第20話 戦争準備④

「では、作戦説明を始める。心して聞くように」


 晴れた夜空の下、日本アルプスの開けた土地に小さな光が灯っている。その灯りに並ぶようにトラックの荷台に発射装置を取り付けたBM-21多連装ロケット砲と太木の根のような三脚を持つD-30榴弾砲が設営されていた。それら全てがブッシュに覆われて遠くから目視で確認できないようになっている。

 そして点在する空白の土地で兵士が整列している中、前では退役間近のマキシム・ドミトリエヴィチ・モニア指揮官が徴募された日本人兵士たちを一瞥いちべつした。

 肌を刺すような寒風が走るが鉛のように重い空気は吹き飛ばない。


「最初に、BM-21多連装ロケット砲とD-30榴弾砲の混成部隊が皇国側の山に撃ちまくる。こちらから目視で安全を確認したら、銃を持ってこの先の飛騨山脈を突破して戦線を押し上げる。塹壕を発見したら素早く手榴弾を投げ入れろ。注意事項は敵の隠れた塹壕と天気だ。急に曇りだしたらいつでも撤退できるように身構えろ。いいな?」


 マキシムは空気を吹き飛ばすように勢いよく日本皇国領の山地を指す。しかし皆は押し黙ったままだった。


 当然である。隣にいる人、友は二時間後には死んでいるのかもしれない。死ぬ可能性の方が高いのである。そんな環境と心情の中、指揮官の単純な説明を理解しようと思う肝が座った人間はほんの一握りしかいない。


「まあ確かに、君らが急に徴兵されて戦場に来て戸惑うのはわかる。私もかつてはそうだった。しかし生き抜く気持ちがあったからこそ、私は今日ここで二度目の進軍に参加できているのだ。生きてさえいれば、何とかなる。これは俺が生きて証明した。だからお前ら、生きる気力を持て。愛している人へ一生会えなくなるぞ」


 ソ連人指揮官の励ましの言葉は、ロシア語を叩きこまれた若者の日本人たちに何一つ響かなかった。


「一つ、質問いいでしょうか?」

「なんだ。手短に言え」


 渾身の励ましが不評な事を悟ったマキシムは不機嫌な態度で一人の兵士を相手する。


「指揮官はなぜ、それほど天気に敏感なのですか? 山の天気は変わりやすいとは言え、作戦が中断されるほどの悪天候はそうそう起きないと思いますが」

「……そうだな。少し長くなるが、俺の昔話を聞いてくれ。その場に座れ」


 指揮官は長くなることを見越して兵士たちを座らせる。全員が座ったのを確認すると自らも胡座あぐらをかく。


 そして元一般兵だった指揮官は、遠い過去を思い出すかのように語り始めた。




 一九四五年八月十五日朝方。


 その日の天気は雲一つない快晴だった。

 若かりし頃のマキシムは機雷施設艦キジガの艦内で数多くの同胞と揺られながら、一人で本土にいる病気の母のことを思っていた。


「何湿気しけた顔してんだよ」


 出港前、偶然ウォッカの趣味で意気投合したロマン・ヴラジーミロヴィッチ・チュレポフが声を掛ける。


「パパっと終わらせて帰って、一緒にモスコフスカヤで乾杯しようぜ」


 ロマンが拳を突き出してきた。


「ああ」


 マキシムは拳を出してぶつけ合わせた。慣れない戦闘服を着用してPPSh-41を構える。北方領土から北海道まで艦隊は三十分も掛からずに到着した。

 仲間たちと共に素早く敵国の大地を軍靴で踏み締めて北海道を順調に制圧していく。




「上手く行き過ぎていねぇか?」


 森林に立ち入って共に進軍していたロマンが疑問を漏らす。


「どういう意味だ?」

「いや、作戦が始まって一時間以上経つのに、未だに接敵も死者報告もないんだぜ? 上陸した港にも人一人としていなかったしよ」

「俺たちが北方領土に侵攻したから先に避難したんじゃないか?」

「それでも軍人までいないのはおかしい。何か裏があるはずだ」

「……そうかもな。取り敢えず、一旦休憩しようぜ」


 二人は木の幹に背中を付ける形で腰を下ろして水筒に入っている水を飲む。

 突然、顔を上げて飲んでいたロマンがゲホゲホと咳き込んだ。


「どうした?」

「ケホッケホッ、空を見ろ」


 マキシムも顔を空に向けた。

 先ほどまで快晴だった空がいつの間にか暗くなっており、暗雲が一つの目を中心にグルグルと回転している。雷が青白く走っていてもおかしくはないような禍々しい雰囲気を放っていた。


