第116話

 シギショアラが初めての狩りを成功させた日の夜。

 俺は左ひざの痛みで目を覚ました。


「――っつううううう」


 ものすごく痛いのだ。

 同じベッドにはフェム、モーフィ、シギが寝ている。起こすわけにもいかないので悲鳴を上げないよう我慢した。


「……左ひざっていうと、あれだよな」

 痛みを誤魔化すように小さな声でつぶやく。全然誤魔化せないのだが。


 魔王の死に際に放った不死殺しの矢。

 俺がムルグ村の衛兵になったきっかけを作った攻撃だ。

 最近では、温泉の効果もあり痛みもだいぶましになったと思っていたのだが、甘かった。


 俺は左ひざに両手で触れる。熱を持って拍動していた。

「……なんだこれ。こわい」

 今までにない症状だ。変なもの食べたかな。そんなことを考えた。

 痛みでだいぶ思考がおかしい。


「りゃ?」

 シギショアラが目を覚ました。心配そうに俺を見つめている。

 こんな時でもシギは可愛い。俺は優しくシギの頭を撫でる。


「大丈夫だぞ!」

「りゃあ」


 赤ちゃんであるシギに心配をかけるわけにはいかない。やせ我慢しなければならないのだ。

 それが大人としての矜持である。


「りゃりゃあ?」

 シギは心配そうにしている。

 俺はベッド横に置いてある魔法の鞄から肉を取り出し、シギに食べさせてやった。


「りゃ……はむはむ、りゃあむむはむ」

 心配そうにしながら、シギは一生懸命食べている。食べてる姿も可愛い。

 見ていると、痛みがまぎれる。

 満腹になったシギがうとうとしはじめる。俺はシギが再び眠りにつくまで優しくなで続けた。

 シギは無事眠ってくれた。だが、ひざは依然として痛い。

 

