第21話 吹雪の怪物
リビングの時計台が警戒音を出した。時空諜報部のフレア・フォンテーヌがすぐに気付いて伯爵に知らせた。
「…なにがあった?」
「転送タグの解析が済みました。…驚くべきことですが、突然前触れなく、彼が帰ってきます。マルセル・デュビエールです」
「なるべく詳細に記録を取ったうえで転送ゲートを開放しろ。私もすぐにゲートに行く」
やがて伯爵の屋敷の美術室にある転送ゲートの前に伯爵が駆けつけると、そこに光に包まれ、マルセルが帰ってきた。
「マルセル、探したぞ。無事だったか? けがはないか?」
マルセルは必死に自分を心配してくれる主人を見て、涙を浮かべてそれに答えた。
「ご心配をおかけしました。ええ、体はどこも悪くありません、伯爵さま、おなつかしゅうございます」
マルセルは感動の対面を済ませると、すぐに、自分が賊に襲われ、ハリオンのオリンポス城に連れて行かれていたこと、そこで起こった事件や、七人の高校生の事、助けを求めていることを詳しく話したのだった。
「やはり、事件にハリオンが絡んでいたか? でもそこには私たちの仲間の調査員キース・フェリックスが行ったはずだが…」
するとマルセルは、やってきた人数が一人多くカウントされていた事実を述べた。
「そうですか、じゃあ五人目はきっと伯爵さまのお仲間のキース様なのでしょう。でも、その方もすぐにはお見えにならなかった。なぜでしょう?」
フレアが心配そうに話した。
「今フランス支部は、アフリカ支部の応援に何人も出かけていて、あと数人しか残っておりませんが…」
すると伯爵は少し考えてからこう言った。
実はラファエルもゾフィーも昔からの腐れ縁でね、よく知っているんだ。いいだろう。私が行こう。一気にけりをつけてやる。どうだフレア、マルセルの送られてきた場所が逆探知できたかな?
「はい、確かに場所を特定できました」
「すぐに出発の用意をしてくれ。私はいつでもオーケーだ」
「はい、かしこまりました」
フレアが機械の操作を始めた。伯爵は身支度を確認し、鋭い眼で転送ゲートを見つめた。
セリオンでは、三日が経っていた。夜が明けると、隣の部屋で寝ていたはずのケイト、いやキメラがいなかった。ファーガスは嫌な予感がして目が覚め、キメラを探して村の中を歩き回った。
「いた…何事もなさそうでよかった」
キメラは村の入り口の岩の上に一人立ち、荒野を眺めていた。
「嫌な夢を見て、ここにやってきた」
「そうかい、おれも同じだ。不吉な夢を見て、気になってな…」
「今朝はちょっと調子がいい…。ファーガス、ファーガスだったな、お前の名前は」
「おや、やっと記憶が戻ってきたかい。心強いぜ」
「まだ自分がよくわからない。でも自分は何か大きな使命を果たすためにここにいることがわかってきた。」
ファーガスはたばこ型の回復剤を一本吸いながら思い出したようにある言葉をつぶやいた。
「…確か…エルネスト…って言ってたぜ、あんた…」
「エルネスト?」
その時、キメラの胸の中で熱いものがこみあげてきた。
「そうだ、エルネストと何度も繰り返していた。」
繰り返していた…何か分厚い氷が溶けだして、何かが流れ出すのがわかった。
「そうだ…私は…エルネスト、エルネスト…」
その時、ファーガスは自分の目を疑った。革の戦闘服姿のケイトの外見が変化し始めたのだ。顔がみずみずしく生き生きとして変わって行き、黒の戦闘服も白いあでやかなものに変わって行った。ここセリオンは精神世界、心の持ちようによって外見が変わると言うが…。
「何が起こったんだ…キメラよ」
するとキメラは目を輝かせて振り向いた。
「ありがとう、ファーガス、私はキメラ。世界で唯一の特別なキメラ…」
だが、その時荒野の向こうから、偵察の神官たちが駆け込んできた。この間の砂嵐の魔人レギオンの来襲をうけて、警戒態勢を強化していたのだ。
「大変です、この荒野の向こうで、信じられないことが!」
やはり、いやな夢は正夢だったのか。その様子はすぐ長老に報告され村は大騒ぎになっていた。
「…なんだと、石化獣のほかに、はしこいバルログの手下の怪物まで軍団を作っているのか。奴ら逃げ延びようとする女、子どもまで、うち逃さぬ気か?」
長老の顔が曇った。ファーガスも打つ手がなく、苦虫をつぶしたような顔でうつむいていた。唯一、キメラだけが、凛として背筋を伸ばし、まっすぐ瞳を見開いて荒野を見ていた。そして、言った。
「装備はいいか。ファーガス、出かけるぞ!」
その頃虚空の城を見上げる広い平原に巨大洗車サタンドラゴスが大きな龍の口を開き恐ろしい地響きを立てていた。剛力魔人テュフォンが魔王の名を受けて遂に完成させた怪物戦車だ。巨大な四輪の台の上に五メートルはあるドラゴンの大砲がのり、それを四頭の怪物、大王ラクダが引っ張っていた。これは魔界の巨大なラクダで見た目はフタコブラクダにそっくりだが、歯をむき出した頭が異常にでかく、大きなこぶが四つ、足も八本あり、とてもがっしりした怪力の持ち主だった。
この大砲にどんな仕掛けがあるのかわからないが、なにせ、このサタンドラゴスの上に乗ったテュフォンがサタンドラゴスに発信の合図をだし、戦車が動き出すと、その後ろに百体以上の石化獣がしたがって進んでいくのだ…。しかもその石化獣の大群の後に、恐ろしい奇怪なバルログが指揮するサソリやコウモリなどの魔界の怪物の軍団がやはり数百匹集まって、進んでくるのだ。最後尾には石化獣より大きな暗黒流が続く。この怪物一頭だけでもパルファンの街を破壊しつくすのに十分な迫力だ。
