第279話

 クルスの家に入ると、まっすぐに応接室へと向かう。

 慌てたのはクルス邸のメイドたちだ。

 これまで、来客といえば、特にもてなす必要のないルカやユリーナだけだったのだ。

 それか、ムルグ村からやってくるフェムやモーフィなどである。

 今回のお客さまは軍務卿。政府の要人だ。慌てないわけがない。


「軍務卿とお話しするからお茶をお願いね」

「お気遣いなく」


 そう軍務卿に言われても、準備しないわけにはいかない。

 大急ぎでお茶とお茶菓子の準備を始める。メイドたちは意外と手際が良いようだ。


 そして、ステフとミレットはガチガチに緊張していた。

 要人である軍務卿が、諸侯である勇者伯にお話があるというのだ。

 どんな話があるのかわからない。普通とは違う状況だから余計緊張するのだろう。


「ステフたちは、別の部屋でゆっくりしていていいよ」

 クルスがステフたちに配慮する。


「はい、ありがとうなのです」


 ステフとミレットが別室に移動しようとした。

 それを、軍務卿が制止する。


「ステフどのたちにもかかわりのある話ですから」

「そうなんですか?」

「はい」


 軍務卿にそう言われたら、ステフたちも退室できない。

 緊張しながら長椅子に座る。


 ホストであるクルスが奥に、机を挟んで軍務卿が手前に座った。

 ステフとミレットはクルスの左右に座る。


 ティミショアラとヴィヴィは、応接室の離れた位置にある長椅子に座る。

 興味深そうにこちらを見ていた。

 俺は目立たないように、クルスの後方、応接室の端に立つ。

 シギショアラは俺の懐に、フェムとモーフィは俺の横にいる。

 フェムはお行儀よくお座りし、モーフィは俺の手をさりげなく咥えていた。


 コレットは、姉の隣に座ろうか、ヴィヴィたちの長椅子に座ろうか迷っていた。

 そんなコレットにクルスが言う。


「コレットおいで」

「はーい」


 近寄ったコレットをクルスはひざの上に座らせた。

 そして、その流れでクルスは言う。


「で、軍務卿。お話って何でしょうか?」


 クルスはコレットをひざに乗せることで、これが非公式の場だと表明したのだ。

 軍務卿と、コンラディン伯爵の会談ならば大事だ。

 領主としての国家への貢献などという話になったら断りにくい。

 だからこそ、ただの茶飲み話として聞くと強調したのだろう。


 クルスは、立派な領主となるべく、ずっと勉強しているようだ。隙が無い。


 メイドがお茶を運んできて、退室すると軍務卿が口を開く。

 

「単刀直入に言いましょう。ステフさんを軍務省にスカウトしたい」

「おっと、ぼくの家臣を引き抜くとは……軍務卿もすごいことをいいますねー」


 そう言ってクルスは笑った。

 あくまでも軍務卿の冗談ということにしているのだ。


 その時、横からティミが口を出す。

 クルスが非公式の茶飲み話と表明したので、ティミも口を挟めるのだ。


「今度は軍務省と喧嘩するのか? いいぞ、楽しそうだ。その際は我も手を貸すぞ」


 ティミは笑いながらそう言った。

 あくまで冗談ということにしつつ、牽制してくれているのだ。


「喧嘩など滅相もないこと。気分を害されたのなら謝ります。もちろん断られたら諦める所存です」


 軍務卿はクルスにはやけに低姿勢だ。敵に回したくないのだろう。

 それは政治家として、とても賢い判断だ。


 軍務卿はティミをちらりとみてから、クルスに視線を戻す。

 ティミが一体誰なのか、暗に尋ねているのだ。

 クルスはティミに軍務卿に紹介していいか目で尋ねる。


「かまわぬぞ?」

 ティミは笑顔で言った。


「軍務卿、彼女はティミショアラ子爵閣下です。古代竜エンシェント・ドラゴンの大公の叔母にして摂政なんです」

「こ、これは、ご挨拶が遅れました」


 軍務卿は立ち上がりティミに近づき深々と頭を下げた。


「気にせずともよい。大公家の摂政として参ったわけではないからな。今はあくまでもクルスの友人としてここにおるのだ」

 そういって、ティミは笑った。


 クルスはそのやり取りを気にする様子もなく、ステフを見た。


「ステフちゃんはどうしたいの?」

「私は、軍務省で働くつもりはないのです」

「そっかー。軍務卿、そういうことみたいです」

「そうですか。残念です」


 それから軍務卿はミレットを見る。


「そちらのエルフのお嬢様も、有能な魔導士とお見受けしました」

「いえ、私は魔法を勉強し始めたばかりのただの田舎娘ですから」

「ご謙遜を。もし軍務省に来ていただけるのなら、月にこれだけ出しましょう」


 そういって、軍務卿は高額な報酬を提示した。

 王都で働く一人前の鍛冶職人。その月収の十倍程度の金額だ。

 魔導士は元々収入が高い。その魔導士への報酬としてもかなり高額といっていい。


「いえ、私は軍属になるつもりはありません」

「そうでしたか。残念です。気が変わりましたら、いつでもおっしゃってください」


 そういうと、軍務卿は俺の方を見た。


「アルラさんも、よかったらどうですか」

「いえ、私は一線を退いた身ですから」

「アルラさんになら、魔導騎士団の団長の地位をご用意できますよ」


 軍務卿は笑う。俺も笑い返しておいた。

 魔導騎士団の団長は、魔王討伐後、軍務卿が俺に就任を打診した役職だ。

 これは正体がばれていると考えたほうがいいのかもしれない。


 軍務卿はクルスに向けて言う。


「今日はバルテル男爵が大変失礼いたしました」

「いえ、気にしてないですよ。それにしても男爵は魔導士ギルドの中では群を抜いていましたね」

「魔導騎士団を率いて欲しい人物は別にいるのですが、現状では彼が最適と言わざるを得ないのです」

「大変ですねー」

「本当に……」


 いつ、俺の正体に言及されるかと、ずっとびくびくしていた。

 だが、軍務卿が追及してくることはなかった。

 ステフたちを、しつこく勧誘するつもりもないらしい。


 クルスと友好関係を築きたいというのが、真の目的だったのかもしれない。

 軍務卿は何度も、クルスの王国への貢献をたたえて、帰っていった。


 軍務卿が去った後、クルスが言う。


「なにしにきたんですかねー?」

「さあな」


 明らかに俺に気づいているにもかかわらず、軍務卿は深く追求しなかった。

 とりあえず、貸しをつくっておこうということだろうか。

 何か言われるより怖いかもしれない。


 それから俺たちはムルグ村に戻ることにした。

 転移魔法陣部屋に向かって歩いていると、メイドさんが駆けてくる。


「クルスさま、魔導士ギルドの使者という方がいらっしゃいました」

「え? どうしたんだろう?」


 使者と会ってから帰ることにした。

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