第9話 首吊り
クリスマスの翌日、走り続けた師も息切れし始める年末を見据えて、俺は松瀬本家の庭の手入れを終え、松瀬本家を出発した。
迅堂との待ち合わせ場所である駅前の本屋を目指して歩く。
「メールの返信はいまだになしか」
SNSの方にも迅堂からの返答がない。
体調でも崩したのか。だとしても、メールの返信くらいはすると思うけど。
心配だし、待ち合わせ場所に来なかったらお見舞いに行こうかな。
待ち合わせ場所の駅前は人通りが少なかった。クリスマスが終わり、年の暮れの準備前の始動期間、少し気が緩んだ祭りの後の空気が駅前に揺蕩っていた。
白い息をたなびかせて、本屋に入る。ぐるりと店内を回ってみるも、迅堂の姿はない。
待ち合わせ時間まではまだ少しある。昨日海空姉さんからもらったばかりの図書券で参考書でも買うとしよう。
二冊見繕って図書券と自分のお金で購入する。待ち合わせ時間が過ぎていたけれど、いまだに迅堂の姿はない。
……流石におかしい。
本屋を出て、スマホを取り出す。
迅堂のスマホに電話をかけてみるが、繋がらない。
不安とは違う、何か嫌な予感が足元に暗く淀んでいる気がした。
かけなおすが、やはり迅堂は出ない。
迅堂が自分からした約束をすっぽかすわけがない。お調子者なところが目立つが、根は真面目だと一緒にバイトをしてきた俺は知っている。
迅堂の家に電話を掛けながら、俺は走り出していた。
迅堂の家も電話に出ない。不在か?
不在だとすれば、迅堂自身が外に出ているはず。連絡がないのはやはりおかしい。
肌を刺すような冬の冷気を切り裂いて全力で駆けているのに悪寒がする。
スマホはいまだに繋がらない。もどかしくなってスマホをポケットに入れ、走ることに専念する。
息が苦しくなっても脚を止めない。焦燥感ばかりが募っていく。
迅堂の家が見えてきた。家の前に品のいいおばさんが立っている。
「――あら、君、白杉君じゃないかしら?」
おばさんに声をかけられて、俺は足を止めた。息を切らせている俺を見て、おばさんが不思議そうな顔をする。
「白杉君、よね? 春に写真を見せてもらったから、間違えてないと思うけど……?」
「白杉、巴です。あの、迅堂春さんの、お母さんですか?」
「えぇ、そうよ」
迅堂母が頷いて、家の鍵らしきものをポケットから取り出した。
「そんなに慌ててどうかしたの?」
「遊園地のイルミネーションを見に行く約束を迅堂さんとしていたんですが、待ち合わせ場所に来なくて、連絡もつかないので心配になってきました」
「あらら、そうだったの。ごめんなさいね。心配かけちゃって。あの子、昨日から様子がおかしくってね。心配でおばさんも仕事を切り上げて帰ってきたのよ」
「様子がおかしい?」
「えぇ、とりあえず中に入りなさい。外は寒いもの」
招き入れられて、俺は挨拶もそこそこに迅堂の家に入る。
初めて入った迅堂の家は物が多くにぎやかなのにすっきりと整理整頓が行き届いていた。
「迅堂さんの様子がおかしくなったのって昨日の夕方からじゃないですか?」
「よくわかったわね。友達と遊んで帰ってきてからおかしいのよ」
「昨日の夕方から、メールが帰ってきていないんです」
「そうなの? あの子ったら、彼氏にこんなに心配させて……。春の部屋は二階だから、一緒に行きましょ。心配させたんだから、部屋を電撃訪問されるくらいの罰があってもいいわよ」
いたずっらぽい笑みを浮かべる迅堂母が階段を上り始める。どっきりを仕掛けに行くわくわく感を纏う迅堂母とは裏腹に、俺は寒気を覚えていた。
緩やかな階段を上り切り、廊下を数歩進む。飾り気のない木製扉の前に立った迅堂母が中に呼びかけながらノックした。
「春、白杉君が来たわよ。開けるわねー」
言葉通りに返事も聞かず開けようとするので、俺は咄嗟に扉に背を向けた。
迅堂母が俺の動きに気付いて「いい子ね」と感心したようにつぶやく。単純に海空姉さんに鍛えられているだけだったりする。
「春、入っちゃうわねー。……春?」
楽しそうだった迅堂母の声が一瞬でトーンを落とし、疑問と不安がないまぜになった声に変わる。
俺は覚悟を決めて振り返った。
大きめの衣装箪笥が目に入る。その横に勉強机があり、ノートが数冊広げられていた。
迅堂の姿が見えず、俺は迅堂母を横目に見る。迅堂母の視線は俺の死角になっている部屋の隅に注がれていた。
「えっ、春? あれ? えっと。なんで……?」
明らかに混乱している迅堂母の横をすり抜けて、俺は迅堂の部屋に入った。
クローゼットから脚が投げ出されるように伸びている。本来ハンガーをかけるはずの棒にロープが括りつけられ――迅堂春が首を吊っていた。
「――迅堂!」
すぐに迅堂に駆け寄り、ロープを外しにかかる。体重が乗っているせいで上手く外れないことに気付き、勉強机に目を向ける。
ペン立ての中にハサミが入っているのを見つけて、すぐにそれを手にしつつ、迅堂母に声をかける。
「救急車、119番通報をお願いします。急いで!」
放心状態だった迅堂母がうろたえて迅堂の部屋を見回す。迅堂のスマホを探しているのだろうが、動揺しすぎてベッドの上に投げ出されたスマホが目についていないようだ。
無理もない。一人娘が部屋で首を吊っていて平静でいられるわけがない。こういう時こそ、部外者の俺が具体的に指示を出すべきだ。
「ベッドの上にある青いスマホを使えますか? ロックがかかっていたら、家の固定電話を使ってください」
指示を出しながら、迅堂の首にかかっているロープの結び目にハサミの先端を突き入れてほぐし、縄を解く。首にきつく食い込んでいた縄を外して、迅堂の口に耳を寄せる。
息をしてない。
胸に手を置く。心臓も止まっている。
これは、かなりまずい。
近づいてくる救急車のサイレンに気付いて、迅堂を背負う。
一階まで運んで、後は救急隊員に任せる方が生還率は高そうだ。
……背中に乗せた迅堂は冷たかった。
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