第14話 レンタルビデオ屋

 鏡の前に自分が映っていた。

 無事に戻れたらしいと安堵すると同時に、自分の顔色の変化に驚く。

 八月十日の俺の顔色はどうしようもない現実を前に曇っていた。八月六日の今の俺はこれからのバーベキューを心待ちにする顔だった。

 こうも変わるのかとため息をつき、気持ちを入れ替える。


「――よし」


 呟いて、これからの予定を思い返した直後に脱衣所の扉が開いた。


「先ぱーい、服は着てますか? 着てなくても見ていいですか?」


 三日振りの明るい声に苦笑する。まさか最初に聞く言葉がセクハラとは恐れ入るよ。


「着てるから見ていいぞ」

「ちっ……」

「舌打ちするなよ」


 扉から顔をのぞかせた迅堂は俺を上から下まで眺めた後、大仰に頷いた。


「湯上り先輩良いですね!」

「はいはい。それで、何か用?」


 もうバーベキューの準備ができたのかと思いつつ、問いかける。

 迅堂は俺からハンドタオルを奪うと背伸びして俺の頭を拭こうとし始めた。


「そこに座ってください。ドライヤーも使って乾かしてふんわりヘアな先輩に仕上げるので」

「いや、用事を言えよ」


 突っ込みつつ、椅子に座って迅堂に髪を任せる。

 されるがままに髪を乾かされる。鏡に映る迅堂が動くたびに空気が動き、体温が移動する。

 ちゃんと生きて、迅堂はそこにいる。


「先輩、じろじろ見つめてどうかしました? まさか、惚れちゃいました? 一緒にお風呂入ります?」

「今出たとこだよ」

「そういえば、用事なんですけど」

「唐突に話を戻したな……。まぁ、いいけど」

「お肉を食べる前と後で先輩の体型がどう変わるかに興味があったので突撃しました。脱ぎません?」

「そんな理由かよ!? 脱がねぇよ!」


 セクハラで畳みかけてくるとは思わなかったわ。

 思わずツッコミを入れた後、ちょうどいい機会なので誘導する。


「体型変化ねぇ。仕事もほとんどないし、周辺の地理の把握がてら散歩に行くか」

「お、本格的な山デートですね! ノリますよ、そのビッグウェーブ!」

「いや、山だから。波はないから」


 起伏はあるけどな。


「そうだ。映画を借りてきましょうよ。それで、バンガローで二人で鑑賞会をしましょう。どうです?」

「借りられるのか?」

「近所にレンタル屋がありますから。あ、十八禁を借りてみます?」

「お互いの年齢を考慮しような」


 俺は高校二年、迅堂は一年だ。どちらも暖簾はくぐれない。


「そこはほら、オーナーの力を借りて」

「雇い主に何させようとしてんの!?」


 斎田さんも困惑するわ。

 髪が乾いたので、迅堂が名残惜しそうにドライヤーとタオルを置く。


「男の人は髪が短いからすぐに乾いてつまらないですね」

「楽しむものでもないからな」

「いまのうちに楽しんだ方がいいですよ?」

「えっ、俺、禿げるの?」

「どう思います?」

「……迅堂は俺が長生きした未来を観測していないはずだから、禿げるかどうかは知らないはずだ」

「いつかは観測してみたいものですね!」


 くすくす笑う迅堂に肩をすくめて、俺は連れだって斎田さんの下へ向かう。


「お肉々、煙のびゆく、夏の空」

「妙に語感がいいけど中身がない俳句だな」


 バーベキューの煙が夏の空へと立ち昇る。

 フラッシュバックした光景に顔をしかめて、俺は野菜を中心に食べることを決めた。

 斎田さんが俺たちに気付いて手招く。


「もう野菜が焼けているよ。先にお食べ」

「ありがとうございます。ピーマンを味わいたくてうずうずしてました」

「肉じゃないのかい?」


 斎田さんは驚いたように俺を見て、ツッコミを入れた後、思い出したように続ける。


「そうだった。忘れる前に伝えておこう。先ほど、吹奏楽部の顧問の方が来てね。肝試しをやるから参加しないかと言われたよ。備品の回収がてら、参加してもらえないかな?」


 来たか。

 この誘いを断るために先手を打って散歩の提案をしたのだ。

 断ろうと俺が口を開くより先に、迅堂が両腕を交差させてバツ印を作った。


「お断りします。今夜は先輩とお楽しみなので!」


 斎田さんがフリーズした!


「誤解を招く言い方をするな! ただの映画観賞会です。そして今、ホラー映画にしようと決めました」

「先輩! 私を寝かさない気ですね!」

「だから、言い方ぁ!」


 斎田さんが状況を理解し、口を開く。


「避妊はきちんとするように」


 理解してなかった。というか、斎田さんは止める立場だよ!


