貴女が見た世界


 貴女が見た世界が本物であるとしたら、世界はただ誰かの手の内で転がっているだけなのだ。




 最近よく変な世界を見るという、へんてこな事を言い出したのは美空だった。


 美空はごくごく普通の女の子で、取り得といったら運動神経がいいくらい。


 勉強に関しても中の中で、本当に普通の女の子なのだ。


 肩より少し長い髪はいつも高く結ってあって、それが運動神経の良さを表しているとあたしは思う。


 あたしはと言ったら、ごくごく普通というよりむしろ落ちこぼれだ。


 勉強もできなければ、なんの取り得もない。


 もちろん運動なんかもってのほかで、スポーツテストでは平均にも遠く及ばない。


 趣味はといったら、そうだな、ゲームをちょいちょいするくらい。


 それから、お菓子を作るのだけは好きだった。


 とにかく、美空がそんなことを言い出したのであたしは最初、給食の牛乳をストローから吸うのを忘れたくらいに唖然としていた。


 我に返って「何? それ何の冗談?」と言うと、彼女は至極真顔で「冗談なわけがない」と言う。


 いや、そんな真顔で言われても。


 あたしは少し間を置いて、もう一度聞いた。


「どういうこと?」


 美空は給食のコロッケを口に詰め込んでいたので、ちょっと待ってという素振りをしてその後牛乳を飲んだ。


「それがね、急に見たことない世界に立ってるの」


 コロッケを急いで飲み込んだのか、胸の辺りをとんとんとしながら彼女は少し考えるように言った。


 あたしは、こんな普通の子でも、急に頭がおかしくなることがあるのかしらと首を傾げていた。


 でも、まるでゲームのような話だったので、あたしは少し興味を持ったんだ。


 だから今日、放課後に美空と遊ぶ約束をして、午後の授業を受けた。


 帰ってからすぐに出かけようと思ったけど、手ぶらも何だなと思ったから冷凍庫に保存しておいたクッキーの生地を切り分けた。


 適当にオーブンに並べて、焼いておく。


 この間にシャワーを浴びて着替えれば、準備が出来るころには熱々のクッキーを持っていくことができるはずだ。


 あたしは鼻歌混じりにシャワーを浴びて、さくさくと準備をした。


 その間、美空の話を考えていた。


 こうやって立っていて、気がついたらいきなり別の世界にいる。


 その世界は見たことがない世界で、美空は驚いたんだろうか?


 いや、そもそも、その世界にいる間に美空は何かしたんだろうか?


