火のYO!心(4)
月曜日に「火のYO!心」のダンスの練習を始めてから、あっという間に五日間が過ぎた。結局マネージャーがしっかり話を通してくれたらしく、作戦は決行されることになったのだ。今日はコンサート当日。コンサート開始時間は十七時で、現在時刻は十四時。つまり、ルサルカが活動休止するまでもう少しだ。
柚子と沙也香と椿は訓練の時間だけではなく、学校の休み時間も割いて練習を行った。柚子はなんとなくしか知らなかった振り付けを覚え、火曜日にはほとんど完璧に踊れるようになっていた。水曜日にはルサルカの多くの楽曲の振り付けを担当しているダンサーに少しだけ時間を作ってもらい、「火のYO!心」を踊るに当たって特に気をつけるべき箇所を教えてもらった。その際に三人のダンスの特徴を聞いてみたところ、柚子はそのダンサー本人の振り付けを忠実に再現して模範的に踊るタイプで、元々振り付けをすべて覚えていた椿は少し香織に似ており動きが大きめで硬く、沙也香の動きはどちらかというとありさのように若干緩めで振りが小さいと評価された。三人の違いはそれぞれ個性だとして受け入れられ、柚子たちは問題なくバックダンサーとして正式に認められた。
昨夜は会場に赴いて、衣装を着た上でコンサート当日と同じ流れでのリハーサルも行った。事故などが起こることもなく無事に進んだため、今日は予定通りコンサートが行われることになっている。
コンサート開始二時間前。
ルサルカの香織とありさ、バックダンサーの柚子と沙也香と椿、それから勝元と翼と涼介たちはコンサート会場のステージ上で本番でのフォーメーションの最終確認を行っていた。
今回の公演では元々予定されていたコンサートのセットリストを変更し、「火のYO!心」から始めることとなった。会場の照明を落とした後に「火のYO!心」のイントロを流し、ステージの下からルサルカがバックダンサーと共に上がってくる。バックダンサーは踊りながら手に持った拍子木を叩き、送り拍子木を誘き寄せる。本当に上手く行くのか甚だ疑問な作戦だが、八郎曰く、送り拍子木は先週も悪戯をする前に会場に来ていたに違いないと言う。会場の中には他の陰陽師も待機して、徹底的に送り拍子木を迎え討つつもりだ。
「悪戯しただけの妖怪にマジでこんなに労力使うのか……」
五人がステージの上で振り付けの復習をしている様子を上手から眺めながら、翼が呆れたように言った。
「まあ、歌って踊るルサルカの二人をこんな目の前で見られるなんてラッキーだし良かったんじゃないのー?」
勝元が髪を弄りながら呑気に言う。
「柚ちゃんたちもアイドル衣装様になってたしねー。見てる分には何の不満もないね」
勝元はそう言ってへらへらと笑った。勝元たち三人は団服を着ているが、ステージ上の五人は動きやすい服装をしている。後ほど衣装に着替える予定だ。
「そもそも、昔みたいに本当にやばいレベルで脅威になるような妖怪なんて今時出てこないと思う。その分雑魚にも本気なんじゃないか」
涼介が呟いた。
「雪女はちょっとやばかったけど……」
「ああ、あれはな……」
涼介の言葉に、翼は気まずそうに声を上げた。
「やばい妖怪って……座学で名前だけ出てきた奴らか。
「まず一番やばいのは、白面金毛の娘だな」
涼介が言うと、翼は小さく笑った。
「白面金毛の娘ってどんだけやばいんだろうな……見ることはないだろうけど、ちょっと気になるよな」
「……」
翼と涼介の会話を、勝元は黙って聞いていた。
コンサート開始一時間三十分前。
柚子たちは、ケータリングサービスによって準備された食べ物やお菓子をつまみながらお喋りをして緊張を解していた。出番は最初の一曲だけとはいえ、コンサートを観に来た大勢のルサルカのファンたちの前で実際に踊るのだ。柚子はもうダンスの練習はせずにリラックスすると決めて、ゆったりと時間が来るのを待った。
コンサート開始一時間前。
開場時間がやってきた。既に外に並んでいたたくさんの人たちが、どんどん中に入ってくる。時間が経つにつれて、会場の熱気はどんどん高まっていく。
コンサート開始四十五分前。
