第二十一話 私の生きる道

「ストフさ…いえ、トルストファー様?」


「頼むからやめてくれ。チヨリにそんな風に呼ばれたら悲しくなってしまう。今までどおりストフで構わないし、喋り方もそのままにしてほしい」


 あまりにも本気で悲しそうな顔だったので、態度は変えないようにしようと思う。身分が知られていないインスの街での生活が楽しかったというくらいだから、きっとこれまで王族としてプレッシャーを抱えながら生きていた人なんだろう。


「エミールやブレントが“とーちゃ”って呼んでたのは?」


「ああ、あれはエミールが小さかった頃に何度も“ストフおじちゃん”と教えたんだけど、言い辛かったみたいでね。なぜか変な縮まり方をした結果“とーちゃ”の部分だけ残ったんだよ。後から生まれたブレントもエミールを真似てそう呼んでいるんだ」


 なるほど。てっきり“父ちゃん”の意味だと思い込んでたんだけど、そういえばさっきエミールはガストンさんのことを“パパ”って呼んでたわ。そのあたりも周りの勘違いを助長させていたんだろうな。


 それにしても、子どもたちからママのことは何度か聞いたけれど、パパのことは一度も聞いたことがないな。一年も不在にしていたから、もしや半分忘れられていた…?ルチアにいたっては、生まれたばかりで戦いに行ってしまったガストンさんは、ほぼ初対面状態だろう。ああ、だからあんなに泣いてたんだなあ、パパなのに。

 子どもたちのことを思って遠くで頑張っていたガストンさんの心境を想像すると泣けるわ…


「…いろいろと驚きましたけど、事情は分かりました。もう他に私が知らないといけないことはないですよね?これ以上びっくりしたら私の心臓が持たないです…」


「うーん、チヨリには申し訳ないんだけど、あともう少しあるかな。隠し事というよりも、言えずにいたことだ」


「なんでしょう?」


 これだけ驚いたんだから、もうこれ以上は驚かないぞと心を決める。


「チヨリに私のことを明かさなかったのには、もう一つ個人的な理由があるんだ。…チヨリは、魔法使いや言霊使いが国に保護されることを知っているだろう?」


「はい」


 そのあたりはミゲルさんから以前詳しく教えてもらっていた。


「本当に私の勝手なんだと自覚はしている…。でも、私が王族であることをチヨリに明かしたら、チヨリの力を知らないふりはできないと思ったんだ。…バカなことを言っているよな。チヨリに伝えても伝えなくても、私が王子であることは何も変わらないのに。チヨリが本当の私を知らないのなら、私も本当のチヨリについて知らないふりをして、このまま一緒にいられるかもしれないと思ってしまったんだ」


「本当の、私?」


「ああ。歌の力のことだけじゃないんだ、本来なら私はチヨリを見つけた時点で国で保護するべきだと分かっていた。でも、自分の目の届くところであなたを見守れるならば、そうしなくても良いだろうと勝手に判断した。チヨリ…あなたは、渡り人なのだろう?」


「…わたりびと…」


 初めて聞いた言葉だけど、意味は想像できる。違う世界からこの世界へ渡って来た人間を差す言葉だろう。


「子どもたちの世話を頼むときに、申し訳ないがチヨリのことは調べたんだ。でも、どれほど調べても、インスの街に現れる前のあなたの記録はなかった。共通語や、この世界では常識である魔物の知識さえ持たないあなたが、どこか遠い別の場所から来たことは分かっていた。数はとても少ないけれど、この国や他の国でも前例はあったからね」


 やっぱり私の他にも転移者は存在したんだな。でも、まさかそんなに最初からバレバレだったなんて…口を開いたらポカーンとしすぎて顎が外れてしまいそうなので、キリリと奥歯を噛みしめる。


「…渡り人の存在は、この国では王族くらいしか知らない。しかし、もしも見つけたならば、この国にはない新たな知識をもたらす宝石箱のような存在だ。言霊使いと同じかそれ以上に重要な人物として、国賓待遇で迎え入れることになっているんだ。だから、本当は私が気付いた時点でチヨリを国で保護すれば、チヨリは一生懸命働く必要さえなく、毎日遊んで暮らすことだってできた」


 まさかの事実に驚く。転移して社会保障もない不安定な人生に怯えていたのに、左うちわの悠々自適な生活も可能だったのか。


「すまなかった。私は自分のわがままで、チヨリにそれを伝えなかった。子どもたちと楽しそうに遊んで、歌って、毎日生き生きと暮らしているあなたを国に縛りつけたくないなんて…心の中で言い訳をしながら、あなたがいなくなってしまうことが怖くて、あなたと過ごす心地良い時間を手放したくなくて…」

 

 ストフさんの青い目は、真っ直ぐに私の目を射抜く。


「…愛してしまったんだ、あなたのことを。少しでも早く子どもたちに両親を返してやりたいと願いながら、チヨリや子どもたちと過ごす時間が温かくて、失いたくないと思ってしまった。人嫌いな叔父上が随分とチヨリを気に入ってしまったときも、街の青年が楽しそうにチヨリと話しているのを見たときも、兵士たちが歌姫だとか女神だとか言ってあなたに近付こうとしたときも、私の心は嫉妬で醜く歪んだ」


