第5話 カリスマの私的運用

 十月二日の金曜日、俺は印刷を終えたアンケート用紙を職員室に届けて、自分のクラスに戻った。

 わいわいと賑やかな教室に入ると、俺を見つけた大野さんが席を立った。


「はい、みんな、ちょっと注目して!」


 黒板の前に大野さんが立ち、打ち合わせでもしてあったように番匠がチョークを持って黒板に文字を書いていく。

 黒板に大書されたのは、『文化祭の出し物案』の文字。


「どうせすぐには決まらないと思うから今のうちに考えておいて。次の時間で決めるから。それだけー」


 はい、解散、と大野さんが手を叩いて席に戻っていく。だが、大野さんが座ったのは笹篠の隣の席、つまりは俺の席だ。

 視線に気付いた大野さんが大げさに身を縮こまらせる。


「白杉君が物欲しそうな目で私を見てくるんだけど……」

「待て、俺は俺の席しか眼中にない」

「そんなに座りたいなら、膝を貸そうか? 明華のだけど」

「おいでー、白杉」

「犬猫じゃないんだから」


 自分の膝を叩いて誘ってくる笹篠に言い返し、俺は自分の机の天板に座る。

 次の時間が始まれば文化祭実行委員の大野さんは黒板の前に立つ。席を占領されているとはいえ、慌てる必要はない。

 時間が解決してくれる。未来人な俺にはなんて贅沢な解決法だろうか。


「白杉、なんで浸ってるの?」

「贅沢な時間を噛みしめてるとこ」

「意味わからん」


 大野さんが首をかしげて、笹篠が苦笑する。

 そこに番匠がやってきた。


「白杉、聞きたいんだけどさ」

「どうした?」

「飲食系はダメ?」

「商店街のことを気にしてるんだろうけど、飲食系の出し物も大丈夫だよ。例年よりは枠が減るって話だけど」


 競争率は高くなるが、商店街とのコラボ企画などで抜け道はある。

 笹篠が身を乗り出した。


「ねぇ、ケーキ屋の塚田さんとのコラボ企画もできるのかしら?」

「できるけど、迅堂がもう話を通してたぞ」

「くっ、やっぱり早いわね……」


 塚田さんが俺攻略への橋頭保みたいに扱われてない?


「コラボ企画をするなら今日のうちに決めたほうがいいよ」

「塚田さんがダメとなると別にこだわらなくてもいいわね」

「私情を挟みすぎだろ」


 話を聞いていた大野さんが口を開いた。


「明華に案がないなら、私の代わりに意見を出してもらっていい? 文化祭実行委員だから立場上意見を出しにくくってさ」

「いいわよ」


 本当にこだわりがないらしく、笹篠は二つ返事で大野さんの申し出を受けた。

 クラス全体で取り組むわけだから、笹篠的にはあまり熱を入れる気にならないのだろう。

 大野さんは両手を合わせて笹篠を拝む。


「コスプレ喫茶、和風メイドと書生服のやつ。ドリンク限定なら飲食系でも多分通るから、お願い!」

「和風メイドって……着たいの?」

「書生服の男子が見たい!」

「欲望に忠実ね」


 笹篠がちらりと俺を見て、目を細める。


「書生服ってどんなだっけ?」

「こんなの」


 スマホで画像検索をしてみせると、笹篠は俺と見比べて大きく頷いた。


「協力するわ」

「よっし!」

「ねぇ、なんで俺を見ながら協力表明したの?」


 平均ちょい上雰囲気イケメンだよ、俺。


「――分からないの?」


 笹篠が席を立ち、俺に鼻先が触れ合いそうなほど顔を寄せてくる。あ、良い匂い。


「ここ最近、迅堂さんと商店街との調整ばっかりで、私は完全に放っておかれているのよ」

「……い、いそがしくて」

「白杉が真面目なのはわかってる。仕事だもの、とやかく言わないわ。でも、流石に私も攻勢をかけないと後れを取ってしまうでしょう? だから、和風メイドになるわ」

「論理と帰結が結びついているのに線がねじれているこの感覚」


 誰か、俺に共感してくれる人はいませんか?

