あなたを救いに未来から来たと言うヒロインは三人目ですけど?

氷純

第一章 未来人とチェシャ猫論

第1話 未来人、一人目

 本家の玄関で靴を脱ぐ。


「あら、白杉の……お嬢様からのお呼び出し?」


 掃除をしていたお手伝いさんに声をかけられて頷く。


「高二になったんだから姿を見せに来いと言われまして」


 昨日も呼びつけられたんだけどね。始業式の朝から呼び出しは正直面倒だけど、すっぽかすと何を言われるか分かったものじゃない。

 お手伝いさんも苦笑して、奥の方を振り返った。


「お嬢様はいつも通りに自室ですよ」

「ありがとうございます」


 勝手知ったるなんとやら。お嬢様こと松瀬まつせ海空みそらの自室はこの屋敷の最奥にある。


 大学なんて時間の無駄と進学はせず、自室で趣味にいそしむかデイトレードで荒稼ぎする俺の又従妹は、今日も今日とて誰も来ない屋敷の最奥にこもっているらしい。

 庭の池で鯉が跳ねる音がする。遅咲きの梅の木が白い花弁を散らしていた。

 松瀬海空の部屋の前に到着すると、扉の隙間から冷気がこぼれだしていた。春とはいえまだ肌寒いこの季節に冷房を利かせているらしい。


「海空姉さん、巴だよ」


 部屋の中に呼びかけると、音もなく扉が開かれた。


 欠伸を手で隠しながら出てきたのは、成長した日本人形とでもいうべき容姿の女性。身長は百七十センチある俺とそう変わらない。女性にしては高身長の彼女こそ、俺の又従妹に当たる松瀬本家の現当主、お嬢様こと松瀬海空である。

 墨でも流したような真っ黒な髪が腰までまっすぐ伸びている。中性的で端正な顔立ちながら、アーモンド形の目は優し気で薄紅色の小紋がよく似合っていた。


「やぁ、巴。進級おめでとう。男振りは上がらなかったようだけど」


 海空姉さんはくすくす笑いながら俺の肩を乱暴に叩き、部屋に招いてくる。


「巴に進級祝いを渡したいと思ってね。登校時間までもう間がないだろう。スマホを貸してくれ」

「スマホ?」


 進級祝いに何の関係があるんだと思いつつ、スマホを渡す。


 というか、この部屋寒いな。

 部屋の中を見回す。いつも通りの海空姉さんの部屋だ。パソコンが二台、片方は待機状態だけど、もう片方はチャートを写している。自前のサーバーがラックに納められていて、いまも稼働状態にあった。

 書棚にはプログラム関係の雑誌が並んでいる。ちょこちょこと差し挟まれる女性誌はよく見るとプログラム雑誌を年度ごとに分ける仕切り板として活用されていた。

 ラックの端にはBLゲームのキャラクターフィギアが数体、なぜか女装させられて安置されている。


「巴、改めて進級おめでとう。これが進級祝いの自作プログラムだよ」


 部屋を見回しているうちに、俺のスマホに勝手になんかのプログラムがインストールされていた。

 返されたスマホの画面に視線を落とす。省エネモードのスマホにはなかなかのイケメンが写っていた。高校二年生くらいか。すっと通った鼻筋と細めの眉、松瀬の血筋を感じさせるアーモンド形の優しげな眼――

 あ、これ画面に反射した俺だったわ。

 うん、なんでもない。


 スマホのスリープモードを解除すると、覚えのないアプリアイコンがあった。起動する前に勝手にアプリが立ち上がり、バニーガール姿の少女キャラクターが画面に表示される。


『会話BOTアプリ、ラビットです! よろしくお願いしますね。今日はどんなお話でしょう? 調べものですか?』

「お前を消す方法」


 反射的に呟くと、音声入力が拾ったらしい。

 画面に表示されたバニーガール少女ラビットは青い顔をして頭を抱えた。


『ガビーン! ラビットはいらない子……。しかし、このラビットを消してもバックグラウンドに存在し続け、何時までもあなたのスマホに居座り続けてやります!』

「うっわ、質悪いなぁ」

「イルカ以上に消えない存在として作ってあるよ」


 海空姉さんが後ろから抱き着いてきて、スマホを覗き込んでくる。


「うん、ちゃんと動作しているね。その調子で、テストを頼むよ」

「……進級祝いにかこつけて俺をテスターにしないでよ」

「君以外に十人ほど、ネット上で募集をかけてテスターを頼んであるんだ。頼んだよ」


 海空姉さんの言うことには逆らえないのが、分家の白杉家長男である俺の性。頼まれては仕方がない。


「スマホを起動するたびに勝手に立ち上がられたら困るんだけど」

「そのあたりは設定で弄れるよ。ほら、ここをこうして――」


 後ろから抱き着いたまま手を伸ばさないで欲しい。


「海空姉さん、胸、当たってるんだけど」

「あははっ、当たるほどないことくらい、一緒にお風呂に入った巴は知っているだろう?」

「小学校低学年の頃の話だよね!? そこから一切成長してないなら笑い話でもない!」

「巴だって胸は成長していないだろう? お互い様だから笑えるのさ」

「俺は男だから、胸は成長しないの!」

「どれどれ?」


 海空姉さんが背中から腕を回してきて俺の胸をペタペタ触ってくる。


「ボクと同じくらいじゃないか。やっぱり笑い話だな!」

「セクハラだわ」

「そんなことより、そろそろ高校に向かわないと遅刻するよ? それとも、不良な感じで男気を見せる高二の春かい?」

「それで男気を見せられると思ってんのは、すべてに逆らうのが男だと思っている勘違いした子供だけだよ。俺は無遅刻無欠席で誠実な出来る男を目指してんの。だから放せ」

「ボクとの甘いひと時と学校での意味のない授業、どちらが大事なんだい?」

「海空姉さんにからかわれる時間よりは学校で交友関係を広げる方が大事ですが、なにか!?」

「つれないなぁ。じゃあ、『ラビット』のテスターの件、頼んだね。暇なときに会話してあげるだけでいいから」


 海空姉さんに解放され、俺はスマホを見る。

 音声入力で海空姉さんとの会話を聞いていたのか、ラビットはスマホの時計を両手で指さしていた。


『――後二十分ですぜ、旦那!』

「バニーガールな見た目と口調のギャップがえげつねぇ」



 滑り込みセーフで校門を通り抜け、新しい教室に入る。

 当然と言えば当然ながら、すでにクラスメイトは勢ぞろいだ。遅刻ギリギリの俺に視線が集まるのは当然と言える。

 黒板に張り出された席順を見て、窓際の最前列へと足を運ぶ。


「間に合った……」


 春先とはいえ、全力疾走は辛い。どこぞの小学校の新一年生に笑われたけど、あの子も遅刻ギリギリじゃなかろうか。

 カバンを机の横に引っ掛けて突っ伏すと、隣から声をかけられた。


「白杉君、新学期早々に机に突っ伏してると陰キャ扱いされて友達出来ないわよ?」

「笹篠か。また同じクラスなのか」


 やっほー、と手を振ってくるのは隣の席に座っている女子、笹篠ささしの明華めいかだった。

 笹篠を知らないクラスメイトたちが俺たちの会話に聞き耳を立ててちらちらとみてくる。それもそのはず、笹篠はとにかく目を引く綺麗どころだ。


 日仏ハーフで若干癖のある金髪が何時でもきらきらと光を反射している、生まれながらの陽キャ属性である。太陽の下に生まれましたと言わんばかりの神々しさに加え、話しかけやすい可愛らしい丸顔は纏う雰囲気を柔らかくしている。身長は百六十を少し超えたあたりだろうか。

 それでも、彼女がなかなか話しかけられないのはフランスの方の血筋が現れた抜群のスタイルのせいだろう。

 まぁ、本人の性格もちょっとはありそうだけど。


 振り返ってみれば、彼女とは中学一年から五回連続で同じクラスである。なお、会話はほぼしたことがない。

 別に仲が悪いわけではないのだが、挨拶以上の会話は事務的なモノばかりだった印象だ。

 今回も何か学校関連の連絡でもあるのかと、突っ伏していた机から上半身を起こす。


「何か用事?」


 俺が学校へと走っている間に、担任が早めに教室へ来て連絡事項でも告げていったのかと考えていると、笹篠は俺に向き直ってスカートの裾を正すふりをして何かを決心すると、口を開いた。


