火のYO!心(1)

 どうせ死ぬならばと愛した人の熱で溶けていった雪女と、人間と子を儲け、その愛する我が子のために命を投げ打った鴆。

 彼女たちの姿が、未だに瞼の裏に焼きついている。

 母親を殺した妖怪が憎いと思った。そんな妖怪をすべて討ちたいと思った。だが、この世界には愛を持つ妖怪が存在するのだということを知った。一体どうすればいいのだろう? 憎き妖怪を倒すために陰陽師になったというのに。

 ……まあ、そもそも私自身が妖怪なんですけどね。柚子は心の中で投げやりにそう呟いた。

 ……でも私は、今まで人間として生きてきた。当然、人間としての常識を持って人間としての生活を送ってきた。ただの妖怪とは違う。

 判断基準ははっきりとは分からないけど、多分、いい妖怪と悪い妖怪がいる。私は悪い妖怪を成敗していけばいい。それでいい。そうするしかないはずだ。

 そんなことを考えながら剣を振るっていた柚子が訓練を終えて部屋に戻った頃には、他の仲間たちは既に集まっていた。

「あのさ……」

 柚子がやってきたことに気付いた涼介が、気まずそうに口を開く。一同は涼介の方を見た。

「今まで迷惑かけたから、何か奢るよ。カラオケとか……」

 涼介の言葉に柚子たちは目を瞬いてから、慌てて大声を上げた。

「ええーっ?」

「奢りとか別にいらねーよ!」

 翼が嫌そうな顔をして呻く。

「いやー、六人分とか大変だよ」

 勝元も冷静にそう言った。

「カラオケって結構するよね」

「気持ちだけで充分よ」

 沙也香と椿もそう返した。柚子もみんなと同意見だったが、このまま話が終わるのはもったいない。柚子は、手を挙げて笑顔で宣言した。

「でもみんなでカラオケ行くのは賛成でーす!」



 というわけで、六人は休みになっていた火曜日の放課後を利用して、四方通りのカラオケ店に集合したところだった。

 案内された部屋に入り、飲み物を注文してから、それぞれ思い思いに歌を入れていく。カラオケにやってきたのは久しぶりだった柚子も、はしゃいでたくさんの曲を歌った。柚子が数年前に大流行したドラマの主題歌を歌った後に、翼が人気ロックバンドの代表曲を歌った頃には、一同のテンションはピークへと到達していた。

「あ! 次ルサルカだー。入れたの誰?」

 柚子が部屋に備えつけられたテレビを見上げて声を上げた。現時点で送信されている曲が順番に表示されている。一番上に載っているのは、ルサルカの「火のYO!心」という歌だ。

 ルサルカとは、KAORIとARISAという二人の女性で結成されたアイドルユニットだ。天真爛漫でちょっぴり天然なKAORIと、ドライで若干毒舌なARISAは一見すると凸凹コンビだが、実は幼い頃からの幼馴染で大の仲良しらしい。最近は音楽番組だけでなくバラエティ番組に出演することも増えてきた二人の人気はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだ。今最も人気のある二人組と言っても過言ではないだろう。

「わ……私よ」

 マイクを両手で持った椿が、ほんのりと頬を赤らめてそう言った。そういえば、椿は今日まだ一曲も歌っていない。翼を除いた四人は目を丸くした。

「えー、前に好きな歌手の話になった時何も言ってなかったじゃん!」

 柚子が驚いた声で言うと、椿は気恥ずかしそうな表情で空咳をした。

「あの時はまだ自分を曝け出すことに抵抗があったのよ」

「……今はもうねえのか……」

 翼が神妙な顔をして呟く。

「私……実はカラオケに来たのも初めてでまだ少し恥ずかしいんだけど……でも実は、今度コンサートがあるの……だから……」

「いいねー。楽しんできてね!」

 もじもじと語る椿を見て、沙也香がニヤッと笑う。

「モチベーション上げてこー」

 勝元もそう言うと、部屋に置かれていたタンバリンを掲げて激しく鳴らした。

「が……頑張るわ」

 椿がゴクリと唾を飲みこむ。やがて、テレビ画面に「火のYO!心」のタイトルが大きく映し出され、軽快な音楽が流れ始めた。

 「火のYO!心」はルサルカのデビュー曲だ。和風なメロディに、やりすぎて燃え尽きないようにほどほどに頑張ろうという歌詞が乗せられた、少々緩めの応援歌である。

 始めは緊張気味だった椿も徐々に楽しくなってきたのか、その歌声は次第に大きくなっていった。曲が終わるころには既に吹っ切れ、椿はその後も何曲かルサルカの歌を歌い、やがて一同は満足した様子でカラオケ店を後にした。

