月と太陽(3)

 土曜日がやってきた。椿は溜息をついて空を見上げた。とうとうこの日がやってきてしまった。

 僅かに東京湾に面している新葉区の沿岸部には、ムーンアイランドという小さな遊園地がある。今日はここで遊ぶ予定だ。待ち合わせ時間まであと十分近くあったが、椿は一番にやってきて、エントランス前に姿勢よく立って一同を待っていた。

 結局涼介は来れないらしいと昨日柚子から聞いた。私も用事があるって言えばよかった。椿は心の中でそう呟いた。用事なんて、課題や授業の予習復習、それから弓道の練習以外に何もないけれど。

 三分ほど経つと、柚子たちがやってきた。予想通りだったが、いつもの二人と一緒に来たようだ。柚子は「おはようー!」と声を上げながら近づいてきた。

「待った? ごめんね」

「早めに来ただけだから気にしないで」

 柚子の言葉に、椿は少し棘のある言い方で返した。

「ちょっと早いけどちょうどいいね。チケット買いに行こうか」

 沙也香が言う。一同は頷くと、チケット売り場に並んだ。それぞれチケットを購入してから、開園して間もないムーンアイランドの中へと入っていく。ゲートを抜けた先には、陽気なBGMが流れていた。

「まず何乗ろっか?」

 柚子が意気揚々と言った。

「この、最近できたってアトラクションは? 移動しながら的を撃つやつ」

 勝元がマップを広げながら言った。柚子もマップを覗きこむ。

「いいね。人気そうだし行っちゃおうか。沙也香と一橋さんはどーお?」

 柚子はそう言って顔を上げた。

「いいよ、行こう」

「ええ……それでいいわ」

 二人の返事を聞いて、柚子は「じゃ行こっか!」と満面の笑みを浮かべる。四人は早速アトラクション「ルナ・ラビットのアイランド奪還大作戦!」の方へと向かっていった。このアトラクションは、ムーンアイランドの平和を脅かす宇宙人たちを倒すため、ムーンアイランドのマスコットキャラクターであるウサギのルナ・ラビットに協力をするという設定のもので、客は移動する乗り物に乗って形や色によってポイントの変わる的をひたすら撃っていく。乗り物の定員は二名らしく、四人は並んでいる間にグーとパーを出す手遊びでペアを決めた。

「よっしゃー、頑張ろっと」

 椿の隣では、柚子が意気ごんでいる。

「宗くんには負けたくない。マジで負けたくない」

「そんなに言われたらなんか俺も本気になってきた。頑張ろ……」

 後ろでは沙也香と勝元が静かに闘志を燃やしていた。

 やがて順番が回ってきた。椿たちは宇宙船を模したような乗り物に乗りこんで、備えつけられたおもちゃの銃を構えた。

 これでも、的を狙うゲームはわりと得意な方だ。陰陽師である母親の言いつけで、小さな頃から弓道を習ってきた。弓と勝手は異なるが、それなりに結果を出せる自信が椿にはあった。

 アトラクション中、柚子が楽しそうに声を上げる横で、椿は無言でひたすら的を撃った。まずはポイントの低い簡単な的を狙って、銃を撃ってから的に当たるまでの時間をなんとなく把握する。気になるほどのタイムラグはないようだった。地道にコツコツとやっていくのが性に合っているが、こういったゲームでは恐らく、そのやり方では大した得点は出せないだろう。椿は確実に撃てる的を狙いながらも、時折ポイントの高い小さな的を撃っていった。

