森の人魚たち
左右田レモン
第1話 死に場所を探す [2157:9:4]
11年と6か月ぶりに母親にかけたホログラム通話を切って、自分の本棚に目を投げる。
ママと小さい私が笑顔で映る写真が額縁に収まっている。反射的にそれを伏せて、私は窓に視線をそらした。
遠い雷鳴が雲の上を走る。風は強いがまだ雨足はそれほど強くない。寮の窓から見下ろせば海が見えた。黒い波は白く泡立って渦巻き、防波堤に身を叩きつけている。
ずっと待っていた9月の嵐だった。死ぬのにはいい日和だ。
階下へ降りて暗い裏口で靴を履いた。懐中電灯をカチリと点けた瞬間、声がかかる。
「アーキラ。どこ行くん」
「ええ……」
私は実のところぎくりとしていたが、あえて意図したうんざり顔で振り返った。
「いつからいたの」
背後には壁によりかかって笑うユーリカがいた。
「さっきから。なあどこ行くん」
ユーリカは身を起こし、靴箱まで来て、今度はそこに寄りかかった。雨具を着てフードを被った私の装備と懐中電灯をじっと見る。私は口から出まかせを言う。
「肝試し」
「嵐来てんで」
「だからだよ。警備ドローンが飛んでない」
「どこまで行くん。神社?」
「や。森の中」
「ああ。例の小屋?」
ユーリカは言った。
私たちの寮に隣接する訓練施設……通称『校舎』の裏、フェンスを一枚隔てた向うは鬱蒼とした森だ。その森のどこかには朽ち果てた小屋があるらしい。
そこで昔、女の子が自殺したのだという。噂じゃ私たちと同じ寮の先輩だ。
小屋を見たという人もいるし、探したけどそんなものはなかった、という人もいる。どちらにせよ、誰も森へ行ってはいけない。
立ち入り禁止区域の山の上空には常に警備ドローンがいる。ただ嵐の来る晩を除いて。
ユーリカは微笑んだまま聞いた。
「1人で?」
「そう。見つけてみんなに自慢する」
あ、ずるい、とつぶやいて、ユーリカは靴箱から体を起こす。
「じゃあうちも一緒、行こー」
ユーリカはまのびした声で言って裸足にサンダルを履いた。
……計画が台無しだ。私は溜息を噛み殺しながら言った。
「……その靴はやめとけば」
うーん、と素直に返事して、ユーリカは靴を履き替える。その間に話し声を聞きつけた友達が数人、階段を降りてきて手すりから顔を出す。
「なに、どっか行くの?」
「肝試し~」
ユーリカは笑って言った。
「今!? 雷鳴ってるけど!?」
大半が信じられないという顔をしている。
「そんな面白そうなこと2人で決めちゃってさあ……誘ってよ!? 私も行こ」
言うなりスズカが階段を降りてきて、私は首をかく。
「ええー……人数増えた」
「こういうのは大人数の方が楽しんだよ!? あごめん、私のレインコートもってきて! ユーリカのぶんも」
スズカは後ろの友達に頼み、スニーカーに足をつっこんだ。渡された雨具を羽織り、3人で窓から外へ出る。予定が狂った。
「で、どこ行くの? 神社?」
「違うって」
もう一度同じ説明を繰り返しながら、懐中電灯の光を雨でぬれた路地に当てる。左手を突っ込んだポケットの中にはガラス壜入りの錠剤が入っている。リュックには水のボトル。
まあいいか、今日は下見ということにしよう。
スズカはちょっと違和感をおぼえたように私を見た。
「装備万端だね」
「まあね」
「前から計画してたわけ?」
何気ないスズカの問いかけにただうなずいて、私は監視カメラのある中庭を避け、裏口から『校舎』の裏手に回る。スズカの小声が私を引き止めた。
「アキラ、誰もいない?」
「いないよ」
暗闇に目を凝らして言う。私の目はちょっと特殊で、赤外線などの不可視光線が見える。暗くとも体温のある生き物がいるかいないかは判別できるのだ。
眼下の海に目を投げると、岬の灯台が遠くで小さく光るのが見えた。
海は荒れている。
こんな嵐の夜なら、海に入るのは簡単だ。防波堤の下で海は黒く満ちて、生贄を待ち受けるように重たくうねっている。くつを脱いで、ただ踏み入るだけでいい。でも海で死ぬのはいやだ。
校舎裏のフェンスの前で私は振り向く。
「リストバンドの電源切って」
え? とスズカはきょとんとし、ユーリカは黙って電源を切った。
「それGPS入ってるから。ラボにバレるから早く」
ラボから支給されたリストバンドは常時装着が義務づけられている。リストバンドの電源を落として、皆でフェンスの穴をくぐり、山の中に入る。目の高さまで生い茂った草をかき分けて進めば、木立が現れた。
木々は唸る強風にしなり、頭上で激しく枝をぶつけあっている。先頭を切って進むスズカが振り返って文句を言った。
