第31話 姉のクリスチン、真価を発揮する
「一体、どこの誰が、あんな遠いところに連れ出されて愛人をしたがるって言うのよ」
ジャックは、クリスチンが結婚してから初めてロックフィールド邸を訪ねた。
持ち主の財力を反映するすごい屋敷だった。国王陛下だって、こんなものは造れない。夫のマーク・ロック・フィールドは不在だったが、相変わらずキラキラな姉が半ギレで現れた。
「お嬢様、興奮なさらないで」
昔から姉についているマリアが懇願するようにクリスチンに頼んだ。
「そして、これがシャーロット嬢と同じように愛人になるよう要求された家のリスト。クリスチン、知り合いはいない?」
「メアリ・アン・メイソン嬢、アンジェラ・グレンビー嬢、カロライン・レノックス嬢、サラ・スペンサー嬢、ビクトリア・ウッドハウス嬢……」
読んでいるうちに姉のボルテージが上がってきた。
「いくら払えば婚約解消してもらえるのかって聞いたらしい。五十万ルイでどうかと……」
「人身売買でもやらかす気? ここは農奴制の国じゃありません!」
ジャックは顔には出さなかったが、ほっとした。
いろいろな細かい点や、騒ぎのあれこれを説明する前から勝手に盛り上がってくれる。シャーロットとの生活を説明するのは嫌だった。この分なら、何も言わないで済みそうだ。
「ジャック様、滅多にお越しにならないと思ったら……来られた途端に女性問題ですか」
マリアが泣かんばかりに、ジャックに苦情を言う。クリスチンが興味を持ったら、大体ロクな結果にならない。マリアは(ジャックも)経験上よく知っていた。
「あら? フーン?」
だが、マリアのその言葉を聞いた途端、最終兵器クリスチンの声の調子が変わった。
「マリア、ちょっと席を外して」
クリスチンが唐突に言いだして、マリアを驚かせた。
「え? 何をなさる気ですか?」
「いいから。ちょっとジャックに聞きたいことがあるのよ」
マリアが不吉な予感に後ろ髪を引かれるようにして部屋を出ていくと、突然クリスチンはニヤリとジャックに向かって笑いかけた。
マリア以上に不吉な予感がジャックを襲う。
「ねえ、いったい何があったって言うの?」
「何が……って、何の話?」
「あんたよ」
「私?」
「誰が私よ。あんた、どうしてこんなことに首突っ込んでるの?」
「……フレドリックの為だよ」
「フレデリックがどうしたの? 何時も馬鹿にしてたじゃない。お人好しなだけのバカ息子って」
「善良でいいやつだよ」
苦しい言い訳をジャックは始めた。
「違うでしょ? フレドリックのためにピアに行ったんじゃないでしょ?」
「フレドリックのためにだよ。ちょっと行き違いがあって……」
「あんた、そんな人間じゃないでしょ。フレデリックがどんなに困ったって、しょうがないなで終わらせるくらいなとこでしょ」
姉は怖い。今に始まった話じゃないが。
「シャーロットでしょ?」
なんでこんな時に尋問なんだ。
「好きなんでしょ?」
ジャックは答えなかった。
「でなきゃ、わざわざ恋人役なんか引き受けないわよねえ」
「いや、ほんとに成り行きで……」
姉は高らかに笑い出した。
「成り行きなら、なんで、そんなに心配してここへ来たの? 正直に言えば協力してあげるわよ?」
「え……どんな協力が出来るって言うの?」
「まあ、いやだ。取引してるわけじゃないのに」
姉は素晴らしい美女だ。ロストフ公爵が目をつけたのも無理はない。だが、ジャックは昔から大の苦手だった。
「あんたが真剣に心配している人の為なら、協力するわよ」
ジャックは黙り込んだ。そこまで真剣に心配しているわけじゃない。成り行きで……
「そんなややこしい、外交問題になりそうな話、誰も手を出さないかもしれないわ。あのバカ公爵が陛下のまた従兄弟なのは間違いない。帝国に反逆したって、この国にいる以上大したことにはならないけど、王室に刃向うこと出来れば避けたい。協力する人間なんか、いないわよね」
姉の言う言葉はこたえた。本当だろう。
「シャーロット嬢はいけにえに選ばれたのかもしれないわ。一人だけ連れて行けば済む話よね。だから誰かがあの手紙を書いたのかもしれないわ。一番、気に入られてたらしいじゃないの」