「全軍止まれー!」
大王ラクダが歩みを止め、サタンドラゴスが停止すると、石か獣の大群も止まり、魔物軍団も一斉に止まる。見ると、近くの岩山に光とともに魔王が舞い降りた。あのダビデ像の姿に化けた魔王が帰ってきたのだ。
「魔王様、三日のうちに戦車を作り、大群を組織せよとの命令でございましたが、ご覧下さい、ここに石化獣のと魔物の軍団を集めて組織いたしました。いかがでしょうか。すべては魔王様のあの巻物のおかげでございます」
魔王は満足げに微笑んだ。
「剛力の魔人テュフォンよ、よくぞ見事にこの大群をまとめ上げた。ほめて遣わす。毒牙の魔人バルログよ、よくぞ巨大な暗黒竜まで呼び出した。うれしいぞ。このまま町へと攻め込み、先住民の村ごと、あのうるさいハエどもを粉々にしてしまうのだ!」
「かしこまりました! よし、再び発進だ。全軍進めー!」
テュフォンのかけ声でまた全軍が動き出した。なぜだろう、あの手に負えなかった石化獣たちがその巨体をゆるがし、かけ声の通りに動くではないか。
魔物たちもそれに従い、土煙とともに全軍が荒野を進み始めた。先住民の村を目指して…。
だがその時岩山で大群を見守っていた魔王が苦しみ始めた。
「うう、もしやもう時間か? 予定より早いぞ…まずい…この時間軸の中では…」
やがて魔王は体が透き通り、静かに消えて行った。だれもそれをおかしいとも思わなかった。
七人はあの奇妙な屋敷を歩き、再びあの大聖堂のような巨大なリビングに戻ってきた。
フリント・ソリッドフェイスがブライアンからゲームの様子を聞きながら、消えた五人のことを話し始めた。
「そうか、聖なる王冠を使うと、異次元の精神世界に本物の人間を創造できるのか。なにかそのへんに犯人の狙いがあるかもしれないなあ。ところでマルセルが確か言っていたんだ。私は十一人のお客様を連れて、心の旅のお供をしたことがありますってね。マルセルの事だから嘘など言うはずもない。主人のハリオンとマルセル、そして十一人のお客を入れれば、十三人のパーティーになる。ところが白い部屋の転送装置は八台しかカプセルがない。じゃあ、今の神々のテーブルの部屋のカプセルを使ったのか? でもあそこはカードがそろわないと動かないようだし、第一カプセルの数が四つではやはり数が足りない。そこで五台以上のカプセルが別にあるんじゃないかと思ったんだ。そしたら、不自然に置いてあるこれが目についてね」
フリントはあのリビングに置いてある五台のモアイ像の前にみんなを連れていった。
「このモアイは、実際のモアイよりくびれが少なく円筒形に近いデザインになっている。おおよそ大きさを測ってみたら円筒形の直系や高さなどが、ちょうどあのカプセルより一回り大きく作られていて、カモフラージュに持ってこいだと思ってね」
ブライアンとフレデリックが近づいて触ってみる。そういわれれば、中が空洞のような気もする。
「可能性は高いな。後はどうやってカプセルを取り出すのか。どういう仕掛けになっているかだな」
またみんなで周囲を探すことになった。また石板でもあるのか、それとも操作盤やボタンがあるのか、それさえもわからない。
だが、水晶のついた鎖を持ってそのあたりを歩いていたミランダ・カペラピスが声を上げた。
「ブライアン、この奇妙な鳥の置物は何?」
ミランダは近くのテーブルの上に置かれた、くちばしの長いふしぎな鳥の置物を指さした。
「ここで、鎖がよく振れるの。たぶんこれじゃないかと思うんだけど」
ブライアンは見たことのあるようなその鳥をじーっと見つめてこういった。
「たぶん、モアイ像があるイースター島の鳥の神じゃないかな…」
「へえ、さすがブライアンだ。おれちょっと試してみるよ」
フレデリックがさっと近づいて、鳥の頭をポンとたたいた。その途端鳥の頭はボタンのようにカチッと引っ込み、5つのモアイすべての頭のてっぺんから、「シュー!」というすさまじい音とともに水蒸気のようなものが噴き出した。
「おお!」
そして唖然とする七人の目の前で、すべてのモアイ像が真っ二つにわれ、ゆっくり開いて行った。そして、予想通り、その中から五台の休眠カプセルが姿を現したのだ。
そこに見知らぬ五人の人物が眠っていたではないか!一人はしかめ面の初老の男、一人は若く身長も高くちょっとハンサムなスポーツマン風の男、一人は知性的な女性、そして次の一人はめがねをかけた学者風、そして最後のひとりは黒いピシッとしたスーツで身を包んだ精悍な男だ。
「まず間違いない、ハリオンと三人の客と犯人だ」
フリントが言った。フレデリックが質問した。
「でも、なぜ全員眠っているんだ? たとえばこのうち一人が犯人だとして、四人をここで眠らせた後、なんで自分も眠っているんだ?」
その通りだった、みんな首をかしげた。さらにアイザックが続けた。
「誰から起こしたらいいんだ? それとも全員一斉にカバーを開けて起こすかい? 間違って犯人から起こしたら俺たち、つかまっちまうかもよ」
するとレベッカが言った。
「犯人って、もしかしてあの、魔人ってことなの?」
みんなの心の中に、魔女屋敷の出来事やあの湖で見た魔人のイメージがフラッシュバックした。カバーを開けた途端、あの人物が魔人に変身したらたまらない。レイチェルが五人の人物を眺めて言った。
「まず、だれが誰かを推理して、リスクの低い人物から起こすべきね。最初に犯人じゃない人を起こせば、だれがだれだか教えてくれると思うけど。どう?」
早速、だれからカバーを開けて起こすかをみんなで話し合い。一人目はすぐに決まった。それは唯一の女性だった。マルセルの話からすれば女性は科学者のゾフィー・クリステルだけで、まずまちがいなく特定できて、リスクの低い人物だった。
「よし、カバーを開けるぞ」
カバーが静かに開き、美しい知的な女性が静かに目覚めた。彼女はあたりを見回し、自分の腕に巻かれた時空時計を確認し、現在の自分の立場をすぐに把握し、目の前にいる高校生たちが敵でないとわかると冷静に話し始めた。
「ありがとう。助けてくれたのはあなたたちね。感謝するわ。それであなたたちはいったい…」
女性同士ということか、レイチェル・マッキントッシュが進み出て、イギリスのエルダーフラワーヒルから、謎の魔人によってここに連れ去られたことや、神のカードのことなどを話した。
「そう、あなたたちもあの謎のカード聖なる王冠の被害者ね。シモン・ケペル・クアトロが、すごいものを発見したと言ってここに持ち込んだの。私やラファエルは時空物理学や精神世界の転送化学なんかを研究していたんだけど、時間倫理上、規制がきびしくて満足な実験がなかなかできなかった。でも大金持ちのアドリアン・ハリオンは、そこの背の高いスポーツマン風の男はね、有り余る資金を使って、わたしたちの自由にさせてくれていたのよ。ここには精神世界へトリップできる転送設備や時空タイムマシン、スピリチュアルウェポンまでなんでもそろっているわ。そこに底知れぬパワーをもつあのカードが来て、とんでもない野望が頭をもたげたんだわ…」
冷静なゾフィーは少しも気持ちを乱すこともなく淡々と話し始めた。あの最初のカードゲームの時、長時間のゲームの末、四人はそれぞれに高度な国家を作り上げていた。なんといっても、世界中の神秘を解き明かした大博物学者クアトロ、実際に世界中でたくさんの会社を経営している実業家のハリオン、世界有数の頭脳と噂されるラファエルなどすごいメンバーなので、最初は争いもなく、カードもマスコミや、ネット社会、ロボット社会など駆使してすさまじい高度な戦いとなっていた。ところが負けず嫌いのハリオンは平和協定を破り、レアメタルや天然ガスの産出する土地を巡って、ゾフィーの平和な国に攻め込んでしまった。しかもゾフィーのキャラは不運にも戦死。ショックを受けたゾフィーはゲームを降りた。あのゲームはその底知れぬ力で、精神世界に本当の人間を作り出せる。それは自分が殺されたに等しかった。それを怒るラファエル、ゲームだから当たり前だと返すハリオン。ゾフィーの考えるには、ゲームの持つ狂気に飲み込まれてしまったのだという。ところがそのあと、最初にクアトロが、次にハリオンが襲われて行方不明になった。自分も後ろから麻酔銃で眠らされ、ここに入れられていたのだという。
「あら? レイチェルさんっていったわね。あなたのその腕時計どうしたの?」
「ああ、これですか? ラファエルさんから送られたものなんですけれど」
それは、例の金の包装紙で包まれたボックスから神のカードとともに出てきて、レイチェルが腕にはめたものだった。
「ラファエルはなんでそんなものを? それは私の発明品よ。デザインだって女性用でしょ。その人が精神世界にいた時間を測定するものなのよ」
精神世界にいた時間を図る物? そうか、それで七人はみんな同じ数値が出たのだ。
「すみませんゾフィーさん、ゾフィーさんは、みんなを襲った犯人は誰だと思いますか?」
ブライアンが尋ねた
「襲われた順番から考えると、疑いたくはないけどラファエルかこっちのスーツの男のどちらかね。でも、犯人だけどこかへ逃げてしまったという可能性もある」
なるほどね、みんな襲われてここに入れられ、犯人だけなんらかの方法で逃げた可能性もある。犯人が最後に自分からここに入る理由もなさそうだし、案外そうかもしれない。それにラファエルは自分たちを導いてくれた恩人だ。容疑者には入れる気にならなかった。
「でも、このスーツの男は私はまったく初めて見たわ。ハリオンは最近ある男に追いかけられていたと言っていた。つまり、ハリオンはこの男のことを知っているかもしれない」
なるほど、みんなここに入れられて、犯人だけ逃げた可能性も高いかもしれない。さていったいどうしよう? でも、少なくともこの冷静で知的なゾフィーは信頼できそうだ。結局、ゾフィーの言葉を手掛かりに、スポーツマン風で身長の高い億万長者、アドリアン・ハリオンのカバーを開けた。いったいどうなることかとどきどきしてそれを見守るみんな。でもハリオンは思ったより素直な男だった。ハリオンは驚きながらあたりを見回し、ゾフィーを見つけると、すまなかったと謝り始めた。
「すべては私が悪かった。ゲーム中はどうかしていたよ。本当にすまないゾフィー」
「仕方ないわよ。アドリアンのせいじゃない。みんなあのゲームのせいなのよ」
少し落ち着いて、ゾフィーの話を聞くハリオン。ハリオンは七人の高校生と一人一人握手を交わし、自分が原因で事件に巻き込んですまなかったと謝った。それから、マルセルは自分がさらったのではない。ある日突然ここに転送されてきたというのだ。だがここは秘密の城なので、ここからすぐ返すこともできずに、そのまま働いてもらっていたというのだ。
「え? マルセルが手助けしてくれたって。あの男には悪いことをした。あの日、この屋敷のすべてを仕切るマスターキーカードがなくなったり、いくつかおかしなことがあって、マルセルのせいだと誤解していたのだ。それは後ですべて犯人のせいだと分かった。だが、その時はもうすでに遅かった」
自分も不意に麻酔銃で撃たれて、つかまってしまったというのだ。犯人はわからないが、五人目の男は知っていると話してくれた。
「私やラファエルがやっている精神世界へのトリップは、直接悪いことをしているわけではないが、悪用の恐れがあると、規制されていることだった。このスーツの男は、かなり前から私の行動を見張っていた。私はこの男を逆にマークし、顔写真も手に入れていた。そして彼はついにやってきた。時空調査部の諜報員、キース・フェリックスだ。だが、彼も、ここに入れられたということは、真犯人に後れを取ったに違いない。私が原因で何かたくさんの人を巻き込んでしまったようだ。もう、何も隠すこともない。罰をあえて受けよう。キース・フェリックスを呼び出して、彼にすべて事件を解決してもらおう…」
ハリオンの素直な言葉に、次にキース・フェリックスのカバーが外された。目覚めたキースは周りの状態を見て、突然言い放った。
「みなさん、動かないで。私は時空諜報部のキース・フェリックスです。大掛かりな時空犯罪を追いかけてここに来ました。まだ犯人はみなさんのそばにいる、気を付けて。今ならすぐ逮捕できる」
フレドリックが聞いた。
「犯人はどこにいるんですか??」
みんなはゾフィーの推理通り、犯人はここにみんなを押し込んで、どこかに逃げたのかとなんとなく思っていた。その方が自然な感じだったからだ。だが、鋭い目つきのキースが言ったことは全く意外な話だった。
「犯人は…信じられないでしょうが、この横で眠っている優秀な科学者、ラファエル・キューブリック・コルテス博士です。私がここについたとき、ハリオンたちはまだゲームをしている最中でした。私は物陰から様子をうかがっていたのですべてを目撃してしまったのです。理由はわかりません、でも麻酔銃を持って人を襲ったのは、間違いなくラファエル博士です」
「そんな、馬鹿な?」
ブライアンも、フリントもわが耳を疑った。まさか自分たちを導いてくれたラファエルが犯人だったなんて? でも、一番ショックを受けていたのは、実はゾフィーのようだった。
「うそ! ラファエルに限って、そんなことはあり得ない…」
二人の間には人には言えぬ深い絆があるらしい。
「本当にあなたは見たの? 見間違えじゃないの?」
「だから私にも理由はわからない。でも目撃したのは間違いない。最後には私も見つかって、ここに入れられたんです。」
すると今まで黙っていたミランダが、突然叫んだ。
「でも、おかしいわ。ラファエルは、あなたをカプセルに入れた後、なんで自分もカプセルに入る必要があるの?」
するとキースは困った顔をして言った。
「それは私がカプセルに入れられた後の話ですから分かりません。詳細は諜報部の本部で明らかになるでしょう。今なら反撃はされない。逮捕のチャンスだ。みなさん、すみません、後ろに下がってください!」
みんなまだ信じられなかったが、仕方なく少し後ろに下がった。すると諜報部員のキースは、手慣れた手つきでカバーを開けたのだった。
「動くな、ラファエル・キューブリック・コルテス。今度は私の勝ちだ。負けを認めろ」
ラファエルは最初何かしゃべろうとしたが、キースの言葉にそれをやめた。
「おまえが、神のカードを狙っていろいろ画策したことはわかっている」
そしてラファエルが一言もしゃべらないうちにキースは犯罪者用シールドロープを背中にセットした。すると、一瞬でラファエルの全身に光るロープが巻きつき、上半身が固定され、口もふさがれ、身動きができなくなった。
「ご協力ありがとうございました。これで時空犯罪の謎がやがて解けるでしょう」
そしてキースは、思い出したように、ラファエルのポケットを調べだした。
「おまえ、神のカードをどこに隠した。あれを狙っていただろう?」
もちろんポケットには神のカードなどなかった。神のカードはあの金の箱からブライアンにわたり、今はすべての聖なる王冠のカードと一緒にブライアンが所持していた。
「カードはラファエルは持っていませんよ。すべてここにあります」
すると、キースの目の色が変わった。
「本当ですか? どうしても犯罪の証拠にそれがいるのです。こちらに渡してください…」
キースの言っていることはこじつけのようで、なんだかおかしかった。ラファエルは本当に犯罪者なのだろうか? ブライアンは一瞬とまどった。みんなを見ると、みんなも同じようであった。
「さあ、早く、証拠物件ですから、こちらに提出を…」
ブライアンは持ち物の中から、聖なる王冠のカードが入った箱を取り出した。さあ、渡すかどうするか? だがその時、レイチェルがサッとゾフィーに近づき、あのゾフィーが発明したという腕時計を見せたのだった。それをみてゾフィーが叫んだ。
「カードを渡しちゃダメ!そいつが犯人よ!」
ブライアンはカードをサッと引っ込めた。するとキースは今までラファエルの背中に回していた右手を前に出した。そこには諜報部員専用のマルチハンドガンが握られていた。ラファエルを裏から拳銃でしゃべれないように脅していたのだ。
「くそー、ばれればしょうがない。すべて消してやる」
キースはラファエルをみんなの方にけり飛ばすと、そこに手りゅう弾のようなものを、投げた。
「波動ボムで粉々になるがいい!」
「みんな、伏せろ!」
だが、みんなおしまいかと思った時、波動ボムは空中で止まった。まるで時間がそこだけ凍りついたように、空中で動きを止めてしまったのだ。
「な、なに? どういうことだ」
すると、みんなの後ろで声がした。
「どういうことだ! それはそっくり君に返そう、キース君。いったいどういうことなんだ?」
振り向くとそこに思慮深そうな男が一人立っていた。キースの顔色が変わった。
「サンジェルマン伯爵? どうしてここに? くそ!」
キースは焦ってハンドガンを伯爵に向けて撃った。だが伯爵の左手の指輪のダイヤが神秘的な光を発したかと思うと、波動バリアがその弾を弾き返したのだった。さらに右手をパチッと鳴らすとキースのハンドガンが空中にくるくると舞い上がり、あっという間に伯爵の手の中に収まった。
まともに相手をしたら勝てるはずがない…突然の大物の出現に、取り乱したのはキースの方だった。
「俺は捕まらん!」
キースは叫びながら何かを床に投げた、凄まじい光が瞬き、キースは消えて行った。
「強制転送か? 抜け目のないやつめ! だが、どうせ行き先はわかっている。すぐに手配をする。逃げられんぞ…」
伯爵の瞳がきらっと光った。
「おっとみんな、まだその波動ボムは危険だ。今消滅させるから、静かに離れるんだ」
みんなが離れると、伯爵の指にはめられた大きなブルーダイアが光を放った。波動ボムは光の微粒子をふりまきながら消滅していった。伯爵はサッと近づくと、ラファエルの背中に手を当て、拘束を解いた。
「うちの部下が犯人だったとは…謝る言葉すら見つからぬ。本当に迷惑をかけた」
するとラファエルがやっと声を出した。
「こちらこそもうダメかと思っていた。奴は私を真犯人に仕立てて連れ帰り、たぶん護送中に私を殺してすべてうやむやにするつもりだったのだろう。この城さえ見つからなければ、だれも奴の犯行だとは気づかない。本当に危ないところだった」
ラファエルはやはり真実の人だった。みんなは安心した。
「キース・フェリックス。やつは最初から何か野望を持っていたのかもしれない…」
そしてラファエルから、この屋敷で起きた壮絶な真実が語られ始めた。
…神のテーブルでのゲームの終了後、私たち四人はそれぞれ二階の個室に帰り、休みを取っていた。ゾフィーの国を攻め滅ぼした件で、私とハリオンは珍しく言い合いになり、ゾフィーもふさぎ込んでいて、気まずい雰囲気が続いていた。少しすると司祭にして時空博物学者のシモン・ケペル・クアトロ氏が私の部屋にやってきた。彼は昔は魔法と呼ばれていた領域と時空物理学の懸け橋を作った賢人で、錬金術や黒魔法を時空物理学で解き明かし、私ともかなり中がいい。自分が「聖なる王冠」を持ち込んだせいでこんなことになってすまないと謝りに来たのだ。
「それは、クアトロ氏のせいではありませんよ。あの古代に造られたカードには人をおかしくさせる何かが潜んでいる。ハリオン氏だって、あんなに興奮するのは初めて見た」
するとクアトロは真剣な顔で私に言った。
「実はそのことで、調べてみたんだが。あのカードは古代の魔法で言う六芒星の秘術、時空物理学で言うところの六次元因果システムが組み込まれている。間違いない」
「なんですって?」
「つまり、普通のカードゲームなら、最後に勝ち負けがつくだけだが。あのカードシステムを精神世界で行えば、六次元の因果応報の通りに存在化する可能性があるのだ。」
「存在化するとはどういうことですか?」
「精神世界は想念が存在を作る世界だ。だからあのゲームを精神世界で行えば、そこで生まれた人や国は、精神世界の中で命を得るということだ」
「そういうことですか…。私たちの化学も進み、おとぎの国や神話や伝説のもとになった世界が異次元の精神世界にあると解明された。だが、もし精神世界で好きに人間や世界を作り、それが命を持って増殖したり、異次元の他の世界に攻め入ったりすれば…それは異世界への重大な介入、侵略行為になる…。そういうことですか」
「まさか悪用する者はいないと思うが、悪用すれば、自らが創造主となり、自分の国を作り、精神世界を思いのままにできるかもしれない。あのカードは、人間にある意味愚かさと欲望を体験させ、知恵を授け、精神の変容を促すゲームだったのだろう。だが、これを精神世界のレベルで行うことは大きな時空倫理を踏み外す行為につながるのかもしれない。カードは封印しようと思う」
「賛成です、私も協力しましょう」
するとクアトロは自分の持ち物の中からあの「聖なる王冠」を出し、一言も言わず私に渡した。そして、黙って部屋を出て行った。
思えばあの時、二人の会話は奴に盗聴されていたのかもしれない。
少しして、突然ドアを誰かがノックした。誰だと思って開けると、ハリオン氏があわててそこに立っていた。
「ラファエル、さっきはすまなかった」
「いや、こちらこそ冷静さを欠いていた。あわててどうした。なにかあったのかい」
「実は私たちがゲームで楽しんでいたころ、侵入者警備システムが、元から切れてしまったようなのだ。単なる機械の故障か誰の仕業かわからない。念のためにあちこちを調べて回った。すると私がマスターキーで開けなければ開くはずのない、書斎の実験室に誰かが入った形跡がある。おかしいと思って確かめたら私の持ち物の中からマスターキーカードが盗まれたようなのだ。なにか心当たりはないかね」
「それはたいへんだ。なにも心当たりはないが…」
「わかった…もう一度マルセルに問いただしてみよう。あの男の仕業だと思いたくないが…」
ハリオンはまたあわててどたどたと去って行った。
だが、それから少しして、ハリオンがまた飛び込んできた。
「大変だ、クアトロの部屋が荒らされて、彼がいなくなった!」
