第318話

 扉を開いたのは、中年の商人風の男だった。

 精霊魔法の使い手どころか、魔導士ですら無いように思う。

 おそらく冒険者でもないように見える。


「トルフさん、ようこそいらっしゃいました」

「い、いえ」


 トクルは緊張を隠しきれていない。

 その様子を見て、中年の男は怪訝な顔をする。


「どうかしましたか?」

「い、いえ、なにもないですよ」

「そうですか。中でお話をしましょう」

「はい」


 トクルは招かれるまま小屋の中に入った。


『クルスは窓のそばで待機してくれ』

『了解です』

『フェムは裏口を探してくれ』

『任せるのだ』

『裏口があれば、そこで待機。なければ、クルスの近くで待機を頼む』

『了解なのだ』


 クルスは気配を消して、窓の近くに身を潜めた。

 フェムは静かに小屋の周囲を見て回る。


『モーフィは俺と一緒に正面口だ』

『がんばる』


 俺とモーフィは正面口に近づく。

 すぐに俺は、正面口から魔法探査を走らせる。


 正面口は魔法で施錠されていた。

 一流の魔導士でも、解錠に一時間はかかりそうな立派なものだ。

 そのうえ、小屋全体に耐衝撃、耐火の魔法が掛かっている。

 壁を破壊して侵入するのも容易ではなさそうだ。


『裏口はあったか?』

『あったのだ。侵入してほしいときは言うのだぞ』

『おそらく魔法で施錠されているはずだ。フェムは敵が逃亡しようとしたときに防いでくれ』

『任せるのである』

『クルス。おそらく窓は魔法で強化されている』

『なるほどー』

『もしもというときは、思いっきりぶち破ってくれ』

『わかりました』

『一応、俺とクルスは顔を隠しておこう』

『わかりました』


 俺は狼の被り物をかぶりながら、扉にかけられた魔法の鍵を解錠しておいた。

 いざトクルが危害をくわえられそうなとき、もたつくわけにはいかないからだ。


 そうしておいて、俺は小屋の中の様子を魔法でうかがう。

 小屋の中にはトクルと中年の商人の他にもう一人いる。

 会話しているようだが、内容はよく聞き取れない。


 俺は魔法で聴覚を鋭くした。

 たちまち中の音が聞こえてくる。魔法で防音はしていないらしい。


「あなたは一体?」


 トクルが尋ねている。トクルは中年の商人とは既知に見えた。

 だが、もう一人とは初対面だったのだろう。


「彼はただのビジネスパートナーですよ」

「……そうですか」


 もう一人は無言である。性別も種族も俺にはまだわからない。


 中年男の説明にトクルは納得していなさそうだ。

 トクルは、深く聞くことなく話を進める。


「精霊石の売買についてですが……」

「契約の締結はできそうですか?」

「それが……」

「なにか問題が?」

「誰に売るのか明らかにしない限り、このぐらいの大きさの精霊石しか売ってくれないということでして」


 トクルは先程まで緊張していたのが嘘のように、流暢にしゃべっている。

 騙されさえしなければ、交渉ごとには向いているのかもしれない。


「たったそれだけですか?」

 中年男は不満げだ。


「はい。使い方によっては危険なことができるので信用できない人には売れないと……」

「ふむ」

 中年の男ともう一人がなにやら相談しているような気配がする。


「……ひとまずは、それだけでも買いましょう」

「了解しました」

「少しずつ買って行けば、そのうち信用してくださるかもしれませんし」

「それと……」

「まだあるのですか?」

「はい。初めての相手に売る場合は、この大きさの精霊石もこれだけの値段になると……」


 俺がトクルとの初めての交渉で提示した金額だ。

 ものすごい高い値段である。


「そんな馬鹿な!」

「いえ、本当です」

「ひどいぼったくりではないですか!」

「とはいえ、相手方はその値段でないと売れないと言い張っておられますから……」

「まさかそんな無茶な要求をうけて、交渉もせずにすごすごと帰ってきたのですか?」


 中年の男の口調には非難が混じっている。


「もちろん、交渉は致しました。新たな条件も引き出しています」

「そうですか。そうでしょうとも。で、それはどのような条件に?」

「売り手と一度対面させていただけるなら、値段はこのぐらいでいいと。それに、より多くの量を売ることも出来ると」

「それは……」

「破格の条件だと思うのですが」

「それは確かにそうです」


 中年は悩んでいるようだ。


「破格の条件だと思われるなら、断る理由はないかと思いますが……」

「ですが、買いたいとおっしゃっている方は、正体を明かしたくないと……」


 そこでトクルは声を潜める。


「売り手の方々は、精霊石の安定した供給に成功したともおっしゃっていました」

「ほう?」

「今後、長い取引をされるおつもりならば、一度会っておいても損はないかと」

「ふうむ」

「それに、我らを排除して、直接取引はしないという条件も付けておきました」

「それは大切なことですな」

「はい」


 中年男は、会わせてもいいと考え始めたようだ。

 トクルは口車に乗せるのがうまい。

 経験さえつめば、いい商人になるかもしれない。


 その時、鋭い声が響いた。

「お前。敵に寝返ったな?」


 トクルとも、中年男とも違う声だ。

 もう一人の人物が初めて口を開いたのだ。


「な、なにを、おっしゃいますか」

 トクルの声が震えている。


「裏切り者は殺すしかない」

「ひっ」


 突然、もう一人の人物が怒りだしたようだ。

 このまま待機して、トクルを死なせるわけにはいかない。


 俺は小屋の中に突入することにした。

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