第43話 赤軍の襲来
モスクワ時間一九八六年一月八日午前一時十二分。
アリエチカはローザと一緒に飲み続けていた。
遂に十本目のスミノフに手を出していることから、長年の付き合いを持つローザは止めるのは不可能だと察していた。無論、執事たちも既に理解しており、表向きは
「おいローザも飲め飲め〜〜!! 飲まないとそょんだろぉ〜〜!!」
「いや……これ以上飲む量を増やすと二日酔いするから……」
アルコールに強いソ連人民であるローザでも、アリエチカのようにウォッカを十本開けても酔っていられるだけの強靭な肝臓は持ち合わせていない。実際、かなり限界値に近い量を飲酒しており、あと数口でも飲めば水が流れる白い陶器の中へ嘔吐するのは確実だ。
「おいいぃぃぃ?? 世界一でっかい国であるソ連の書記長をやっているこの私に逆らうってのか~~?? お前も随分偉くなったもんだなぁ!?」
アリエチカは酒瓶を持ちながらテーブルを超えてローザの肩に腕を乗せる。言葉と共に出る吐息が酒臭く、それがさらにローザの吐き気を催すことになった。
「はぁ……帰りたい……」
スターリンといい父のワシーリーといい、ジュガシヴィリ家にまともな人間はいないのか、と憂いたその時だった。
「失礼します!!!」
政府関連施設とアリエチカ邸の連絡を担当する
唐突な来訪者にアリエチカとローザは勿論、給仕まで表情を崩して唖然とした。
「あぁ?? なんだぁ人が飲んでるって時にぃ……」
「も、申し訳ございません。しかし重大な報告故……」
息が絶え絶えになりながら敬礼もせずに駆け込んだことから、火急の用事なのは明らかだった。
「なんだ? 言ってみろ」
酔いが冷めたローザはアリエチカを振り切って歩み寄る。
「エーリャ様が日本皇国に誘拐されました!!」
職員は喉を振り絞って報告の要諦を叫ぶ。
アリエチカとローザはその報告が戯言以外の何物にも聞こえなかった。
エーリャが誘拐された?
仮に、厳重な警備下に置かれているこの屋敷からだとしたら、言葉で言い表し難いほどの怠惰を警備が行っていたことになる。
「はぁ? 何を言ってる。エーリャはさっき自分の部屋に戻っていったぞ?」
だからこそ、アリエチカは再確認する。
しかし、次のチェキストの言葉で真偽を疑った。
「いえ、先ほど日本皇国から通達が来ました!!」
「……は?」
アリエチカの顔色が火照った赤色から蒼白色へと豹変する。
「詳しく教えろ」
剣幕な表情を浮かべるローザが詳細な情報を求める。
「は、はい。日本皇国から『エーリャ・アリーサヴィナ・イヴァーノフは人質として確保した。引き渡して欲しければ即座に停戦し、講和会議を開け』と通達がありました」
「……おい貴様、もう一度言え……」
アリエチカは険しい形相で職員のところへ歩み寄る。
「で、ですから日本皇国がエーリャ様は人質として確保され、皇国は停戦と講和会議を望んで」
アリエチカはチェキストの説明を聞き終える前に食堂を飛び出し、全速力でエーリャの子供部屋へ向かう。
十秒も経たずにエーリャの部屋に駆け付けたアリエチカは勢いよく扉を開けた。
家具の位置は何一つ変わっておらず、室内は静寂を保っている。
しかし、いくら見渡してもエーリャの姿は見当たらない。
「おい……嘘……だろ……?」
「アリエチカ様!!」
後を追ってきたローザが声を掛ける。
「ローザ!! エーリャを探すよう指示を出してくれ!!」
「先ほど
「取られた!! 奪い返しに行くぞ!!」
「奪え返す!? どうやって!?」
アリエチカの突発的な意思決定にローザは困惑する。
「知るか!! そんなの
「……それなら一つ、提案がございます」
「なんだ!?」
「プラズリーフ作戦を実行するのです」
「プラズリーフだと!?」
アリエチカはローザの提案に意表を突かれた。
『断絶』の意味を持つプラズリーフと名付けられたその作戦は、ソ連主導で中国、日本人民共和国が現在企画している大規模な反攻作戦である。
文字通り日本列島を分断し、二つの戦線で首都を挟み込んで一気に戦況の改善を図るのが目的だ。
しかし、現在は準備段階で今すぐ開始することはできない。
それにこの作戦は奥の手であって失敗しても再度実行可能ではあるが、奇襲性が失われる上に時間がかかってしまう。
「はい。共和国が押され気味な現状、前線から兵士を引き抜かせて二戦線で叩き切るこの作戦は今発動するべきだと考えます。作戦開始は深夜限定なので決行時間が限られますが、エーリャ様がいるであろう京都大阪まで直接移動することができます。どうでしょう?」
「……わかった! プラズリーフ作戦を実行する! 各部署へ伝達! 私はジューコフスキー空軍基地に向かう! 私がモスクワにいない間は非常用マニュアルを参照しろ!」
「了解!」
アリエチカがソ連の最高指導者になって定めた非常表マニュアルの一つに、『ソビエト連邦共産党書記長がモスクワから想定外の事態で離れるとき、
ローザは即座にそれを思い出して了承する。
「では行くぞ!」
アリエチカがそう言い残した瞬間、突風を残してローザの眼前から消えた。
「……ってあの馬鹿! まさか作戦に参加する気なの!?」
すぐに止めようと駆け出すが、あの状態のアリエチカを今から引き戻しても遅いか、と悟る。
業務用携帯を軍用ズボンの右ポケットから取り出し、各部署へ作戦開始を告げた。
日本時間一九八六年一月九日午前一時五十八分。
大阪府大阪市の中央大通、高速道路と並走する
最大十四もの車線数を誇るこの都市計画道路も、午前二時となれば時折車が一台、橙色のライトに照らされて寂しく通り過ぎるだけだった。
そして今日もまた一台、寂しくその道路を通る黒いワゴン車が現れる。
しかし、他の車と違う点は傍に何もない道路脇に停まったことだった。
スライドドアが横滑りし、AK-47を構えて軍用マスクを着けた二人のソ連軍兵士が飛び出した。
左右に分かれて銃口を舐め回し、周囲の素早く安全確認を行う。
「周囲に脅威なし」
一人が無線で車内にいる隊長へ報告する。
「了解。さ、出番だぞ」
そう返答した直後、ワゴン車から八歳の短いピンク髪であるユーリエ・アレクサンドロヴナ・イワノフが無邪気に降り立った。
「ユーリエ、あとは説明通りに頼んだぞ」
「わかった!」
「馬鹿、大声出すな」
「はぁ~い……」
ユーリエは大人しく返答して中央大通に走る。
軍人にとって遅い駆け足程度のユーリエの走りに、外にいた二人は間隔を保って護衛する。
「じゃあ、やっちゃうよ」
そう呟いた瞬間、高速道路を挟んだ対向車線側に黒紫の渦巻く穴が出現した。
その穴が現れたと思いきや、後方百五十メートルまで平行移動する。
穴から吐き出されるように、T-80A戦車が十両と兵士たちが大阪の地に降り立った。
兵士たちは困惑する素振りも見せず手早く展開し、直近のビル街の制圧を始める。
続けてユーリエは自分側の車線に同じように穴を開けて部隊を吐き出し、先ほどの部隊同様に制圧を開始する。
ユーリエは穴の中に入っている部隊全てを排出するまで、この作業を延々と繰り返す。
こうして、日本人民共和国とソ連、中国共同の反抗作戦が開始された。
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