 アトラクションが終わり、乗り物に備えつけられた小さな画面に自分のスコアが映し出された。隣の柚子がちらっとこちらを見て、声を上げた。

「一橋さんすごーい!」

 大した差はなかったが、椿の成績の方が少しだけよかった。柚子の言葉に、椿はちょっぴり気分を良くした。

「私にしては頑張った気がするわ……腕が疲れちゃった」

「あはは!」

 柚子が笑う。二人は乗り物から降りて出口へと歩いた。

「弓道をやっているから、狙うのはそれほど苦手じゃないのかも」

 椿はそう言ってから、ハッとした。教えるつもりなんてなかったのに口にしてしまったからだ。

「弓道やってるんだ? もしかして陰陽師と関係あるの?」

 柚子は興味津々の様子で聞いてくる。椿は思わず答えていた。

「……ええ。一橋家は、昔は神事で弓を鳴らす役割を担っていた梓巫女の家系だったの。今はそういうのは廃れてただ弓矢で戦っているだけだし、男性もやってるけど」

「へえー!」

 柚子は感心したように目を輝かせた。

「どうだった?」

 少し後に出てきた沙也香が話しかけてきた。

「一橋さん、すごかったよー。負けちゃった」

「え、柚子負けたの? ちょっと意外かも。すごーい」

「別に……僅差よ」

 椿はモゴモゴと答えた。

「私も宗くんに負けちゃった。悔しー」

「腕……腕が痛い……」

 がっくりしている沙也香の横で、勝元はそう言いながら両腕を振っている。

 アトラクションを出ると、香ばしい匂いが漂ってきた。柚子が目を輝かせる。

「あー、ポップコーンのいい匂いするー! 食べようよ!」

「いいねー。何味?」

「えっとー、普通に塩かな?」

「私も食べよっと。二箱買って分ける? 一人ずつ買う?」

「私余裕で一箱行ける!」

 柚子が言う。

「じゃ、食べたい人は買おー」

 柚子たちがポップコーンを売っているワゴンに並びに向かう。椿は少し迷ってから、三人を追いかけた。



 それから、様々なアトラクションに乗ったり、歩いていたルナ・ラビットと遭遇して一緒に写真を撮ったりして一同はムーンアイランドを満喫した。気がつけばもう夕方で、辺りは暗くなり始めている。椿は、自分が思っていたよりずっと楽しんでいることに少し驚いていた。

「ねえ、そろそろこれ行こうよ。外せないでしょ」

 柚子がそう言って、目の前のアトラクションを指差した。「ハリケーン・ライダー」。このムーンアイランドで一番人気のアトラクションと言っても過言ではない、いわゆるジェットコースター型のアトラクションだ。椿の顔が引きつった。絶叫系は苦手なのだ。

「行こ行こ。楽しそうー」

「おー、結構激しそうだね」

 ちょうど頭上を通った列車から絶叫が聞こえ、勝元がニヤッと笑った。

「……」

 何も言わない椿を見て、勝元が声を上げた。

「一橋さん、絶叫苦手?」

「えっ……そ、そんなことは……」

 椿は思わずそう口走ってしまった。しかし、プライドと本音がせめぎ合い、乗りたくないという本音が勝った。

「……ある、わね……」

 声を絞り出す。

「じゃあ違うのにしよ!」

 柚子が朗らかに言ったのを聞いて、椿は思わず目を見開いた。

「い、いいのよ、遠慮しないで」

「えー、でも……」

「一番人気なアトラクションなんでしょう? 私は待ってるから」

 椿の言葉に、三人は顔を見合わせた。

「……じゃあ、お言葉に甘えますかー」

 勝元がそう言ってへらっと笑う。

「うん。ありがとね一橋さん」

 沙也香もそう言って笑みを浮かべる。

「いいえ。出口の辺りで待ってるわ」

「分かった! 行ってくるね」

 椿の言葉に頷いて、三人は「ハリケーン・ライダー」に並ぶ列へ嬉しそうに向かっていった。

 椿は出口を探して少し歩き、適当な柵の近くに立った。そして、ふうと小さく息をつく。

 分かりきっていたことではあるが、やはり、柚子は優しい子だった。彼女だけではない。勝元や沙也香もだ。この一日、三人の言動のせいで自分の心が傷つくことは一度もなかった。

 だが、それが裏返しでもあるのだ。彼女の良さを知るたびに、自分との差を思い知らされる気がする。彼女みたいになれたら、こんな風に思うこともないのに。一人になった途端、椿はそんなことを考えていた。私が勝てるのは、小さい頃から死に物狂いで練習し続けた弓術と、それにちょっと似ていることだけ。あとは何もない……。

