第21話 異世界こみゅにけーしょん(2)――なちゃ・むぃちゃ、或いはゴリラと仏像――

 雪原の中の一本道を只管に進んでいけば、目的地である牧場へと辿り着く。だが、半分氷になっている雪道に足をとられないようにと気をつけて歩いていると、なかなか先に進まない。


「”かか”……ちゃぶぃ……」


 寧々子に背負われているカルナは、あまりの寒さにぶるぶると震えている。相当、寒がっているようだと、背中を通して伝わってくる。


「もう少しだけ我慢してね、カルナ。もう少ししたら、お家に着くからね……」


 こんなことになるのだと分かっていたら、カルナにもっと厚着をさせてやれたのに。歯痒い思いを抱えながら、寧々子は一歩一歩進んでいく。


(カルナの体重がずっしりくるなぁ……でも、雪の上を裸足で歩かせられないし。ぬおぉっ、母は頑張るぞぉ……!)


 数え年で二歳になるカルナは、人間でいうところの五歳児くらいの大きさに達している。5kgの米袋を二つ、三つ背負っているような気がしてくるほどの重さがあるので、時間が経てば経つほど腕と腰の負担が大きくなっていく。


(えー、頑張りますが……母にも限界はあるのです。ああ、せめて季節が秋の初めか、春か夏だったらなぁ……。雪道は辛いなぁ。誰か通りがかってくれないかなぁ……)


 買い物籠を頭から被って雪除けにしているカルナを、寧々子はちらりと見る。誰かに助けを借りたいと思うのだが、カルナのことが気にかかるのだ。何故ならば、カルナはこの世界には存在しない亜人との混血の子供だ。事情を知らない人が見たら、大騒ぎになる可能性がありそうだ。

 それにしても、家族には異世界にいっていたことや、カルナのことをどうやって説明したら良いのだろう。と、寧々子が悩んでいると、カルナがもぞもぞと動いた。


「”かか”、おっきな音する!ぶぶぶぶー!」

「へ?あ、車だ……」


 下に向けていた視線を真っ直ぐに戻すと、牧場の方から白色のライトバンがやって来るのが見えた。寧々子たちとライトバンとの距離はどんどんと縮んでいくにつれて、雪がやんできた。その御蔭で視界の悪さがなくなる。ライトバンに乗っているのは、どことなくゴリラに似た風貌の男性と、どことなく仏像に似ている男性の二人連れだった。


「あ……っ!カルナ、”かか”にしっかり掴まってるんだよ!」

「あ~い」


 片手でカルナを支えて、寧々子は空いた方の手をと元気良く振って、自分の存在を主張する。どうか気がついて欲しいという思いが通じたのか、ライトバンは寧々子たちの大分手前で止まり、中から二人の男性が降りてきた。彼らは驚嘆の表情を浮かべて、緩慢な足取りで寧々子たちに近づいてくる。


(うん、間違いない、あの二人は……!)


 最後に顔を見た時よりも、二人とも年齢を重ねている。一人はよりおじさんに近づき、一人はあどけなさの残っていた青少年から青年へと変化を遂げている。そうだ、それだけの月日が流れてしまっているのだと実感して、寧々子の胸は様々な重いでいっぱいになる。


いなちゃんっ!!麦っ!!』


 腹に力を入れて、相手に届くように叫んだ寧々子はカルナを背負い直すと、早歩きで二人に近づいていく。早歩きは直ぐに小走りになっていた。雪道を走るのは危ないと知っているのに、少しでも早く二人の許へと行きたい寧々子は足を止めることは出来なかった。


『おい、麦!見えるか、あのたわわに実った乳房にゅうぼうの奔放な揺れが……!』

『間違いないよ、稲ちゃん……!あの乳、あの顔!あれは草森くさもり家のホルスタイン、寧々ちゃんだっ!!!』

『ホルスタインって呼ぶなって言ってんでしょうがあああああっ!!!!!』

「”かか”?」


 足を止めた寧々子は何を思ったか、道路脇に除けられて出来た雪山に手を伸ばして雪玉を作っていく。そして、ある程度の数を作ると、彼女はそれを彼らに向けて投げつけた。好ましくない渾名で呼ばれたことに立腹した寧々子は背負っているカルナのことをつい忘れて、次々と雪玉を作っては彼に投げつけていく。


