第一章 最初の街、はじめての歌

第一話 お金がないなら、歌えば良いじゃない

 異世界の街、到着二日目。私はある決意と共に、街の中心部にあるいちばん大きな公園にやってきた。


 この世界の時間の概念がどうなっているかはまだ分からないけれど、体感では日本だったら午前十時くらい。近くに市場や商店街があり、ちょうど良い木陰やベンチがあるこの公園は、街の人たちの憩いの場になっているようだ。


 相変わらず服装は部屋着のまま、靴はない。昨日と同じように、私の存在を遠巻きに見てはいても、声をかけてくる人はいない。



 この世界の知識なし。所持金なし。言葉通じない。空腹。


 この状況から脱するには、何らかの手段でお金を稼がねばならない。昨日眠りに落ちる前に考えて、結論は出ていた。



 そうだ、歌、うたおう。



 これは実際に旅好きな姉が言葉の通じない東欧の地方都市で財布を失くしたときに日銭を稼いだ方法でもある。(ちなみに姉は強運の持ち主なので、財布はスリに盗られていたんだけど、運よく犯人が他のひったくり現行犯で捕まったために数日後に手元に戻っている)


「あのときはさすがにもうダメだと思ったのよねえ。でも、日本の歌なんて誰も聞いたことないから珍しかったみたいで、やけくそで歌ってみたら意外とウケたのよ~!ちよちゃんは昔から歌が上手だし、声も綺麗だから絶対大丈夫。もし海外で迷子になったりお金を失くしたら歌えば良いのよ~」


 大きなバックパック一つで世界各地を回り、ヒッチハイクの旅も民泊や安いホステルでの宿泊も大丈夫な姉と違って、旅行は国内でホテル宿泊派だった私には無縁の話だと思っていたのに、まさか異世界で思い出すことになるなんて…


 絵が描けるとか商才があるとか刀を打てるといった、異世界でお金を稼げるような特殊スキルは一切持っていないし、何より元手がないので何も始めようがない。でも、歌うことならこの体一つさえあればできる。



 「体一つで稼ぐ」というワードから他の手段も一瞬頭をよぎったけれど、この世界の夜のお仕事事情なんて知らないし、下手したら奴隷として売り飛ばされるような文化がある可能性だってあるのだから、できることならしたくない。

 ついでに言えば、この街のおねえさま方を見る限り、どうやらこの世界の女性はボンキュッボンの羨ましいスタイルが標準装備されているっぽい。ということはきっと、小柄でつるぺた体型の私には夜のお仕事の需要はないか、あっても一部の物好きな人に…あ、ダメだ、考えるといろんな意味で悲しくなってきたからこの発想は止めよう。

 それに二十九歳まで年齢=彼氏いない歴の私には、いろんな意味でハードル高すぎるわ。



 ということで、冷静かつ慎重に自分にできそうなお金を稼ぐ手段を考えた結果、歌しかないという結論に至った。歌なら知らない言語だってノスタルジックやエキゾチックという言葉でプラスに捉えてもらえそうだしね。


 問題は無許可ストリートライブでお縄になるんじゃないかということだけれど、昨日の夕方街を一周したときに、この公園でギターとリュートの中間のような形の弦楽器を片手に歌っていたおじいさんを見かけたので、おそらく大丈夫だと信じている。


 ゲームで見かける吟遊詩人といった風情のおじいさんの前には裏返しにされて先端が潰れた三角帽子が置かれていて、曲が終わるごとに次々とコインが帽子の中に投げ込まれていた。

 つまり、この世界にもストリートライブ的なお金の稼ぎ方は存在しているのだ。怒られたり捕まったりしたら怖いけれど、どの道このままお金を稼げなければ飢えて衰弱して死んでいく運命だと思えばやるしかない。



 ポジティブに考えれば、謎言語の歌を歌っていれば、そのうちの同郷の人が見つかる可能性だってあるはずだ。


 歌手になれるほど上手くなんてないけれど、歌うことは子どもの頃から好きだった。中学でも高校でも合唱部だったから、長時間歌うことも大丈夫。少しくらい音を外したって、この世界の誰も知らない曲なんだから気にしない。


 これまでカラオケ以外でひとりだけで人前で歌ったことはないし、怖い気持ちも大きいけれど、今こそ持ち前の図太い神経を生かすときだ。



 よし、大丈夫。やれる。



 自分の心の中でその言葉を数回繰り返してから、震える手をギュッと握りしめて、公園中央に建っている銅像の前に立つ。

 この像の周囲には駆け回っている子どもたちや、ベンチに座ってお喋りしているご老人方、デート中のカップル、買い物に疲れて休んでいるおばさま方など、たくさんの人がいる。


