火のYO!心(2)

 椿が目を覚まして落ち着きを取り戻したところで、香織は少し申し訳なさそうに笑った。

「ファンの子かな? いつもありがとう。急に活動休止だなんて言ってごめんね」

「あ……あの……いえ……」

 椿は顔を真っ赤にしながらモゴモゴと口を動かした。

「私たち、アイドルと陰陽師を全然両立できてなくて……」

 ありさが情けなさそうに言う。

「だから一旦陰陽師の仕事に集中して、今後どうするか決めよって言ってたところだったんだー」

「……そうだったんですね」

 柚子は小さな声でそう言った。

「だからこれからお世話になるかも。よろしくねー」

「よろしくね!」

「こちらこそよろしくお願いします!」

 ありさと香織がそう言うと、柚子たちはワクワクしながら返事をした。あまり騒いではいけないのだろうが、人気アイドルと一緒に仕事ができるかもしれないと思うとやはりテンションは上がるものだ。

「案外活動休止してラッキーだったんじゃねえの?」

 翼が面白そうに言う。

「確かに」

 その隣の沙也香も頷いた。しかし、椿の表情は明るいとは言えない。

「……もちろん嬉しいけど……こんな裏技みたいな出会い方……私は……歌って踊ってる二人が好きなの……違うのよ……」

 ブツブツと呟く椿に、涼介は困惑している。その様子を見て、勝元がのんびりと言った。

「オタク心ってのは複雑なんだねー……」



 後輩たちとの顔合わせを終え、八郎と共に部屋を出た香織とありさは、互いに顔を見つめた。

「それじゃ……私はドラマの撮影があるから、またね」

 ありさが言う。香織は黙って頷いた。ありさは八郎に小さく頭を下げてから、その場を後にする。香織はその背中を寂しげに見送った。

「望月くんは今日はオフなんだっけ?」

 八郎の言葉に、香織は慌てて振り返る。

「そうです! ほんとはコンサートの練習をしたいんですけど、ありさちゃんが夕方から撮影だから今日はもう休むことにしました。……明日も明日でバラエティの収録があってあんまり時間取れないんですけど……」

 香織は苦笑してそう言うと、すまなそうに八郎を見上げた。八郎は面倒そうな顔を浮かべる。

「はいはい、いいよ、活動休止するまではそんなもんだって分かってるから気にしないで」

「すみません……ありがとうございます」

 香織は申し訳なさそうに言った。八郎は気にするな、とでも言うように首を横に振ったが、ふと何かに気がついたように口を開いた。

「今年の新人たちは数も多いし優秀だから大丈夫だよ。君たちも抜かされないようにねえ」

 八郎はそう言って香織を見つめると、にやりと笑う。

「いや、もう抜かされてるかな?」

 八郎の言葉に、香織の目が揺れた。



 三日後、文京区にある野球場でルサルカのコンサートが行われ、椿は未だ興奮冷めやらぬ状態のまま帰り道を歩いていた。

 本当に最高のコンサートだった。KAORIとARISAはどの衣装を着てもとても可愛らしく、元気でパワフルな歌声とダンスをたくさん披露してくれた。彼女たちのコンサートを生で見たのはこれが初めてだったが、活動を休止する前に来ることができてよかったと心から思った。今は雨が降っているが、実に晴れやかな気分だ。

 どの曲も素晴らしかったが、やはりデビュー曲である「火のYO!心」の盛り上がりは凄まじかった。二人にとっても思い入れの強い歌なのだろう。あの独特の和風のメロディの中で時折鳴り響く拍子木のカン! という音は聴けば聴くほど癖になる。ああ、幸せな時間だった……。

 カン!

 突然背後から拍子木の音が聞こえた気がして椿は振り向いた。だが、そこには誰もいない。辺りを見回しても、傘を差して黙々と歩く人々の姿しか見えない。

 今日は雨も降っているし、そもそもまだ六月だ。空気が乾燥する冬に時折見られる消防団によって行われる夜回りの姿も、当然見当たらない。

 椿は首を捻ってから、前を向き直した。きっと、まだコンサートの余韻が残っているということだろう。頭の中で「火のYO!心」を再生していたせいで、本当に拍子木の音が聞こえてきたかのように感じられたのだ。あの音は、耳にもよく残る。