 あまりに率直なストフさんの言葉に、私の感情は揺さぶられて、どう返したら良いのかが分からない。


「何も隠さずに、最初から本当のことを伝えていたら、あなたにこんな情けない告白はしなかったかもしれないな。…それでも、私にこんな人間らしい感情を教えてくれたチヨリには心から感謝しているんだ。…チヨリ、あなたがどんな選択をしてもそれを尊重すると誓う。自由になりたいのならば全力で協力するし、国賓として豊かな生活を望むのならばすぐにでも整えよう。…できたら、私と共に生きる道も考えてもらえると嬉しいが…。返事は急がないよ。あなたがこれからどうしたいか、気持ちが決まったら聞かせてもらえるだろうか」


 どう生きたいか?


 国や権力に縛られるのなんて嫌だけど、死火山の保全は乗りかけた船だし、責任をもってやり遂げたい。それから、歌いながら旅をして、たくさんのことを見て、聞いて、感じて、知って。日本でできなかった自由でのんびりとした暮らしを楽しみたい。心穏やかに、平和に生きたい。


 …でも、そこにストフさんがいなかったら、私はきっと、それが幸せだなんて思えない。ストフさんやポーラさん、子どもたち、犬のウルフ。あの家でみんなと過ごした時間があまりにも温かかったから、その気持ちを知らなかった頃に戻ることなんて、きっとできない。


 死火山を登っていく後ろ姿を見送ったときのあの胸の苦しさは、そこにストフさんがいたから。緊張の糸が解けて気を失ってしまったのは、ストフさんが無事だと分かったから。

 全員の無事の帰還を祈りながらも、私は心の奥ではただひたすら、ストフさんにもう一度元気な姿で会えることを願っていた。


 この人は王子様だ。手を取れば大変なことになるだろうし、私の望んでいたのほほんとした田舎暮らしなんて無理になるかもしれない。でも、それ以前にこの人は私の大好きなストフさんだ。いつも私の身を案じて、この異世界でずっと親身になって支えてくれた大切な人だ。


 だったら、返事なんて決まってるじゃないか。


「ストフさん、私…正直に言うと、国とか王族とか、そんな大変なものに関わるのは畏れ多いというか…できるなら遠慮したいと思ってしまいます」


「…ああ、そうだろうな」


 ストフさんは淋しそうな顔で笑う。そう言われるのは分かっていたというように。


 でも、違うの。


「ずっと…ストフさんは亡くなった奥様のことを愛しているのだろうと思っていました。それに、まさか王子様だとは思いもしませんでしたけど、なんとなくストフさんが位の高い人なんだろうなというのは感じていて…、私のようなどこから流れて来たのかも分からない人間がそばにいられる相手ではないと思っていました」


 うまく伝えられるだろうか。私の気持ち。私が思っていたこと。

 

「先ほどここで目覚めて、ベルリーズ様が子どもたちのお母さんだと知ったときには、もうこの気持ちは許されないのだと思いました。てっきりベルリーズ様はストフさんの奥様なのだと思ったから。…でも、それは違っていて。…私、ストフさんと一緒に生きることを、願っても良いんですよね?それなら…」


 緊張して声が震えたので、一度呼吸を整える。



「私は、ストフさんと一緒に生きたいです。ストフさんのことが好きだから」


「…!チヨリ、本当に?」


 ストフさんは、信じられないといった表情で私を見ている。私もしっかりと彼の目を見て頷く。



「本当です。…ストフさんこそ、本当に私で良いんですよね?」


「もちろんだ!」


 立ち上がって近付いてきたストフさんに、そっと抱き寄せられる。



「ありがとう、チヨリ。嬉しい…心から愛している。一生大切にする」


「……私もです」


 私もおそるおそる、抱きしめ返そうと背中に手を伸ばしかけたとき…



「やったーーーーー!良かったわ~~~!」

「良かったですね、リーズ様。ストフ様がウジウジしすぎてどうしようかと思いました」

「やっとストフ様にも春が…うちの主も早くなんとかしないと…」

「…うるさいロイ。放っておけ」

「これで俺にも義妹ができるのか、嬉しいなあ」

「なになにー?なんのはなしー?」

「チヨー!はなしおわったのか?あそぼうぜー!」

「チー!とーちゃ!そぶーーー」


 何やら廊下が騒がしかった。最初は何の気配もなかったはずなんだけど、どこから聞かれていたんだろう…恥ずか死ぬわ。


「…ストフさん、いろいろバレてるみたいなので行きましょうか」


「やだ。ちょっと待って、もうちょっとだけ」


「ふふ、もう」


 今度こそしっかりと抱きしめ合い、私たちは互いの真っ赤な顔を見て微笑みあった。


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