 そこまで考えて、オーブンのチーンという音と共に我に返る。


 いやいや、あたしまでその話に呑まれてどうする。


 そんなゲームのような世界があったら、頭のいい人類はとっくに気がついているはずだ。


 まぁ、あたしみたいな落ちこぼれもいるけども。


 ――クッキーを持って家を出た。


 あたしと美空は幼稚園からの幼馴染なので家もそう遠くなかった。


 ここから自転車で5分ほどの距離だ。


 空はこれでもかってくらいに快晴、空気は少し冷たい秋の味だった。


 ピン


 ポーン。


 美空の家のチャイムはいつもピンとポンの間に間があった。


 今日もその音は変わらず、しばらく待つとおばさんが顔を出した。


「まぁ、由依ちゃんいらっしゃい! どうぞ」


「あ、これクッキーです、よかったら」


 おばさんはふくよかで、いつも笑顔で迎えてくれる。


 今日も例外でなく、彼女はあたしを招きいれて笑った。


 まぁ、まぁ、それじゃあお茶いれなくちゃねとおばさんは奥に引っ込んで、代わりに2階から美空の声がした。


「由依ー、上がってきてー」


 はいはい、と聞こえない返事をして玄関にあがり、小さくお邪魔しますと言った。


 玄関から見てすぐ左奥にある階段を上がって美空の部屋に入ると、彼女はふわふわのベッドに座ってあたしを待っている。


「わざわざごめんねー」


「いやいや、気にしなくっていいよ」


 あたしはいつものように適当に座った。


 美空も床に座り、最初は学校の話とかテストの結果だとか、そういう他愛もない話で盛り上がる。


 いつの時代も、女子っていうのはこういうものなのかも。


 あたしは美空と話すこういう時間が案外好きだった。


 いや、美空だけが友達ってわけじゃないけど、こういう話は美空とするのが一番楽な気がする。


 しばらく話をしていると、トントンとノックされドアが開いた。


 おばさんがお茶と、あたしの焼いたクッキーを入れたお皿を持って入ってきて、ゆっくりしていってねと出て行く。


 美空はドアが閉まり足音が一階に降りていったのを確認して、言った。


「それで、例の話なんだけど」


「あ、うん。どんな世界なの?」


「うーん、ここよりずっと未来って感じ。地面もなんていうか、鉄板で覆われてるみたいになってて、そこに電気回路みたいなのが走ってるっていうか」


 美空は別の世界の説明を始めた。


 自分が立っているのは、小さな広場のような場所で。


 その広場の周りにはビルのような建物がびっしり建っているらしい。


 色といったらほとんどが金属の鈍い銀、空に至っては灰色。


 たまに地面やビルの回路に繋がれたランプのようなものが赤になったり青になったりするそうだ。


 動くものはあったかと聞くと、見ていないという。


 じゃあ自分は動けたのかと聞くと、試していないそうな。


 白昼夢でも見たのかしら。


 やけにリアルに語る美空の顔はやっぱり至極真顔。


 それが事実なのが当然であるかのよう。


 あたしはやっぱり半信半疑で、というか、むしろ信じられないとさえ思った。


「うーん、やっぱり信じられないかな?」


 そんな気持ちを察したのか、彼女は頬を人差し指でつついて言った。


 彼女の癖だった。


 あたしは、いやいやと首を振った。


「信じないとかじゃなくって、その、現実味がまだ足りないんだ。今度行けたら、歩いて周ってみてほしいんだけど」


 美空は「なるほど」と言いながら少し考える素振りを見せた。


「確信はないんだけど、最近向こうにいる時間が少し延びた気がするの。もしかしたらそういうのも可能なのかも」


 あたしは「え?」と聞き返した。


 美空は少し自信なさそうに言った。


「いや、最初はホントに一瞬、あれ、ここどこ? って思ったらこっちに戻ってたって感覚だったんだ。でも最近は、ゆっくり見渡すくらいの時間があるのよ」


 そして、今度は困った顔をした。


 最初、夢でも見てたんじゃないかと思ったこと。


 頭がおかしいんじゃないかと疑ったこと。


 誰かに話そうかどうか迷ったこと。


 彼女は自分の不安をあたしに打ち明けた。


 それを聞くうちに、あたしは美空の言うことが本当なんじゃないかと思った。


 ……と。美空がクッキーを口に持っていこうとしたときにそれは起こる。


 というか、起こった。


 本当に一瞬だったから、目をこすったくらいだ。


 一瞬、美空が消えたのだ。


 でも、あれ? と思うまもなく彼女はそこに何事もなかったみたいに座ってて、あたしの方を呆然と見ていた。


「み、美空?」


 そこで気がついた。


 彼女の手にあったクッキーは??


 どこに???


 いや、だって、まさか。


「由依……私、今、また行ってきた……」


 もう、あたしはひっくり返らんばかりに驚いて。


 声が裏返ったのが自分でもわかっちゃうぐらい。


「みっ見た! 美空、今、一瞬、消えた」


 美空はそれに目を見開いた。


「えっ私消えたの⁉ ウソ、じゃあやっぱり、私あの世界に行っちゃってるの⁉」


 美空は興奮した様子であたしにその世界を歩いたことを語った。


 美空いわく、30分は向こうに行っていたらしい。


 クッキーもそこで食べたという。


「最初、腕を持ち上げてみたの。それはあたしの腕だった! クッキー持ってたし。服装もちゃんと見たけど、このままだったわ!」


 そーっと踏み出すと、硬い地面の上を歩いてる感覚がはっきり感じられたという。


 建物の横に移動してそれに触れると、金属特有の、あの冷たさもわかったらしかった。


「そう、それで、自分の歩く音も聞こえた。それから、冷蔵庫の音みたいな……低いブーンっていう音もずっとしてたかな」


 その世界は機械的な世界なのかもしれない。


 美空は建物の間を歩いたらしかったが、どこも入り口がわからなかったらしい。


 生き物はいなかったのかと聞くと、動くものはいなかったと言った。


「……そっか、クッキーは持っていく事ができたんだから、他の物も持っていけるかな?」


 美空がぽつんと言ったのを聞いて、あたしは胸が躍ったのを感じた。


「そうよ! それならあたしも一緒に行けないかな? あ、でもいつ飛ぶかわからないんだよね。じゃあカメラ持って行くのはどうかな?」


 そうよ、そうだわ。


 それならあたしもその世界を見ることができる!


 あたしはまるでゲームの主人公みたいな体験をすることができるのだ!


