君の夜があけるまで

わた氏

少女と夜の章

第1話 夜の始まり

 闇の中、月光だけが少女を照らしていた。あたりは一面、死んだように静かだ。なのにどうして、そんなにも真っ白だったのだろうか。雪のような肌が光に浮かぶ。白いスカートが風で舞うその姿は——


——まるで死神のようだった。






————


 学校の授業と言うのは難儀なものだ。春の暖かな空気。そして睡魔が理不尽に襲ってくる。さらに追い打ちをかけるかのような催眠音声。この猛攻に勝てる強者が、果たして存在するだろうか。無論、僕は弱者だ。勝てるはずもない。自慢じゃないが、10分ほどで夢の中。抗おうとする方が間違っているのだ。自分の本能に、この先に待つ快楽まで流される。そんな生き方も乙なものだと思う。


 うーん……むにゃむにゃ……。


「……——い、」


 もし寝てしまってノートが取れなかったと嘆くそこのキミ。強者の友人にノートを見せてもらうのだ。もちろん、それ相応の礼をもって。弱い者は強い者の力を以って生き抜くのだ。幸い僕の周りには強者がいる。きっと今日も、なんだかんだ言いながら見せてくれるに違いない。


「あのっ、起きてください」


 定期テスト? ああ大丈夫さ。この学校のテスト範囲は教科書とノートに書かれた内容だけ。板書と課題の答えを頭に叩き込めば、平均点は取れるのだ。3日前でも間に合う。その日から本気出す。これでキミも、惰眠と快楽の世界へ——。


「お・き・て・く・だ・さ・い! 終礼終わりましたよ!」


 バンっ!! と机に手が思い切りたたきつけられる。


「ったぁ……」


 叩いた主が打撃の反動をくらったようだ。赤くなった手をおさえていた。


「ふえ…? もう朝……?」

「なわけあるか! ……こほん」


 慌てて咳払いをする。


「……12時過ぎです。皆帰りましたよ」

「もうそんな時間かー……」


 見上げた先にいたのは、我らが委員長、都筑 つとむ。真面目で勤勉な貧弱眼鏡。

僕の成績は9割方この男に託されている。そしてノートを見せてもらう代わりに、委員長の仕事を手伝っている。委員長が持てない荷物を代わりに持ち、資料の配布を手伝う。なんと美しい等価交換だろうか。

 委員長はくいッと黒縁眼鏡を上げ、


「今日の約束、忘れていないでしょうね」

「もちろん。これでも僕は義理堅いんだ。約束は守るよ」

「では、教卓の上に積み上げられたノートを、出席番号順に並べてください。名簿も  一緒に乗っているので、半までにお願いしますよ。僕は日誌と黒板消しをしていますから、何かあれば聞いてください」

「りょーかい」


 そう言い、教卓に積みあがったものを確認する。


「うん? 古典……?」


 一番上のノートには「古典」の文字が。

 何か大切なことを忘れているような気がする。ぽっかりと心から抜けているような……。


「はっ! まだノート写してない!」


 抜けていたものが帰ってきたは良いものの、それがあまりに重すぎた。


「いいんちょーノート見ていー?」

「はあ? 間に合うんですか? あと20分しかないんですよ」


 呆れたあまりに眼鏡がずり落ちる。


「いけるいける。僕を信じろ」

「授業中爆睡している人に信じろと言われても、致しかねます」

「ひどいなあ。まあでも、頑張るからさ。火事場のバカ力ってやつ」

「普段から真面目に受ければ良いのでは?」


 渾身のガッツポーズで自信を見せつける僕を見ることなく、淡々と言葉を返す委員長。


「惰眠に逆らうなんて、疲れるだけだって。溺れるぐらいがちょうどいいんだ」

「はいはい。そんなことより手を動かしたらどうです?」


 ごもっともだ。


 せっせとノートを写し、ダッシュで職員室へ向かう。何とか間に合った。本当にギリギリだったが。


 職員室を出る。担当にノートの山を渡すだけだったため、5分もかからなかった。その頃にはもう、真っ暗になっていた。外も中も、死んだように。


——真っ暗……?


 おかしい。春の昼間ってこんなに暗かったか?ひんやりと冷たい風が首元を舐める。ゾッとして振り返っても誰もいない。僕しかいない。視線も気配も何もない。それなのにどうして、異様に寒気がするのだろうか。体がずっしり重たいのだろうか。足がまっすぐ前に進まない。色を失った世界で、泥沼にのまれるようだ。


「ポーカー?」


 穢れの無い声が、耳を流れる。心地の良い声。

 振り返ると、少女が立っていた。背丈から見て中学生ぐらいだろうか。幼さの中に、可憐さがある。ワイシャツの上にロングスカート。全身真っ白な制服をまとっている。銀色の髪が月光を反射する。


——命が、吸われるような気がした。


——ここで目を閉じれば、快楽の待つ方へ行けるような気がした。




 闇の中、月光だけが少女を照らしていた。あたりは一面、死んだように静かだ。なのにどうして、そんなにも真っ白だったのだろうか。雪のような肌が光に浮かぶ。白いスカートが風で舞うその姿は——


——まるで死神のようだった。

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