ジャックは何も言えなかった。
シャーロットが泣きながら言っていた。自分さえ帝国に連れていかれれば済む話だと。
そんなことはさせない。……そう思ったのは確かだ。
「だからロストフ公爵に目をつけられた十人の娘たちの家に協力を仰ぐことなんかできないかもよ? あのうちの誰かが書いた手紙かも知れない」
ジャックの目がキラリと光った。ありうる。誰が書いた手紙なのかといぶかしかったが、そうかもしれない。
「ロストフ公爵なんか、何の値打ちもないつまらない男よ。ひとつも理屈が通じない。あなたがムキになるような話じゃないわ。面倒で危険な話じゃない? 下手に権力を持つバカとの戦いでしょ?」
クリスチンの目が面白そうに瞬いている。
「ねえ、それなのにどうして、こんなところに来たって言うの? ジャック?」
「そりゃあ……フレデリックの……」
自分自身の不自然過ぎる言い訳に、ジャックは途中で黙った。
クリスチンなんか、大嫌いだ。
「でも、もちろん、あなたにとって大事な人だと言うなら、話は別よ?」
なんで、姉に向かって、そんなことを言わなくちゃならないのだ。
「だって、言質を取っとかないと。マークにも頼みにくいじゃない?」
マークはクリスチンの夫で、ロックシールド一族の重鎮だ。
「マ、マーク?」
「あらあ? だから来たんじゃないの? ロックフィールド家が、ロストフ公爵家の本家の皇帝一家にお金貸してるからじゃないの?」
初耳だった。ジャックはロックフィールド家がどれほどの影響力を持つのか、よく知らなかった。
「え? ……あの、いくらくらい?」
「知らないわ。何十億とかかな?」
ジャックはその金額にあ然とした。
だが、次に怒りを覚えた。
あのバカ公爵、婚約者と手を切らせるためなら五十万ルイとか言ってたが、その原資は借金か! こともあろうにロックフィールドの金か!
「借金のカタは現物よ。鉱石。こっちに持ってきて、加工して売れば面白いくらい儲かるって、マークが言ってたわ。ほんとにあの帝国は商売が下手だって。だから、ロックフィールドが貸さなきゃすぐに皇帝自身も行き詰まるだろうって」
なんてことだ! 姉はなにか知っているだろうと思っていたが、まさかこんな豊富な金脈だなんて知らなかった。勝てる!
「じゃあ……」
ジャックは言いかけたが、姉が止めた。
「でも、ダメ」
姉はジャックの鼻先に人差し指を突き出した。
「さあ、どうなの? 本気なの? 彼女を助けたいの?」
ジャックは目をつぶった。
「本気じゃないなら、誰も動かない。でも、あんたが本気なら、ロックフィールドはその娘を助けるわ」
くそっ。なんで毎度毎度……
「……助けてください」
「くっ……」
姉が笑った。
面白くもなんともないのに。
彼女は涙を流さんばかりに笑っていた。
ジャックは、意味がわからず、姉を見つめていた。
クリスチンは、一見おとなしそうでそつがなく見える弟が破綻するところを見るのが大好きだった。
ジャックは実はそんな人間じゃなかった。
やりたいことが出来たら、わき目もふらず、彼は走る男なのだ。必死で情熱的で。
その意味では彼のファンクラブは正しかった。彼の真髄を見抜いていたと言えるだろう。
クリスチンも内心そのファンクラブの一員だった。なぜ、皮をかぶっているのだろう。彼女も本当のジャックの方が好きだった。
しかし、ひとしきり笑ってから、姉はさらにジャックに向かって次の要求を突きつけた。
「でも、肝心のシャーロット嬢はどうなの?」
ギクリ……と言う音が部屋中に響いたような気がした。
「シャーロット嬢は……」
そういえば、彼女の意向は聞いてない。と言うか、その前にまず自分の意向を伝えていない。
しかし、それ以前に今の自分はフレデリックの代役なだけで、それ以上の価値はない。
「家族を巻き込むなら、あなたの大事な家族でなくてはいけないわよねえ。違うかしら?」
「………」
「そうよ。結婚すると言うのなら、もちろん話は別よ。どうなの? ジャック?」
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