「こんにちは」

 ふと声をかけられて、椿は慌てて顔を上げた。目の前に、着物を着た女の子が立っている。遊園地の中では、かなり動きづらそうな格好だ。

「こんにちは……?」

 椿は少し警戒しながらも挨拶を返した。女の子はニッコリと微笑む。

「よかったら、その体を貸してくれない?」

 女の子の言葉に、椿は目を瞬いた。

「ちょっとだけでいいのよ」

 女の子の怪しげな口ぶりに、椿は訝しげな瞳を向けた。

「私、古山茶ふるつばきっていうの。椿ちゃん、同じ名前同士仲良くしましょ」

 椿はハッとした。妖怪だ。その名の通り、老いた椿の木の妖怪。

 人を呼ばなくては。椿が足に力をこめたのを目敏く見つけた古山茶は、にやりと笑った。

「弟を思い出してるのね」

 古山茶の言葉に、椿は固まった。

「自分より才能があって、いつも自分のことを助けてくれた双子の弟を」

 椿は言葉を失って、古山茶を見つめている。古山茶は更に続けた。

「小さな頃は仲良しだったのに、あなたたちはだんだん離れ離れになっていった。それは、あなたが先に距離を取ったからでしょ? 嫉妬したのよ、嫉妬。あなたは可愛い弟が憎くて堪らなかった」

「違うわ!」

 椿は思わず叫んでいた。

「いいえ、違わない。一緒にいると、何もできない自分が嫌になるからあなたは弟から距離を取った。そして、どんどん変わっていく弟から目を背けた。弟は小さい時に助けてくれたというのに、あなたは彼を助けてあげないの?」

「やめ……やめて……!」

 椿が悲痛な声を上げる。しかし、古山茶は止まらなかった。

「いいえ、やめないわ。……あの人は、弟にちょっぴり似てるのよね」

 古山茶がそう言った瞬間、椿は顔を歪めて両手で覆った。柚子のことだ。

「き……君たち! 大丈夫かい。気分でも悪いのかな」

 二人の様子がおかしいことに気がついたらしい中年の男性が声をかけてきて、椿は両手を離して顔を上げた。ムーンアイランドの従業員のようだ。

「あ……」

 椿は掠れた声を上げた。この人に言って、助けを呼んでもらおうか? 自分だけでは何もできない。しかし、椿が迷っているうちに古山茶が素早く動いた。

 古山茶の頭につけられた椿の髪飾りがいきなりブワッと大きくなったかと思えば、男性を飲みこんで元の大きさへと戻った。椿は驚いて声も上げられなかった。両手で口を押さえる。古山茶は耳に髪をかけ直す仕草をした。

「邪魔しないでよ、もう」

 古山茶はそう言うと、椿に向き直った。椿は必死に考えていた。どうすればいい? どうすればいい? 自分の力だけではこの窮地を逃れられない。被害者まで出してしまった。通報して、陰陽師を呼ばなければ。早く、早くしないと、早く……。

 しかし、椿は動けなかった。古山茶がゆっくりと近づいてくる。

「彼女みたいになりたい? それは、そんな綺麗な感情じゃないでしょ? 嫉妬よ、嫉妬。あなたはかつて弟に感じていたように、今度は彼女に嫉妬している。身の程知らずよ。あなたがあんな素敵な人になれるわけがない。……ふふ。自分でも、よく分かってるのよね」

 古山茶はおかしそうに笑った。

「才能があって、みんなから愛されていて、当然のように人に手を差し伸べられる人になりたいけれど、なれるわけがない。だから嫉妬する。距離を取るし、自分を守るために相手のことを見下す。醜い感情よね」

「……」

 椿は、とうとうその場に膝をついてしまった。どうして、どうしてそんなことを言うの? 私はどうすればよかったの? 一緒にいても、どんどん自分が嫌いになっていくだけなのよ。翼のことは大切に思っているけれど、それでも辛かったの。

 椿には、双子の弟がいる。性別どころか、性格も何もかも正反対の弟が。

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