 椿は傘の柄を持ち直すと、鼻歌交じりで再び歩き始めた。



「拍子木ってあれだよね、カン! って鳴るやつ」

「多分そう。俺はちゃんと聞いたことないけど」

「冬の夜に聞いたことある。……でもみんな言ってるのすごいね」

 翌日、出勤時間前に陰陽団基地の部屋へとやってきた椿は、寮に住んでいるために一足早く集合していた柚子と勝元の会話を聞いて目を瞬いた。

「おはよう。拍子木がどうかしたの?」

「あ、椿おはよー」

「一橋さんおはようー」

 柚子と勝元が挨拶を返す。すると、柚子がスマートフォンを持って口を開いた。

「昨日ルサルカのコンサートだったでしょ? その帰りで拍子木の音が聞こえたーって言ってる人がいっぱいいるんだって話題になってるの。そんなに耳に残るんだねー」

 柚子が呑気な口調で言う。

「一橋さんも聞こえてきたりした?」

 勝元の質問に、椿はコクリと頷いた。

「ええ、聞こえたわ」

「えー! やっぱりそうなんだ」

「音楽の影響力ってすごいねー」

 柚子と勝元は驚いて大きな声を上げた。それから、自分たちの前の席に着いた椿に向かって身を乗り出す。

「てか、コンサートどうだった? 楽しかった?」

「最高だったわ……」

 興味津々の様子で尋ねる柚子に、椿は夢見心地な声で答えた。

「へー、いいねー。コンサートって時間どれくらいあるの?」

 勝元も問う。椿は昨夜のことを思い出しながら言った。

「二時間……半くらいかしら」

「結構長いんだ! コンサート行ったことないから気になるー。どんな感じなの?」

「ええと……まずはツアーのコンセプトに沿った映像が流れてそれに合わせて二人が出てきて……」



 訓練を終え、部屋に戻って終礼を済ませると、柚子は夕飯を食べるために食堂へと向かった。

 陰陽団の食堂は、寮に住んでいれば無料で利用することができる。寮に住んでいない陰陽師は有料になるが、それでも安値なので多くの陰陽師たちが利用している。柚子や勝元だけではなく、沙也香と椿と翼もたまに食堂で夕食を食べて帰ることがあった。今では、涼介も一緒になることもある。

「ん」

 蕎麦と海老天ぷらとかき揚げ天ぷらを食べていた柚子は、スマートフォンをちらっと見て小さく声を上げた。勝元と沙也香が柚子の方を見る。

「今日のコンサートでも同じことが起こってるー」

 柚子はスマートフォンの画面を見ながらそう言うと、画面をタップした。SNSアプリのニュース一覧に、昨日と同じように「ルサルカのコンサート後の皆さんの反応」というようなものがあったのだ。

「同じことって?」

 沙也香が首を傾げた。

「ルサルカのコンサートからの帰り道で、拍子木の音が聞こえてくるって言ってる人が昨日からたくさんいるんだって」

「それだけ頭に残るんだって言われてるけど」

 勝元が、少し疑わしげな声で言った。

「そんなことある?」

 沙也香も不思議に思っているようだった。

「みんな聞こえてるってことか? おかしくね?」

 翼も言う。

「でもやけに耳に残る歌ってあるよね?」

 柚子はそう言うと最近流行っている歌を小さく歌った。以前の交際相手と再会して心が揺れ動いている男性の気持ちを、独特なメロディに乗せて綴った歌だ。

「それマジで頭から離れねえよな」

 翼がそう言って笑った。それから柚子に合わせて歌い始める。

「……それはあるけど、耳に残る歌と音っていうのはまたちょっと違うんじゃないか」

 涼介が冷静に言う。それを聞いて柚子は唸り声を上げた。確かに、SNSで話題になるほど多くの人たちが同じ現象に陥っているというのは妙なことかもしれない。

「……そっか……確かにちょっと変だよね……拍子木の音だけ聞こえてるっていうのは……」

「妖怪の仕業だね」

 そんな声が聞こえてきて、柚子たちは慌てて声のした方を見た。八郎が、柚子のスマートフォンを覗きこんで立っている。

「ええっ?」

「だ、団長!」

「妖怪の仕業……?」

 一同が驚いて混乱の声を上げる中、八郎は淡々と続ける。

「うん。明らかにおかしいからねえ。妖怪……恐らく、送り拍子木の仕業だよ」

 八郎はそう言うと、意味ありげに笑った。

「せっかくだから、君たちにどうにかしてもらおうかな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る