第24話 異世界こみゅにけーしょん(了)――いつか一緒に行こうね――

 ぐったりとしているカルナを介抱し、寝かしつけている間、寧々子はスーリヤにこれまでの経緯を話して聞かせた。カルナを連れて買い物に出かけたら、いつの間にか元の世界に戻ってしまっていたこと。日本にいる家族に会えたこと。心配をしていたのだと、家族に怒られたこと。寧々子の無事を喜んで貰えたことなどを。スーリヤは適度に相槌を打ちながら、静かに耳を傾けてくれている。


「あっちの世界には亜人がいないから、カルナのことは驚かれたけど……でもね、皆、カルナを受け入れてくれたよ。兄さんと弟は遂にオジサンになっちゃったって笑ってたし、父さんと母さんは孫が出来た、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは曾孫が出来たって、凄く喜んでた。あ、でも、父さんは怒ってたかな。親に断りもなく結婚して子供まで作ってって、さ」


 結婚の挨拶しようにも難しいよね、だって異世界にいたんだもん。と言って、明るく笑っている寧々子に対して、スーリヤは困ったように笑っている。


「……若しも会えるのだとしたら、俺は寧々子の親父さんに殴られそうだな」

「大丈夫だよ。うちの父さん無駄に頑丈だけど、スーには負けるから。若し喧嘩になったとしても、スーが余裕で勝つもん」


 そういう問題ではないような気がしたが、スーリヤは「ま、いいか」と流しておくことにした。


「父さん、怒ってはいたけど……あたしのことを宜しくお願いしますって、スーに伝えておいてとも言ってくれたんだ。また、あっちに行けるようだったら……今度は、スーも一緒に行こうね。皆にスーのこと紹介したいんだ」

「……ああ、俺も寧々子の家族に挨拶がしたい。……ところで、お前、どうやって帰ってきたんだ?」

「それがねえ、何て言ったら良いのやら。なかなか滅茶苦茶な方法で帰って来られたよねーと、今更ながらに思っているところです」


 その時のことを振り返った寧々子は、思いきり渋い顔をした。






**********






 どのようにして寧々子は異世界へと迷い込み、どのようにして日本に戻ってきたのか。このことは草森家でも議論が交わされていた。


『あっちに行った時も、こっちに戻って来た時も霧が出てたなら、霧が関係してるんじゃないかい?』


 どこぞのお寺の弥勒菩薩像に似ているらしい弟の麦穂の言葉に、牛舎の掃除を手伝っている寧々子は掃除の手を止めて、虚空を仰いで考え込んだ。


『でもさあ、あっちの世界で霧が出ても、特に何も起こらなかったんだよ?』

『それでも今回は、日本に帰って来られたんだろ?それなら試してみたら良いじゃねえか。霧が出たら、毎回外に出て行ってみな!』


 何回か試しているうちに、いつかはあちらの世界に行けるんじゃないかと、兄の稲穂ゴリラが行き当たりばったりな作戦を提案して豪快に笑う。


『試すだけ試してみるのも良いんじゃないかい?』


 家族会議をした結果、稲穂の案が採用されてしまった。他に方法が思いつかないのだから仕方がないと、寧々子は自分を納得させる。父親を恋しがっているカルナのこともあるが、心配してくれているだろうスーリヤのことを考えると、出来るだけ早く向こうに戻りたいのだ。そのことを伝えると、折角会えた寧々子とカルナと別れるのは辛いと言ったものの、寧々子の家族は納得をしてくれた。

 ――いつ何時霧が出るのか、それは全く分からない。テレビ番組で流れる天気予報を当てにして待つが、曇天が続くばかりだ。

 そして今日。朝に目覚めた寧々子が窓の外を覗くと、其処には白い世界が広がっていた。念願の霧が出たと喜んだのも束の間、窓枠ががたがたと激しく揺れていることに気がついた。白い世界は霧ではなくて、吹雪だった。


『視界が白くなるんだから、霧みたいなもんじゃねえかい?』

『そうだねえ、しばれるかしばれないかくらいの差だから、いけるかもよ?』

『いやいやいやいや、霧と吹雪じゃ大分差があるよ?下手すると、あたしとカルナ、凍死するよ?』


 寧々子は能天気な兄と弟に突っ込みを入れたが、「だってこの時期、そう簡単に霧なんか出ないし」と返されてしまい、何も言えなくなってしまった。彼らの言っていることは、事実だ。

 然し、状況は一変する。どういう訳か吹雪が止み、霧が現れたのだ。都合が良すぎるような、と頭の隅で考えつつ、寧々子は急いでスポーツバッグ――両親や祖父母が必要になりそうな物を幾つか持たせてくれたので大荷物になってしまった――を手にして、カルナの手を引いて玄関へと向かう。


