第8話

 微睡の中。

 なにか温かいものが布団の中に入ってきた。

 胸にふさふさな、そう獣耳のようなものが当たっている。


――ペチャ

 優しく胸を舐められた。それは少しずつ上がってきて、ついには顔を、そして唇を舐められる。


 いったい誰が……

 俺はゆっくりと目を開けた。


「うおっ! ほんと誰だ! お前!」


 布団の中には大型犬ぐらいの大きさの狼がいた。

『誰とは、失礼であろ』

 念話だ。念話を使える狼に知り合いは一匹しかいない。


「もしかしてフェムか?」

『姿が変わったくらいで見誤るとは情けない。匂いが一緒であろ』

「人は基本視覚に頼るものなんだよ」

『ふぁむ』

 フェムは尻尾を振った。


 撫でてやる。

「お前細いな」

 初見のとき、餓狼みたいだと思った。実際に触ってみると、思ったより骨ばっている。脂肪が薄い。

 痩せすぎだ。

「くーん」

 フェムは念話を使わず、犬みたいに変な声で鳴いた。


 ベッドから出て、昨日用意した水を飲む。


『それにしても、フェムが入ってきても気づかないとは。アルの気配察知能力は植物並みだな』

「言い訳もできん」


 殺気がなかったから。奇襲されても生き延びる自信があるから。

 言い訳はいくらでも思いつくが、油断というものだろう。


『潔いな』

「ただ、徹夜明けで酒をたらふく呑んだ後だったし。殺気がないとな鈍くなる」

『言い訳だな』

「はい」


 招いてはいないが、来客には変わりない。

 フェムにも水と干し肉を出してやる。フェムは喜んで食べ始めた。


「で。わざわざ小さい姿に変化してまで、なにしに来たんだ? しかもこんな夜中に」

『頼みごとがある』


 たしかに「困ったことがあれば言ってくれ」とは言った。だがこんなに早く来るとは思わなかった。

 それでも約束は約束。


「なんだ、言ってみろ」

『うむ。言いにくいのだがな……』


 フェムはゆっくりと説明しはじめた。

 この辺りはもともと魔狼の縄張りだった。だが、先代の魔狼王が亡くなった後、猪の勢力が強くなりすぎて、魔狼が追い詰められているのだという。

 先代魔狼王の子であるフェムが新たな魔狼王として呼び戻されたということだった。


「だからお前は細いのか」

「くーん」


 細いというのは禁句みたいだ。すぐフェムは犬の振りをして誤魔化してくる。

 だから話題を変える。


「フェムは王になるまで何してたんだ?」

『世界中を旅していた』

「へー」


 魔狼王となったフェムも、群れを率いて戦ったが、思ったより猪が強かったのだという。


『魔猪が狩れなければ、どうしても獲物が足りない。村を襲おうとしていた時、アルに襲われたのだ』

「それは運がよかった」

 俺にとっても、ムルグ村にとっても。


 俺はどうしても気になったことがあった。

「ところで……。その先代の魔狼王って、例の三百年前の勇者と戦ったっていう?」

『違う。勇者の死後、どこに行ったかはフェムも知らない。先代はその魔狼王の息子だ』

「ということはフェムは例の魔狼王の孫か」

『そうだ』

「なるほどなー。仮にも王に率いられた魔狼の群れなのに、やけに痩せてるやつが目立っておかしいと思ってたんだよ」

『一刻を争う』


 フェムはとても真剣だ。即日来るぐらいだ。よほど困っているのだろう。


「それにしても……」

『なんだ?』

「猪に負ける魔狼王って……」

「わふう」

 フェムの耳と尻尾がピンと立つ。


『本当に強いのだぞ!』

「はいはい。わかったわかった」


 フェムは不満げにぷしゅーと鼻息を吐いた。


「じゃあ、今日はもう遅いから、明日な。猪のところに案内しなさい」

『……ありがと』

 意外と素直な狼である。


「じゃあ、俺はもう寝るから」

「わふ」

 フェムは小さな声で鳴くと、布団の中へと入っていく。

 どうやら布団で一緒に眠るつもりらしい。


「……ま。いっか」

 俺も布団の中に入る。

 フェムはモフモフしていた。


 布団の中で尋ねてみる。

「それにしても、なんで猪がそんなに強いんだ?」

『……わからぬ』

「そうか」

「わふ」


「そういえば、くれた牙見せたら村人びっくりしてたぞ」

『それはそうだぞ』

「あれ、抜かればかりの牙だって聞いたけど、マジで抜いたの?」

『魔狼ともなると牙は生え変わるんだ。そのサイクルをはやめた』

「……まじで?」

『そんなに驚くことでもなかろう。魔狼の王だぞ。寿命も長い。牙も生え変わらなければ摩耗する』

「そういわれたらそうなんだけど……。痛くないの?」

『さほど痛くない』

「少しは痛いのか」

「わふ」



「…………フェム、そういえば、お前小さくなれたんだな」

『……このぐらいなら余裕だ』

「魔力消費激しかったりしないのか? 戦闘に支障は?」

『疲れたりはしない。だが、当然この姿だと戦闘力は落ちる』

「そうか。疲れないのか。さすが魔狼王だな」

「わふわふ」

 ばっさばっさ尻尾が揺れた。


「……牙見せた時に村人から聞いたんだけど」

『なんだ?』

「お前、俺のこと主と認めたの?」

「……くぅーん」

 フェムは誤魔化すように鼻をうぐうぐとこすりつけてきた。

 あまり突っ込むのもかわいそうなので、追及はやめた。

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