にてないふたご(2)
夜八時。日は既に落ちており辺りは真っ暗だ。一度帰宅した柚子たちは、着替えや夕食などを済ませてから四方通りで落ち合うと、西新葉一丁目の廃工場の住所を調べてその場所へと向かった。目的地が近づいてくると、それらしき建物が見えてきた。出入口付近には誰もいない。柚子たちは一旦立ち止まった。
「それじゃ、一応できたら覗き見して、何かあったら飛び出すつもりだけど、やばくなっても私たちが来なかったら大声出してね。何言ってもいいよ」
「多分、中がよく見えなくても声はちゃんと聞こえると思う」
勝元が首を伸ばして工場を観察しながら言った。廃工場はさほど大きくなく、外観も予想していたほど汚くなかった。ただ、長年稼働していないということが見てすぐ分かるほどには寂れている。ところどころ塗装が剥げて、鉄骨が剥き出しになっている。夜空の下に佇む無骨な建物は少し不気味だったが、言葉にできない魅力も醸し出していた。
「会話が不自然に途切れたりした時もどうにかするから、声が出せない状況になっても慌てないで」
勝元が冷静に言う。
「行ってすぐに拘束とかされるかもしれないから……」
柚子も続ける。しかし、椿は小さく首を横に振った。
「何もかも頼るつもりはないわ。私も自分の武器を持ってきたから」
椿はそう言って、背負っているリュックを二人に見せた。柚子と勝元は思わず顔を見合わせた。
「やるじゃん。弓?」
「そうよ。梓弓っていうの。小弓だから持ち運びやすいのよ」
椿はどこか勝ち誇った様子で言った。
「私も、自分にできることはやるわ。……行ってくる」
椿が言う。柚子と勝元は頷いた。椿が真っ直ぐに廃工場へと向かっていく。二人はその後を足音を立てないようにゆっくりと追いかけて、廃工場の出入口へ歩いた。柚子と勝元は開け放された扉の右側と左側にそれぞれ立つと、慎重に中を覗きこんだ。暗くてよく見えないが、中は意外とすっきりしている。不良の学生たちが登場するドラマで決闘が行われているような、いかにもな場所だ。
椿が廃工場の中を歩く音が響いている。よく見ると、奥の方に人影が見えた。
「椿……なんでマジで来たんだよ?」
困惑したような、焦ったような声が聞こえてきた。その台詞からして、声の持ち主は椿の弟である翼で間違いなさそうだ。
「どーも、椿ちゃん」
こんな状況だというのに、やけに落ち着き払った声が聞こえる。見れば、一番大きな影が動いている。彼がここの不良たちのリーダーなのかもしれない。
「正直、マジで来てくれるとは思わなかったからちょっとビビったわ。俺は敦。よろしく、椿ちゃん」
「翼と話をさせてください」
椿はそれしか言わなかった。敦は機嫌を損ねたのか黙りこんだ。柚子と勝元はヒヤヒヤしながらその様子を見つめていたが、敦はやがてぶっきらぼうに口を開いた。
「……どーぞ」
そう言って、敦が腕を伸ばして誰かに順番を譲るような仕草をする。それから、敦より少し小さな人影が椿に近づいてきた。彼が翼だろう。
柚子と勝元は、息を詰めて見守った。椿が大きく深呼吸をしたのが二人にも分かった。
「ずっと、翼に謝りたかった」
椿が、ぽつりぽつりと語り始めた。
「いきなり距離を置いてしまったから。……あなたの才能に、嫉妬したの。ごめんなさい。私がそんなことをしなければ、翼がお母さんとどんどん険悪になっていった時にも、もっと何かを分かち合えたんじゃないかって思うの。きっとこんな風にはならなかった」
誰も何も言わない。敦を含めた不良たちも、椿の独白が予想外だったのか、意外にも大人しく彼女の話を聞いている。
「陰陽師になんてならなくていいわ。お母さんのことも、許さなくていいと思う。だけど……せっかく一緒に生まれてきたのに、ずっと一緒に生きてきたのに、このまま終わってしまうのは、……嫌なの」
椿の声は震えている。