『寧々ちゃん、ちょっと待ちなさい。かぅなちゃん、これ、着ていきな』


 焦っている寧々子を引き止めたのは、祖母の早苗さなえだ。彼女はカルナに手招きをすると、小脇に抱えていた綿入れ半纏をカルナに着せてくれた。寒がりのカルナの為に、早苗は随分と大きめの綿入れ半纏――体の成長が早いことを考慮してくれたようだ――を作っていてくれたらしい。早苗が部屋に引き篭もってばかりいるので心配していたのだが、その理由が分かり、寧々子は胸が温かくなった。

 それから祖父の種男たねおが安産のお守りを寧々子に渡してくれた。祖父母は出かけた先で、神社に寄って安産祈願をしてきてくれていたようだ。


『有難う、お祖母ちゃん、お祖父ちゃん……っ』


 曾お祖母ちゃんたちにお礼を言いなさい、と、寧々子が促すと、カルナは日本語と思われる言葉で『あやっと!』と言って、ぺこりと頭を下げた。


『また遊びにいらっしゃいね、かぅなちゃん。寧々ちゃん、お腹の子が元気に生まれてくるように、お祖母ちゃんたち、祈ってるからね』

『祖父ちゃんも、また会えるのを楽しみにして、長生きするからね』

『今度は旦那も連れて帰って来いよ、寧々。父さんが叩きつぶっふぉうっ!?何すんだ母さん!?脇腹にエルボーとか酷くない!?』

『余計なこと言うんじゃないよ、あんた!……寧々、かぅな、元気でね!』

『寧々ちゃん、今度会う時には俺、嫁さん貰えてると思うよ!』

『稲ちゃんはそれを潰すのに全力を尽くしまーす!!!またな、寧々、かぅなー!』


 玄関先に横一列に並んで、草森家全員は盛大に寧々子とカルナを見送る。寧々子は一度振り返って、カルナと共に彼らに手を振ると、霧の向こう側を目指して歩いていった。

 ――勢い良く見送って貰ったのに、あっちの世界に戻れなかったら気まずいなぁ。なんてことを考えて歩いているうちに、徐々に霧が晴れていく。


『あー……』

『あっ!』


 寧々子とカルナは、村に近い草原――寧々子とスーリヤが初めて出会った場所に佇んでいた。






**********






「――とまあ、こんな感じで戻って来られたのです……って、スー、どうしたの?頭、痛いの?」


 成程、そういう環境で育ったから寧々子はこうなったのか。物凄く納得がいったスーリヤが額に手をやって項垂れていると、寧々子がきょとんとした様子で彼の顔を覗きこんだ。「何でもない」と言って誤魔化して、スーリヤは大きな手で寧々子の頬に触れる。寧々子は嬉しそうに目を細めて、硬めの肉球のついた掌に頬擦りをしてきた。


「霧が出るとニッポンに行けるのか……いつか、試してみるか」

「うん、そうしてみようね」

「……今度は、何も言わずにいなくならないでくれ」


 心配で不安で胸が張り裂けそうだったと吐露するスーリヤは、寧々子を引き寄せると膝の上に乗せて、そっと抱きしめた。寧々子を抱き潰さないようにと、細心の注意を払って。


「……うん。御免ね、スー」

「謝らなくて良い。不可抗力だ」

「うん。有難う、スー……大好きよ」

「……ああ」


 スーリヤの温もりと匂いに包まれていると、安堵する。彼の胸に体を預けて、寧々子は目を閉じた。彼の存在をより感じたいと思ったのかもしれない。スーリヤもまた、腕の中にいる寧々子の温もりと匂いを感じることで安堵感を得ているようで、口元が綻んでいる。

 いつの間にか回復していた小さな虎が目を見開いて両親を凝視していることに、二人の世界に入ってしまっている寧々子とスーリヤは全く気がついていなかった。



 ――翌日。

 寧々子たちは事情を知る三人――ムスタファー村長とギュル夫人、バイェーズィートを自宅に招いて説明会を行い、日本での出来事や、寧々子たちが不在の日々の出来事などが話された。


「ネネたちがいない間のスーリヤを見せてやりたかったよ。そりゃあもう、ぶぷぷ……あ、すいません、スーリヤさん、お願いだから睨まないで、あまりの怖さに俺の心の臓止まっちゃうから」


 スーリヤの睨み一つで、バイェーズィートは冷や汗を滝のように流して黙った。何があったのだろうと寧々子が首を傾げていると、隣に座っていたギュル夫人がこっそりと教えてくれた。――貴女たちがいない間、スーリヤさんは物凄く落ち込んでいたのよ、と。

 スーリヤは寧々子に知られるのがよっぽど恥ずかしいのか、その事実を隠そうとしてバイェーズィートを黙らせたらしい。


「……」


 耳の良いスーリヤのことだから、恐らくはギュル夫人が寧々子に教えてしまったのが聞こえたのだろう。ちらりと目を向けてみると、彼は思いきり目を逸らしていた。普段では滅多にお目にかかれない行動が可愛らしく思えて、寧々子はこっそりと微笑む。


