第67話 「エニグマ」


 性別転換症候群。7月末から現在にかけて、報告数が多く、その特異性から注目を集めている病気なのか不明な現象。

 名前の通り、性別が反転する。しかし特異性というのはそれだけではない。性別を変えるというのは最近では手術でどうにかできるようになっているが、この現象には明らかにおかしい点がある。


 生まれ変わったように、あるいは元からそうであったように変化する。


 手術で性別を変えた場合、それまでに育った部分では変えられない物がある。背や体格などがそれに該当する。ある程度矯正はできるが、それも完全ではない。

 この性別転換症候群は、そういった部分でさえも変化してしまう。極端な例では、ある者は背が小さな女の子になり、ある者はガッチリした体格の男性になる。

 話の流れで言えば当然だが、今の例は性別が反転した結果だ。その前は語る必要はない。


 正直な話、性別転換症候群に関するニュース記事を読んだ時、実際に起きている事だとは理解していたが、信じたくなさすぎてページのどこかに「この話はフィクションです。」と書かれているんじゃないかと必死に探した。

 信じられなかったし、信じたくもなった。その願いとは裏腹に、記事が創作物であるという証拠は見つからなかった。むしろ似たような記事が出てきたくらいだ。

 誰だって信じられないだろう。UFOを見たと言っても、大多数の人間は信じない。そういう事だ。



 俺はこの性別転換症候群を患っていない。患者の気持ちを理解してやる事は不可能だ。気持ちを想像するくらいならできるが、それをした所で本人の感情とは同じにならない。

 それでも、少なからず困惑するだろうというのは分かる。これからの人生について、世間の目について。不安になる要素も大きく多いはずだ。

 勿論、不安になるのは本人だけではない。周りの人間だって、性別が変わってしまった相手に対してどう接すればいいのかなどを考える。


 そう思っていた。


 思い浮かべたのは、中学の頃からの友人である長門凛。

 凛も性別転換症候群の患者の1人だ。

 夏季休業に入ってすぐにVRMMOのサービス開始がある、という話をして凛も誘った。

 しかしいざゲームを開始しよう、となった日に「女の子になった」という謎の連絡があり、ゲーム内で会ったら性別が変わっていたし、祭りに行く際に現実でも直接会ったが、冗談でも何でもない。

 話によれば、サービス開始の1、2日前に変わってしまったらしい。そりゃそうだろう、夏季休業に入る直前に学校で会っているんだから、変わる時間があるならその会ってない2日の間くらいだ。


 当然、俺は困惑した。俺だけじゃない、同じ友人という立場であるアズマもそうだ。その当時はニュース記事もなかったが、信じざるを得ない状況証拠は揃っていた。


 あの時は混乱して問題を後回しにするという癖が出てしまったが、今思えばそれも悪い事だけではなかった。

 現れた少女を「長門凛」と仮定して話を進める事で、性別が変わってしまった事から来る人間関係への不安を消せたのかもしれない。そう考えると、最適解を選んでいた可能性がある。


「…いや、どうだかな」


 とはいえ、アズマのように病院に行くことを勧めるのが良かった可能性もある。


 やめよう、過ぎた事は考えても仕方ない。時間を戻せる力があるなら話は別だが、もしもなんて想像しても意味が無い。

 ジャンケンでパーで負けた時に「グーを出してたら勝ってたのにな」なんて言って、勝ったことになる訳がない。それと同じだ。


「急にどうしたんだ?」


 鎧を着ていないアズマが、テーブルの対面で俺の独り言を拾う。

 アズマとは【Fictive Faerie】がサービス開始して凛の状況を確認してから、凛の性別転換症候群について話し合っていたが、今までと変わらない態度で接するべきだという方針で決まった。口が滑ったこともあったが。


