第13話 「私は星そのものだ」
あの時、父親についていけばよかったのかもしれない。
心身ともに深い傷を負いながら、唯一自由な思考回路の中でミモザはそう思いつつあった。
朝、突如返ってきた父親が西ガラクシ帝国への逃亡を突如画策したのだ。
同時、父親が西ガラクシ帝国へ情報を流していた事を知った。
『仕方なかった』
そんな言葉で納得しろと言われた。
父親が行った、東ガラクシ帝国への背徳行為も。
そしてミモザがやっと待ち望んだ、学院生活も。
(私は……何もしていない。何も出来ていない)
何もしていない。
罪も。
夢も。
今までも、そしてこれからに向けても、まだ何もしていない。何も出来ていない。
『所詮……貴様は連れ子だ』
その通り。所詮、父親にとって自分とは連れ子だ。一人出ていく冷たい背中を見て、改めてそのことを認識させられた。
ああ、自分とこの男は、血が繋がっていなかったのだと。
そんな細かい事をこれまでは気にしてこなかった。今日まで良家の娘として、義理で養ってもらった事には感謝しかないし、ちゃんと父親として見てきたつもりだし、娘として接してきた。インベーダが攻めてきた時も、母親は守れなかったにしても、15年間自分を守り切ってくれなかったら、今日の自分はいなかったのかもしれない。
だが、そんな原風景は二度と帰らぬだろう父親が戸を閉める音共に、終焉した。
そして血が繋がっていないにも関わらず、社会的に見れば娘であるミモザは拉致された。
世界にある正義という曖昧なものを信じて、父親の不正を許さず、家に残った結果がこの様だった。
冷たい地下牢に閉じ込められ、冷たい椅子に閉じ込められ、手足も縛られてしまった。
知らないと言えば殴られ、分からないと言えば服も取り上げられ、助けてと言えば罵声を浴びせられる。
今は、相も変わらず凍えるような一室に、縛られたまま。
昨日の変だけど優しくて面白かった先生が身に着けていたワイシャツの様に、黒の下着だけを身に着けて、肢体にこびり付いた傷やら痣やらを晒しているだけ。
「私は……私は……」
隠す事さえ出来ない太ももに、悔しそうに歪めた顔から涙がこぼれる。
あの時、逃げる父親に着いていかなかった理由は。
別に正義がどうとか、裏切りがどうとかそんな大それた理由じゃなくて。
「学校に……行きたかっただけなのに……」
ずっと憧れていた。
窓の中から、他愛ない世間話をしながら、学校へ向かっていく少年少女たちに。
擦れ違う彼らの、制服と鞄の眩しさに。
どこに居ても聞こえていた勉学への愚痴や、日常の笑い声に。
……その制服を身に着けて、自分が話す姿を想像しながら。
でも、もう叶わない。
自分はきっと、ここで殺される。
どんな言葉にも耳を貸さない過激派達によって、死より辛い痛みを教えられながら。
「フクリちゃんと……通学路、歩いてみたかったな」
この街で、唯一通じ合った親友。
街中が、帝国中が敵に回るような状況で、あんなに憶病なフクリが助けに来た時には驚いたし、感動した。
どうやらプロキオンからは彼女は逃げられたらしい。
どうか、フクリだけは幸せに学校生活を送れるように。
そんな事さえ願う余裕のない自分を許してほしいと思うばかりだ。
「あの先生の授業……ちゃんと受けてみたかったな」
その後、思い浮かんだのは黒髪に眼鏡をかけた、変な人。
フクリと似た特徴なのに、しかし性格は真反対と来た。
先生がまさかあんな皮肉屋で、変人だとは思わなかった。
でも、一緒に見上げた星は綺麗で、何より楽しそうに輝いていた。
あんなメルト先生の授業を受けたら、世界はどんな風に美しく見えるのだろう。
だけど、もうその先に何があるのか。
ミモザは知る術を持たない。
「……おーう、お前がリチャード=クレラスの娘か」
部屋に入ってきた大男は、本で見たことがあった。
その巨躯と、肉体を鋼鉄たらしめる例外魔術で、数多のインベーダを肉弾戦で沈めてきた伝説の戦士。
しかし一方で、東ガラクシ帝国への愛国心から西出身の味方をも殺害し続けた狂戦士でもある。
軍から追放された故の身軽さで、今度はプロキオンという私兵集団まで完成させた。
この男こそがプロキオンを取りまとめる暴君、ゴットンである。
「あいつらから聞いたが、お前はこの件に何も関与していないんだってな」
「さっきから言ってるじゃん……私は」
「信じよう」
ぐい、と顔を近づけたゴットンから出た言葉は意外なものだった。
「俺は目を見れば、言っている事が正しいか間違っているか等即判別できる。軍という嘘つきの世界で生きてきたからな」
「……じゃあ」
「ああ」
一瞬、希望の光が垣間見えた。
「だから、お前はここで死んでおくべきだ」
まるで崖を掴んでいた掌を払い落とされた気分だった。
光を失った瞳で、ミモザはゴットンのご高説を耳にする。
「どうして……どうして……」
「見せしめだ。インベーダの脅威が去って、平和のぬるま湯に浸かった勘違いの馬鹿どもへのな」
何故そうなる。
もうそんな言葉を返す気力すらなかった。
「『平和を維持するには?』への真の答えは、蟻一匹を通すような隙間すらも常に作るべきではない、だ。俺は常に部下に、インベーダが来る前からそう言い続けている」
見る見る内に、ゴットンの筋骨隆々の肉体が銀色に染まっていく。
例外魔術“鉄”によって、自信の肉体を別の物質に入れ替えているのだ。
一体その筋線維の密度が、強度がどれだけ凝縮されたものかはミモザには窺い知ることは出来ないにしても、絶望するには充分だ。
あれで殴られれば、人間だったかどうかすらも分からなくなるし。
あれで握られれば、人間の原型すらも留めなくなるだろう。
