここは危険を承知で飛び込むしかない。


「覚悟を決めるわよ」

「う、うん……」


 カーラという希望を取り戻したグレタは、以前より明らかに肝が座っている。

 対して、自分の知る領域とはかけ離れた「裏の世界」に足を踏み入れたサムは、酷く不安げだ。

 当たって砕けろ。

 グレタが口にしたその不穏な言葉を耳に残しながら、サムは重い足取りでグレタの後ろを歩いた。






 男の後を付いて暫く進むと、二人は外周城壁の根本にほど近い場所にある一軒家に辿り着いた。

 外観は他の建物と殆ど変わらないが、ここだけ微かに人の気配がする。


「入れ」


 短く言うと、二人をここまで連れてきた長身痩躯の男がドアを開いた。


 おずおず中に入った二人は、リビングらしき所で待ち構える複数の人間に思わず体を強張らせる。

 細身の中年男性が1人に、ふくよかな中年女性が一人、ガタイのいい青年が3人、そして髭と眉が白くなった老人が一人。

 老人は3人掛けのソファの中央にゆったりと腰掛けており、老人用の杖を抱くように持っている。

 その他の5人は、全員が老人の座るソファの後ろで直立を保っている。


「お主らがサムとグレタじゃな?」


 そう言ったのは、ソファに座る老人。

 枯木のような外見とは裏腹に、その声は矍鑠としていた。


「は、はい。あたしがグレタで、こっちがサムです」


 緊張した面持ちで、グレタが老人に返事をする。

 好々爺然とした雰囲気とは裏腹に、白い眉に殆ど隠れてしまっている老人の両目は、猛禽類のように鋭い。

 その眼力は、上空から急降下して獲物をピンポイントで仕留める鳥の魔物「スカイイーグル」を彷彿とさせる。

 明らかに只者ではないだろう。

 残り5人の立ち位置も、老人の地位を示している。


 間違いない。

 この老人こそが、密輸組織「巾着鼠スマグラット」の首領ボスだ。


「ふむ……」


 眉に隠れた目を細める老人。

 グレタとサムは、出もしない唾をゴクリと無理やり飲み込む。


 自分たちの運命は、この老人の手に握られている。

 果たして、巾着鼠スマグラットは自分たちの依頼を引き受けてくれるのか。

 それとも、自分たちを取り押さえて追手に差し出すのか。


 二人を交互に見た老人は、遂に白い口髭に隠れたその口を開いた。


「お主ら、随分と色んな連中に追われておるようじゃのう」


 その一言に、二人がビクリとする。

 やはり、自分たちのことを知っていた。

 これだけ派手な騒動があったのだ、知っていてもおかしくはない。

 いや、知っていて当然だろう。

 巾着鼠スマグラットは、この街でも大きい部類に入る闇組織だ。

 保有する情報網は、グレタなどでは想像もできないほどに広い。

 自分たち程度の素性であれば、一刻もしない内に丸裸にされてしまう。

 ならば、自分たちの今の立場と懐事情も熟知しているはず。

 金があるように見えない逃亡者平民二人と、出どころは汚いが金はある複数の追手闇組織

 老人がどちらを取るかなど、火を見るよりも明らかだ。


「あ──!」

「儂もこの稼業を長く続けておるが、なかなかどうして、面白い事になっておるのう」


 グレタが慌てて何か弁明しようとするも、先に口を開いた老人によって遮られてしまう。

 その目は、野ネズミを狙うスカルイーグルそのものだ。


「脱出依頼、ということじゃが──」


 ブルリと二人に身震いが走る。

 どうやら、自分たちの運命は決まってしまったらしい。






「金は既に貰っておる。

 すぐにでもお主らを逃がそう」




「「────は?」」



 意外すぎる老人の言葉に、二人の目が点になった。

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