第16話 これが銀河魔術だよ

 ぽかーん、と。

 ミモザがドア越しに、自分以外の人間を文字通り圧し潰してしまったメルトを、色素のない表情で見上げていた。

 まるで本当に箒に乗って空を飛ぶ御伽噺の世界を見た様だ。

 

「……先生、えっと……今のは?」


 まあ、当然の感想である。

 メルトも十二分に飛んでくる質問だと自覚していた

 

 ちなみに人類としても、重力を操る魔術については全く見知らぬわけではない。

 粒子も、空間も、時間も、そして暗黒についても知る人が見れば「ああ」となる。

 何故ならインベーダが銀河魔術を使うので、人類としても当然敵の研究は欠かさないために、銀河魔術は日夜研究されつつあるからだ。

 

 しかし“この星で今まで歴史を積み重ねてきた魔力とは全く理論が異なるので”、どうやら難航しているらしい程度しかメルトは知らないし、利権やら金目的でしか研究しない連中に技術提供をするつもりはない。

 

 何より、この魔術は本来戦うためにあるんじゃない。

 銀河魔術は、宇宙を知る為に存在する、宇宙を操る魔術だ。

 そう、ツクシは言っていた。

 

 

「これはね、“銀河魔術”。宇宙を知る為の魔術だ」



 ツクシと同じように、メルトも答えた。

 隠したいと思う事も、後ろめたい事もない。だって最初から、生徒達には銀河魔術を教えるつもりだったのだから。

 

「ぎ、ぎ、銀河? 銀河魔術? 例外属性“銀河”? えっと、あの……そんな魔術もあるのね」


「例外属性じゃない。これは地水火風の基本魔術、その他幾つもある例外魔術とは全く違う世界のお話だ。これはね、宇宙の奇跡のお話だ」


 また、ポカーンとされてしまった。

 理解が追い付かないらしい。おかしい、自分が子供の頃はもっと飲み込めたはずなのに。

 いや、そもそもプロキオンに連れ去られて、心身ともに体力の限界の筈だ。

 

「そ、れ、よ、り、も。いつまでも君にそんな格好させている訳にはいかないし。さっさとこんな物騒な所、帰るよ」


「あっ」


 そんな格好。

 一応メルトのワイシャツが覆い隠しているものの、ボタンの隙間からだって見えるし、ほんの拍子に捲れれば露になる。

 漆黒の、リボンのついた簡素な三角地帯が。

 と、指摘されるまで思い出せなかった当たり、やはり相当疲れている。


 一方でミモザは、メルトの前でこんな格好で立っているのがどういう事か頭が冷静になってきたらしく、頬が桃色になり始めた。

 更にはこの格好で外を歩かないといけないという事実に、どうやら勇み足になってきたようにも見える。部屋から出ようとしても、中々一歩が踏み出せていない。


「……もし可能なら、下、隠せるの見つかるといいけど」


「大丈夫。君をそんな格好で歩かせるつもりも、布巻なんて不安なものを着させるつもりもない。何故なら君は一歩で安全な場所まで行けるからだ」


「えっ」


「“猫の解ボックスオープン”」


 指を鳴らすメルト。

 そしてまるで手品の様に。


「それでは後ろをご覧ください」

 


 “別の室内へ続くトンネル”があった。

 

 

 空間を歪め、縮める事の出来る宇宙の神秘だからこそ出来る、最高の手品だ。

 

「僕のクラスの寮だ。暫くは君はそこで匿う。そもそも君は僕の生徒だから、そんな建前無くても住む事は簡単に可能だけどね」


「……あ、えーと……これも、例外属性ギンガ?」


「銀河魔術。まあ、授業が始まったらちゃんと教えるよ」


 まったくもって置いてきぼりになっていた生徒ミモザの視界、トンネルの向こう側。

 ひょこ、と。

 フクリの幼顔が見えていた。

 

「フクリ!?」


「ミモザちゃん……!」


 覚束ない足で吸い込まれるようにトンネルの向こう側にミモザが走り抜ける。

 メルトが追って、トンネルを閉じながら歩いて到着した時には、ミモザとフクリが抱き合っていた。

 二人とも、もう二度と会えないと思っていた。

 そんな言葉を吐かずとも分かる、感動の再会だった。


「……ごめんなさい、ごめんなさい……私あの時、助けられなくて……」


 大号泣するフクリの後頭部を、姉の様にさするミモザ。


「フクリこそ……無事でよかったぁ……」


「ま、待ってミモザちゃん!」


 抱きしめてようやく服装の異常事態に気付くと、フクリが急に慌て始める。

 

「ぷ、プロキオンに何をされたの……まさか1」


「大丈夫だよ、フクリちゃん……」


 最悪の事態。

 フクリの脳裏にあったのは、誰から見ても間違いなくそれだった。

 下手すれば自殺もやむなしのストーリーを想定してしまい、青ざめたフクリを温めるようにミモザが抱きしめる。


「大丈夫。私、何もされてないよ」


「本当?」


「本当に寸前って所で、メルト先生に助けてもらったから……」


 こうして、ミモザの命も、女性として生きていくのに失ってはいけないものも救う事が出来た。

 安堵の笑みを浮かべる一方で、メルトはまだやることは終わらないと未だ気を引き締めていた。

 