「ここに入る!? 道ないけど。もう怖いんだけど!」
「それが肝試しでしょ」
「最低限道がある所を歩かせてほしい」
ぶつぶつ言いながらスズカは進み、ユーリカはのんびりと脚にはりつく草を剥がしながらその後に続く。私はよそ見しながらそれに続いた。拾った木の枝で足元の草を払う。
しばらく黙って進んでから、スズカはまた振り返った。
「ところでどこよ? その小屋って」
「知らないよ」
「じゃあどうやってたどりつくわけ」
「適当に」
言うなりスズカは顔色を変える。
「このどあほう。この嵐の夜中に道なき山を当てもなく彷徨うつもり!? なんか目当てがあるんじゃないんかい」
「ないです」
ずかずか道を戻ってきたスズカが、顔を歪めて私の袖を引いた。
「やめよう。ちょっと面白いかと思ったけど、予想以上に無謀だわ。雨も強くなってきたしさ、帰らない?」
「でも、まだ小屋が見つかってない」
私がそう言うと、んもー、とスズカは呻いた。
「もう肝試しは十分だって! もう20分も歩いたよ? ないんだよきっと、そんなの」
その時、平気で先を進んでいたユーリカがいきなり後ろを振り向いた。
「お言葉ですがー……。あったで」
その言葉に全員が一瞬黙り、即座に振り向く。
「……本当!?」
スズカが横で呟き、私は黙ったまま目を瞠る。
ユーリカの指さす先には蔦に壁を覆われた小屋があった。小屋を囲むように、背丈ほどもあるきりん草が生い茂っている。
安っぽい外壁には曇りガラスが嵌っている。蔦の葉の緑から覗く屋根は錆びていた。扉はここからは見えない。
「いやー……不気味……」
ユーリカは囁いた。スズカは一瞬息を呑んだが、わざとらしく笑って手を叩く。
「あったね! はい、じゃあミッション達成! もう引き返そ?」
「中は見ないの?」
後ろから無造作に言った私の言葉に全員がぎょっとして振り向いた。スズカは信じられないという顔で、しかし冷静を装う。
「入る気?」
「だって中を見てくるってルームメイトに言っちゃったしさ」
嘘である。ここまで来たなら中を見て帰りたい。
「アキラはね。私は違う」
真顔で言うスズカの横で、ユーリカはつぶやいた。
「私有地かもー……。中に入るのはまずいんちゃう。やっぱ」
私は後ろ首をがしがしかいて言った。
「そんなの、今さら。ここだって立ち入り禁止地域だよ」
「せやけど、ここで人が亡くならはったんやろ……」
ユーリカはちょっと後じさった。スズカは首を傾けて子供でも見るような哀れみの眼差で私を見る。
「どうしてもって言うんなら、行ってくれば。私らここで待ってるから」
「ヤだよ。1人でなんて怖い」
「あのねえ!?」
「てか、もともと1人で来るつもりやったんちゃうん……」
「いやー、せっかく3人いるんだから怖さも分け合おうよ。ユーリカは行かないの?」
話を振ってみたユーリカはうかない顔で肩をすくめる。
「うちはここまでやな」
「来ないの? じゃスズ、ちょっと一緒に来て」
「えっやだ、私が行くの!? ちょっと引っ張らないで!?」
ユーリカを残し、私はスズカを引っ張って扉を探す。すぐに引き戸が見つかった。粗いガラスが嵌っている。私は力任せにそれを引く。
戸は5センチほど動いて止まった。ざりざりざり、と砂を噛んだレールが足元で音を立て、上の方は軋んだようにつっかかって、動かなくなる。
「……開かない」
「これ以上は壊れるからやめよ!? もう戻るよ!」
スズカが私の腕を引っ張る。無視してもう一度引き戸に手をかけた時、廃屋の中から音がした。
ぱりん。
かすかな、鋭い音だった。何かが割れるような。
それと同時に、粗いガラスの向うに何か白い影がふっと横切るのが見え、それを同時に見た私とスズカは一瞬固まった。凍りつくような沈黙の後、スズカは全力で私の手を振り切って逃げて行く。
背筋に冷や汗が流れるのを感じた。足に根が生えたように固まって動かない。
後ろを振り向くともう誰も残っていなかった。全員逃げた後だったのだ。私はたった一人で廃屋の前につっ立っていた。
沈黙が痛い位に耳を浸食してくる。私は雨で黒く染まったコンクリートのたたきの上から、足をそっとのけた。一歩、あとへさがる。
と、同時に、引き戸の向うでぎし、と軋むような音がして、私は再び固まる。そろそろと目を上げると、ガラスの正面には白い影がはっきりと映っている。
わずかに開いた戸のすきまに、ひたりと白い手がかかった。私は動けなかった。
からから、と戸は開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます