第452話 勇者ジスカール

 三百年が経ったのだ。人間ならば老いているのが当然である。

 身体が縮んだためか、胸の大きな穴は閉じていた。


 その、老いた元勇者に、モコが近づいていく。

「……主」

「モコか。痩せたな、大丈夫か?」

 元勇者はモコの頭を撫でた。


「……主こそ」

 モコは元勇者の口を優しく舐める。


「モコ、苦労をかけたな」

「この程度、なんでもない」

「そうか。さすがモコだな」


 そして元勇者は俺たちを見た。


「君たちにも面倒をかけた。俺を倒すのは大変だっただろう」

「ああ、本当に大変だった」


 俺がそういうと、元勇者はにこりと笑う。


「俺はジスカールだ。何年前かはわからんが、昔は勇者と言われていた。人族の王を殺したから、いまはなんと呼ばれているかはわからん」

「三百年前だ。名前は一般的には伝わっていない」

「歴史は学者や王族は知っているけれど……」


 ルカがそう言うとジスカールは満足そうに頷く。


「そうか。俺の名は一般に伝わっていないか。それでいい。俺が治癒術士の奴に名前を伝えるなと頼んだんだ」

「なぜそのようなことを?」

「王家を潰したことにも、魔人の神から加護を受け入れたことにも後悔はない。それほど魔族の扱いはひどかったし、俺がそうしなければどうにもならなかったと信じている」

「それはそうだろうな。まだ魔族に対する扱いに問題はあるが、相当ましにはなっている」

「それはよかった。だがな。やはり俺のやったことは許されるべきことでもないんだ」


 ジスカールは結果的に戦争を起こして敵と味方双方の血を沢山流した。

 そして魔人になり不死者にもなり、残虐なこともした。

 だからこそ、勇者として名を残すべきではないと思ったのだろう。


「今の世の中はどうなっているんだ?」


 ジスカールに問われて、三百年の間に起こったことを、ルカが簡単に説明していく。

 それをジスカールは興味深そうに聞いていた。


「ありがとう。……ところで俺を倒した君たちの名前を聞きたい」


 俺たちはそれぞれジスカールに向かって自己紹介する。

 モコに自己紹介したときと同様に名前を簡単に告げていく。


 クルスが勇者であることを始め、神の使徒であることは教える。

 ジスカールは、俺が魔王と言うことより、ムルグ村の衛兵と言うことに驚いたようだった。


「ムルグ村は今でも健在なのか。それは嬉しい」

「ああ、皆楽しそうに暮らしている」

「勇者が領主を務め、魔王が衛兵を務めてくれるなら安心だな」


 そういってジスカールは笑う。


「神々の使徒が力を合わせてくれたこと感謝する。放置されていたら俺は罪なき人々を虐殺していただろうからな」


 それからジスカールは俺たちに向かって尋ねた。

「俺の仲間たちがどうなったか知らないか?」


 なんと返答したものか俺は悩んだ。

 すると、モコが優しい口調で答える。


「……主よ。治癒術士は王になった。英邁な王と評判で、今でも子孫が王を務めている」

「そうか」

「ベルダをみるがよい。当代の王の姪だ。似ているとは思わぬか?」

「やはり、そうなのか。よく似ていると思ったのだ。とても美人で、賢そうで、心優しそうだ」

「……あ、ありがとうございます」


 初代国王にベルダが似ているということはモコも言っていた。

 初代国王を知る二者ともに、似ていると言われて、ベルダは少し神妙な表情を浮かべる。

 英邁で知られる初代国王と比べられ、思うところがあったのだろう。


「そして、魔王は大森林に引きこもると言っていた。どうなったかはモコも知らない」

「そうか。リンドバルの奴が引きこもると言ったのなら、引きこもったんだろう」

「リンドバル、というのかや?」


 驚いた様子のヴィヴィにモコが言う。


「そうだが」

「わらわの名はヴィヴィ・リンドバルなのじゃ。大きな森の中で育ったのじゃ」

「…………そうだったのか」


 ジスカールもモコも驚いたようだった。


「魔王はどうなったか、知らぬか?」

「そもそも三百年前の魔王の姓がリンドバルだとすら、わらわは知らなかったのじゃ」


 ヴィヴィは姉に育てられたこと。

 母は小さい頃に死んでいること。祖母や曾祖母についてはよく知らないとジスカールに言う。


「そうか。その後どうなったかはわからぬが、こうして子孫がいるならばよかった。して、リンドバル家はいまはどうなっているのだ?」

「姉上、ヴァリミエ・リンドバルがリンゲン王国の子爵となった。リンドバルの大森林を領有しておる」

「それは良い報せだ。魔族でも貴族になれるようになったのだな」


 ジスカールは本当に嬉しそうにみえた。

 そのとき、エクスが言う。


「あの! 私はエクス・ヘイルウッド侯爵というのです!」

「破王はヘイルウッドの係累か!」


 ジスカールは嬉しそうにエクスを見つめた。


「知り合いなのか?」

「はい、アルラさん。私のヘイルウッド侯爵家の祖は魔王討伐に参加した剣士なのです」

 当代でいうとルカのポジションだったようだ。


「ヘイルウッドの子孫まで元気に暮らしているとは。何よりだ。それにモコにすら子孫が居るとは」

「モコの孫のフェムは、ムルグ村周辺の魔狼王をしているのだ」


 モコに改めて紹介されて、ジスカールはフェムに目を向ける。

「フェム。こちらに来てくれないか」

「わふ」

 フェムが近づくとジスカールは優しく撫でた。


「フェムはモコに似ているな」

『光栄なのだ』


 しばらく撫でた後、ジスカールはモコに尋ねる。


「魔導士の奴はどうなった?」

「…………言いにくいが不死者になった。そしてこの迷宮を突破しようとしてエルケーで暴れたらしいのだ」

「そうか。それで討伐されたか」

「ああ、俺が討伐した」

 俺がそう言うと、ジスカールは頷いた。

「当代の魔王に討伐されて、あいつも本望だろう」


 そして、目をつぶる。

「……あいつは俺を救おうとしてくれたのかもしれないな。余計なことを、人として生を全うすれば良かったのに……」


 ジスカールは悲しいというより、悔しいと感じていそうな口ぶりだった。

 そんな沈むジスカールに、モコが言う。


「主が人に戻ってくれて、モコはとても嬉しいのである」


 先ほどから、モコは自分のことを儂と呼ばずにモコと呼んでいる。

 ジスカールの前では、自分のことをモコと呼んでいたのだろう。


「そうだな。俺も感謝しかない」

「主。田舎に行って、一緒にゆっくり暮らそう。現代は平和らしいのだ」

「そうだな。そうできたら楽しいだろうな」

「うん。モコと一緒にムルグ村に行こうよ。ご飯はモコがとってくるから、主はお昼寝してればいいよ」

「それはいいな」

「うん!」


 口調こそ嬉しそうで、楽しそうだが、モコの尻尾はピクリともしていなかった。


「だがな、モコ――」

「大丈夫だよ! いまは主も疲れているかもだけど」


 モコはジスカールの言葉にかぶせるように前向きな言葉を言う。

 だが、ジスカールは優しく諭すようにモコを撫でながら言葉をかける。


「人は三百年も生きられないんだ」

「大丈夫、魔法もあるし! 怪我も病気もすぐ治るから」


 楽しそうに言うが、尻尾が動いていないところをみるに、モコもわかっているのだ。

 ジスカールはもう死ぬ。というよりも、人としては、ほぼ死んでいると言ってもいい。

 魔人で不死者だったころの影響で、かろうじて生きているだけ。

 今すぐ事切れてもおかしくはないし、どれだけ長く話せたとしても一時間は持つまい。


「モコ。最期に会えて嬉しかった。皆のことも聞けて嬉しかったよ」

「主、死なないで……。モコは三百年待ったんだよ」

「モコ、本当に苦労をかけたな。長生きしなさい」

「主が死んだら、モコも――」

「絶対にだめだ。モコ。最期命令だ。幸せになりなさい」


 そしてジスカールは俺たちの方を見た。


「モコを頼む。そしてムルグ村を頼む」

「わかった」

「改めて礼を言う。三百年の魂の苦しみから解放してくれてありがとう」

「ああ」

「使徒を使わしてくれた神々にも礼を言わねばなるまいよ。ありがとう」

「死ぬ前にムルグ村を見に行くか?」


 間に合うか間に合わないかギリギリだが、可能性はないことはない。

 だが、ジスカールは首を振った。


「……ありがとう。だが目がもう見えないんだ。……間に合うまい」

「そうか」


 ジスカールは三百年分一気に年をとり、老衰仕掛けているようだ。

 老衰は、いくら聖女ユリーナの治癒魔法でもどうにもならない。


「……もし、わがままを聞いてくれるならば、俺の骨はムルグ村に埋めてくれ」

「お安いご用だ。任せてくれ」


 俺の言葉にジスカールは満足げに頷く。


「モコ、そこにいるか」

「いるよ、主」

 モコがジスカールに身体を寄せて顔を舐める。

 そのモコをジスカールはぎゅっと抱きしめ、優しく背中を撫でた。


「モコは本当にもこもこだなぁ」

 それが偉大なる勇者の最期の言葉だった。

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