「双子だからってずっと隣にいられるとは思わない。私たちは性別も、性格も違うから。これからもいろいろなことが変わっていくと思うわ。でも……私はできれば……また、子供の時みたいに、翼と仲良く平和に暮らしたい」
椿が、しっかりと前を向いたのが分かった。
「私が伝えたかったのは、それだけよ」
椿がそう締めくくり、廃工場の中は沈黙に包まれた。やがて、誰かが口を開いた。翼だ。
「……そんなことを言うためだけにここまで来たのかよ」
翼が低い声で言う。
「そうよ」
椿はハッキリと答えた。
「椿……」
翼が姉の名を呼ぶ。それから、翼は突如雷鳴が鳴り響いたかと思うほど声を張り上げた。
「帰れ! 今すぐ逃げろ!」
椿は弟の突然の大声に面食らったようだった。沈黙の隙に、工場の隅にいた二人分の人影がこっそりと椿に近づいていたのだ。しかし椿は気付いても反応できず、二人に捕まってしまった。他の二人も素早く動いて、翼の体を羽交い締めにする。その瞬間、迷わず柚子は飛び出していた。
「その二人を放して!」
「ん? 誰だ……」
敦が呟く。廃工場の中は暗かったが、先程よりはその姿がよく見えた。色が抜けて、金髪どころか白に近いくすんだ色になっている髪が目を引く。耳には大量のピアスがついていた。成人しているようには見えないが、口には煙草を咥えている。
「……」
敦の目が、柚子を捉えて細くなった。それから、堪えきれなくなったかのように吹き出す。
「椿ちゃん、お友達連れてきたの? めっちゃ可愛いね。こっちのが断然タイプだわ」
柚子は何も言わずに敦を睨みつけた。
「話し合いが終わったら椿ちゃん襲ってやろうと思ってたけど、やっぱ帰っていーよ。こっちにする」
敦がそう言って柚子に触ろうとした瞬間、柚子の目の前に炎が燃え上がって壁のように立ちはだかった。不良たちからどよめきの声が上がる。柚子は思わず振り向いた。勝元は相変わらず隠れていたが、顔だけ出してこちらを見守っていることは確認できた。
「なんだ、今の!」
「火事か?」
不良たちが驚いて声を上げる。その弾みで椿と翼は解放された。
「……」
敦はこの不思議な炎の壁の正体を知っているのだろうか。驚く素振りは見せず、薄ら笑いを浮かべて興味深げにじっと柚子を見つめている。それから、馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「震えてんじゃん。怖いんだ?」
「は?」
柚子は思わず声を上げていた。恐怖など微塵も感じていない。この男の卑劣さへの、怒りで震えているのだ。
「
柚子の言葉に激昂した敦が、いきなり悪態をつきながら力任せに拳を振り下ろしてきた。しかし柚子は咄嗟に数歩下がって軽く攻撃を避けると、無意識のうちに思いきり回し蹴りをお見舞いしてしまった。吹っ飛ぶ敦を見て、柚子は顔を青くした。
「きゃー、人間蹴っちゃった! ごめんなさい! いやでも正当防衛!」
その場に仰向けに倒れこんだ敦は、痛そうに顎をさすりながら起き上がった。
「何? お前……天才空手少女かなんか?」
柚子は目をみはった。普通の人間なら気絶させてしまうほどの威力で蹴ったはずなのに、彼は平気で立ち上がっている。
「は? つっよ……」
「やべえ、なんかやべえよ!」
四人の不良たちは謎の炎と柚子の蹴り技に恐れをなして震えている。慌てて逃げ去ろうとしたが、今度は目の前に螺旋火炎が現れ、不良たちは叫び声を上げた。
「いやー、許されないね、いろいろと」
勝元がそう言いながら廃工場の中に入ってくる。不良たちは驚いて腰を抜かしてしまったようだった。
「ほんとはぶち当ててやりたいけど、そしたら火傷させちゃうしなあ」
勝元はそう言いながら柚子の隣までやってきた。
「なんだよこいつら?」
翼は半分パニックになりながら言った。椿は柚子の蹴りの威力に若干驚きながらも、微笑んでいた。
「陰陽師仲間よ」
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