「……何してんだ、バイェーズィート」


 話題を自分から逸らそうとしてか、スーリヤがぶっきらぼうにバイェーズィートに声をかける。バイェーズィートは既に平静を取り戻しており、寧々子が持ち帰ってきた不思議な品々――日本の缶詰や缶切りなど――を眺めて、彼は物思いに耽っていた。


「んー?商売につかえそうな物がないかなと思ってな。だけど、この村で調達出来そうにない物ばっかりだ。缶詰カンジュミェなんて、何で出来てんだろ。流石は異世界……。そうだな、作れそうっていうと、カルナが着てる……あの温かそうな上着くらいか。あれもニッポンのものなんだろ、ネネ?」

「はい、そうですよ。綿入れ半纏といって、家の中で着る上着です。これなら確かに、村にあるもので作れそうですね」


 綿入れ半纏に必要なものを寧々子から聞き出すと、商人の顔になったバイェーズィートは頭の中で計算をしている。やがてはスーリヤとムスタファー村長を巻き込んで、あれやこれやと話し込み始めた。

 商人バイェーズィートの提案により、寧々子の祖母、早苗がカルナに持たせてくれた綿入れ半纏を参考にして、タウシャン村の意匠を取り入れて出来上がった”ワテェレ・ハァンティエン”。それはタウシャン村の冬の必須アイテムとなり、その着心地の良さと温かさが口コミで広がっていって、いつしか村の名産品となったのだった。






**********






 ――寧々子とカルナが異世界へと戻っていった後の、草森家の玄関先。

 徐々に晴れてきた霧の中に二人の姿を見ることが出来ず、二人を見送っていた草森家の一同の目に涙が溜まっていく。


『あの子たち、本当に別の世界に行ってしまったんだね……』


 素っ気無くても根は優しい、心配性な夫の許へと二人は帰っていけたのだろう。彼らが無事に再会してくれたら良いと、母の木綿子は強く願う。


『……また、ひょっこり帰ってくるだろ。おう、仕事するぞ。牛の世話しねえとな』


 一抹の寂しさを紛らわせるように、父の豊作が手を叩く。それを合図にして、一同は名残惜しそうにしながらも、それぞれの持ち場へと向かっていく。


『おい。どうした、麦?』


 何やら思案顔で立ち尽くしている麦穂に気がついて、足を止めた稲穂が声をかける。すると麦穂は顎に手をやり、ぽつぽつと語り始めた。


『あのさ、ふと思ってさ。寧々ちゃんってさ、男のことを種牛扱いするほど恋愛とかに興味がなかったよね?だからさ、家族で心配してたじゃない、寧々ちゃんは一生独身かもしれないって。でもさ、異世界に行ったらちゃっかり結婚して、子供まで産んじゃってさ』

『環境が変わって、考えが変わったんじゃないかい?』

『変わったというか、以前よりも更に逞しくなったよね、寧々ちゃん。あれなら何処に行っても生きていけるよね……。まあ、それは置いといて。兎に角ね、異世界には”アレ”でも良いっていう強者がいるみたいだから、稲ちゃんも迷い込んだら結婚するチャンスが増えるのかなー、なーんて――』

『何ぃ!?異世界にはゴリラマニアの金髪碧眼巨乳美女がいるのかっ!!!?』

『……いたら良いね』


 ――そんなにハイレベルな外見のゴリラマニアの女性がいるなら、是非とも見てみたいものだ。

 麦穂は細い目を更に細めて、乾いた笑みを浮かべる。幸福な拡大解釈をした稲穂は燃え上がっているので、麦穂の白い目に全く気がつかない。


『寧々、かぅな、待ってくれー!稲ちゃんも連れて行ってくれ!導いて、ゴリラの楽園まで!!俺も繁殖したい!!俺の願いを叶えて、お星様!!!』

『お星様は出てないよ、朝だから』


 一瞬で壮大な夢を思い描いた稲穂は期待に胸を膨らませて、薄霧へと突進していく。その姿はドラミングをしながら走るゴリラのようだ。

 ――ああ、こりゃあ一生結婚出来ないかもしれない。

 と、何となく悟った麦穂が傍観していると、かろうじて残っていた霧が消えてしまった。夢破れたゴリラが、すごすごと巣に帰ってくる。意気消沈している兄を冷めた目で迎えた麦穂は彼の肩を抱き、そっと告げた。――『アメーバのように分裂して繁殖したら、夢が叶うよ』、と。

 無慈悲な一撃が、稲穂の胸をぐっさりと突き刺した。




 その日一日中、草森牧場ではゴリラの啜り泣く騒音が響いていたとか、いなかったとか。

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