第25話 タイムカプセル

 台風一過の快晴を見上げて、俺は迅堂と共に欠伸をする。


「何事もなかったな」

「いつも通りなら、バンガロー放火事件が起きるんですけどね。警察もいましたから、まず起きないだろうと思ってました」


 同感である。

 八月十二日をこうして迎えられたが気分は晴れない。小品田さんの犠牲のもとで得た平穏だから、喜ぶのは違う。


 見張りに立っている警察に挨拶をしつつ、管理小屋へ向かう。

 警察関係者が夜食を買ったりするため管理小屋の扉は鍵もかかっていなかった。

 中に入ると、仮眠中の警察官が寝袋にくるまっているのが見える。迅堂の時は早々に自殺として処理してろくな捜査も行わない警察が随分と熱心なことだ。

 額に肉とか書いてやろうか。


 カウンター裏の扉を開けて、廊下に入る。迅堂が後ろ手に扉を閉めるのを待って、俺は中に声をかける。


「斎田さん、おはようございます」

「あぁ、おはよう。中にどうぞ。今、朝食を作っているところだから」


 よし、斎田さんも無事だな。

 リビングに顔を出す。トーストの焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。

 ベーコンエッグを作っていた斎田さんが俺たちを振り返る。


「君たちの分もあるから、座りなよ。昨夜はよく眠れたかい?」

「いえ、あんまり眠れなかったですね。斎田さんもあまり寝てないようですけど」

「警察の人が売り場に来るからね。二十四時間営業さ」


 目の下にクマを作った斎田さんはそう言って苦笑する。


 トーストとベーコンエッグ、豆腐とトマトのサラダ、柚子ハチミツの入ったヨーグルトといった洋風な朝食を頂く。

 斎田さんお手製の朝食は初めて食べたけど、なかなか侮れないお味だった。


「この豆腐、水抜きしてありますね。夜のうちに作ったんですか?」


 迅堂が興味津々で水抜きして硬くなっている豆腐を箸でつまむ。

 斎田さんは寝不足でかすむ目をこすりながら頷いた。


「あぁ、どうせ夜通し売り場を開けることになるのなら、と思ってね。夜のうちにいろいろと仕込んでおいたんだよ」

「結局、全員寝てないんですね」


 迅堂の言葉に全員そろって苦笑する。

 俺はトーストを齧りつつ、斎田さんに声をかけた。


「斎田さんは半日くらい寝てください。現場検証も地面がぬかるんでいる内はやらないでしょうし」

「そうだね。後は任せようかな」


 よほど眠いのか、あっさりと俺の提案に乗った斎田さんはふと思い出したように俺を見た。


「そうそう、巴君、本家のお嬢様に事の次第を連絡した。帰ったら親族会議だ」

「キャンプ場の存続についてですか?」

「その通り。今年は営業を自粛せざるを得ないし、犯人が捕まらないことには来年以降もどうなるか。悪いうわさも流れるだろうからね」


 状況は厳しいな。斎田の御隠居の道楽商売な側面もあるからすぐに閉鎖ってことにはならないと思うけど、業態を変えるなり再発防止策の徹底なりの意見交換は確実にある。

 俺が呼ばれるのも、最新の現場を見ているから意見を出しやすいと踏んでのことだろう。


 朝食を食べ終えて斎田さんが部屋のベッドへふらふら歩きだす。俺は迅堂と協力して洗い物を済ませ、売り場に出た。

 仮眠を取っていた警官たちもすでに動き出している。

 カップ麺を購入していく警官たちを見送って、午後には現場検証が行われるもこれといった発見はなく、時間が緩やかに過ぎていく。

 人が多く動き回っているからか、蝉の声はどこ遠く、代わりに吹奏楽部の綺麗に揃った演奏が山頂の方からかすかに聞こえてきた。

 大きく発達した入道雲が山の麓に雨を降らせていると地方ラジオの放送で話している。

 日が暮れる頃には、警察は最低限の人員を残して引き上げていき、俺と迅堂は明日に帰ることに決まった。