「なんでもねぇよ」


 だがその方針は俺とアズマが勝手に決めたものであって、凛がそう望んでいるのかは分からない。

 俺達は凛に嫌われたいのではない。凛が何を思い、何を求めているのか。それを聞いておくべきだろう。


 そのためにフレンドメッセージを送って凛を呼んだが、中々来ないからアズマと神経衰弱で遊んでいる最中だ。


「スペードの6。これが…ハートの6だな」


「呼んどいて何してるの」


 新たにワンペア獲得した所でもう一度、次はどのカードを捲るかと考えていると、背後からもう慣れてしまった凛の声が聞こえてくる。

 後ろを振り返り凛が立っているのを確認してから、同じテーブルの空いている席へ座らせる。


「え? 何?」


「いや、そろそろ聞いとかないとなって思ってな」


 アズマが「話の切り出し方どうにかならないのか」という視線を送ってくるが、そんなのどうでもいい。最終的に聞き出せれば過程はそこまで関係ない。


「聞く? 何を?」


 理想的な返事だ。


「性別が変わった事に関して、だな。女として生きるのか?」


 この質問は以前にも似たような事を聞いている。いや、正確には聞いていないが、凛が勝手に答えている。

 その時の解答は「性別に執着はない」だ。性別が変わってしまった直後だったから、時間が経っていく中で価値観が変わっている可能性がある。だから今一度聞いた。


「あれ、前に言わなかったっけ? 僕は僕であって、性別は関係ないんだよ」


 どうやら解答に変化はないらしい。


 パラドックスの題材の中に「テセウスの船」という物がある。

 テセウスの船はボロボロになった船があり、そのパーツを一つ一つ新しい物に交換して修復した船は、果たして修復前と同じ船と言えるのか? という物だ。

 これには大まかに2通りの反応がある。1つは元のパーツが1つもないのだから元の船ではないという主張。もう1つは修復しただけなのだから同じ船であるという主張。どちらも正当性はあるように思える、それがパラドックスだ。

 現代の船は製造時に割り振られた番号が廃船となるまで同一であるため、修復しようが所有者が変わろうが同一の船であるとされている。


 凛の主張にもこの「テセウスの船」に似たような部分がある。

 身体という、凛を構成する部分は男から女に置き換わってしまった。だが精神は変わらない。

 つまり、凛は自身のアイデンティティは身体ではなく精神にあり、その部分が同じなのだから身体が変わろうと自己同一性アイデンティティに変化はないと言いたいんだろう。


「そう言われても」


 アズマは理解できてなさそうな声を上げる。

 それも最もだ。これからどうするのか、という質問に対して、凛は「アイデンティティは同じ」と言ったのだ。それは答えにはならない。

 しかし赤の他人であった場合はどうか知らないが、凛なら何を言いたいのかはなんとなく分かる。


「自分に変化がないんだから俺らも変わらなくていいって事だろ」


「そう! それそれ!」


 いやー、なんか言語化できなくて困ってたんだよね、と笑いながら言う。

 こいつ自分でまとめる前に言ってたのかよ。


「でも折角だし、この身体でしかできない事とか、楽しい事はやっておきたいよね」


「精神が強靭過ぎんだよな…」


 性別が変わってから時間が経って慣れたとはいえ、快楽主義にシフトチェンジするとは全くの予想外だ。何食ったらそんな精神力になるんだか。


「なんでそうなるんだ」


 どういうロジックでそこに行き着くのか理解できてないのは俺だけじゃないようだ。


「うーん、無意識的な現実逃避の結果かな」


 人間というのは脆い。肉体的にも精神的にも。

 精神的な面では、幼少期のトラウマや自身の恐怖体験、親しい人物を失う事による喪失感などで簡単に壊れてしまう。

 それをカバーするために、自分自身で嫌な記憶を思い出さないように閉じ込めたり、人格を分裂させて対処する。現実逃避もその1つだ。現実の嫌な事を忘れたいがために、ゲームや運動などの趣味に没頭する。


 凛も現実逃避をしている。それはつまり、自分自身の変化を許容できていない。


「本当に大丈夫かよ」


「大丈夫じゃない?」


 少し遅れて、多分と付け加えてくる。

 どうするべきか。凛は変わらない対応を求めいるが、許容できていない…。

 いや、許容できない結果の要求は呑める。これまでと変わらない態度で、楽しい事を提供してやればそのうち落ち着くだろう。その後の事はその時にでも考えるか。

 考え込んでいる俺達を見て話が終わったと判断したのか、凛は訓練所の場所を聞いてくる。ホールの中央にある水晶から行けるというのを伝えると、ありがとうと言いながら水晶へ触れ転移して行った。


「…狂ってんなぁ」


 どうしていいか分からずに塞ぎ込む訳でもなく、楽しければいいとゲームをする、か。前から自分自身に関しては無関心な部分が多い奴だったが、現実逃避も相まって拍車がかかってるな。


 凛が居なくなったホール。机の上には裏になって伏せられているトランプと、表を向いたハートとスペードの6。

 アズマを見ると、目が合う。


「難易度」


 頷いておく。確かに難易度の高さは厳しいところだ。凛が何を楽しいと思うかを予測し、それを提供したり守ったりしなければならない。

 親友のために何かするというのも中々楽ではないな。


「リンを守れるように強くなるとかでいいのかね」


「さあな。まあそれなら少なくとも凛のストレスを軽減できるとは思うが、楽しいに繋がるかはどうだろうな」


 それでもアズマは守れないよりマシだ、と言って自分の部屋の方に戻って行った。

 どこに何があるかも忘れてしまい、対戦相手であるアズマも居なくなった。溜息を吐きながら片付けを行う。


「はぁ、難儀な性格してるな、どいつもこいつも」


 それは俺も例外ではないだろう。

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