驚いた私は、ハリオンと一緒にクアトロの部屋に入った。彼の持ち物が荒らされて、彼は忽然と消えていた。その時点で、まだゾフィーも部屋にいることを確認し、私とハリオンで一階に下り、あちこちクアトロを探し回った。書斎の実験室を確認すると、私たちの貴重な装置やデータが確かにいじられているようだった。転送ゲートにも人影はなかった。だが、その時遠くから悲鳴が聞こえ、急いで行ってみると、今度はゾフィーがあやしい人影を見たと震えていた。さすがに外部に助けを頼もうと、ハリオンが書斎に戻り、連絡を取ってくると走って行った。だが、彼ももうそれっきり、帰っては来なかった。敵は盗聴か何かでこちらの動きを呼んで裏をかいて襲ってくる…。私は何か武器になるものを探しに実験室に行くことにし、ゾフィーには内側からカギをかけて待っているように言い聞かせて部屋をでた。あるコントローラーを手に入れて戻ってくると、鍵が開けられていて、ゾフィーも消えていた。
私はふとひらめき、新開発の重力コントローラーを持って廊下にでた。そして大声で叫んだ。
「貴様の狙いはなんだ。聖なる王冠は私がすべて持っている。ほしいのなら出てこい」
何回か挑発するようにそう言いながら、私は下の広いリビングに降りて行った。すると、まさかと思ったが、奴が物陰から現れた。見たことのない、目つきの鋭い男だった。
「時空犯罪の危険人物リストに載っている、ラファエル・キューブリック・コルテス博士だな。私は時空諜報部のキース・フェリックスだ。ハリソンの莫大な資産をいいことに、秘密のアジトを異次元に建設し、危険な実験を繰り返していたな。私は数か月前からハリオンをマークし、追いかけていたのだ。異次元倫理法の重大な違反により、貴様を逮捕する。
「ちょっとまて、我々に落ち度がなかったとは言わないが、黙って忍び込み、あちこち持ち物を盗み、一人ずつ消していく。これは明らかに諜報部員の枠を超えている。そちらこそ犯罪ではないか。」
「ちがう、危険な実験の証拠として先に差し押さえたのだ。貴様、神のカードを持っているなら、すぐこちらによこせ! 命だけは許してやる!」
「拒否する。それに、消えた三人はいったいどこに連れ去った?」
「もう、ここから犯罪者として転送した。当然だ」
だがここで私は、転送ゲートをさっき確認したばかりだったので、キースの言動に疑惑を感じ始めた。
「貴様、うそをついているな。誰も転送されていないはずだ。貴様何をたくらんでいる。諜報部の本部に直接連絡を入れて、貴様の暴虐無人な操作を直接訴えてもいいのだぞ」
すると、キースは私に向けてハンドガンを直接売ってきた。
「どうも、あんたのようなかしこい男にはここで死んでもらった方がいいようだな」
弾丸はラファエルの頬をかすめた。
「何をする、何を考えているんだ、お前は!」
するとキースは不敵に笑った。
「実は私は、ハリオンを追いかけていろいろ調べるうちにあることを知った。なんで大金持ちが莫大な予算をつかって、犯罪すれすれのことまでして異次元に実在する精神世界に行きたがるのかと…。精神世界では、条件さえ整えばほぼ無限の時間を過ごしても年を取らない。病気にもならない。装備を整えれば超人にもなれる。ある日盗聴器があるのも知らず、ハリオンがラファエル、お前と話していたよな。あくまで理論上だが、例えば休眠カプセルでわずか一日眠りについて精神世界にトリップしたとする。でも、年をとらない精神世界で過去へタイムトラベルを行い、向こうで百年暮らしても、肉体年齢は目を覚ました時に一日分しか、経過していない。つまり精神世界をうまく利用すれば不老不死の超人として、永遠の楽園を手に入れられるということだ」
「お前はおかしい。それはあくまで理論上の夢物語にすぎない」
「俺はね、それが夢物語かどうか、実際に確かめたくなったのだよ。だから、ずっと以前から計画を立てていたのだ。唯一失敗したのは、自分の動きがばれないように時計台のデータを改ざんするところをマルセルに見つかってしまったことぐらいだ。だが本番は予定通りすべてがうまくいった。みんながゲームに興じている間に、警備システムを切って潜入し、マスターキーカードを盗んで書斎から実験室に入り、証拠物件を抑えた。すべてがうまくいった。気が付けば、諜報部から持ってきたタイムトラベルシステムの中に、ラファエルの異次元転送システム、ゾフィーのスピリチュアルウェポンや最新のツール、そしてクアトロの神秘術まですべて組み込まれていた。これだけのシステムが一度にそろうことなどもうこれが最初で最後だろう。もしこのまま精神世界に飛び、時間の壁を越えればそこに不老不死の世界が待っている。空を飛び、時をかけ、超人になれる。いや、「聖なる王冠」のカードがあれば、自分が創造主となって思い通りの国を作り、神として君臨することだって可能だ。しかもこのオリンポス城はだれも来ない異次元の城。ここから誰一人出さなければ、永久に秘密は保たれる。だから私は当然のように行動しているのだよ。君たちをすべて逃げられないように、ここから出さないように、とね」
そしてもう一発ハンドガンを撃って、威嚇した。
「さあ、最後にそのすごい力を秘めたカードを渡すんだ。命が惜しければね」
「わかった、ではこの机の上に置く。取りに来い」
キースは銃を構えながら近づいてきた。
「今だ!」
私は持ってきた重力コントロール装置のスイッチを入れた。急に異常な重さになったハンドガンを、キースは手から落とし、自分も床に倒れこみ、そのまま身動きが取れなくなった。
