@apollo37

あたしの母は、ぜげんという仕事をしていて、

夜はあたしとごはんを食べて、そのあと仕事に出かけるのだけれど、

朝の4時くらいに母が帰ってくると必ず甘いお芋と牛乳を買ってきてくれるのであたしは寂しくはなかった。

あたしは母が出かけるとすぐに眠り、早起きして母のために朝ごはんを作って待っていて、母はそんなあたしを見て、ちよちゃんはいいお嫁さんになるねえなどと言い、あたしの髪をくしゃくしゃになでてくれるのであたしはそれがうれしくて、隣の家のフキさんというおばあさんに料理を習っていたのだった。

その日も、いつものように母とかぼちゃとおみおつけとお豆腐を食べて、母がじゃあ行ってくるねえ、いい子にして待っててねえと出かけた後、すぐおふとんをしいて寝ようとしたのだけど、なにかとあたしにちょっかいを出してくるサブローが来て、おい、ちよ、街へ行こうぜと誘ってきたのだった。

「イヤよ、あたし早く起きておかあちゃんのごはん作るんだから」

「ちょっとよ、付き合ってくれよ、ナカバヤシさんとこの、小梅が今日から街に立つんだよ」

「あたしおかあちゃんに怒られるから、街にはいかないよ」

「給金が出てよ、女買おうと思ってんだよ」

「やめときなよ、もったいない」

「俺、あの子好きだったんだよ もったいなくねえよ」

「あんた質に流したサックス、買い戻すんじゃなかったの」

「サックスもいいけど、まずは」

「あー言わなくていい、いい」

「ちょっとだけ、な。お前がいると口利き連中とかさ、うるさくなくていいんだよ」

「すぐ帰るよ、あたし1日6時間寝ないと凶暴になるんだから うおっうおってなるんだから」


暗くなり始めた街を、ぽつぽつと明かりが点り始めた街を、あたしとサブローが歩く。

狗の肉を売る太った混血の女、密造の拳銃を売るハンチングの男、マンゴーとか、そういう珍しい果物を売る八百屋があたしを見て「おっ、駒形さんとこのお嬢!」とかそういう声をかけてくる。あたしの母はこの街の顔役で、あたしも小さい頃から大人の連中にかわいがられた。屍体と、ゴミと、野良犬が闊歩するこの街で、あたしはお姫様だった。


「お嬢、今日はどうしたんで」

「サブローが女買うからって付き合わされてんの」

「コラ、てめえサブロー、お嬢になんてことさせてんだ」ハンチングの男がサブローにつかみかかる。

「いいの、あたしすぐ帰るし、それにサブローのサックスまた聴きたいし、あんた、早く買い戻しなよ」

「ああ、わかってるよ。お前の好きなコルトレーンを吹くよ。ねえゴテさん、小梅はどこいるかな」サブローが暑そうにシャツをはだけながら聞く。

「小梅?あいつ今日からか。確か菊元のトコに入ったと思うぜ」

「菊元なら、四条だね。ありがとう」あたしはにっこり笑って、ゴテさんという拳銃屋にそう言った。


ぽつりぽつりと、遊女屋が増え始める。

なまめかしい目つきで往来を眺める遊女達、あたしと目が合うと無邪気な笑顔を浮かべ、手を振ってきた。

盲の老女が三味線を鳴らしている。鈴の音がどこからか聴こえてくる。遊女の笑い声、そして、ジャリッ、ジャリッという足音。

あたしはあまり夜の街にはこないけれど、この音は好きだった。昔から慣れ親しんだ、街の音。

「サブロー、見てよ、蛍が飛んでるよ」あたしは狭い空き地の草むらに光る蛍を見た。

「ああ、きれいだな、川も近いし、飛んできたんだろうな」サブローはキョロキョロして落ち着かない。小梅を探している。

「あたし、蛍って好きよ。なんでかわかる?」

「きれいだからじゃないのか」

「バカ、きれいなのは当たり前でしょ、蛍はね、すぐ死んじゃうの、すぐ死んじゃうから好き」

「すぐ死んじゃったら悲しいじゃねえか」

「きれいなものはすぐ終わるのよ。花も、女も、蛍も、男も、きれいなのは一瞬だけなのよ」

顔なじみのぜげんがいる。母とも仲のよい、菊元のぜげん。

「あら、お嬢、こんな時間にどうしたの」パイプを銜えながら、トミさんというそのぜげんがあたしに聞いた。

「トミさん、ナカバヤシの小梅が今日からって聞いたんだけど」

「ええ、今日からよ。どうして?」

「サブローが買いたいんだって」

「まあ、サブロー、あんたずいぶん気前がいいじゃないの」

「いや、俺、小梅、好きだし、給金も出たから」

「あんた、遊女にほれるとロクなことないわよ。ねえ、小梅は準備できてる?」と傍にいたかむろに尋ねる。へえ、大丈夫です。お二階へどうぞ。

「ほれ、いってきな。サブロー。あたしは帰るからね」

「ありがとう、ちよ、今度チョコレートをおごるよ」

「サブロー、アーモンドのはいったやつよ。あたしアーモンド入りが好きなの」


帰り道、あたしは蛍を追いかけて川まで出た。

ゴミが腐る、その臭いの中で、蛍の光がぽつぽつと輝いていた。

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