 あたしと美空はもう興奮しまくりで、二人であれこれと持ち物の話をした。


 いつ行っても大丈夫なよう、小さなポーチをいつでも持ち歩いていたらいい。


 そして一緒にいるときは、あたしは極力美空と手でも繋いでいたらいいんだ。


 なんていい案なんだとあたしは思った。


 その後は二人でお小遣いを出し合って買い物に行く。


 かわいい花柄のポーチと、使い捨てのカメラ、それからメモとペンを買った。


 美空はおやつも持っていっていいかなと、飴を大事そうにポーチにしまって笑う。


 それからというもの、毎日が興奮冷めない日々だった。


 美空がその世界に行くと、彼女はすぐにあたしに連絡をくれて世界の話をしてくれた。


 それから3日くらいしてカメラのフィルムが無くなったところでフィルムを現像に出した。


 そして、美空の家で一緒に出来上がるのを待つことになった。


「最近はもうほぼ1日をあっちで過ごしてるんだ。だから次は食べ物がないとおなかが空いて死んじゃうかも」


 美空はそう言って笑うと、小型のリュックに多めにパンやジュースを詰めて、部屋の中でもしょっていた。


 あたしはまだ一緒にその世界に行ったことがない。


 それでも美空とあたしはその世界の情報を共有していた。


 その世界では、まだ生き物に会えない。


 始まるのはいつも小さな広場からなので、もうその付近の地図も出来上がっていた。


「似たような景色しか撮ってないけど、これで由依にもその世界を見せてあげられるね!」


 美空は現像できるのをあたしと同じくらいに楽しみにしてくれている。


 あたしは美空みたいな幼馴染がいて良かったと思った。


 今度は一緒に行きたいからと、手を繋いでおしゃべりする。


 もちろん、学校のこととか、そういうこともいっぱい話したりする。


 やっぱり、そこは普通の女子と変わらないんだけど、あたし達にはその世界があるのだ。


 なんだかそれだけで、他の子と違う気がしてしまう。


 そう。あたし達は、特別だった。


 そして現像ができた頃、カメラ屋に向かっているところで、彼女が飛んだ。


 もうすぐだねと美空を振り返ると、そこに彼女がいなかったのだ。


 まさか外で手を繋いで歩いてるわけにもいかないから、あたしはまた一緒にいけなかったんだけど。


 あたしは美空が戻ってくるのを少し待った。


 そういえば、美空が消える時間も少しだけ長くなったのかしら?