「どうやら私の勝ちだね。キース君。重力装置はあと一時間は君の自由を奪うだろう。でもそれだけあれば十分だ。諜報部の本部に連絡して、野心に染まった諜報部員を連れて行ってもらうことにするよ」
だが、動けないキースはまだ全く負けたとは思っていなかった。
「…さすがラファエル博士だ。だが、こんなことぐらいで私に勝ったと思うなよ」
そのあと、信じられないことが起きた。まるで重力に関係ないように、キースの体から黒い煙のようなものが立ち上り、それが人の形になってゆっくりと歩き出したのだ。どことなくキースに似ているが、顔は闇のように黒く、はっきりは分からない。ただ、キースの分身であるかのように忠実に動くようだった。そいつは机の上のカードシステムを取ろうと迫ってきた。私はあわててカードを取り返そうと手を伸ばしたが、その魔人と取り合いになり、何枚ものカードが床にぶちまけられてしまった。魔人が散らばったカードをひろっているうちに私は数枚のカードを拾って逃げ出した。物を投げつけたり、反撃を試みた。だが、その魔人はさほどダメージを受けることもなく、ゆっくり、ゆっくりだが、こちらに迫ってくるのだ。私は戦うのをあきらめて、逃げ出した。だが、その魔人は隙間をぬけてカギをかけても追いかけてくる。外部に連絡する余裕もなく、逃げるのが精いっぱいだった。私はせめてカードは渡すまいと、何枚かは時空の果てに飛ばし、重要なカードはこの広大なハリオンの庭に隠した。そしてだれかがハリオンの庭や別荘を探索に来たときのために、メッセージを残しておいた。結局は重力コントロール装置も残りのカードも魔人に奪われ、ここに入れられてしまった…。
「だがそのおかげで君たち高校生をはじめ、たくさんの人に迷惑をかけてしまった。すまない」
するとそこに最後にカプセルから出された大博物学者、シモン・ケペル・クアトロが進み出た。
「魔人か? …おそろしいことだ。今から三年前時空博物館でいくつかの収蔵品が盗まれ、私はある捜査官のでっち上げによって容疑者に仕立て上げられ、もう少しで逮捕されるところだった。その捜査官の名前がキース・フェリックスだった。思えばあの時から奴は野望を抱いていたのかもしれない。キースはそこで手に入れたソウルイーターを自分の飼い犬として育てたのだろう。どことなくキースに似ていて、しかも奴の思い通りに動くということは、自分の精神の一部をあの怪物の頭脳として植え込んだのかもしれない。あの魔人は増殖する悪夢と呼ばれる恐ろしい怪物であり、キースの心を持った奴の分身に違いない」
このキースの分身とでもいうべき黒い魔人が時空を超え、カードを集め、証拠隠滅のために七人を連れ去ったのだった。
伯爵がゾフィーとレイチェルに聞いた。
「君たちのおかげでギリギリ間に合った。どうして奴が犯人だと分かったのかね」
レイチェルが答えた
「初めまして、伯爵さま。実はこの腕時計はゾフィーさんの発明で、精神世界にいた時間を図る時計なんですけど、キースに向けた時、ありえない数字が出たんです…」
ゾフィーが続けた。
「私やこの子たちはカプセルに押し込まれて、何日かしか経っていないのに、キースは数十日、いいえ、数か月、いいえ、数年、いいえ十年、十年も精神世界で生きていたんです。きっと時間を捜査して十年前に飛び、異次元でなにかとんでもないことをやっていたに違いないんです。ラファエルはそれを予見して、子供たちに持たせたんだわ。ありがとうラファエル」
ラファエルが、初めてちょっとだけ笑った。
伯爵は腕の通信機に話しかけた。
「フレア、どうだ。聞いての通りだ。キースの転送先は探知できたか?」
「はい、今の彼は実体なので、精神世界へは逃げられません。やはり、七万四千年前の吹雪のアフリカです。彼はこんな時に備えて、サバンナに転送ゲートを作っておいたようです」
「わかった。私はここの後片付けをしてからフランス支部に帰る。急いでエルネストに連絡を取って、奴を追い詰めるんだ」
その頃、吹雪のアフリカでは、緑の谷をめざし、生き残りの人類が遠くから集まりつつあった。
「おお、あの丘を越せばいよいよ緑の谷だ。みんなあと一息だ。頑張るのだぞ」
アリオンの部族も、旅の途中で数人の老人と幼い子供を失った。すべては寒さと、飢えた野獣のせいだった。おなかの大きなアリオンの妻のマリムは、一度は休んだまま動けなくなっていたが、夫の言葉にもう少しだけ頑張ろうと再び歩き出した。
きっと安息の地が待っているにちがいない。部族のものはそれを信じて、丘に向かって歩を速めた。だが、その時だった。
前方から悲鳴が聞こえた。アリオンの部族よりほんの少し早く丘にたどり着いた部族が何かから逃げ回っていた。いったい何が起きたというのだ。アリオンは部族のものを止めて、一人槍を構えて進み出た。すると不気味な叫びとともに、丘の向こうから、怪物がのそりと現れたのだ。
「あんな生き物は見たことがない…。」
アリオンの槍を構える手が一瞬震えた。それは身長が五メートルほどもある、毛むくじゃらの巨人で、その顔には目が額の真ん中に一つしかなかった。
「誰か槍を貸せ。俺が怪物を引き受ける。みんなは大回りして丘を越えろ!」