「にゃあ――――っ!!?とーとぉーっ!!!”かか”こわいーっ!!!」


 暴れ牛と化した母の背中にいるカルナは爪を出して、必死にしがみつき、大好きな父親に助けを求めている。


『ちょっ、痛っ!何なの!?ホルスタインが駄目ならジャージー!?それともブラウンスイス!?エアシャー!?ガンジー!?』

『乳牛から離れろ、馬鹿ぁっ!!!』

『まあまあ、落ち着きなさい、寧々に麦よ。姉弟で喧嘩をしてはいけないよ……』

『一番最初にあたしをホルスタインって呼んだのは稲ちゃんでしょうがっ!!!』

『あべしっ!?』


 寧々子の豪速球は、顔も体もゴリラに似た男性――寧々子の実兄、稲穂いなほの顔面に直撃した。薄っすらと笑みを浮かべたままの稲穂の体が大きく揺れ、彼はその場に仰向けで倒れた。




 暴れホルスタイン――もとい寧々子が落ち着きを取り戻し、とても綺麗なお花畑を眺めていたゴリラ――稲穂が現実世界に戻ってきた。これで漸く本題に入れそうだと、仏像によく似た顔をした、草森三兄弟の末っ子――麦穂むぎほは胸を撫で下ろした。今ではもうすっかり懐かしく思えてしまう、”いつもの調子”を続けられていては埒が明かないのだ。


『やべぇやべぇ、こんなことしてる場合じゃねえっての。寧々の顔を見たら懐かしくてつい、なぁ……』

『つい、で済んだら警察いらないからね、兄ローランドゴリラ』

『久しぶりだね、寧々ちゃん。一体今まで何処に行ってたんだよ?突然行方知れずになってさ……。ずっと心配してたんだよ、俺たち……』


 五年近くもの間、音信普通だった寧々子が突然目の前に現れたので目を疑ったと、麦穂は語り、稲穂はうんうんと頷く。寧々子があちらの世界で月日を過ごした分だけ、此方の世界でも月日が流れていたようだと寧々子は改めて知る。此処は自分が知っている元の世界だ、御伽噺の”浦島太郎”のようなことになっていなくて良かったと、寧々子は心の其処から安心した。


『……心配かけて、御免ね。でも、どうしても帰って来られなくて……。うーん、どうやって説明したら良いのかな……?』


 行方に不明になって、音信不通になってしまった理由は――異世界に迷い込んでしまい、帰ってこられなくなってしまったからだ。然し、事実を正直に話したとして、二人は信じてくれるのだろうか。

 どうしたら良いのだろうかと悶々と悩んでいる寧々子の背中で、何かがもぞもぞと動いた。


「”かか”ぁ~……っ!」


 支え手を失ったカルナは、寧々子の肩に爪を立てて、根性で母の背中にぶら下がっていた。人間と虎の亜人ドゥンの混血であるとはいえ、満年齢では一歳半くらいの幼子とは思えない力技である。流石は寧々子の子供といったところだろうか、妙なところでド根性を発揮してくる。


「うわぁ、御免ね、カルナ!忘れてた……!」


 道理で肩に痛みを感じたはずだと納得した寧々子は、ついうっかり我が子の存在を忘れてしまったことを恥じる。一旦カルナを雪の上に下ろすと、今度は両腕で抱き上げた。

 やっと助けて貰えたと、ほっと一息吐いているカルナを、稲穂と麦穂が不思議そうに覗き込む。


『……寧々ちゃん、何語喋ってんの?地球語?というか、この子……何処の子?どう見ても外国人の子供だけど……それもインド人とか、アラブ人っぽい。そういえば、二人とも民族衣装みたいなの着てるね。外国に行ってたの、寧々ちゃん?』

『まさか寧々……!?お前、何処かから、この子を誘拐してきたんじゃねえだろうな……!?』

『妹を誘拐犯扱いするんじゃないわよ、マウンテン兄ゴリラ。この子はあたしが産んだ子で、カルナっていうの。二人の甥っ子だよ』


 寧々子の告白に驚いたゴリラと仏像は、目玉が飛び出してしまいそうなほど瞠目し、顎が外れてしまいそうなほど、あんぐりと口を開けた。その顔があまりにも強烈で、寧々子は危うく噴出してしまいそうになる――根性で堪えたが。だが堪えようとすればするほど、その反動で体がぶるぶると震えた。


『お、おま、一体いつの間に国際結婚を、それも子供まで作っちゃって……っ!?英語のテストで”I have a pen(私はペンを持っています)”を”I am a pen(私はペンです)”と書いて大笑いをとってしまった、あの寧々が、外国人と結婚……っ!!』

