第十七話 ママ

 遠くでルチアの泣き声が聞こえる。


 …どうしたのルチア?泣かないで。

 早く抱っこして歌をうたってあげないと…


 そんな意識に引っ張られて目を開けると、私はベッドに寝かされていた。ぼんやりした意識でいろいろと考えてみたけど、これはもしかして、前回言い損ねたあのセリフを言うチャンスなのではないだろうか?


「えっと、知らな……あーダメだわ。知ってる天井だった…!」


 某有名アニメの主人公のセリフを言いたかったんだけど、言い切る前にここがどこなのか分かってしまった。北端の砦から最寄りの、ライの街の宿屋だ。作戦の前に滞在していたのと同じ部屋だったので壁や内装に見覚えがあった。


 それはともかく、倒れたのはストフさんちでポンム事件を起こしたとき以来。

 二回目ともなれば自分の状況はすぐに察することができた。


 死火山での作戦の最後に予期しなかった魔物が出現し、魔法使いさんたちも魔力切れ寸前になり、私は箱を通じて歌の力を使った。力の残量は調節していたのでちょうど使い切る直前くらいで止めたつもりだったんだけど、その後にストフさんたちの無事が確認できたとき、ほっとしたら緊張の糸が完全に切れてしまって、同時に完全に意識が遠のいたんだった。


 たぶん力の消費だけじゃなくて精神的に限界だったんだろうなあ。まだストフさんたちの下山も完了していなかったのに、あそこで倒れちゃうなんて情けない…そして、あれほど気をつけろと言われていたのにまたもご迷惑をおかけして申し訳ない。


 前回倒れたときと違い、体はすぐに動きそうだ。やっぱり力の消費よりも今回は精神的な疲れがピークになってしまったことが大きいのかなと思う。


 とりあえず、あの後ちゃんとみんな無事に戻れたのかを確認しないといけないと思い、ドアに向かおうと起き上がると、ドアの隙間が少し空いていて、低い位置に四つの小さな目が見えた。


 あれ?私、まだ夢でも見てるのかな?あの目にはものすごく心当たりがあるんだけど…


「…エミール?…ブレント?」


「「…!」」


 名前を呼んでみたら、ドアがバーンと勢いよく開かれた。


「チヨ!おきたのかー!あそぼうぜー!」

「チヨー!よかったー!こら、ブレント、まだチヨは休んでないとダメなんだよ!あそぶのはあとで!」

「ええーやだーーーあそびたいー」


 ストフさんちの三人兄妹の兄ふたりがそこにいた。



「えっ、なんでここにふたりがいるの?ミゲルさんのお屋敷で待ってるはずじゃ…」


 ふたりに会えたのは嬉しいけれど、状況が理解できずに驚いていると、もうひとり思いもよらない人物が登場した。



「こーら!エミール、ブレント。チヨリさんは休んでるから起こしちゃダメってあれほど言ったでしょう!」


「ちがうぞママ!オレたちチヨをおこしてないもん!チヨがおきたからあそぼっていったの!」

「(しーっ!ばか、ブレント!ママにそんなこと言ったらおこられちゃうよ!)」


「……ママ?え、どういうこと…?」


 この部屋に現れた、エミールとブレントがママと呼んだ女性。それは、私も知っている人だった。



「…ほほう、あなたたち、ママに怒られたいみたいね…?」


「わー!ママがおこった!兄ちゃ、にげようぜ!」

「あ、ちょっとまってよブレント!」


「はいはい、パパが食堂にいるからそっちへ行ってらっしゃい。ママはチヨリさんとお話があるのよ」


 なぜここにエミールとブレントがいるのかも理解できず驚いているうちに、ふたりは風のように去って行った。そして部屋に残ったのは…


「はあ、まったくもう。…チヨリさん、気分はどう?起きて早々、子どもたちがうるさくってごめんなさいね」


「あ、いえ。とんでもないです……ベルリーズ様」


 そう、やってきたのはベルリーズ様。この王国の元王女で、今はご結婚されていると言っていた。

 この方が、子どもたちのお母さん…?


 混乱する頭の中で、ずっと繋がらなかったものがどんどん結びついていき、確信へと変わっていく。


 そうだ、私はてっきり子どもたちのお母さんは亡くなったのだと思っていたけれど、考えてみればストフさんは一度もそんなことは明言していない。


<この子たちの母親は…一月ほど前に…遠いところに………>


<…ごめんね、ブレント。ママは遠い所へ行っちゃったんだ…>


 出会ったばかりの頃の、ストフさんの言葉を思い出す。そうだわ、それなら時期も合う。ちょうど戦姫ベルリーズ様が北端の砦に入ったと新聞記事にも書かれていた。


 ストフさんが時々苦し気な遠い目をしていたのは、魔物と戦うためにこんな遠くに詰めっぱなしになっていた大切な奥様の身を案じていたんだ。


 事情は分からないけれど、ご結婚後も国民に絶大な人気を誇るベルリーズ様が奥様だとは私に言い辛かったのかもしれないし、そもそも身元不明だった私にそんな重要なことは明かせなかったのも理解できる。

 まあ、できたらここでお会いする前に教えておいてほしかったけれど…


 北端の砦でとても親しそうな様子のストフさんとベルリーズ様のやり取りを見て、まるで夫婦漫才のようだと思ったこと。ベルリーズ様が淹れてくださったコーヒーが、ストフさんちのコーヒーと同じ味だったこと。

 好奇心旺盛でキラキラと輝くベルリーズ様の青い目を見て、なぜか子どもたちのことを思い出したのは、彼女の目が彼らとそっくりだったからだと今なら分かるし、何よりあんなに嬉しそうに私から子どもたちの話を聞いていたじゃないか。


 …こんなにヒントはたくさんあったのに何も気付かなかったなんて、自分の鈍感さにビックリだわ。



「…ねえ、チヨリさん、本当に大丈夫?顔色が悪いわ。もう少し休んだ方が…」


「…いえ、なんでもないんです。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした…。あの、私の体調はまったく異常なしです。あの後、死火山はどうなりましたか?皆さん無事に下山されましたか?」


「それなら良いのだけど…まだ無理しちゃダメよ!少しでも変な感じがあったら教えてちょうだいね。それから、作戦は大成功に終わったわ。あなたのおかげでね。…本当にどうもありがとう。あれほどの数の魔物に死者どころか軽傷者も出なかったのは奇跡だわ。それに、最後の魔力溜まりに魔物が出現したときは本当に危なかったらしいの。指揮官のひとりとしても心からあなたに感謝しているけれど、個人的にも言わせてほしい。…ありがとうチヨリさん。あなたのおかげで、私は大事な夫を失わずに済んだわ」


 そう言って私の手を握ったベルリーズ様の目は潤んでいて、どれほど旦那様…ストフさんのことを想っているのか伝わってきた。


 …私は今、自分がどんな表情をしているのかが分からない。ちゃんと笑えているだろうか。


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