アリオンは、仲間からさらに二本の槍を受け取ると、あえて一つ目巨人に向かっていった。まずは少し近づいて一本目の槍を思い切り投げた。槍は怪物の左肩に刺さり、怒った怪物は槍を引き抜いてたたきつけると、アリオンを唸りながら追いかけ始めた。槍で応戦しながら逃げ回るアリオン。だけれど、槍は受け止められて、あっという間にへし折られ、残りは一本となった。だが、アリオンはひるまなかった。部族のみんなを逃がすためにもう少し時間が必要だった。巨大な腕がアリオンに掴み掛る。空中に持ち上げられるアリオン、だがアリオンはこの時とばかりに、槍を投げた。
「グオオオ!」
「うわー!」
槍は一つ目巨人のその額の目に見事突き刺さっていた。巨人は槍を引き抜いたものの大地に伏し、苦しがった。
「よし、今のうちだ」
アリオンはここぞとばかりに、巨人から離れるとすぐに逃げようと歩き始めた。だが、巨人に掴まれたときに、肋骨が何本か折れたらしく、速く歩けない。そうこうしているうちに、毛むくじゃらの巨人は立ち上がり、ゆっくりと近づいてきた。見ると、つぶれた眼のあたりに光が集まり、みるみる傷口が元に戻り、眼が回復していくではないか。
「そんなバカな?」
だが部族のものは丘を越えて先に行くことができた。使命は果たした。
「…マリム…お前は生きて丈夫な子を産むのだ…」
アリオンは痛む胸を抑え、片手で腰につけた石斧を抜くと怪物へと向き直った。その時後ろから声がした。
「逃げろ! 走れ!こっちだ!」
どこかで聞いたことのある声だった。アリオンは最後の力を振り絞って怪物から逃げた。
「とにかく、怪物からもっと離れるんだ!」
声のする方に、ひっくり返りそうになりながら走った。
「ウオオオオオオ!」
すっかり回復し、怪物はその眼にしっかりと獲物をとらえなおした。迫りくる一つ目巨人。なぜか頭に角が伸び、さっきよりさらに恐ろしい姿になっている。
アリオンのスピードはどんどん遅くなり、このままでは危ない。
「よし、ここだ。伏せろ!」
あの声がすぐ横で聞こえた。その直後ものすごい音がして怪物の上に稲妻が降り注いだ。気が付けば、怪物は肉が裂け、黒こげになって倒れていた。ぎりぎりだった。もう少し怪物に近ければ、アリオンも黒こげになっていただろう。
「よかった、君は助かったんだ。部族のみんなも無事に丘の向こうに言ったよ。さあ、すぐに手当てしよう。もう大丈夫だ。」
アリオンは助けてくれた人物を見上げて驚いた。それは昔出会った柱人であった。
「君は勇者だ。これをあげよう」
その柱人は、貝殻でできた素朴な腕輪を手にはめてくれた。アリオンは何か渡すものがないかとさがし、あの子供の時からはめていた革と木でできた鮮やかな腕輪を渡して、自分の名前を言った。
「…アリオンです」
すると柱人も笑って答えた。
「ありがとう、アリオン。いいのかいこんな大事なもの。有難くもらっておくよ。私はエルネストだ…」
やがて二人はゆっくり歩いて緑の谷に帰って行った。大きな小屋の中で、ほかの部族とともに、アリオンの村の者が待っていた。そこには暖かい炎と食料が用意されていた。マリムがすぐにアリオンに気が付いて、飛んできて泣きながら抱き着いた。
そのころエルネストはステルス状態で緑の谷の奥に着陸した、アフリカ支部に戻っていた。
「電撃発生装置で足止めができたが、魔界の怪物はさほど時間をかけずに再生し、復活してくる。体勢を整えないと、かなり危ない」
エルネストがしゃべると、カリオストロがまた地図画面を見せた。
「しかもあと数体近づいてくるようだ。ここが空を飛ぶタイプ、こっちは巨大四足歩行型だ。アフリカ支部の隊員は他の支部の隊員と協力して、あちこちのホモサピエンス保護区の運営に散らばっていて、手薄状態だ。そこでこっちの数体は、空間海兵隊が展開して、くいとめることになっている。だが、ここには大きな時間規制が設定されているため、なるべく環境や時間法則に影響を出さない攻撃方法しか使えない。彼らは今特別措置を願い出ているが、すぐに許可が出るとは思えない。かなり難しいだろう。あとは異次元に飛んだケイトたちの検討を祈るばかりだ」
「確か、ケイトは精神混乱状態で、連絡が取れないそうだな」
「ああ、でもこの基地内の休眠カプセルにいるケイトの本体はかなり状態が回復してきている。たぶん、もうじき、通信が可能になるはずだ」
「こうなったら、犯人確保より、異次元の入り口を閉じるか、送られてくる謎のエネルギーのもとを絶つ方が先決だ。なんとかケイトに連絡を取ってみよう」
「わかった。すぐ、手筈を整えよう」
だがその時、警報装置が鳴って、フランス支部のフレアが画面に出た。
「なんだ、いったいなにが起きたんだ」
「…今回の大掛かりな時空犯罪の犯人が判明しました。フランス支部にいた諜報部員のキース・フェリックスです。」
「キース・フェリックスだって? どういうことだ、あの腕利きが…!」
「彼は時空の狭間に造られたハリオンの秘密基地の最新設備を独り占めにし、精神世界への介入、支配を時間の壁を越えて行っていた模様。伯爵が彼の企みを阻止することに成功しましたが、そのあと彼は強制転送で逃亡、飛んだ先は七万四千年前のアフリカと判明しました。彼の今装備している物は不明、なぜそちらに飛んだのか、はっきりした理由も不明です。ただ、雪原の怪物を操っているのがキースだとすると、かなりの危険が予測されます…」
エルネストとカリオストロは顔を見合わせた。
ちょうど、そのころ、吹雪のアフリカに降り立った男がいた。キース・フェリックスだった。キースは不敵な笑いを浮かべると、吹雪の中に消えて行った。
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