柚子たちは楽屋で衣装に着替え始めた。衣装のデザインは、和服を現代風に可愛らしくアレンジしたものになっている。ルサルカの二人のために作られたものの、結局コンサートでは使用しないこととなった衣装だ。柚子はありさが着る予定だった紅色の衣装を、沙也香と椿はそれぞれ香織が着る予定だった緑色と紺色の衣装に身を包んだ。
勝元と翼と涼介も、八郎に言われた通り団服の上に半纏を羽織った。半纏の背中には「ル」と大きく書かれている。ルサルカの「ル」だ。
それから、六人は衣装係から仮面を受け取った。いわゆる身バレ防止のためのものだ。渡されたのは鼻から上を隠す形をした白狐の仮面だった。衣装に合う和風な仮面を探した結果、最もデザインが優れていたものがこれだったらしい。鏡に映った白狐の仮面を被った自分をじっと見つめて、柚子は複雑な気持ちになった。
コンサート開始二十分前。
柚子と沙也香と椿はステージの下へと向かった。所定の位置に立てば、コンサートが始まり次第、音楽が流れて床がせり上がり、ステージへと出られるようになっている。ステージの横では、既に勝元と翼と涼介、それから群治郎とあきらが待機しているはずだ。
緊張が高まる。大人気アイドルのバックダンサーとして踊るなんて、これが最初で最後の経験だろう。ドキドキしてきた。だが、失敗するわけにはいかない。
「あと少し……あと少しで本番ね……」
椿が気を落ち着かせるように胸に手を当てて言った。微かに脚が震えている。
「……こんなことになるなんて夢にも思わなかった。ダンスだってそんなに上手くないのに認めてもらえるなんて……」
椿はブツブツと呟いている。
「私も流石にちょっと緊張してきたかも」
沙也香が言った。そうは言いつつも、表情や立ち振る舞いは至って普段通りに見える。
「なんか私、一周回って楽しみになってきたんだけど」
柚子はそう言って笑った。
「そんな風になんて考えられないわよ!」
椿はそう言ったが、沙也香はふっと微笑んだ。
「ちょっと分かる。どうせすぐ終わるんだし気楽に行こうよ」
「図太いわね……」
椿は羨ましそうに声を上げた。
柚子はふと周囲を見回した。スタッフたちが慌ただしく声を上げながら右往左往している。それを見て、柚子はそういえばと口を開いた。
「……香織さんとありささん、遅いね」
「確かに。時間結構やばいよね」
柚子の言葉に、沙也香も頷いた。
ケータリングサービスの料理を食べた時以来、二人の姿は見ていない。コンサート開始時間まで楽屋で体を休ませているのだろうと思い特に言及してこなかったのだが、それにしても遅すぎると柚子は思った。開始までもう十五分もない。
「……もしかして、逆に私たち早すぎた? もうちょいギリギリでもよかったのかな」
沙也香がそう言ったが、スタッフたちの様子を見ていた椿は「どうかしら……」と声を上げた。どうやら、ここにいるスタッフたちもルサルカの二人がまだステージ下にやってこないことで焦っているようだった。
「誰か楽屋まで見てきて!」
「あっ、じゃあ私たちが……」
「あなたたちはここにいて!」
一人の女性スタッフが大慌てでそう言ったので柚子はそう言って向かおうとしたが、止められてしまった。
「は、はい。すみません」
思わず縮こまってしまう。三人は顔を見合わせた。
「もー、あの子たち何やってんだ!」
そう言って大きな溜息をついたのは、マネージャーだ。
「私が呼んできます。うちの二人が本当にすみませんっ」
マネージャーは近くのスタッフに声をかけると駆け出した。
「お願いしますー!」
スタッフが、マネージャーの背中に向かって叫ぶ。柚子たちは、その様子をただ黙って見ている他なかった。
ケータリングのお菓子を少しつまんだ後、香織とありさは楽屋へと戻った。しばらく他愛もない会話をして休憩を取ってから、着替えを済ませる。それぞれのテーマカラーである橙色と紫色の衣装を身に纏った二人は、一世を風靡するアイドルユニット「ルサルカ」のKAORIとARISA。……そのはずだった。
「……今日のコンサートで、一旦お休みかぁ」
香織は鏡に映る自分の姿を眺めながらそう呟いた。眼鏡を外して長い髪をアレンジし、輝く衣装に身を包んだ自分の姿は、誰もが一度はテレビで見たことがある大人気アイドルのKAORIだ。
「結局、駄目だったね」
香織は小さな声でそう言った。スマートフォンを見ていたありさが顔を上げる。
「両立できなかった。二人の夢、叶えられなかった」
