第二話 長い夜の始まり

 積雪の中での暮らしに少し慣れて来た頃、ついにそれは起きた。最初に気付いたのはエミールだった。


「チヨ見て、あそこ!なんかみどり色のけむりが出てるよ!」


「え…?」


 エミールが指差した先には、緑色をした煙。

 この国の大人ならばみんな知っている、魔物が街に迫ったときの合図だ。緑の狼煙のろしは街への魔物接近、赤の狼煙は街に魔物が侵入したことを表すのだと習った。


 それを見つけたときの対処についてもすでにストフさんとポーラさん、それから宿屋のジャンさん一家とも打ち合わせをしている。


「エミール、よく見つけたね。とってもえらいわ!家の中に入って、ストフさんとポーラさんにも教えてあげてくれる?」


「うん、いいよ!」


 私はなるべく冷静で柔らかい声を心掛けてエミールに指示を出した。それから彼の弟妹を誘導する。


「ブレントー!そろそろおやつの時間だから中に入ろう!」


「えー、やだー!もうちょっとあそぶー!」


「あら~、いいの?今日のおやつはポーラさんがポンムジャムのクッキーを焼いてくれたのに?じゃあブレントの分は私が食べちゃおうかなあ?」


「チー!ルーもー!」


「あら、ルチアも食べたいのね。よーしじゃあふたりでもらっちゃおっか?」


「やだー!オレのクッキーはオレのだ!」


 数メートルほど先にある、庭のブランコで遊んでいたブレントを呼ぶと、いつもながらあっさり拒否されたのでおやつで釣った。自分のクッキーを取られまいとブレントは走って家へ戻って行く。


「はいはい。さ、ルチアも手を洗ってクッキー食べようねー」


「あいっ!」


 雪遊びですっかり冷たくなっているルチアの手を引いて、私も家へと戻る。



 敏腕メイドのポーラさんはさすがの手際で、すでにブレントとエミールにクッキーを食べさせている。ストフさんは兵士の制服への着替えを済ませていた。


「チヨリ、前から打ち合わせているとおり、今日はこの家に泊まっていってくれ。夕方近いし、明日までかかる可能性もある。片付いたら私が伝えに来るから、それまでは待機で頼む。…本当にすまないが、チヨリがポーラと一緒にこの家にいてくれたら私も安心だ。子どもたちのことも頼んで良いだろうか」


「はい、もちろんです!」


 雪が積もったあの日からすぐ、緊急時の動きについて相談していた。

 もしもストフさんちでベビーシッターをしている間に狼煙が上がった場合には、宿には帰らずにこの家に泊まると、ジャンさん一家には伝えてある。

 

 ジャンさんとノエラさんには危ないときに移動するよりその方が安心だと言われたし、シェリーにも「チヨは危なっかしいから絶対ひとりで動いちゃダメよ!迎えに行くまでストフさんちで待ってなさい!」と言われた。…シェリー、私のことを本当に子どもだと思ってない?


 それから、逆に私が宿屋にいるときに狼煙が上がったら、この家には来ないことも伝えてあった。


 でも、私としてはストフさんが兵士の仕事で出かけてしまい、ポーラさんひとりで子ども三人と待機になってしまうことが心配だった。

 緊急事態なんてないのが一番だけど、もしも起きるのならストフさんちにいるときで、私も手伝えたら良いなと思っていた。だから、今日のこのタイミングは決して悪くはないと思う。


「じゃあ、行ってくるよ」


「あ、ストフさん、急いでいると思いますがちょっとだけ待ってください!」


「?」


 私はストフさんを呼び止めると、祈りの歌をうたった。


 こんなときに備えて研究を重ねていた自作ソングで、体力・守備力・素早さの強化と毒・マヒ耐性をつける効果がある。

 前々から体力強化や防御力強化はできたんだけど、魔物には人間に対して毒になる成分を持っているタイプもいると聞いてから、いろいろと検証して毒とマヒに対する耐性も盛り込んだ。


 ちなみに攻撃力強化は、使う予定の武器があれば性能を少し向上させることはできるんだけど、人間自身には攻撃力という数値が存在していないのか、何度か試してみたけどうまくいかなかった。


 まあ、一歩間違うと人を傷つける力にもなってしまうので、それはそれで悪くないかなと思っている。とにかく少しでも安全に、生きてもらうことの方が大事。


「これで明日の今頃までは元気に動けると思います。でも、決して無理はしないでくださいね。自分が元気だからって前みたいに他の兵士さんをかばって大ケガするようなことはやめてください」


「…ああ、ありがとう。気をつけるよ。チヨリはまた腕を上げたんだな。今の歌で心が不思議と落ち着いた気がするし、前に実験したときよりも体が軽く感じる」


「そうですね、リラックス効果は分かりませんが、体力強化の他に俊敏さも上げてますので、身軽に感じるかもしれません。かえって慣れるまでは不自然さがあると思うので、最初はとくに気をつけてくださいね」


「わかった、ありがとうチヨリ。ポーラも、子どもたちを任せた。エミール、ブレント、おいで」


 ストフさんはふたりを同時にぎゅっと抱きしめて言った。


「良いか、私はこれから出かける。その間、ポーラとチヨリの言うことをよく聞いてくれ。私の仕事は街を守ることだけど、お前たちの仕事はこの家の中を守ることだ。できるか?」


 ストフさんはエミールとブレントと目を合わせながら、ゆっくりと尋ねた。その真剣さが伝わったのか、ふたりはいつになく真面目な顔を見せた。


「うん、ぼく、できるよ!」

「オレもできるぞ!」


 元気よく返事をしたふたりに、ストフさんは笑いかけた。


「じゃあ安心だ。男同士の約束だ。よろしく頼むぞ!それから、できたらルチアの面倒も見てやってくれると助かる。お前たち兄ちゃんふたりが、しっかりルチアを守るんだぞ」


「うん!」

「おう!」


 最後にふたりの頭を強めに撫でてから、ストフさんは今度はルチアを抱き上げた。


「ルチア、私は出かけてくるけど、その間はお兄ちゃんたちがお前のことを守ってくれる。ポーラとチヨリもいるから、いい子で待っていてくれるか?」


「あいっ!」


 ルチアはどの程度理解しているのかは謎だけど、兄ふたりが何か重大なミッションをもらったことがうらやましかったのか、自分もできるという顔でコクコクと頷いた。



 ストフさんを見送り、なるべくいつも通りに和やかに過ごそうと、みんなで夕食を食べ、子どもたちをお風呂に入れ、絵本を読む。


 ついつい気になって、何度も窓から外を見上げてしまう。

 普段なら夕飯時で街は賑わいを見せる時間帯なのに、今日はシーンと静まり返っているような気がする。


 不安な、長い夜が始まった。


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