 助けを求めて視線を教室に向けると、シンと水を打ったように静まり返った教室で、同級生の視線が俺と笹篠に釘付けだった。

 いや、まぁ、こうなるわ。

 カリスマな笹篠が堂々と俺に迫って、しかも文化祭にかこつけて進展を狙うと表明したのだから、この教室で反対の意を唱える者がいるだろうか、いないに決まってる。


 こっそりとガッツポーズしている大野さんに、番匠が呆れて笑っていた。

 こうして、相談するまでもなく我がクラスの出し物はコスプレ喫茶店に決定した。

 カリスマの私的運用を規制する学則の成立を伊勢松先輩に具申しておこう。


 昼休みを終えてクラスの出し物が秒で正式決定し、詳細を詰める作業に入る。

 番匠と大野さんが黒板の前に立ってクラスの意見をまとめるが、一番の話題はやはりコスプレ衣装の調達先だった。


「作ると結構かかるよね。時間もお金も」

「予算的には厳しいな」


 クラスメイトが相談したりスマホで調べているなか、俺は先日の商店街との会議を思い出していた。

 具体的には、商店街のコスプレ喫茶の店長の懸念を。


「商店街のコスプレ喫茶か貸衣装屋とのコラボにすればいいんじゃない?」


 思い付きをそのまま口にすると、番匠が俺を見た。


「あ、その手があったわ。完全に頭から抜けてた。でも、あるのか? 和風メイドとか書生服なんてニッチな衣装」

「ニッチじゃないやい」

「大野は黙ってて」


 番匠が大野さんの抗議をさらりと流す。この二人、未来では付き合っていたけど今はどうなんだろう。

 俺はスマホで貸衣装屋のサイトを見る。貸出衣装の一覧にはないけれど、事前に申請すれば提携店から取り寄せも可能なようだ。


「今日にでも直接聞いてみようか?」


 事前に連絡を入れておけば話くらいは聞いてくれるだろう。

 その時、笹篠が片手をあげた。


「一緒に行くわ」

「そういうと思ったよ」


 マジで攻勢を強めるつもりらしい。


「俺と笹篠だけだと費用とか分からないから大野さんか番匠も来てくれる?」

「面白そうだから行く。デザインも口を挟みたいし」

「ちょっと男女で集まってデザインの相談をしておこうぜ。大体の方向性は決めておかないと相談もできないだろ。男子は白杉の机に集まれー」


 番匠の呼びかけでぞろぞろと男子がやってくる。

 笹篠は大野さんと共に教室の端へと移動していく。女子たちも同様だ。

 俺の机の周りに集まった男子たちは書生服をスマホで一斉に検索し始める。これはと思う物を画像共有しつつ、細かい点は俺がノートの切れ端にメモしていく。

 俺は一つ気になっていたことを全員に問いかけた。


「ところで、当日は誰が着るんだ? 絶対に人数分はレンタルできないし、裏方も必要だろ」


 午前と午後に分けるとしても、ひとまず八人程度は見繕っておいた方がいい。

 男子が十二人いるから、四人ほどが裏方に回る。


「まず、いいだしっぺの番匠は確定で、笹篠さんたっての希望で白杉も確定。あと六枠を誰が埋めるかだけど」

「あ、やっぱり俺は着るのね」


 そういう流れだとは思ってたけどさ。

 番匠が少し嫌そうな顔をしている。お前は大野さんの希望でコスプレ確定だ。誰も言わないだろうけど。


「書生服だし、眼鏡を付けてる奴」

「安直だなー」

「こうでもしないと、どうせ決まらん。辞退したい奴は?」


 三人、部活の出店や委員会活動の関係で辞退者が出た。

 残りの一人はじゃんけんで勝ち残った眼鏡が裏方を希望したため、男子のコスプレ組は確定。

 ちらりと女子側を見ると、笹篠と大野さんが俺たちの方を見て親指を立ててきた。

 我がクラスの女王陛下はご満悦なようだ。

 まぁ、俺も笹篠の和風メイドがかなり気になっているので、御相子な気もする。


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