我が子羽ぐくめ天の鶴群(3)

 都龍一は、忍の血を引く陰陽師の子孫だった。家系はとうの昔に廃れ、ただその事実が横たわるのみだったが、いつしか龍一も陰陽師となった。

 二十代半ばの頃、龍一はひばりと名乗る女性と出会った。程なくして彼女と情を交わした龍一だったが、彼女が鴆という鳥の妖怪であると知ったのはもう少し先のことだった。

 ひばりの真の姿を見てからも、龍一は彼女を愛し続けた。やがて、ひばりは子を身籠り、娘を産んだ。娘には凛と名をつけた。

 凛は人間と変わらない姿に生まれ、特別な力も持たずにすくすくと育った。龍一とひばりはこの愛しい娘を命に替えても守り抜くと心に決めていた。しかし、それから間もないうちに陰陽団に関係を知られ、二人は引き裂かれてしまった。

 罰として陰陽師の免許を剥奪された龍一は、凛に申し訳なく思った。たとえ妖であれど、母親と引き離されたことが可哀想でならなかった。時が過ぎると龍一は人間の女性と結婚し、やがて涼介が生まれた。これで凛が寂しい思いをすることはないだろうと龍一は信じていた。だが、夫の連れ子が半妖であると知った妻は息子を置いて出ていってしまった。姉弟が仲睦まじく育ったことが、唯一の救いだった。

 凛の体に明確に異変が起こり始めたのは最近のことで、彼女が高校生になった頃だった。複数の医者に診てもらっても毎度原因不明だと言われ、途方に暮れていた龍一だったが、やがてある考えに思い至った。娘は鴆の力を一切受け継いでいなかったわけではなかったのだ。彼女は一つだけ恐ろしいものを受け継いでしまった。それは鴆の持つ強力な毒。彼女には毒だけが遺伝し、その毒に対する抗体は遺伝しなかったのだ。

 龍一は迷った末、娘にすべてを伝えた。自分の母親の正体や病の理由を知った凛は無論衝撃を受けていたが、それでも予想していたよりずっと大人びた反応をしていたと思う。そんな彼女よりも強い反応を示したのは、当時中学生だった涼介だ。

 涼介に真実を告げると、それ以来彼は姉につきっきりになった。そればかりか、それまでまったく興味を示していなかったはずの陰陽師を目指すとまで言い出した。父が禁忌を犯して免許を剥奪されたということも知ったというのに、彼は龍一の武器を勝手に持ち出して訓練に励むようになった。涼介が姉を救うという野望を抱いているということは、龍一もなんとなく気がついていた。だが、止めることはできなかった。龍一は涼介に稽古をつけるようになった。

 だが、結局涼介も目的を果たすことはできなかった。この時が来てしまった。毒がゆっくりと凛の体を蝕み、とうとう喰らい尽くしてしまった。どうにかして救ってやりたい。だが、自分にできることは何もない。

 龍一は歯を食いしばった。真実を知ったあの日から今日に至るまで凛がどんな思いで生きてきたのか、計り知れない。だが、凛はそれでも自分は生きるために生まれてきたのだと言った。

 涼介が驚いている。凛は優しい微笑みを浮かべている。龍一は泣いていた。愛する娘のためなら、なんでもしてやりたいと思った……。


 

「やっぱり、娘が今際の際にいるということは分かるんだねえ」

 八郎は、自室から繋がっている裏庭に出て呑気に寛ぎながらそう言った。周囲には誰もいない。ただ、庭に植えられた桜の木の枝に、鷲の体ほどもある大きな淡い緑色の鳥が止まっているだけだ。

「いいよ、会いに行って。僕も親子の最期の再会を邪魔するほど鬼じゃない」

 八郎はそう言って、なぜかクスクスと笑った。

「君がどういう選択をするのかも、楽しみにしているよ」

 八郎が言い終わると、緑色の鳥は大きく羽ばたいた。



「……姉貴」

 涼介の声は震えていた。龍一が黙って凛の体を抱きしめる。涼介も二人の体にそっと触れた。

「なんとか……できないのかよ……」

 涼介がくぐもった声でそう言って鼻を啜った。龍一は吐息のような声を出すだけで何も言わない。凛もまた無言だったが、表情は満足げだった。

「できますよ」

 誰かが口を開いた。三人の親子が体を離して顔を上げる。柚子たちも声の聞こえた方を振り向いた。そこには、淡い緑色の着物を着た、翼のように優雅に広がる髪が特徴的な綺麗な女性が立っている。その姿を見た瞬間、龍一が息を呑んだ。