「コンサートはいつなの?」

「土曜日よ」

 柚子が尋ねると、椿は嬉しそうに答えた。待ちきれない様子だ。

「え、もうすぐじゃん! 楽しみだねー」

「今ツアーやってるんだろ。日程どんな感じなんだよ?」

 翼が言うと、椿はスラスラと答えた。

「もう少しで終わるわ。東京公演が今週の土日と来週の土曜日にあるの。来週はオーラスね」

「オーラスって?」

 涼介が首を捻る。

「オールラストの略で、コンサートの最終日という意味よ」

「へえー!」

 柚子と翼と涼介と勝元がぼんやりとした声で相槌を打った。その横で何やら黙って真剣にスマートフォンの画面を見ていた沙也香が、「え?」と素っ頓狂な声を上げる。一同は沙也香の方を見た。

「どうしたの?」

 柚子が尋ねると、沙也香はチラッと椿の顔を見てから恐る恐るといった様子で口を開いた。

「……ルサルカ、活動休止するって……」

「えっ……」

 五人の視線が、今度は椿の方へと向いた。椿は言葉を失っているようだった。衝撃で固まってしまった椿は、やがてピンと背筋を伸ばした姿勢を保ったままゆっくり後ろへと倒れこんでいく。翼が慌てて腕を伸ばした。

「椿ー!」

 柚子の悲痛な声が、辺りに響き渡った。



 翌日、学校の教室の中はルサルカの活動休止の話で持ちきりだった。ルサルカは現在敢行中のツアーが終わり次第活動を一旦休止するのだと言う。ファンに向けて発表されたのは昨日が初めてだが、関係者には以前から伝えられていたということも明らかにされていた。

 椿は意気消沈していた。朝からまったく元気がなく、昨夜家に帰ってから泣いていたのか目元は微かに腫れている。登校した際に大丈夫か聞いてみたところ、「大丈夫じゃないわ」と即答されてしまった。

 放課後になると、未だ放心しておりどことなく足元が覚束ない様子の椿を心配しつつも柚子は陰陽団基地へと向かった。ショックを受けているクラスメイトは他にもいたものの、彼女ほど悲しんでいる者はいなかった。本当に心からルサルカが好きだったのだろう。

 いつものように部屋に集合する。沈んでいる椿を見て、涼介は何と声をかければいいのか分からず困っているようだった。

 一同があきらが連絡事項を伝えにやってくるのを待っていると、部屋の襖が開いた。だが、現れたのはあきらではなかった。

「やあ! みんなお疲れ様」

 八郎だ。

「お、団長が来たってことは今日も先輩との顔合わせですかー?」

 勝元が言う。八郎はニッコリと笑顔を浮かべて頷いた。

「そうだよ。お決まりのパターンが分かってきたね」

 八郎は一呼吸置いてから続けた。

「さあ、ここでごちゃごちゃ話しても時間の無駄だしさっさと始めよう。二人とも、入っておいで」

 八郎が言うと、開けたままになっていた襖の向こうから二人の女性が入ってきた。柚子たちより四、五歳ほど年上だろうか。長い髪をおさげにしている眼鏡をかけた背の高い女性と、ふわふわと内巻きのボブヘアを揺らす女性。どこかで見たことがある気がするが、二人ともマスクをしており顔がよく見えない。柚子が目を凝らしていると、椿がハッと息を呑む音が聞こえてきた。

「えっ……?」

 椿は小さく声を漏らすと、慌てて両手で口を覆った。それを見て、八郎がにやりと微笑む。

「こんにちはー! ルサルカのKAORIでーす!」

「こらこら、今は違うでしょ香織ちゃん」

 マスクを勢いよく外して元気よく声を張り上げた眼鏡の女性に、もう一人が丁寧にマスクを取りながら冷静に声をかける。その瞬間、一同は驚愕の声を上げた。

「エーッ?」

 確かに、ルサルカの二人だ。なぜ見た瞬間に気付かなかったのだろう?

「え? 本物?」

 沙也香がポカンとして言った。

「マジか。めっちゃ可愛いなー!」

 勝元も興奮気味だ。

「すげえ。オーラがやべえ」

「芸能人って感じする……」

 翼と涼介は圧倒されている。

「KAORIってオフの時眼鏡かけてるんだ……!」

 柚子もドキドキしながらそう呟いた。

「えっと、改めまして、望月香織です。今年二十歳になります! よろしくね!」

「香織ちゃん、最近毎回自己紹介それじゃん。成人するのが楽しみで仕方ないんだ。あ、私は日向ありさです。私も今年で二十歳ー」

 元気にそう言う香織にツッコミを入れつつ、ありさも自己紹介する。

「あは、ありさちゃんも言ってるじゃん」

 香織は楽しそうにそう言ってから、柚子たちに向かってとびきりの笑顔を浮かべた。

「あのね、私たち実は陰陽師なんです!」

「多分、みんなに一番近い先輩かな。よろしくねー」

 ありさがヒラヒラと手を振る。まだ状況が飲みこめていない柚子たちの視線は、先程から一言も発していない椿の方に向いていた。

 よく見ると、椿はまたもや固まっている。やがて、バランスを崩して仰向けに倒れていく椿を見て、涼介がギョッとして手を伸ばした。

「椿ーっ!」

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