 歌い出すために大きく息を吸い込むと、急に耳が研ぎ澄まされるような感覚があり、離れた場所の木の枝にいる鳥のさえずりや、どこか遠くで泣いている赤ちゃんの声まで聞こえてくる。さらに集中すると、今度はそれらの音が感覚から消えて、自分の息遣いだけが聞こえる。



 最初に選んだのは、子どもの頃からお姉ちゃんと一緒に何度も歌ってきた歌。日本人ならきっと誰でも知っている、故郷を思う歌。出だしの声はか細く震えたけれど、数日間十分に食べ物を摂取していないわりにはきちんと声が出せた。


 周囲の人にどんな目で見られているか、怖くて目を開けないまま、一番を歌い終えた。


 二番に入り、家族を思う歌詞に一瞬涙が出そうになり、思わず瞬きして目を開けてしまった。公園にいる人たちと目が合う。突然歌い出した謎の服装の謎の女を怪訝そうな目で見ている人もいるけれど、歌自体に興味を持ってくれている人もチラホラいるようだ。


 三番は、少し落ち着いて、声がしっかりと周囲に広がるように意識して歌った。歌い終えて頭を下げると、まばらだけど拍手の音がする。左側のベンチでお喋りしていた優しい顔の白髪のおばあさんコンビだった。私は嬉しくてふたりに笑いかけ、すぐに次の歌に入る。


 どんな歌を歌ったって良いはずなのに、なぜか口から出てくるのは、子どもの頃から歌った童謡や、有名な合唱曲ばかりだった。無意識に、日本らしい旋律が感じられる曲を選んでいたのかもしれない。


 一曲歌うごとに少しずつ拍手が増え、少しずつ周囲に人が増えていく。


 五曲歌い終わったところで、私の前に置いていた植物の蔓を適当に編んだだけの簡易的なお皿もどきの中に、銅貨が三枚入れられた。

 入れてくれたのは、幼稚園児くらいの年齢で大人しそうな雰囲気の男の子。くるくるの金髪とパッチリとした青い目がとても可愛い。二曲目の途中から、最前列で私の歌を聞いてくれていた子だ。

 お金は親からもらったものだろうけれど、彼の保護者らしき人物は近くに見当たらない。少し離れた場所にいるのかもしれない。


「どうもありがとう!」


 言葉は通じないと分かっていたけれど、笑顔で男の子にお礼を言う。彼は少し驚いた顔をしたけれど、意味は伝わったのか、笑顔を返してくれた。やっぱり可愛い。コインを入れてくれたことも嬉しいけれど、この世界で初めて自分に向けられた笑顔に、心が温かくなるのを感じる。


 お礼にと思い、有名なアニメソングを歌ってみた。知っているはずはないのだけれど、やはりアニソンには子ども心をつかむ力があるのだろうか、その男の子だけではなく、近くで歌を聴いている子どもたちが手拍子をしてくれて、どんどん場が盛り上がっていく。


 そうなると私も楽しくなってきて、空腹も忘れてひたすら歌い続けた。

 途中でおばあちゃんの大好きだった演歌を入れてみたら、こちらは見事にお年寄りの心を掴んだようで、蔓のお皿の上に銅貨だけではなく銀貨も投げ入れられた。この世界の貨幣価値は分からないけれど、これでおそらく何か食べ物は買えるだろう。



 日が高くなり、おそらく一時間半ほど歌っただろうか。さすがに喉もカラカラになってきたので私は最後に深く頭を下げ、初パフォーマンスを終えた。人の入れ替わりはあったものの、最終的には二十人近いお客さんが聴いてくれていたので、生まれて初めてのストリートライブ(しかも異世界)としては上々の成績ではなかろうか。


 投げ込まれたお金は、銅貨が十一枚、銀貨が三枚。宿に泊まれるほどあるかどうかは分からないけれど、とにかく今の私に必要なのは食糧と靴だった。


 公園近くの市場へ早速ご飯調達に行こうと思う。意識しないようにしていたけれど、朝から美味しそうな匂いがしていたので、きっと屋台的なものがあると目星をつけていた。ついでにお金の価値も把握しなくては。


 私は異世界での初収入となったコインを握りしめ、足取り軽く市場へと向かう。

 

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