「ひばり?」

 ひばりと呼ばれた女性は柔らかく微笑んだ。その目元は、凛によく似ている。

「久しぶり、龍一さん……素敵なお髭ね」

 そう言ってお茶目に笑うひばりを見て、龍一は驚きと喜びの混ざったような顔を浮かべた。一瞬、龍一は彼女の元へ駆け寄ろうとしたのかピクッと動いたが、結局彼はその場から離れなかった。

 ひばりは小さく微笑むと、三人の親子の元へと近づいていった。涼介が警戒するようにひばりを見ている一方で、凛は目を何度も瞬いている。

「もしかして、お母さん……?」

 凛が囁く。

「そうです。私があなたの……母」

 そう言って、ひばりは控えめに笑った。凛はまだしばらく状況が飲みこめずにいたが、やがて徐々に嬉しそうな顔になっていた。

「母親としての務めも果たせず……あなたに寂しい思いをさせて、ごめんなさい。それに、あなたには本当に辛い思いをさせてしまった」

「いいえ……そんなこと……言わないで」

 凛はそう言って、何度も首を横に振った。

「……優しい子に育ちましたね。きっと龍一さんと、この子のおかげね」

 ずっと複雑そうな顔をして黙っていた涼介は、ちらりとひばりの顔を見た。

「本当はゆっくりしたいけれど、時間がありません。……凛、あなたを死なせはしないわ」

 ひばりがそう言ったので、凛は表情を曇らせた。龍一が何かに気付いたようにひばりの顔を見る。

「お前……」

「龍一さん。最初からこうすればよかったのにそうしなかった私を、どうか許して」

 ひばりがそう言って、申し訳なさそうに胸に手を当てる。龍一は目を伏せた。

「いや……ひばりは悪くない。私だって考えが及んでいなかった。それに……分かっていたとしても、あの時この方法を選択できていたかどうかは分からない」

 龍一は苦しげに言って、凛の方を見た。

「それに、一番謝らなければならないのは、この子に対してだ」

「そうですね。……凛」

 ひばりは娘の方に向き直って名前を呼んだ。凛も、何かを感じ取ったような顔をしていた。

「あなたに会えてよかった。あなたは私たちの希望……」

 凛は口を開いて何か言おうとした。だが、ふらついてその場に倒れそうになってしまう。慌てて涼介がその体を支えたが、凛の様子はかなり危なげに見えた。

「お……母さ……私も、会えてよかった……」

 凛が息絶え絶えに言う。ひばりの頬を、一筋の涙が伝う。

「姉貴……もう休んでろ……」

 涼介は切なげな声でそう言うと、凛を二人の月隊隊員が囲む布団まで連れていき、部屋を出て襖を閉めた。その場には涼介と龍一とひばり、柚子たち五人の陰陽師、それから和泉が残っている。大人数で廊下に立ち尽くすわけにもいかない。涼介と龍一とひばりは別の部屋へと移動した。柚子たちと和泉もまた別の部屋に移動して、黙って三人を待った。



「私のはらわたを斬り裂いて、凛に与えてください」

 ひばりが涼介に向かって迷いなく言った。

 待ち望んだ瞬間のはずだが、涼介は逡巡していた。彼女の凛に対する愛情を見て、迷いが生まれ始めていた。涼介が黙っていると、龍一が重々しく口を開いた。

「私がやろう」

 龍一は、覚悟を決めた表情をしていた。

「私にも責任がある。私が背負おう……」

「いや……俺がやる」

 涼介は強い口調で言った。龍一が涼介を見つめる。涼介と龍一は同じ顔をしていた。

「……あなたは、そのためにここまで来たのですね」

 ひばりが優しい声でそう言った。涼介は頷く。

「俺はあんたを憎んでた……まだあんたが憎い気持ちもある……でも、あんたの思いを尊重した上で、俺はやる」

 涼介の言葉を聞いたひばりは、嬉しそうだった。儚げに微笑んで涼介を見つめている。

「……よければ、名前を聞いてもいいかしら」

 ひばりが少し気恥ずかしそうに尋ねた。涼介はその言葉に面食らったが、しっかりと答えた。

「都涼介」

「涼介……」

 ひばりが呟くように繰り返す。

「素敵な名前ね……」

 ひばりはそう囁くと、龍一の方を見た。龍一もひばりを見つめ、彼女の元へと歩いていく。そして、龍一はひばりをそっと抱きしめた。

「ひばり。また会うことができて、本当によかった」

「ええ……私も、嬉しい」

 ひばりが龍一を抱きしめ返す。二人は互いにぎゅっと腕に力をこめ、しばらくそのまま触れ合っていたが、やがて名残惜しそうに離れていった。

「涼介さん。私が言えることではないかもしれないけど……凛を……よろしくね」

 ひばりが懇願するように言う。涼介は大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと口を開いた。

「分かりました」

 涼介の声に、ひばりは涙を滲ませて笑顔を浮かべ、それからしっかりと前を向いた。そして、風も吹いていないのに髪をなびかせたかと思えば、彼女は淡い緑色の大きな鳥の姿へと戻っていた。