 恐らくグローリーの事だ。

 ミモザを連れ帰した程度では、退学を取り下げる事はしないだろう。

 もしそうなったら、ミモザを置いておくことはできない。

 “一応切り札はあるが”、出来る事ならあまり使わずに事は収めたい。


     ■      ■


「負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けてない負けて」


 ぶつぶつと、一室に呪詛の様な言霊が飛び交っていた。

 この部屋の主であるグローリーのものだとして、とても一人で吐くにはあまりに重いものだった。

 グローリー本人も、こんなに漆黒の夜を過ごしたことはインベーダとの戦闘中だって無かった。

 最早、灯りの影のみが唯一の理解者。

 

「ハーデルリッヒの名折れめ……いったいどんなトリックを使ったんだ……奴め、魔術師同士の戦いを何だと思ってやがる……」


 高級な酒も、馬鹿にするかのように不味い。不味くて仕方ない。

 とっくに氷は溶け、音を鳴らす事もない。

 ただ彼が求める酒は、メルトの遺影。


「あああっ!」


 慟哭しながら、机を蹴飛ばす。

 

 絨毯に染みを広げていくアルコール。

 紺色故に、滲んだ血の色に見える。

 これがメルトの血だったら、どんなに浮かばれた事か。

 “だから、ミモザの父親であるリチャードのスパイという事実を使ってまで、メルトをプロキオンに誘い込んだのに”。

 

 しかし彼を殺すはずだったプロキオンの連中すらも、簡単に一日で崩壊してしまったではないか。

 何故こうも上手くいかない事ばかりなのだ。

 ゴットンも使えない――と彼は知る由もないが、ゴットンは別の“存在”に殺されている。

 

 しかしグローリーからすれば、“あんなに投資してやった”のに、という失望感と後悔しか存在しない。

 そしてプロキオンが瓦解した今、万が一自分がたどられる可能性がある。

 

 肩でしていた息を抑える。

 自分は、この程度の事で狼狽えていてはいけない。

 今や東ガラクシ帝国を代表する、否、この星を代表する魔術師なのだから。


「……仕方ねえな。俺の総力上げて消すしかねえな」


「お呼びか、グローリー殿」


「お求めか、グローリー殿」


 音もなく二人の人間が着地した。

 否、この表現は的確ではない。

 まず一人は、こんな室内では身をかがめるしかない程の大男。確かにこの男は着地した。一切音を立てなかったが、着地をして見せたのだ。

 だがもう一人は、子供程度の体躯しか持たない小男。この男は最初から大男の膝の上に乗っていた。

 

「そろそろ人間を狩りたいだろう。お前達」


「狩りたいな、兄者」


「刈ろうとも、弟よ」


 銀髪の散切り頭の大男の方が、弟であるデオン。

 両手に“粒子で出来た”光る剣を出現させた。

 

 坊主頭の小男の方が、兄であるチタトウ。

 “浮いている”。

 

 グローリーには見慣れた光景に今更驚きはしない。

 ただ求めるのは、結果のみだ。

 

「そこに置いてある人相図、情報を渡す。その二人を殺せ」


「俺女の方やりたい、兄者」


「然らば競争なり、弟よ。負けた方が男だ」


「男は焼いてもいい匂いがしないよ、兄者」


「女の方が浮く姿は美しい。弟よ」


「あ、そうだ。俺これ終わったら結婚するんだ兄者」


「この星ではそれは、死ぬ前の台詞だそうだぞ。郷に入っては郷に従えだ。弟よ」


「ごめん、兄者」


「おっと、禁煙していた葉巻を吸う所ではないか。これは任務を終えた時用なり。弟よ」


 惚けた会話をしているが、この二人の実力は本物だ。

 グローリーも悔しいが、認めざるを得ないからこそ今日までプロキオン以上に“投資”してきたのだ。

 

「頼むぞ。失望させてくれるなよ。“インベーダ”としての恐怖を、今度は私に利として提供してくれ」


 

 

『この星の人間なら、何人殺してもいいから』


 そんな理由で、母星を帰れる筈だったにも関わらず、この兄弟は残った。

 しかしそんな大義を持つだけのことはある。

 何せここまで殺してきた人数は“戦争以外”で278人。

 特にこと暗殺に関しては、インベーダの中でも抜きん出た能力を誇っている。

 

 彼らに“対象”として会ってしまったが最後。

 インベーダ特有の自由な三次元殺法で、全方向から光の雨を降らせて跡形も残さない。

 その隙の無い戦い方から、人々は彼らをこう呼んで死亡する。

 

 “全座兄弟オールスター”と。

 

 

「それで、男の方の名前は“メルト”と呼ぶみたいだよ、兄者」


「女の方は“ミモザ”也。弟よ」


「明日中によろしく頼むよ。全座兄弟オールスター


 メルトは兎も角として、ミモザを殺す理由は『もし拉致中に見ていた情報から万が一プロキオンから、自分が辿られたら困るから』。学校を追い出してしまえば問題は無いと思っていたが、やはり殺したほうが良さそうだ。

 勿論教師の矜持なんて一ミリも持ち合わせていないグローリーだが、それも当たり前。

 

 何故なら彼はハーデルリッヒの魔術師なのだから。

 明日死亡が確定した、どこかの落ちこぼれとは違って。

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