第30話 本気で掴む未来

 尾行はない。

 夜道を歩きながら、俺は竹池のおじさんが経営するテニスクラブへと向かっていた。

 夜空に星が瞬いている。冬の乾燥した空気は水蒸気による光の拡散も控えめで、星が綺麗に見える。

 未来が見れなくなった今、夜空は綺麗に見えるのだ。

 すでに営業を終了しているテニスクラブの前で、イヤホンで音楽を聴いていた明華が俺を見つけて片手を上げた。


「巴、いきなり呼び出しちゃってごめんなさい」

「いいよ、別に。のんびり歩こう」


 春の事件が終わったあの日、一緒に歩いた道を二人並んでのんびり歩きだす。

 コートのポケットに入れていた手を出した明華が俺に手のひらを向けた。

 半ば無意識に、俺はポケットから手を出して明華の手を握る。

 にんまりと笑った明華は「ふふっ」と小さく笑った。


「これなら、まぁいいか、って割り切れちゃうわね」

「呼び出した理由の話?」

「そう」


 予想は付いていたけれど、明華は俺を呼び出した理由を話しだす。


「タイムマシンがいきなり消えたわ」

「つまり、いまは未来人じゃない?」

「えーと……そうね。今日の昼に過去に戻ったことはあるけど、夜以降は初めての時間ね」

「今日の昼に戻ったのは、巫女バイトの話?」

「よくわかったわね」


 驚いたように俺を見る明華に苦笑する。

 俺が観測した限り、明華は今日の夜に戻ったことがある。松瀬本家への襲撃を俺に知らせるために戻り、迅堂と同時にチェシャ猫に襲われている。

 もう、別の世界線の話だ。明華も知らない、別の世界線の話。


「もう、一般人ってことだよね?」

「なーんか含みがあるわね。未来人じゃない私だと魅力半減とか?」

「まさか。明華はいつでも美人だよ」

「……あ、ありがと」


 いまだに褒められ慣れてないのか、明華が赤い顔でそっぽを向く。

 明華が一般人になったのなら、もうチェシャ猫を恐れることもない。


「実はさ、俺も未来人だったんだ」

「……え?」


 一年を経て明かされる衝撃の新事実に、明華が唖然とする。

 俺も、春に君から未来人カミングアウトを食らった時、そんな心境だったんだよ?


「えっ、いや、ちょっと、えっ?」

「まぁ、落ち着いて聞いてほしいんだけど」

「無理よ!?」


 ごもっともです。

 しかし、暴露するのって気持ちいいな。一年間悩まされ続けたチェシャ猫からの解放感が半端ではない。

 あからさまに狼狽える明華に、自販機で買った暖かいお茶をプレゼント。

 公園のベンチに座ってお茶を飲むうちに落ち着いてきたのか、明華は俺を横目で睨みつけてくる。


「どういう事よ?」

「説明しよう!」

「何でちょっとテンション高いの?」

「この一年、俺が君たちにどれだけ翻弄されてきたかを愚痴れるからだよ!」


 会話の爆弾を処理しながら未来人という反則じみた能力の二人に自分もその反則野郎だと悟られないよう、どれほど苦慮してきたか。

 そんなわけで、おれはシュレーディンガーのチェシャ猫のこと、海空姉さんが『ラビット』の開発者であること、春と夏の事件に未来人が関わっていたこと、何よりも現在直面している事件と、国に『ラビット』のサーバーを譲渡したことで全員がタイムマシンを失ったことを説明した。

 この一年の事件のいわば裏話。それを聞いた明華は頭を抱えた。


「私が知らないところでそんなにややこしいことになっていたなんて……」

「本当だよ。でも、明華たちがいなかったら俺は多分死んでいたから、感謝もしてる」


 明華が身を挺して俺を庇う世界線がなかったら、俺は情報を過去に持ち帰れず、死んでいた。

 情報の整理が終わったのか、明華はため息をついて顔を上げた。


「それで、今の平穏は松瀬さんの記憶を犠牲に成り立っているってことでいいのよね?」

「そう。あとは『ラビット』のサーバーもね」

「……巴が平静ってことは、何か起死回生の一手があるのよね?」


 流石、俺を助けるために何度も時間を巻き戻してきただけある。俺の表情から現状が完全な詰みではないことも察しているらしい。

 俺は深呼吸をして、頷いた。


「全員が死なず、記憶を維持したまま年を越す方法はある。けど、それには俺たち全員の命をかける必要が出てくる」

「なら決まりね。松瀬さんの記憶を取り戻すわよ」

「……即決?」


 命がけだよ?

 明華は立ち上がりながら、俺をまっすぐに、強い瞳で見返した。


「妥協はしないわ。白杉にも妥協は許さない。全部を手に入れる未来を目指すべきよ。私が巴に背中を押されて突き進んだ本気は、そういう物でしょう?」


 文字通りに命を懸けて、本気で未来をつかみ取る。

 それは確かに、俺が明華と共に挑む姿勢そのものだ。

 かといって、こうも即座に結論を出されるとは思わなかった。


「やっぱ、明華はかっこいいな」

「惚れ直した?」

「結構本気で」


 笑いあって、俺も立ち上がる。


「明華、松瀬本家に行ってくれるか?」

「巴は?」

「ちょっと呼び出し受けたんだ」


 スマホに先ほど入ったメールの差出人を見せる。


「迅堂さんね。私が一緒に行くとさらにややこしくなっちゃうし、いいわ。二人っきりで夜の散歩をすることを許可します」

「ありがとう」

「早く帰ってきなさいよ? そうしないと、見せてもらえなかった巴の子供の頃の写真を松瀬さんにせがむわ」

「迅速に帰るよ」

「きりっとした顔になったわね……」


 あの写真だけは見られるわけにはいかないんだ。

 俺は春との待ち合わせ場所を確認し、スマホをポケットに入れた。

 明華が片手を上げる。


「行ってらっしゃい」

「行ってきます」


 軽く手を合わせる。

 パンっと軽やかな音が響いた。

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