「……ありがとう」

 涼介は呟くように礼を言うと、苦無を両手に構えた。



 龍一が、涼介と和泉が作った解毒薬を凛に飲ませている。涼介は龍一の隣に座って、力なく横たわる姉をじっと見つめていた。柚子たちは二人の後ろに並んで座っている。親子からは何も聞いていないが、何が起こったのかは大体想像がつく。ここまできたら、凛が無事に目を覚ます姿をしっかりと見届けなければという思いだった。やがて、和泉が呟くような声で涼介に問う。

「薬学を学んどったのは、この時のためやったと?」

「……はい」

 涼介は控えめに頷いた。そして、少し迷ったように目を泳がせてから、独り言を言うように口を開いた。

「……陰陽師になったのも、あの人の居場所を誰かに聞きたかったからっていうだけでした。そのために稽古までして……今考えるともっと何かあっただろって感じだけど……」

 涼介は自嘲気味に言った。

「俺は、協調性がなくて迷惑だったと思う……陰陽師としての目標があるわけでもないから、志のある奴にとっても嫌な奴だっただろうし……」

 涼介の言葉に、柚子たちは驚いていた。目を丸くして、互いに顔を見合わせる。

「……まあ、協調性がなかったのは事実かもな」

 翼がにべもなく言った。涼介が俯く。

「でも、目標なんて私もないよ」

 沙也香がしれっとそう言う。

「俺も特にないねー。そういう家柄ってだけだね」

 勝元も手をひらひらと振りながら気怠げに言った。

「……今までそうだったという自覚があるなら、それでいいんじゃないかしら」

 椿も言う。涼介はずっと黙っていたが、ゆっくりと振り返った。そして、五人の仲間たちの顔を見つめる。

「……今まで、ごめん」

 自分よりずっと大きな涼介が体を縮こまらせて申し訳なさそうな顔をしているのが、酷く滑稽に見えた。柚子は、自分が微笑んでいることに気がついた。

「全然いいよ。もう気にしてない」

 柚子の言葉に、涼介は顔を上げた。

「もう気にしてないってことは、今まで多少は気にしてたってことだよねー」

「もー、揚げ足取らないでよ」

 勝元のからかうような言葉に、柚子は拗ねたような声で言った。

「宗くん性格悪いわー」

「えー?」

 沙也香の糾弾に、勝元は気のない声を返す。

「確かに今のは言わなくてよかったと思うわ」

 更には椿も追撃した。

「えっ? 椿ちゃんまで?」

「めんどくせえ奴だよなー」

 便乗して翼も言う。勝元は「え、一橋くんまで言う?」と声を上げた。涼介は気まずそうな顔をして五人を見ていたが、その様子を見て和泉はクスクスと笑った。

「協調性は、今から育てていけばいいっちゃない?」

 優しい声が聞こえてきて、柚子たちは和泉の方を見た。

「そうやって反省できるんなら大丈夫」

 和泉は微笑んでいる。

「目標だって、みんなより年上の人でも持っとらん人はたくさんおると思うよ。あればもっと頑張ろうって気持ちになれるだろうけど、絶対になくちゃいけないものでもないと私は思うし……。毎日精一杯生きるだけですごいことなんやから。……なんにせよ、全部これからやね」

 和泉はそう言ってまとめると、小さく笑って右手で拳を作った。

「よかったな、涼介」

 龍一もそれだけ言った。

「……ん……」

 涼介は小さく頷いた。すると、背後から呻き声が聞こえてきて涼介は慌てて振り向いた。

「あ……」

 目を覚ました凛が、天井を見上げて掠れた声を漏らす。涼介の顔が大きく見開かれた。

「姉貴!」

「凛……!」

 涼介と龍一が声を上げる。

「涼介……お父さん……」

 凛は弟と父の顔を交互に見ると、弱々しく笑みを浮かべた。

「なんか、すごく楽になった気がする……。二人と、お母さんのおかげなんだね……」

「いや、私は……」

 龍一はそう言いかけたが、涼介は黙って龍一の腕を掴んだ。龍一は驚いた顔をしていた。涼介は父親に対しては何も言わず、凛を見つめて涙を流していた。震える唇を噛みしめて、声を堪えるように喉を鳴らしている。

「よかった……」

 凛は力なく微笑むと、ゆっくりと上半身を起こした。涼介と龍一がその体を支えようとしたが、凛は小さく首を横に振った。そして、窓から見える空を見上げる。

「……お母さんには、もう会えなくなっちゃったんだね」

 凛の声には、涙が滲んでいる。

「ありがとう……」

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