普通

宵闇(ヨイヤミ)

第1話

普通とは、一体何なんでしょうか。

そしてそれに正解は存在しているのでしょうか。


私は、正解なんて存在しないと思う。

例えばこの高校生活だ。

高校生になると大抵の人がアルバイトをして、稼いだお金で遊んだりするだろう。しかし中には、アルバイトをせずに日々楽しく過ごす人もいる。このどちらが普通なのか、どちらが正しいのかと言われると、両方が正解なのだ。


また、ノートの取り方ひとつもそうだ。

自分が分かればそれでいいと、汚いノートの取り方をする者も居れば、とりあえず綺麗にまとめる者も居る。そしてこれも両方が正解なのである。


このように、1つのことに対して答えは人それぞれ、十人十色なのだ。そしてそれらは正解であり、誰も不正解だとは言えない。



どんな物事にもやり方が沢山あるのだ。

そしてそれは正解であり不正解とは言い難い。

もしかしたらそれら全てが不正解だという可能性がある。その場合は全てが正解とは言い難いのではないだろうか。


だが人とは不思議な生き物だ。

その事を知っていながら、自分と違う者をはじく。意見や価値観の相違など、あって当然の事だろう。しかしそれが気に食わない、不快だ、と感じてしまうのだ。


異なる、異質な者を排除しようとする。

それは性であり、本性だろう。

しかしそれは生き物の本能とも言えることなのではないだろうか?


どこかの小説に、忌み子だと、周りからそう言われている子等が居た。周りからは、異質だ、血筋が----、そう言われていた。

だがそれがなんだと言うんだ?

人は十人十色、人それぞれだ。

それに血筋なんざ関係ないじゃあないか。

その子の親、祖父母、先祖、誰が何をやろうと子孫に関係は無いのだ。

何かをやったのはその子では無い。

その子は何かをやった張本人ではない。

なのに何故忌み嫌う?

何故避ける?

その行為に意味は無いだろう。


人を痛ぶり、罵倒し、いじめる。

いじめとはただの暇人の遊戯だ。

暇を潰すために人をいじめる。

それで相手が苦しんだところでお構い無しだ。

だがどうだ?実際に自分がやられる立場になると『やめて』『何でそんなことするの?』と、色々ほざくではないか。


やる側の普通は“いじめを行う”こと。

やられる側は“いじめられる事しかやれることは無い”という考えをしているだろう。


最初に私は『物事に対して全てが正解である』というようなことを言った。

しかしそれと同時に『全てが不正解である』というようなことも言わせてもらった。


いじめは『不正解』にあたる。


これを正解だと言える奴はどうかしいてる。


いじめはしてはいけないことだと、誰もが知っているはずだ。

しかし人はそれを遊戯の1つとして行うのだ。








人間とはなんと愚かなのだろうか


間違いに気付かず、不正解を行う。

そしてそれにすら気付かない。



人間とは本当に不思議な生き物だ。

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普通 宵闇(ヨイヤミ) @zero1121

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