『フランシスコ・ザビエルをサンフランシスコ・ザ・ピエール、平清盛を平並盛、ナポレオンをナポリタンと間違えてしまう脳味噌の寧々ちゃんがバイリンガルに……っ!?どうしてこうなった……っ!?』


 カルナは日本語が全く分からないので、稲穂と麦穂が何を言っているのか理解出来ていない。とはいえ、我が子の前で過去の恥ずかしい出来事を暴露されると、何とも言い難い気持ちになってしまうものだ。これらは事実なので反論することが出来ない寧々子は、顔を真っ赤にして、そっぽを向くことしか出来ない。

あれこれと喚くことでやがて混乱状態から脱した稲穂は一息吐くと、明後日の方向を眺めながらしみじみと呟く。


『寧々が行方不明先で国際結婚をしているとは夢にも思わなかったなぁ……』


 正確には国際結婚ではなく、異世界結婚と言おうか、異種族結婚と言おうかと横槍を入れようとして、寧々子は止めた。


『えーと、この子、名前は何て言うんだっけ?』

『カルナ、だよ、稲ちゃん』

『”かぅな”か、変わった名前だなぁ。まあ、俺も麦も変わった名前だって、よく言われるけど。お~い、かぅな、おじちゃんは、お母さんのお兄さんで稲穂っていうんだ。稲ちゃんって呼んで良いぞぉ~♪』

「……なちゃ?」


 カルナは小首を傾げながら、聞き取れた部分だけを呟いてみる。その仕草が可愛らしく映ったのだろう、稲穂は鼻の下を伸ばし、にまにまと笑った。


『俺はね、お母さんの弟の麦穂だよ。麦ちゃんね、麦ちゃん』

「むぃちゃ?」


 今度は麦穂が稲穂と同じ表情を浮かべた。

 カルナは亜人だらけの村で育っているので、母親以外の純粋な人間と接するのは殆ど初めてだ。慣れない人々に人見知りをしているようで、寧々子の服を強く握りしめて、恐る恐る稲穂たちを見ている。


『ねえ、寧々ちゃん。この子、何歳なの?四歳くらい?あ、それじゃあ、ちょっと計算が合わないか……?』

『えー……と、二歳くらい?』

『……二歳にしては、大きいね。寧々ちゃん、頑張ったね……』

『大きく育つのは良いことだ。健康の証だ!なあ、寧々?』

『う、うん、そうだね。健康が一番だよね、あはは……。この子は小さい方だって、この子のお父さんが言ってるけどねー……』


 カルナの父親は、この世界の常識を覆すような背丈とツチノコを誇る巨人です。と、寧々子は心の中で呟く。


『あれ?そういえば旦那はどうした?一緒に帰ってきたんじゃねえのかい?』

『えぇと、あたしとこの子だけでこっちに来ちゃったみたいで……』

『……妙な言い方をするな?さては寧々、何か隠してるだろ?』


 説明をした方が良いのだろうとは思うが、寧々子はつい、目を逸らしてしまう。今のところ、嘘は言っていない。本当のことも言えていないが。そんな寧々子を、稲穂は怪訝な目をして窺う。寧々子が目を逸らして薄笑いを浮かべている時は重大なことを隠している場合が多いと、稲穂は経験で知っているからだ。


『そうかぁ、義理のお兄さんいないのか。残念だね。……そういえば、さっきから思ってたんだけど。かぅなは可愛い耳当てと手袋をしてるね。この色と縞模様は……虎かな?お、尻尾もついてる。ねえ、これ、何処で買ったの?』

『いや、これは、その、買ったとか買ってないとかじゃなくて……っ!』

『へえ、最近のグッズは凄ぇな、尻尾が動くようになってんのかい。流石は技術の国、日本だな。実にリアリティのある尻尾の動きだ!』

『あああ、尻尾は掴まないであげて!嫌がるから!』

『ふぅん、毛糸じゃなくて毛で出来てるんだねぇ、手袋と尻尾。ふかふかしてそう。ちょっとだけ麦ちゃんに触らせてくれないかな、かぅな?』


 カルナに警戒心を抱かせないようにと、麦穂は明るい笑顔を浮かべながら、そうっと手を伸ばす。カルナは一瞬身を強張らせたが、麦穂が自分に危害を加えることはなさそうだと直感したようだ。麦穂の、細身にしては骨太な指に、カルナは恐る恐る触れた。


