にてないふたご(1)
西新葉の辺り、特に一丁目付近は新葉区の他の地域に比べて治安が悪いと言われている。犯罪に手を染めている、またはその一歩手前の青少年たちが
西新葉一丁目の外れにある廃工場を根城にしている少年たちのうち五人が、輪になって何かを囲んでいる。一人の少年が煙草に火をつけた。その慣れた手つきからは、彼が煙草に手を出したのはつい最近のことではないということが分かる。
「またパクってきた。あそこのコンビニ、この時間外人一人しかいねえからチョロいぜ」
「サンキュー。貰うわ」
少年たちが囲んでいるのは、仲間の一人が万引きした数個の缶チューハイだった。少年たちは軽く礼を言いながら、缶に手を伸ばして嬉々として酒を飲み始めた。隣の少年が缶に一切手を付けていないことに気がついた一人が、しゃっくりしながら声を上げる。
「お前、飲まねえの?」
「ん。いらねえ」
「ノリわりー」
「わりい。多分俺酒弱いんだと思う」
少年はそう言うと、八重歯を見せてニヤッと笑った。
「うわダサ」
他の少年が馬鹿にしたように笑いながら言う。それから少年は、遠くから人が歩いてきていることに気がついて声を上げた。
「お、敦帰ってきた。おかえりィー」
この少年たちのリーダー的存在である梶原敦は、小さく手を挙げて応えた。軽く頭を振って、目元まで伸びた邪魔そうな前髪を払う。彼は今年十八歳になる。他の少年たちより年上だ。
「酒飲む? 敦」
「いらねー」
敦はそれだけ言うと、廃工場の奥の方へと向かっていった。工場の奥にはほとんど何もなく、暗くだだっ広い空間が広がっているだけだ。先程酒を断った少年が、敦を追いかけて走った。
「あ……? どうしたよ、翼」
少年、翼が追いかけてきていることに気がついた敦は、ポケットに手を突っこみ、顔だけ振り向いて声をかけた。
「敦……あれはマジでやめといた方がいい」
翼が真剣な顔つきで言う。
「は? あれって?」
敦はとぼけた声を上げた。
「分かってんだろ」
翼は敦を睨みつけた。敦は鼻でせせら笑った。
「なんだよ。怖えの?」
「いや、あれはマジでやばいやつだって。取り返しのつかないことになったら……」
突如物凄い音がして、翼の体が数メートル吹っ飛んだ。仲間たちが驚いてこちらを見る。敦に頬を思いきり殴られた翼が、床に勢いよく叩きつけられた音だった。
翼は顔をしかめた。血の味がする。口の中が切れてしまったようだ。翼は血を吹き出して敦を見上げた。
「翼。お前、最近面白くねえよな」
翼を見下ろす敦の顔は笑っているように見えるが、目は笑っていない。
「せっかく貰ったものは大切にしねえと。分かるだろ? 有効活用してんだよ」
「……手放さねえなら、俺はもうここには来ねえ」
「はあ?」
翼の言葉に、敦の声が一オクターブ低くなった。敦の目がすうっと細くなる。
「もう来ねえっつったんだよ! 忠告したからな。マジでどうなっても知らねーぞ」
翼は立ち上がりながら声を荒げた。そして足早に立ち去ろうとする。しかし、敦の方が早かった。翼の着ていた服の襟を掴み、強い力で引っ張って自分の方へ引き寄せる。翼は苦しそうにもがいた。
「ハイ分かりましたって、簡単に帰してもらえると思ってんの?」
敦は冷たく光のない目で翼を見つめた。そして、乾いた笑い声を上げる。
「お前、双子のお姉ちゃんがいるんだってな」
翼の目が揺れた。
「は? いねえよ」
「嘘つくんじゃねえよ」
敦はそう言うと、翼の腹を強く殴った。その場に崩れ落ちた翼がゴホゴホと咳きこむ。
「知ってんだよ。最近はあんま仲良くないんだって? お姉ちゃん、全然帰ってこねえ弟とお話したいって思ってんじゃねえの?」