 俺はバンガローのリビングでキャンピングチェアに腰を下ろす。

 この夜を越えれば、俺は迅堂と共に帰路に着く。つまり、この夏の死亡フラグをやり過ごしたことになる。

 小品田さんの犠牲の上で、だが。

 責任を感じるのはお門違いとはいえ、どうにもモヤモヤして仕方がない。


「なんだかなぁ……」


 一応、割り切ってはいるつもりだけど。

 迅堂は部屋で寝ている。流石に二徹は無理だから、俺と交代で寝ることになった。

 静かな部屋に一人でいると、どうしても考えてしまう。

 ため息をついて、俺はスマホを取り出した。


 笹篠宛てに事件のあらましを説明するメールを送り、明日に予定されていた差し入れを断る。

 昨日のうちに送っておけばよかったと思いながらも、今の今まで時間が取れなかった。連絡が遅れたことを詫びておく。

 送信してすぐ、スマホに着信が入った。笹篠である。


「もしもし」

『白杉、メールは見たわ。大変だったわね。迅堂さんは?』

「いまは寝てる」

『俺の横で、とか言わないわよね?』

「別の部屋だよ」


 一つ屋根の下ではあるけど。

 笹篠の声を聞くと安心する。事件とは一切関係がない、日常に属する声だからだろう。


『差し入れ用のお菓子を買っちゃったわ』

「連絡が遅れてごめん」

『別にいいわよ。こっちに戻ったら、迅堂さんも加えて一緒に打ち上げをしましょう。ライバルとはいえ、労ってあげるわ。感謝するように伝えておいて』


 なんという上から。


「伝えておくよ。負けん気を燃やして手作りお菓子を持ち込んできそうだけど」

『それもそうね。返り討ちにする準備をしないと』


 張り合うんかい。


『帰ってくるまでが遠足よ。まだ気を抜かないようにね』

「分かってる。笹篠の手作りお菓子も楽しみだし、死んでいられないよ」

『その意気よ。この流れで言うのもなんだけど、おやすみなさい』

「うん、おやすみ」


 通話を切り、時間を確認する。

 夜の一時。迅堂との交代時間だ。


 キャンピングチェアから立ち上がろうとしたその時、スマホが震え、勝手に『ラビット』が起動した。

 何事かと画面を見た瞬間、『ラビット』の機械音声が言葉を紡ぐ。


『ヤッホーこんにちこんばんは! ラビットちゃんが深夜一時をお知らせだい! そこな未来人、おやすみちゃん! なお、このセリフは四月の三日に登録済みじゃよ。二人っきりで焼けるね~。後は任せたぜ!』

「――は?」


 思わず声が出る。

 慌てて迅堂の眠る部屋の扉を振り返り、扉が閉じたままなのを見て安堵の息を吐いた。


 なんだよ、この地雷メッセージ。迅堂と一緒に聞いていたら一発アウトだったぞ。

 四月三日に登録済み? このタイミングでこのセリフを『ラビット』が発言するように設定されていたのか?

 なんでこんな地雷を海空姉さんが仕掛けてるんだよ?

 とにかく、海空姉さんに連絡して真意を聞かないと――って、それも禁じ手か!?


 海空姉さんにとって確定している未来人は自分一人だけ。他の未来人の存在が確定したら『シュレーディンガーのチェシャ猫』で記憶と人格が吹き飛ぶ。

 このメッセージが地雷であるということは、俺が海空姉さん以外の未来人と一緒にいると知らせることになる。

 未来人でなければこのメッセージに疑問を持てない。未来人であれば、このメッセージを聞いたら記憶が消える。俺にしか届かないメッセージだ。


「海空姉さんのことだから、何か考えがあるんだろうけど……」


 そもそも、なんでほぼ命の危険がなくなった今になってこんなメッセージが流れるんだ?

 もしかして、まだ何か起こるのか……?

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