『ぷにぷにの肉球と、ちっちゃい爪がついてる……!凄いよ、凄いよ、これ!……ん?あれ?手袋なのに、体温が伝わってくる……?えええっ?』

『……なぁ、この尻尾、規則的に動いてるようで不規則な動きをするんだが……えぇっ?耳当て、ピコピコ動いて、え、これ、偽物じゃなくて本物か?ええええっ?』


 稲穂と麦穂は前屈みになっていた姿勢を正すと、神妙な面持ちをして見合った。刹那の沈黙の後、二人は勢い良くカルナへと顔を向けると、さあっと青ざめた。


『『人間じゃないいいいいいいいいい――――っ!!!???』』

『あ、あのね、稲ちゃん、麦!実はその、物凄く信じられない話がありまして……っ!』


 恐慌状態に陥っている兄と弟を何とか宥めて落ち着かせ、覚悟を決めた寧々子はこれまでの経緯を手短に説明した。


『ははぁ、異世界に行ってたのかよ。それじゃあ見つからないわけだなぁ、あはははは』

『わぁー、ファンタジー小説みたいだね、うふふふ』

『『……そんな馬鹿なあああああああああっ!!!!????』』


 大人しく耳を傾けていた二人は寧々子が話し終えると、再び絶叫したのだった。寧々子とカルナが思わず耳を塞いでしまうほどの叫び声は、雪原に響き渡った。






**********






 兎にも角にも、稲穂と麦穂は、寧々子の荒唐無稽な話を信じてくれたようだ。

 最初こそ驚愕していたものの、カルナという決定的な証拠を目にした御蔭か、あっという間に現実を受け入れた二人は寧々子たちをライトバンの後部座席に乗せてくれた。一刻も早く寧々子の無事を家族に知らせたいと、二人は予定を変更して、家に逆戻りすることに決めたようだ。


『かぅな、嫌がってるね。大丈夫?』

『この子は人間よりも聴力が発達してるから、車のエンジン音が爆音に聞こえてるのかもしれないね』


 生まれて初めて目にする自動車に目を輝かせていたカルナだが、自動車がエンジンをかけた途端にぐずりだしてしまったのだ。一向に機嫌が戻らないので、助手席に座っている麦穂が体を捻って、様子を確認してきた。


『あっちの世界には車ってないの?』

『うん、ないよ。機械らしい機械も殆どない。遠くに行く時の移動手段は主にロバか馬かな。といっても、あたしたちが暮らしてる村には、基本的に馬はいないんだけどね。馬は他所から来た人が乗ってくるんだ』

『そうかい、車は乗ったことも見たこともないんだなぁ、かぅなは。もうちょっとだけ我慢してくれよな、そうしたら五月蠅い音がしなくなるからな』


 ライトバンに乗ってから、それほどの時間がかかることもなく、寧々子は実家である草森牧場に辿り着いた。


(ああ、家だぁ……。帰って来られたぁ……)


 記憶の中の風景と少しも変わっていないことに安堵した寧々子は、稲穂に招かれて雪の多い地域特有の玄関を通り、家の中に入る。家の上がったところで、稲穂が奥に向かって声を上げた。


『母ちゃん!母ちゃんはいるかい!?』

『はいはい、いるよ。そんなに大きな声を出さなくても聞こえてるよ!』


 稲穂の声を聞きつけた母親――木綿子ゆうこが、エプロンの裾で手を拭いながら、台所から現れた。洗い物をしている途中だったのだろうか、木綿子の手は赤くなっている。


『母ちゃん、寧々子が帰って来た』

『――寧々子!?』


 突然お出来事に驚いた木綿子は両手を口元にやり、その場に立ち尽くす。

 久し振りに目にした母親は、あの頃よりも白髪が増えていて、顔の皺も俄かに増えているような気がする。寧々子は何も言えなくなってしまった。せめて、「ただいま」とか「突然いなくなって御免なさい」と言わなければならないと思うのに、口周りの筋肉が強張ってしまって、言葉を紡ぐことが出来ない。寧々子は震えながら、カルナの小さな手を握って突っ立っていることしか出来ないでいた。

 あっという間に目を潤ませた木綿子は泣くのをぐっと堪えて、つかつかと寧々子に歩み寄るなり――娘の頬を引っ叩いた。叩かれた寧々子も、それを目撃してしまったカルナも稲穂も唖然とする。


『いきなり行方不明になって……皆がどれだけ心配したと思ってるの!?どれだけ、あんたのことを捜し回ったと思ってるの!?一度も連絡を寄越さないで、ひょっこり帰って来て……っ!!でも……良かった。無事でいてくれて、良かった、良かった……っ!』