「おい……マジでやめろ……」
翼は腹を押さえて唸るように言ったが、敦は薄ら笑いを浮かべたままだ。
「最近溜まってんだよ。呼んだら来るかな?」
「ふざけんな!」
大声を上げた翼は鬼の形相で敦に殴りかかったが、敦は翼の拳を片手で受け止めて翼の動きを止めてしまった。
「なあ、シスコン」
敦は、地獄から響くかのような低い声を絞り出した。
「お前が今の俺に勝てるわけねえだろ」
敦は翼の拳を掴み、手首を捻りながら言った。翼が痛みに悲鳴を上げる。
「お姉ちゃんが来なかったら、そん時はお前をぶっ殺してやるよ。そしたら嫌でもやめられるだろ」
敦はそう言うと、嬉しそうに笑った。
「ねえ見た? ニュース」
「何の?」
「連続辻斬り事件。四方通りでもあったんでしょ? やばくない?」
「あー……」
登校中、柚子と勝元は今話題になっている事件について話していた。
最近、柚子たちが生活する新葉区で奇妙な事件が起こっている。街中の複数の建物に、刃物か何かで斬りつけたような跡が発見されたのだ。既に二件同じような事件が起きており、どちらも犯人は同一であると推測されている。一件目は治安が悪いことで有名な西新葉の方で起こり、二件目は柚子たちもよく利用している四方通りで起こった。二件目に至っては怪我人が数名出るなどの被害も出ており、今後もまた事件が起こる可能性が高いと危ぶまれているところだ。死者こそまだ出ていないものの、夜間に突如街を斬り裂くその様がまるで武士の辻斬りを思い起わせるということで、主にSNSで人々から連続辻斬り事件と呼ばれるようになっていた。
「みんな怖がってるよ」
柚子はそう言ってスマートフォンを取り出し、「あ」と声を上げた。
「都くん、今日もだめかぁ」
「え、なんで急に都くん?」
勝元が食いつく。画面を覗きこもうとしてきたので、柚子はスマートフォンを隠すように腕を手前に引いた。
「この前都くん来れなかったでしょ? だから放課後にでも遊べないかなってたまに声かけてるんだけど、今んとこ全滅」
「え……どれくらいの頻度で連絡取ってんの……?」
勝元は放心したような声で言った。
「適当に。都くん塾でも行ってるのかなー。なんか忙しそうなんだよね。でもこんな事件もあったし、しばらくはあんまり出歩かない方がいいかも……」
「俺とは全然FINEしてないのにぃー?」
勝元はまだ言っている。
「だって毎日会ってんじゃん。なんなら朝から晩までわりと一緒にいるじゃん」
「まあそーだけどさぁ」
勝元はそう言うと、わざとらしく溜息をついた。
「柚ちゃん全然俺に優しくしてくれなーい」
「ええ?」
柚子は不満げに声を上げた。
「勝元くんには優しくしてるつもりなんですけどぉ」
「ほんとー? じゃあもっと優しくしてほしいなー」
柚子がふざけて猫撫で声を上げると、勝元も同じように返してくる。柚子は顔をしかめた。
「え……やだ……今のちょっとキモかったし……」
「柚ちゃんは今日も俺に対して遠慮がないねー」
「勝元がめんどくさいからだよ」
いつもと変わらない他愛のない会話を続けているうちに、二人は学校に到着した。教室に入り、席に向かうと、柚子は椿が一枚の紙をじっと見つめて黙っていることに気がついた。
「椿、おはよ。どうしたの?」
「え? ああ、おはよう……」
椿は手に持っていた紙を制服の胸ポケットにしまいこんだ。それを見ていた柚子は、鞄を机に置くと椿の前に戻り、真剣な表情で繰り返した。
「どうしたの」
「……」
椿は迷っているように見えた。しばらく目を泳がせて黙っていたが、やがて大きな溜息をついて口を開く。