「そういうわけで、肝試しはパスで。備品の回収には俺たち二人で向かいますよ」


 話を無理やり軌道修正すると、斎田さんは笑う。


「うん、分かった。先方にも伝えておこう。回収には午前三時半頃に行けばいいから。何なら、明日の朝でも構わない」

「わかりました」


 朝の方が安全だと思うから、回収は朝だな。

 計画通りに進んでほっとしつつ、皿に盛られた焼きピーマンを齧った。



 昼食のバーベキューを食べ終えて後片付けをした俺は迅堂と共にキャンプ場を出た。


「食後の運動は健康的ですよね」


 迅堂は機嫌良さそうにそう言って、道端の小石を藪の中に蹴り込んだ。


「このバイトは最高ですなー。先輩を独り占め出来て、デートすら思いのままですよ」

「命さえかかっていなければな」


 デートかどうかはともかくも、このバイトは死と隣り合わせである。


「レンタル屋はどこにあるんだ? 自転車は使わないって言ってたけど」

「片道十分くらいですかね。そこを曲がったらあとは道なりに行くんですけど、何しろ坂とカーブが多くて、自転車だとかえって体力を使うんですよ」


 山道だから、距離と体力が比例しないのか。

 迅堂が言う通り道を曲がって進む。右に左にうねうね曲がる道だ。


「トランペットの音色が聞こえるな」

「吹奏楽部でしょうかね。結構な範囲に散らばってるみたいですけど」


 ちいさな崖に張り出すような曲がり道から音の出所を探す。木々が邪魔でよくわからなかったが、音を頼りに探し始めると予想以上に広範囲に吹奏楽部が散らばっているのが分かった。


「この山は吹奏楽部が占拠してるな」

「ふっふっふ、この山が誰のものか、教えてやらねばなりませんね。さぁ、先輩、懲らしめておしまいなさい!」

「え、俺がやんの?」

「アニソンを山彦で響かせて妨害してみましょうよ!」

「迷惑だからやめなさい」


 スマホを弄ってアニソンを流そうとする迅堂を止め、さらに道を進んでいくと無意味に大きなレンタル屋が見えてきた。

 個人経営の店のようだが、山の中に突如現れたやけに大きな二階建ての建物に虚を突かれる。


 臆せず中に入っていく迅堂の後ろについていくと、大きな店舗だけあって豊富な品揃えに出迎えられた。映画や音楽のレンタルの他、販売も行っている。二階へ上がる階段に十八禁の暖簾が下がっている。

 二階が丸々そう言うスペースなのかよ。山の中にあるのも人目につかないようにするためだったりするのか。

 適当に長編のホラー映画を二作見繕ってレジカウンターへ持っていく。


「これをお願いします」

「はい。カードはある?」


 定型的なやり取りをしていると、外からコンコンと木に何かを打ち付ける音が聞こえてきた。

 気になって外を見る俺に、店主の男性が説明してくれる。


「キツツキだろう。たまに電柱をつついていたりもするよ。この辺りは多いんだ」

「あぁ、キツツキでしたか」


 キャンプ場にいた時は見かけなかったけど、陸奥さんたちの演奏が響いていたから気付かなかったのかな。

 ホラー映画のタイトルを確認しながら、男性が俺と迅堂をちらりと見て笑みを浮かべる。


「ホラーを借りた君たちに面白い話をしてあげよう」

「怖い話をしてくださいよ。そうしないと先輩に抱き着く口実にならないので!」

「迅堂、少し人目を気にしろ」

「私はいつでも素の自分を先輩に見てもらいたいので遠慮はしません」

「はいはい、夫婦漫才は余所でやりな。なんなら、恋愛ものも借りていくかい?」

「いえ、遠慮しておきます。それで、面白い話っていうのは?」


 話を戻すと、店主はいまだに響くキツツキの音の方角を指さした。


「夜に、この音を聞くと死ぬって話がある。高知県の妖怪でね。杖突というんだ」

「へぇ」

「まぁ、天狗の仕業なんて話もあるがね。さて、昨日の夜の話だ。聞いたんだよ、この音を」

「え、死ぬじゃないですか」

「そうだね。だから、君たちが最後のお客さんかもしれないんだ。どうだろう、もう一本借りていかないかい? 死ぬ前に布教したい映画があってね」


 ごそごそとレジの下から店主が一本の映画を出してくる。

 自主制作らしく、安っぽさあふれるフォントでホラーなタイトルが書かれている。


「一晩百円のところ、最後のお客さんだから無料で貸し出そう」

「先輩、監督の名前と店主さんの胸のネームプレートの名前が一致してますよ」

「あ、バレた。彼女さん、良い観察眼してるね」


 自分で撮った映画の布教かよ。

 迅堂が笑って俺の腕を引く。


「面白そうですし、無料なら借りちゃいましょうよ」

「感想文とか書かされないのなら」

「口頭で伝えてくれればいいよ」


 結局、三本のホラー映画を借りて俺と迅堂はレンタル屋を後にした。

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