「なんなんだあの雲……こりゃ大雨になるぞ。早く行こうぜ」

「ああ」


 二人は急いで立ち上がって侵攻を再開する。

 その直後、マキシムの耳が前方からの異音を感じ取った。大きな何かが倒れるような音だった。


「どうした?」


 マキシムが足を止めていることを不審に思ったロマンが声を掛ける。


「大きな物が倒れる音がしなかったか?」


 ロマンも前方に耳を向ける。するとタイミングよく木が倒伏とうふくする音が聞こえた。


「……ああ、俺も確かに聞こえた」


 二人はPPSh-41の銃口を上げ、銃床を肩に押し付けて引き金に指を添える。


「……ぁぁ……」


「お、おい。何か、叫び声が、き、聞こえなかったか?」


 ロマンはマキシムに声を震わせながら確認する。


「い、いいや、俺には木が倒れる音以外何も」


 マキシムの耳には届いていなかった。

 すると間髪入れずに次の悲鳴が聞こえる。



「助けっ助……」

「がぁ……」



「……俺にも聞こえたぞ」

「さ、先にいた仲間が何かに殺されているんだ……」


 ロマンは既に全身を震えさせていた。


「な、何かってなんだよ! 日本軍じゃないのかよ!?」

「俺にもわ、わかんねぇよ。木を倒しながら、進んでくる兵器なんて戦車以外、し、知らねぇし」


 こんな山奥に戦車を走らせる馬鹿は世界中の参謀本部を回ってもいないだろう。もしいたとしたら相当な馬鹿か一時的に狂っているかの二択だ。



「うわあああっあぁ……」

「やめろ! やめてくれ! やめっ!」



 木々が倒れる音と断末魔は大きくなりながら確実に二人の元へ近づいてくる。彼らは恐怖でその場から動けずにただ足を震えさせていた。



「ぎゃああああああああああああああああ!!」

「助けて!! 助けてくっ!!」



 叫び声が鮮明に、そして大きく聞こえるようになる。今にも死神が耳元に「次はお前だ」と囁きそうだ。


 その時だった。

 金色に近い七色の光が、木々の隙間から一瞬だけ煌めくのを彼らは目撃した。


「……お前……見えたか?」


 ロマンは腹から精一杯の声を振り絞って言葉を発する。


「あ、ああ……あの光は、なんなんだ?」


 すると二人の胸辺りに装着されている無線機がノイズ交じりに喋り出した。


『こちら輸送船指令室。作戦に当たっている全兵士は直ちに撤退せよ。繰り返す。作戦に当たっている全兵士は直ちに撤退せよ』


 見えない前方での恐怖と予想外の命令に二人は困惑した。


「て、撤退だと?」

「丁度いい。こんな気味悪い所からさっさとずらかろうぜ」


 ロマンは銃口を下げて既に来た道を逆走しようとしていた。


「あ、ああ」


 マキシムが体の向きを右に向けた時には、ロマンの頭と胴が分かれて地面に落下していた。

 急すぎる展開に頭が追い付かず、背筋が凍り付いて止まった時を実感する。


 無意識に友人の死から背けようと、眼球を来た道へ向ける。


 しかし前には、大木の枝に片手でぶら下がっている日本軍服を着た女がいた。

 黒の短髪で、顔は凛々しく綺麗に整っている。大きい瞳で睨みつけてくる視線は男でも威圧感で怯みそうなほど力強い。容姿からしてまさに女王という二文字が似合う人物だった。

 しかしそれは、もう片手に握っている物の存在をなしとして捉えた場合である。



 捕まっていない右手には、鮮血が滴る両刃の剣が握られていた。



「うわああああああああああああああああ!!」


 マキシムは来た道を一心不乱に走る。ただ必死に、自分が乗ってきた船へ。

 道がない森の中を転びながらも振り返らずに駆け抜けた。



 マキシムが自我を取り戻した頃には桟橋の付け根に仰向けで倒れ込んでいた。出港する頃になっても千人はいた同胞が百人未満に減っていた。

 船内で自分が体験した末恐ろしい話をすると、同様の経験をした者が何人も手を挙げた。




『こちら日本人民共和国軍第七司令部。準備は済んだか?』


 唐突にマキシムの無線が喋る。会話の途中で電話に出るように皺が寄っている少し頼りない掌を兵士たちへ向けた。


「例の説明も済ませました。準備は全て完了しています」

『了解。健闘を祈る』


 司令部からの連絡は以上だった。


「こんなに話し込んでしまったな。まあ取り敢えず、急に怪しい雲が出てきたら気を引き締めろ。これは鉄則だ。いいな?」


 兵士たちは「了解」の二文字が言えないほどにまで怖気ついてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る