盗用感情理論

かんなづき

遺書(盗用)

 私が書いてるこれは、遺書だ。



 先に言う。



 私はこれから自殺する。



 うんと高いところから飛び降りて死ぬ。



 だから最期に……そうだな、私の考えてることを書こう。








 私はお前ら人間が不思議でたまらない。感情だとか言葉だとか、それっぽいことを語りながら、独創性なんてどぶに捨てているお前たちだ。



 お前らの中に存在してる感情は、すべて盗用である。



 悲しいだとか、楽しいだとか、怒りだとか。



 それを自分の中に生まれた産物だと履き違えている奴がいる。外部からのストレスによって、自分が持つ自発的な心の動きだと。地産地消だと。



 私はそんなものを感じたことがない。



 もちろん悲しみだって怒りだって背負って生きてきた。



 でもそれは私の中に生まれたものじゃない。



 もともとある感情のテンプレートを私が盗用したのだ。



 悲しみには悲しみの、怒りには怒りのテンプレートがある。



 それが設計図となって、体は反応する。

 だから、涙が出たり血圧が上昇したり、反応は似たり寄ったりだろう?



 盗用感情。



 そこにはなんの独創性もない。



 たとえその感情をどれだけ独創的に表現しようが、元が盗用であるそれはどこまで行っても盗作である。







 気付いたか? 人生は基本的に盗作だ。



 私も、あんたも、「自分らしく」なんて気負って生きようとする。



 安心しろ。その命題はいつになっても真と証明できない。



 そもそも「自分らしく生きる」なんて考え方自体が盗用じゃないか。それが美しい生き方だと感じる感情のテンプレートを勝手に盗用しただけだろう?







 先人たちは私たちにたくさんの「名作」を残していった。



 多くの人から称賛されるテンプレートのこれでもかというほど生み出していった。



 私たちはそれを盗用して生きているだけだ。



 よく言うだろう?



 幸せの形がどうとか、愛の形がどうとか。



 多くの人が「素晴らしい」と思う愛の形がある。人生の歩み方がある。わかりやすいので言えば、「モテる性格」があったりするだろう。







 私もそうだ。



 女子高生・自殺、なんて文字が並んでいたら、人が集まる。



 女子高生というものを崇めようとする感情。

 自殺というセンシティブな状況に吸い込まれるようにやってくる。



 そこには得る価値があるなにかがあるというテンプレート。

 私はそれを盗用した。



 そうだろう? この遺書を読みに来た人たち。



 お前らはどんな感情を盗用するんだい?



 同情。悲哀。羨望。あるいは、性的興奮?



 感動的でドラマチックで、「売れる」ストーリーを期待するか? 



 いずれにせよそれは全部盗用感情だ。







「売れる」ストーリーか。自分で言って結構気に入った。



 それについて話してみよう。



 音楽もそうだが、小説なんかもそうなのではないか? 

 私はそこまで小説をたくさん読むような質ではないが。



 やはりああいった芸術活動は、どこか独創性を求める傾向がある。



 でも「売れる」ものにはテンプレートがある。



 心に刺さる言葉も、コード進行も、だいたい決まってるんだ。



 まあたとえ独創性を求めたとしても、「独創性を求めたい」という感情自体が盗用感情だが。







 独創性で言うなら、「創作論」というものがある。



 ネット上ではよくわからない議論闘争が行われていたりする。

 正解を求めようとしてるんだな。


 

 でもそれに対して、「自分のやりたいようにやればいい」とか特に正解を求めようとしない人もいる。



 これも全部盗用感情だ。


 

 その真理にたどり着かずに「そういう考えもあるのか」とか阿呆臭く留飲を下げている人たちを見たりすると、どこからともなく笑いがこみ上げてくるような気がしてしまう。







 生きづらいだろう?



 何をしてもそれは絶対何かの真似事なんだ。この世界では。



 私たちは常に何かを盗んで生きるしかないのだ。



 盗用感情で組み立てられる私たちの人生は、どんな紆余曲折を経ようが盗作なのである。



 私はそれに気付いてしまった。



 自分なんて持ちようがないこの世界に気付いてしまった。







 私が最後に盗用した感情は「死にたい」というものだ。



 誰もが一度は思ったことがあるだろう。「死にたい」とまではいかなくても「死んでみたい」ぐらいなら。



 盗用したものであっても人生の価値は一応付けられる。それはその人が死んだ瞬間が一番はっきりしている。



 自分の持ちようがないなら、私が死ぬことでみんなに決めてもらおう。



 ドラマチックに死ねば、みんなが称賛してくれるみたいだ。



 私の人生はそれなんだと思う。



 女子高生が自殺をする。多くの人の同情と涙を誘う「売れる」ストーリーだ。



 私の人生は盗作である。



 今までそうやってたくさん想われてきた最期を模倣した泥棒だ。



 あんたも、この世界も、全部。何もかも。

 






 私の人生は盗作である。

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