 その時、扉が静かに開いた。ユリーナと一緒に寝ていたはずのクルスが入ってくる。

「アルさん、大丈夫ですか?」

「お、おう、クルスどうした?」


 クルスは心配そうに駆け寄ってきた。


「どうしたも何も、不穏な気配がしたので来ました」

「不穏な気配、ってわかるんだ」

「はい!」


 クルスは真顔だ。勇者的な不思議な力で分かったのだろうか。

 クルスが部屋に入ってきたことで、フェムとモーフィも目を覚ました。

 きょとんとして、こっちを見ている。


「大丈夫だから寝ているといいぞ」

 一応そう言ってはみたものの、フェムとモーフィは心配そうに俺の匂いを嗅いでいる。

 汗かきまくってるので、匂いを嗅がれると少し恥ずかしい。

 フェムとモーフィは嗅覚が鋭い。赤ちゃんのシギはともかく、脂汗を流しているのだから、異常に気づかないわけがないのだ。


 クルスは心配そうに俺の左ひざを撫でる。


「うーむ。やっぱり痛いですか?」

「そうだな、今までで最大の痛みだ」

「矢を食らった時より痛いですか?」

「あのときは戦闘中だったからな。痛みはあまりなかった」

「なるほど」


 クルスはうんうんと頷いていた。クルスにも覚えがあるのだろう。

 戦闘中や戦闘直後は、大きな怪我でもあまり痛くないのだ。興奮しているからだろう。

 次の日の方が痛いぐらいだ。


 俺の左ひざを撫でながらクルスが言う。 

「ユリーナ呼んできましょうか?」

「いや、怪我じゃないしな。回復魔法でどうにかなるとも思えないし」

「じゃあ、ミレット呼びますか?」

「痛み止めの薬か。それもちょっとな」


 痛み止めの薬は劇薬だ。中毒性があり、廃人になることすらあるという。

 とある国では戦争の後、中毒患者が激増して問題になったとか。

 死の間際の疼痛緩和や、大けがを負った時の痛みを伴う処置だけに使うべきなのだ。

 例えば、返しのついた矢を引き抜くときとか。傷口に入り込んだ破片を取り除くときとか。


 俺のひざは慢性的な痛みだ。痛み止めの薬に頼っては常習することになりかねない。


「うーん。どうしたらいいんだろう」

「心配かけてすまないな」

 俺のひざを撫でながら、クルスは困った顔をしていた。


「わうぅ」「もぉぅ」

 フェムやモーフィも心配そうに俺の顔を舐めていた。汗とよだれでべとべとになる。

 心配してくれているのはわかるし、とてもありがたい。だが、べとべとになるのは少し困る。


「クルスが撫でてくれると、少しマシになる気がする」

「ほんとですか? 撫でますね」


 気のせいではない。明らかに痛みが引いている。

 不思議だ。理屈がわからない。さすが勇者だ。


「……りゃあ、ふしゅーふしゅー」

 一方、シギは気持ちよさそうに眠っていた。シギはそれでいいと思う。

 クルスは撫でてくれている。痛みはだいぶましになった。

 シギの寝息を聞いているうちに、俺はいつの間にかに眠っていた。


◇◇◇

 朝、俺は目を覚ました。まだ左ひざは、いつもより五割増しで痛い。

 だが、昨夜に比べれば相当ましである。


「くかー」

 クルスは俺の左ひざに抱き着くような格好で眠っていた。

 俺が眠りに落ちた後も撫でていてくれたのだろう。クルスはとても良い子である。


 そのとき、部屋にユリーナがやってきた。

「あ、クルス。こっちにいたのね。もう仕方がないのだわ」

 起きたら、ベッドの中にクルスがいなくて探しに来たのだろう。ユリーナはクルスのことが好きすぎるのだ。

 俺はクルスの頭を撫でながら、ユリーナに言う。


「昨日、ひざが急に痛くなってな」

「へえ、大丈夫なの?」

 ユリーナがクルスの手をどかせて、ひざを見てくれる。


「正直、ダメかと思った。ものすごく痛かったんだが、クルスが撫でてくれたら痛みが引いてな」

「ふーん」

 ユリーナが魔法診断してくれる。


「特に外傷もないし病気でもないみたいだけど……」

「それは何より……なのかな?」

「ただ、関節にネズミができかけているかも。しばらく激しい運動は避けた方がいいのだわ」

「ネズミ?」

「正確には関節内遊離体っていうのだけど。関節の軟骨が剥がれかけて、それになりかけてるの。完全に剥がれたら切り開いて取り除かないといけなくなるのだわ」

「……それは痛そうだな」

「切り開いたら当然痛いわよ。でも取り除かなくても、関節の中を骨のかけらが動きまくるのだからとても痛いわよ」


 どちらにしても痛いらしい。恐ろしい話である。

 俺は長年冒険者をしてきたので、痛みに慣れていると思われがちだ。だが、痛いものは痛い。

 痛いのは苦手である。当たり前だ。しばらく安静にしなくてはなるまい。

 怯える俺に向けて、ユリーナは言う。


「まあ、まだ剥がれてないから。今回の痛みとは関係ないと思うのだわ。安心して」

「そうなのか。とりあえず大人しくしとく」


 ユリーナはうなずくと、静かに語り始める。

「今回の痛みは、十中八九不死殺しの矢のせいだとおもうのだわ」

「……だろうな」


 それ以外考えられない。


「私も不死殺しの矢について調べておいたのだけど」

「そうだったのか。ありがとう」

 ユリーナも優しいのだ。大好きなのはクルスだが、俺やルカのことも大切に思ってくれているのだ。

 いい奴である。


「時間が空いて、暇だった時に調べただけなのだわ!」


 ユリーナは照れたようすを見せる。わかりやすいツンデレである。

 ユリーナは忙しいのだから、空いた時間などめったにないはずなのだ。


「ありがとう」

「気にしなくていいのだわ」

 ユリーナはクルスの柔らかそうな髪を優しくなでる。

 隙あらば、ユリーナはクルスを可愛がるのだ。クルスとユリーナは同い年なのに、ユリーナの方が姉みたいだ。


「不死殺しの矢を生き延びても、痛みが激しく死んだほうがましと書かれている文献が多かったのだわ。痛みに耐えかねて自ら死を選んだ歴戦の戦士もいたとか」

「なにそれ怖い」

「だから、文献が間違ってるって思って報告しなかったのだわ」


 報告しないでくれて、助かった。そんなことを聞いていたら、怖くて日常生活を送れなくなってしまう。


「そもそも、不死殺しの矢を食らって生き延びた例が少ないから、何とも言えないわ。このまま少し痛い程度でおさまっていればよかったのだけど」

 真剣な顔で、ユリーナは言う。


 そういえば、不死殺しの矢を食らったシギの親も夜な夜な苦しんでいた。

 あれはゾンビ化の苦痛だと思っていたのだが、不死殺しの矢の効果もあるのかもしれない。


「文献にはどのくらい痛いって書いてたの?」

「尿路結石と同じかそれ以上に痛いらしいのだわ」

「ほう?」


 そう言われると大したことがない気がする。

 そもそも、尿路結石とはなんなのだろうか。俺は聞いたことがなかった。


「いま、大したことなさそうって思ったわね?」

「うん。思った」

「尿路結石は陣痛より痛いという人もいるぐらいよ?」

「……まじか」


 そう聞くと怖い。もしかして昨日の痛みすら、まだましだったのではないだろうか。


「りゃ?」

 起きてきたシギの頭を撫でながら、俺はひざの今後に不安を覚えた。

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