 くしゃりと顔を歪めると、木綿子は両腕を広げ、力一杯寧々子を抱きしめた。堰を切ったように泣き出した木綿子は腰が抜けたのか、寧々子と共に崩れ落ちていく。

 脇目も振らず泣きじゃくる母親を、寧々子は初めて目にした。何か言わなくては、と思うのだが、矢張り上手くが口が動かない。目頭が急に熱くなってきて、視界もぼやけてくる。寧々子は徐に、母親の震える背中に手を回した。


『――っ』


 時折どうしても口煩く感じて、鬱陶しく思ってしまったこともある母親の背中は、寧々子が小さな頃は大きく思えたのに、今は小さく思えて仕方がない。木綿子の肩に顔を埋めて、寧々子も泣き出した。


『……御免なさい。心配かけて、御免なさい、母さん。母さん……っ』

「”かか”……?”かか”、痛い?痛い?」


 木綿子と抱き合って泣いている寧々子に戸惑いつつも、カルナは寧々子を慰めようとして、彼女の肩を拙く撫でる。寧々子は体の何処かが痛くて泣いているのだと思っているようだ。


『かぅな。お母さんとお祖母ちゃん、そっとしてやろうな』


 盛大に鼻水と涙を流していた稲穂は、ダウンジャケットのポケットから取り出した皺くちゃのタオルで顔を手荒く拭くと、眉と尻尾を下げているカルナをそうっと抱き上げた。カルナは僅かに身を強張らせたものの、大人しく稲穂に体を預けている。


『寧々子ぉっ!!!』

『寧々かっ!?』

『寧々ちゃんなのかいっ!?』


 外から一斉に、父親と祖父母、そして麦穂がやって来た。いつの間にやら姿が見えなくなっていた麦穂は、牛舎で仕事をしていた父親たちを呼びに行っていたようだ。抱き合って泣いている寧々子と木綿子を取り囲んだ父親と祖父母は、待ち望んでいた寧々子の帰宅に安堵して、泣き出した。

 家族を再会を見守っていた稲穂は、一同が一頻り泣いて落ち着いた頃合を見計らって、注意を自分に惹きつけようと、大袈裟に咳払いをする。一同は反射的に、一斉に稲穂へと目を向けてきた。視線の集中砲火を浴びたカルナは体をびくつかせた。


『あー、皆さん。大事な話をする前に、先ずはこの子を見てください。可愛いだろー。寧々の子供の、かぅな、です』

『……ぐすっ。カルナ、だよ、稲ちゃん……』

『発音がちょっと難しいんだよ……』

『『孫?』』

『『曾孫?』』


 稲穂の腕に抱かれているカルナに、寧々子の父母、祖父母の視線が集まる。


『いつの間にこんなに大きな子をこさえたんだい、寧々。いやあ、曾孫かぁ。曽祖父さんになっちゃったよ』

『ああ、可愛いねぇ。顔立ちがはっきりしてるねぇ、ハーフっていうのかい、この子は?』

『ね、寧々が外国人と結婚……っ!?』

『あら、お父さん。今時、国際結婚なんて珍しくないわよ。……あら?この子だけ連れて来たのかい?旦那さんは?』


 親への挨拶もなしに結婚した無礼な男は何処だ、締め上げてやる。と、躍起になっている父親――豊作ほうさくを宥めている木綿子が、寧々子に尋ねる。稲穂は寧々子にカルナを渡すと、呆れたように苦笑いを浮かべた。


『俺もそうだけど、順応するのが早いよな、うちの連中。はい、皆さん。かぅなの耳と手、足、尻尾をよ~く御覧ください』

『耳?動物の耳みたいだねぇ、耳当てかい?ん?動いてる……?』

『可愛らしい手だねぇ、子供の手……んん?毛が生えてる……?』

『足も毛が生えてるな。んんん?肉球ついてないかい……?』

『なあ、何で尻尾が付いてんだ?然も、う、動いてる、よな、これ……?』


 何かがおかしいことに気が付いた父母と祖父母――カルナにとっては、祖父母と曾祖父母――は一気に青ざめる。


『『『『○×△□◇※~~~っ!!??』』』』


 四人の言葉にならない叫びが、草森牧場に響き渡る。それを聞いた臨月の牛が驚いて産気づき、大慌てしている草森家の人々を余計に慌てさせたのだった。

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