「後で話すわ」
昼休みになると、柚子は勝元と沙也香、それから椿と一緒に食堂に向かった。椿が二人にも聞いてもらった方がいいかもしれないと言ったからだ。
柚子と勝元が隣に座り、その向かいに沙也香と椿が座る。椿は手作りの弁当を持ってきているので、柚子と勝元と沙也香が食堂の料理を買ってテーブルに戻ってきたところで、椿はようやくあの紙を取り出してテーブルに置いた。
「手紙?」
勝元が声を上げる。紙には、お世辞にも上手いとは言えない文字で何かが書かれていた。沙也香が読み上げる。
「今日、夜八時くらいに西新葉一丁目の廃工場に来てください。弟くんが話をしたくて待ってるよ……」
沙也香の声は、だんだん小さくなっていった。
「私の弟の翼は……いわゆる不良で、夜は家に帰らないで実際にこの辺りで遊んでいるんだと思うの」
椿は静かに言った。
「いや、行っちゃだめでしょ」
勝元が唐揚げを頬張りながら平然と言った。
「今辻斬り事件とかもあるし、危ないよ」
沙也香も真面目な声音で言った。
「絶対罠だよ。女の子呼び出すって……、……っていうか、これどこに置いてあったの?」
勝元が問う。
「下駄箱よ」
「マジ? よく椿の下駄箱見つけたね」
柚子は驚きの声を上げた。
「確かに」
勝元も頷く。柚子が椿の方を見ると、彼女は覚悟を決めた顔をしていた。
「行くつもりなの?」
「……翼と話をしたいとは思うわ」
椿が言う。勝元は「お話させてくれるかなー……」と呟いた。
「絶対危険じゃん。警察とかに言えないのかな?」
「呼び出されたってだけだと微妙かなー」
「大人を連れてくとか? 陰陽師の誰か」
柚子の頭には、群治郎の顔が思い浮かんでいた。
「いやでも止められて終わりだな……」
柚子はそう言って頭を振った。
「団長、なんかいつも暇そうにしてっけど来てくれないかな」
「団長ってあの人だよね? 弱そう」
勝元の言葉に、沙也香が容赦なく言う。
「……じゃあ、私たちがついていくとか」
柚子の言葉に、一同は目を瞬いた。椿が慌てて声を上げる。
「だめよ、巻きこむわけにはいかないわ」
「いや、とりあえず隠れといてさ。なんかあったら飛び出すの。私の武器とか勝元の術? があれば脅しになりそうだし」
「まあ……刃物とか出されても多分こっちの方が強いとは思うけど」
勝元が唸るように言った。
「人に向けちゃだめだからね……」
「それはもちろんそうだけど、正当防衛。何もなければ何もしないよ」
「うーん」
勝元はしばらく考えてから、ニッと笑った。なんだかちょっぴり悪い笑顔だ。
「いいよ。俺はそれで」
「私は、やめておくね」
しばらく黙っていた沙也香がそう言った。
「私はまだ戦えないし。正直ちょっと怖いし、今回はあんまり手伝えそうにないから」
沙也香の言葉に、柚子たちは頷いた。
「そうだね。危ないことはしない方がいいよ」
「それはこっちの台詞なんだけど……」
沙也香は小さく呟いた。
「柚子も椿も気をつけて」
「うん」
「ありがとう」
「おーい、俺は?」
「二人とも……こないだから迷惑をかけて悪いわね……」
椿が申し訳なさそうに言った。気にしなくていいのにと思いながら椿の顔を見た柚子は、彼女が弁当にほとんど手を付けていないということに気がついた。
「いーよ! てか別に迷惑とか思ってないし」
「夜の廃工場ってちょっと面白そうだしね」
勝元も、どこかワクワクした様子で言う。
「マジで気をつけてよ……」
沙也香は呆れた声でそう言って、心配そうに柚子と勝元を見つめた。
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