「や……だ……」
どう見積もっても、生存の未来はない。
狂気に塗れた凶器が、目前で顎を上げてまさに迫ってきているという事実。
世界が終わる。
本当にこれから学校にも行けなくなる。
これから他愛ない会話を楽しむこともできなくなる。
死ぬ。
死ぬ。
死ぬ。
死ぬ。
死にたくない。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。
「お前はその下着も脱がして、真っ裸で外に晒す……その死に様と、死して尚犯される末路を見たものは、娘に同じ思いをさせまいと祖国を裏切ろうなどと考えない」
「……」
最早ゴットンの語る末路等、聞こえなかった。
宇宙の様に、最早視界は真っ暗だったからだ。
その宇宙は、『死にたくない』と『やっぱ死んじゃう』で埋め尽くされ、最早星なんて見えなかった。
実際には、鋼鉄の掌が視界を覆い始めただけなのだが。
脳がその現実を直視したくない為に、その掌も真っ黒にして逸らしているだけなのだろうか。
勿論そんな考察をする暇も余力も、とっくに干からびる程涙を流したミモザにはある訳が無かった。
「なるべく苦しんで淘汰されろ。その断末魔が民衆の心を奮い立たせる。帝国の礎の一つとなれ。そうだな、肺を圧力でつぶして――」
死にたくない。
死にたくない。死にたくない。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。
死にたくない。死にたくない。
死にたくない。
死に――
いつまでも、死がやってこない。
「……え?」
ミモザはようやく気付いた。
全てが、止まっていると。
ゴットンの言葉が妙な所で止まったと思って見たら、まさに今肺を潰さんと黒のブラジャーで隠しきれていない谷間に伸びていた所で、鋼の掌が停止していた。
ぴくりともしていない。
止まるには明らかに不安定なバランスの体勢。
本当に、時間が止まっている。
否、死に瀕した時、まるで何百倍にも時間が拡張されたように感じると言うが、あれの類だろうか?
『止まっているのは君の時間である。我が子供よ』
少女の声がした。
否――自分だからこそわかる。
今のは、自分の声だった。
「誰……?」
時間が止まっているからと言って、相変わらず手を椅子に縛り付けられているから、体を動かすことはできない。
否、そもそも肉体が動かない。
止まっているのは自分も同じだ。
だから声の主を探そうとしても探せないミモザに気を遣う様に、まるで当たり前にそこにいたかのように、ミモザとゴットンの間に歩いて割って入った。
視界を塞いだのは、紛う事なき自分だった。
鏡が目の前にあるわけではなく、虚像でもなく。
ちゃんと、そこにもう一人の自分がいる。
「な、な、なんで!? どうして!? なんで私が、えっ? 死ぬ寸前って、こんなイベントが起きるものなの……?」
椅子に縛り付けられている筈の自分が目の前にいる。
その現実を理解しきれないミモザに対し、もう一人のミモザは不敵に笑う。
『理解しきれぬか。まあやむを得まい。それだけ人間として再現できたと言えよう』
「人間として……再現?」
一人置いてきぼりになるミモザの疑問符を消すことは無く、自分のペースで語りだすもう一人のミモザ。
『あのメルトを選んだのは正解だ。君のお陰で、我は宇宙という物を学習する事が出来る』
「……?」
『メルトの役割は“先導者”。君の役割は“救世主”。この星を救うには、最高の人選だ』
「ちょっと待って、一体どういう事?」
「質問に意味はない。君の記憶から、この一連の流れは消える。その疑問すらも消えてしまうなら、回答等意味は無いだろう?」
もう一人のミモザが、ミモザに覆いかぶさる。
母が子を抱くように抱き着いて――そのまますり抜けた。
すり抜けて、“自分と一体化してしまった”。
「私はコスモス……“この星そのもの”だ。この男は淘汰しておく」
これだけの不可思議な現象を起こせるのも納得だ。何せこの星そのものなのだから。
いや、“星そのもの”?
と、新たに疑問符が浮かんだところで、突然明かりが消えたように、一瞬だけミモザの意識は真っ黒になる。
そしてこの一分間の出来事は、その真っ黒な世界に飲み込まれたのだった。
こうして。
世界は、辻褄が合ってしまう。
「――なるべく苦しんで淘汰されろ。その断末魔が民衆の心を奮い立たせる。帝国の礎の一つとなれ。そうだな、肺を圧力でつぶして――」
死にたくない。
死にたくない。死にたくない。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。
死にたくない。死にたくない。
死にたくない。
死に――
いつまでも、死がやってこない。
「……え?」
ミモザはようやく気付いた。
ゴットンが、“左腕以外”消滅していた事を。
「……な、なに……どうなってんの……?」
鋼色の左腕は魔力も失われたのか、普通の肉体として地面にぐちゃり、と嫌な音を鳴らして激突する。
その音に若干驚くと、後ろで縛られていた両腕が自由になっている事にも気づいた。
ゴットンはどこに行った?
左腕を残して、どこに消えた?
何故自分は自由になった?
そして、今の一瞬で何があった?
「……ちょっと待って、本当に何が……」
いつまで経っても回答など出るわけがない。
何せコスモス――“この星そのもの”が干渉してきた記憶は、ゴットンと共に大地へ還ってしまったのだから。
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