「……香織ちゃん」
ありさが香織の名を呼ぶ。だが、香織は返事をしなかった。
「やっぱり、私のせいだよ。ごめんね。ありさちゃんにも、他の人にも迷惑かけてばっかで……」
「香織ちゃん、そんなことないって言ったでしょ。もうその話は終わったじゃん」
「終わってないよ……!」
香織は悲痛な声を上げながら振り向いた。
「私のアイドルになりたいって夢にありさちゃんを巻きこんだからこうなっちゃったんだよ。ありさちゃんはお父さんとお母さんみたいに立派な陰陽師になるって夢見てたのに、陰陽師としての仕事は全然できなくなっちゃった……」
苦しそうな表情でそう言う香織を見て、ありさも顔を歪めた。
「だから……アイドルと陰陽師どっちもやろうって言ったのは私じゃん……」
ありさは声を絞り出した。
「そんなこと言ったらキリないし、むしろ巻きこんだのは私の方だよ。香織ちゃんは私と一緒にアイドルになりたい、って思ってくれてたから……二人の夢を一緒に叶えることにした時に、私が香織ちゃんを陰陽師の世界に巻きこんだんだよ」
子供の時のことを思い出しながら、ゆっくりとそう語る。ありさは香織に一歩近づくと、香織の手をそっと握った。
「それでもいいってお互い納得したから、私たちは今ここにいるんでしょ。両立できなかったのは努力不足のせいだけど……でも、アイドルとしてここまで来れただけで、正直結構頑張ったと思うよ?」
こんなこと人前では言えないけどね。そう言ってありさはニヒルな笑みを浮かべた。
アイドルになることを夢見る望月香織と、陰陽師の家系に生まれた日向ありさ。小さい頃からずっと一緒だった二人は、やがて未来も分かち合うことを決めた。互いに支え合って、互いの夢を叶えると。
成し遂げられたとは到底言えない。アイドルとしてもまだまだ未熟で、ゴールはずっと先だ。だが、ここまでやってくることができたのは、周囲の人の支えがあったのはもちろん、大好きな親友が隣で一緒に頑張ってくれたからだ。
「香織ちゃん、アイドルらしからぬ顔してる」
ありさは乾いた笑い声を上げてそう言った。香織が今にも泣き出しそうな顔でこちらを見つめていたからだ。
「そんな風に思わなくていいって。ほら、もうちょいで本番だしそろそろ行こ」
そう言って、香織の手を引いて歩き出そうとする。だが、香織はまだ動かなかった。
「……そうかな……」
「もー、香織ちゃん、ちょっとネガティブになりすぎだよ。どした? いつもは必要以上に明るいのに」
そう言って香織の方を見る。香織は俯いて、小さな声でブツブツと何かを呟いた。
「え、なんて?」
ありさが香織の方に耳を近づける。それでやっと聞き取れるほどに香織の声は小さかった。
「ありさちゃんには黙ってたけど、前に柚子ちゃんたちの方が私たちより優秀だって団長に言われたんだ。私、全然ありさちゃんの夢、全然支えられてない」
「……え、そ、それは……ショックだけど」
香織の呟きに、ありさは動揺して本心を漏らしてしまった。それほどまでに陰陽団に貢献できていなかったということだ。思わず視線が泳ぐ。
「でも、それは私のせいでもあるし……」
ありさの言葉を遮って、香織が口を開いた。
「私、怖いよ」
「え?」
「このまま陰陽団に戻ってもきっと誰の役にも立てないまま。それでアイドルにも戻れなくなって、自分の夢もありさちゃんの夢も叶えられないまま終わるんだ。このままどこにも居場所がなくなっちゃう。ありさちゃんは怖くないの……」
ありさは困惑していた。
こんなに後ろ向きな彼女は初めて見た。保育園の頃からの大親友だ。二人だけが知っている互いの秘密の顔がある。だが、こんな香織は今までに一度も見たことがなかった。ありさは眉をひそめた。
「……香織ちゃん、なんかおかしくない?」
カン!
「……えっ?」
聞き覚えのある音が背後から響いた。慌てて振り向いても、そこには誰もいない。
「拍子木の音……」
青ざめた顔でその名を呟く。どうして今聞こえてきたのだろうか。……送り拍子木がここにいる? なぜ? ありさが戸惑っていると、再び、先程よりも更に明瞭な音が後ろから聞こえてきた。
カン!
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