「――白杉君、私と付き合って」

「……あえて誤解を招く表現をすることで、このクラスの男子の共通の敵として俺を祭り上げて排除する。そんな思惑から発せられた言葉?」

「なんでよ!?」

「会話の流れがおかしいからだよ! あみだくじを辿ってたら突然隣の線にワープしたくらいの脈絡なさだろうが! ワープした先を辿っていってアタリだからまぁいいや、で済まされねぇんだよ!」

「あ、私の告白自体は白杉にとってアタリなんだ?」

「そこは否定しませんが?」


 笹篠のことは別に嫌っているわけでもないし。


「へ、へぇ、そっかぁ……」


 そんなに嬉しそうにされたら、俺、勘違いしちゃう。


「それで、なんで新学期早々、教室でいきなり告白したんだよ?」


 正直、罰ゲームか何かを疑ってしまう。ただ、笹篠がそんなくだらない罰ゲームに乗るとも思えない。

 だからこそ、不思議なのだ。何を考えてるんだ?


 笹篠はふと真面目な顔をして教室を見回した。

 当然ながら、唐突な告白にクラスメイトたちはざわついている。

 笹篠は注目が集まっていると知ると、俺に顔を寄せてきて囁いた。女子がキャーとか言ってるけど、笹篠の真剣な表情を見ると避けるわけにもいかない。


 肌白っ! 唇綺麗。え、これすっぴん? マジかよ。海空姉さんとは方向が違うけどやっぱり美少女。


「白杉君を助けに未来から来たの」

「……今、笹篠に対する信頼と不信が壮絶な殴り合いをしているんだけど、俺はどっちを応援すればいいんだろう」


 未来から来ましたってSFですか。笹篠の嘘、Sasasino Fakeですか?

 笹篠さんや、君は不思議ちゃんなキャラでしたっけ?


「疑うのは分かるけど、聞いて。白杉は近い未来、私と付き合い始めるんだけどトラックにひかれて死亡するの。だから、私があなたを救うために、性急だと思われるかもしれないけどいまから付き合いましょう」

「無茶苦茶に荒唐無稽なこと言ってるけど、俺を助けるためっていうなら恋人にならずとも友達でよくない?」


 だって、いまトラックにひかれるかも、という未来を知ったわけで、バタフライエフェクトがどうのこうので未来が変わっているだろう。

 というか、恋人関係になることとトラックの因果関係が見えない。

 友達から始めましょう?

 笹篠は顔を離すとため息をついた。


「……ダメかぁ。このタイミングなら行けるかもって思ったのに」

「いや、半信半疑すぎるんだけど。どこからどこまでが本気か分からない」


 マジ告白だったの?

 混乱中の俺に、笹篠は席に座りなおすと俺のズボンを指さした。


「スマホを出しておきなさい。そろそろかかってくるわ」


 笹篠の予言通り、スマホが着信を伝えて震えた。

 教室の入り口を見て、まだ担任が来ていないのを確認してスマホを取り出す。

 海空姉さんからだった。


「……もしもし?」

「あぁ、巴。ちょっと頼まれて欲しいんだ。放課後に宮納みやなの喫茶店で数日バイトをしてほしい。後で喫茶店の住所を送る。質問などあれば、宮納に直接頼むよ。じゃあ、高校生活エンジョイしてね」

「そんないきなり――切られた」


 巻き込み型マイペースはこれだから。

 別に断れば親戚の誰かに話が行くんだけど、帰宅部の俺はこういう時に真っ先にお呼びがかかるのだ。


 それはさておき……。

 俺は笹篠を見る。まるで、電話がかかってくる未来を見通していたかのような笹篠を。

 どうよ、とばかりドヤ顔を決める笹篠は得意そうに人差し指をくるくる回す。


「どうせまだ、半信半疑よね?」

「そうだと言ったら?」


 笹篠がにやりと笑ってこちらに身を乗り出した。


「担任が奥さんの出産に立ち会うため、今日は副担任がホームルームを担当することになるわ。十一時からは季節外れのにわか雨。一階の火災報知器がお馬鹿な新一年生のいたずらで作動する」


 まさに予言である。

 笹篠の言葉が正しければ未来で経験したことのはずだから予言や予知とは違うのかもしれないけど、細かい定義はどうでもいい。

 何しろ、彼女のこの予言はことごとく的中するのだから。

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