 30秒ほどで美空は戻ってくる。


 でも、その顔は真っ青。いつもの彼女ではなかった。


「美空?」


「……由依、ダメ、あの世界は……」


「どうしたの? 美空?」


 彼女は突然あたしの腕をぎゅっと掴んで、目を見開いた恐怖いっぱいの顔であたしを見た。


「ダメなの! あの世界に由依は連れて行けない!」


 美空はあたしを掴んでいた腕に視線を移し、まるで触ってはいけないかのように飛びのいた。


「ど、どうしたの? 美空、落ち着いて……」


「ダメ、あれは……あんなのは……」


 美空は頭を抱え込むようにしてしゃがみこんでしまう。


 顔色も悪いし、何かあったのは間違いなかった。


 あたしはカメラ屋を後回しにして、美空の家へ帰ることにした。


 美空を支えようとするけど、彼女はあたしが触れるのを恐がる。


 というか、あたしが触れてる状態であっちに飛ぶのを恐がっているのか。


 彼女の足取りは頼りなくて、今にも座り込みそうだ。


 家に着くと部屋に駆け上がり、彼女はくずれるように座った。


 あたしは、申し訳ないのは承知で、今日は誰もいない美空の家のキッチンを借りてお茶を入れ、


 彼女に持っていった。


「……ごめん、取り乱して……」


 少し落ち着いたのか、彼女は深呼吸をする。


 そして世界のことを語った。


「今日、初めて生き物に会った……。あたしと同じ、人間だった。外国の人よ、金髪に青い眼の、女の人」


 彼女はどこからかいきなり現れると、美空をすごい力で引っ張って建物に入ったという。


 入り口がないと思っていた建物は、見たことない装置で少し操作すると目の前にぽっかり穴があいたらしい。


 その女の人の言葉は英語だったそうだ。


 なんだか怒っているような、おびえているような顔。


 美空に何か言っていたらしいが、彼女はそれが聞き取れず、「NO、NO」と繰り返したそうだ。


 建物の中は映画に出てくる宇宙船の内部に似ていて、奥に行くとなんと人間が数人いた。


 美空は驚いて彼らを見つめて立ち尽くした。


「~~~~~」


 金髪の女の人が何か言うと、日本人らしき男の人が何か英語で返して、その後美空に話しかけてきたそうだ。


「君は、日本人かい?」


「そ、そうです」


 その人もどうやら日本人だったそうだ。


 歳は40前後くらいだろうか。


 ジーパンにシャツという一般人そのものの格好で、その傍らにリュックが置いてあったという。


「私は林だ。安心して、この人たちはみんな仲間だよ」


「あ、えっと、わ、私は美空といいます」


「美空ちゃんか。君はここに何時間いられる?」


「えっ? ……えっと……1日くらい……?」


 この会話で、彼らもまた美空と同じように飛んだ人なんだとわかった。


 美空はなぜこんな、隠れるように人がいるのかわからなかったらしい。


「君は、奴等には会ったか?」


「や、奴等?」


「そうか、まだだったのか。それは幸運だった。奴等に会ったら君は殺される」


「え?」


 美空はなんだわからず、ただ立っていたらしい。


 殺されるって、どういうことなんだろう。


 彼らは言葉を続けた。


「私たち人間は、奴等の囲いの中で飼われている。実験されている。奴等は定期的に人間を連れてきては体を調べて捨てている」


 少しずつこの世界での時間が長くなるのは、人間の体をこの環境に慣れさせる為なのだ。


 林さんはそう言うと、腕を組んで少しの間沈黙した。


 美空に考える時間をくれたのかもしれなかった。


「いいか、ここには私たちの仲間が集めてきた食料がある。こちらに私たちの食べ物はないから、自分たちの世界から持ってくるしかないんだ。わかるよね?」


「は、はい……」


「ここにあるのは、今までにここに来た人が貯めていったものなんだ。そのほとんどはもう奴等に殺されてしまった。ここはいわば隠れ家で、ここが見つかったら私たちもおしまいだろう」


 美空は混乱したそうだ。


 今まで「奴等」とかいうのには会わなかった。


 しかし、この状況を見ると、あながち嘘ではなさそうだったし、何よりこの世界があると知っている時点で、何が起こってもそれは在り得ることなのだとわかっていたのだ。


 よく見ると周りにはダンボールの箱が無数に積んであった。


 見せてもらうと、中には様々な国の缶詰や水、ジュース、保存食が詰まっていた。


 林さん以外には、美空を連れてきた女の人、アフリカ民族だという人、それからもう一人アメリカ人の男の人がいて、どうにかコミュニケーションを取っていたそうだ。


「美空ちゃん、ここまでの道は覚えているね?」


「あ、はい」


「次に来る時は、君も食料を、保存食を持ってきてほしい。できるだけたくさんだ。私は一度こちらにくると2週間は帰れなくなってしまった。まだ短い時間で行き来できる君にも協力してもらわないといけない。しかし、気をつけて。またこの世界に来るということは、君が初めて降り立った場所からスタートするということ。ここに来るまでに奴等に捕まったら……アウトだ」


 美空はその後ほぼ一日、ドアの開け方、奴等の存在についてを聞いて帰ってきたんだという。


 しかし、なぜあんなに美空がおびえていたのか、あたしにはわからなかった。


 話だけであんなにおびえるものなのかしら?


 あたしは美空に聞いた。


「美空は、帰ってくる前に何か見たの?」


「!」


 美空は、何も語らなかった。


 ただ、一言だけ「由依は、絶対に連れて行けない世界だった」と言っただけ。


 あたしはその日、もう遅かったので帰ることになった。


 美空が心配だった。


「美空……」


「大丈夫、きっとなんとかなる。それじゃあまた明日ね!」


 たぶん、この後彼女は保存食を買い集めに行くんだろう……。




 次の日、美空は普通に学校に来て、普通に話していた。


 あたしはもしかしたら夢でも見てたのかもしれない。


 あたしが何か聞こうとしても美空はうまく逃げたような気がするし、もしかして、もうあたしには関わらせないようにしていた気もする。


 けれどそれ以外、今までのことは夢だったのかなと思うほどに、美空はいつもの美空だった。


 しかし、それから3日後――美空は帰らなかった。


 話を聞きに行ったあたしに、おばさんは彼女が保存食を買い溜めていたと話した。


 家出かしら、どうしてなのと泣くおばさんに、あたしは何も言うことができない。


 ただ、絶望感と虚無感だけが、胸の中を埋めていく。


 そこであたしは、思い立ってカメラ屋に走った。


 もしかしたら、彼女は写真をそのままにしているのでは?


 ……思ったとおり、まだ写真は置いてあった。


 取りにくるのが遅いと怒られたけど気にしない。


 お小遣いギリギリだったけど、それも気にしない。


 写真には、鈍い銀と灰色の世界。


 無機質な、暗い世界。


 おばさんに見せられるはずもなく、あたしは家で写真を見ながら泣いた。


 美空は、帰ってこない。


 きっともう、帰ってこない。




 ――美空。


 貴女が見た世界が本物であるとしたら、世界はただ誰かの手の内で転がっているだけなのだ。


 そしてあたしは知っている。


 貴女が見た世界が本物だということを。


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