第9話 正体
リンと黒崎が鉢合わせてから数時間が経過した。俺はなんとなく気まずくてリンとぎこちない会話を繰り返していた。それを察してか彼女もあまり積極的に接してこなかった。この気まずい空気をなんとかしようと、話題を降ってみる。
「その背中の刺繍…もしかして、」
「ベロニカです。青色のベロニカ」
「だよね。ただなんとなく、薔薇とか向日葵とかの方がデザインとして人気があるイメージだったから、ベロニカを選ぶのってなんか珍しいと思って」
「…どうして私がこの花を好きなんだと思います?」
「え?」
彼女は俺に悲しげな視線を送る。
ベロニカ
青いベロニカ
アオイ、ベロニカ
懐かしい響きだ。
結局俺はその問いに答えることができなかった。そして、彼女はゆっくりと立ち上がり、「頑張って思い出してくださいね」と言い残し部屋を出て行った。
その後、黒崎ともリンとも会わずに一ヶ月もの月日が経過した。その間も俺は毎晩欠かさず「おやすみ」とリンにLineを送り続けた。リンは決まって「ゆっくり休んでください」と返してきた。そして、夏の厳しい暑さも終わり、10月へと突入した。
10月のある日、俺は研究室で石川先生と二人で実験に使うシミュレータの改良を行っていた。
「この部分のコードって蒼井君が書いたんだっけ?」
「いいえ、その部分は…白河先輩が書いていました」
「…あぁ、白河さんか。…もう半年以上になるなぁ。本当に優秀な学生だった」
「僕も、そう思います」
白河先輩は優秀な人物であった。誰からも期待されていた。もちろん石川先生からもかなり期待されていた。先生は先輩に会うたびに大学院に進むことを強く打診していたほどだ。
「そういえば蒼井君は、進路は決めているのかい?」
「あ、いや特に決めていないです。進学か就職かも決めていませんよ」
「そうか。…白河さんにはフラれてしまったからね、君にはフラれないように紳士的にアプローチしていかなければな」
先生はそう言って、にっこりと笑った。先生は俺に大学院に進んで欲しいと思ってくれているようであった。
そうやって、先生と27インチのディスプレイを覗き込んでいると、ポケットに入っている俺のスマートフォンが短く振動した。
>黒崎リサ さんから新着のメッセージがあります
黒崎からのあの時以来の連絡であった。俺はすぐにその内容を確認した。
>[リサ]蒼井くん。久しぶり。突然でごめんね、少し話したいんだけど時間ある?
>[ハルト]久しぶり。いいよ。場所は?
>[リサ]D304教室で。
俺は指定された場所に急いで向かった。
指定された教室には黒崎一人が教卓の側にポツリと立っているだけで、他には誰もいなかった。俺はゆっくりと彼女に近づいていった。
「黒崎。ごめん遅くなって」
「ううん。大丈夫。むしろ急にごめんね」
彼女の顔がはっきりと見えるところまで近づくと、彼女の目元にくっきりと
「…何かあったのか?」
「あれから、ずっと考え事をしていたの」
「考え事?」
「あの後輩さんの、赤木リンさんのことを考えていたの」
「リンがどうかしたか?」
黒崎は深く深呼吸をする。その吐く息は細かく刻むように震えていた。そして、彼女は語り出す。
「私、思い出したの。私が白河先輩の死体を見つけて通報する前に、私よりも先にその場所にいたのが青い花のデザインのワンピースを着た何者かだったの」
「…え?」
「この前、研究室で赤木さんの着ていたワンピースは、私があの時に見たものだったの。あんな珍しいデザインの服、見間違ったりしない。蒼井くん、あの子は危険だよ! 関わっちゃダメだよ!」
黒崎は取り乱したように俺の両肩を掴み、強く揺さぶる。
白河先輩を、リンが?…だからいろいろ知っていたのか。白河先輩のことも、俺のことも。先輩を殺すために事前に調べていたんだ。そして次は俺のことを殺そうと考えていたんだ。だから俺に近づいて来て、殺すタイミングを伺って…。
でもどうして先輩を殺したんだ?
いや、そんなことはもうどうでも良い。
今はただ、赤木リンが憎かった。
そして、黒崎の俺を揺さぶる手が急に止んだ。急な変化に驚き、彼女の顔を見ると目と口を大きく見開き、何かに怯えていた。彼女の視線の先、俺の背後には赤木リンがいた。
「また抜け駆けですか? 黒崎先輩。本当に油断も隙もない方ですね」
俺は黒崎を庇うように黒崎の前に立つ。
「アオイ先輩? そんな立たれ方をされると、さすがに嫉妬しちゃいますよ」
「うるさい。人殺し。白河先輩の次は俺か? それとも黒崎か?」
赤木リンは不服そうに俺たちを睨んだ。
「私を疑っているんですか?」
「真実だろ?」
彼女は、悲しそうに笑う。
「…そう。私があの人を殺したの。私の弱さが。愚かさが。」
--- 第一章『出逢い』 完 ---
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