古い放水路
車は森の中を走っていた。舗装されていない砂利道のため、地面の凹凸で車体がコトコトと揺れた。それほど長い距離を走ったようには感じられなかったが、辺りは真っ暗で今どこにいるのかコースケには検討もつかなかった。しばらく進むと、正面に工事現場のような囲いが見えてきた。『通行止』と書かれたボロボロの看板が立てられていたが、その入り口に設置されたアコーディオン型の門扉は開いている。ヘッドライトが囲いの中をぼんやりと照らすと、奥には老朽化した白い建屋が浮かび上がった。車はその建屋の中へと進行していく。
建屋内部は開けた空間になっていて、コンクリート製の大きな丸い縦穴が地下へと伸びていた。車はその縦穴の淵に沿うように進み、工事用の仮設エレベータに入った。ブザーが鳴った後でガクンと不安定に揺れたと思うと、車を乗せた金属の籠はゆっくりと縦穴の壁を降下していった。
エレベータを降りた先は巨大なトンネルに繋がっていた。直径は30m弱ぐらいあるだろうか。壁に等間隔で取り付けられたオレンジ色のランプが延々と先へ続いている。コースケは、その大きさや形状から古い放水路だと分かった。
「一体どこへ?」
コースケは訊いた。
「筑波山へ」
島本はそれ以上説明しなかった。
オレンジ色のライトが、一定のリズムで車内に影を作り出していく。
「気分はどう?」
レンは隣に座るエリを気遣った。
「だいぶいい」
エリは静かに答えた。
15分弱揺られたところで、車は減速した。コースケは目の前に金属製の大きな隔壁があることに気づいた。その隔壁は、トンネルにぴったりと栓をするように作られている。トンネルはそこで行き止まりになっていた。
レンとエリも不思議そうに前方を注視する。
「この先だ」
島本は車の右側を指差した。そこには車1台が通れるほどの角ばった水密扉があった。黄色い回転灯が点灯し、その隔壁がゆっくりと開く。大きな隔壁を迂回するようにして、車はさらに先へと進む。
車を降りて3人が案内されたのは、会議室のような部屋だった。しかし、一般的な会議室とは様子が違っていて、部屋の壁一面を埋め尽くすように様々な写真や資料が貼り付けられている。資料は壁だけでは収まりきらず、何台ものホワイトボードにも留められていた。
そこにあったのは、宇宙開発に関わる資料だった。新聞記事の切り抜き、タイプライターで入力された古い打ち上げ計画書、ロケットの図面、何かのソースコードが印刷された書類、英語で記述された報告書、船外活動をする宇宙飛行士の写真、スペースシャトル発射台の写真、ISSの船内で浮かぶ宇宙飛行士の写真、探査機の写真、管制室で喜びを分かち合う職員たちの写真が3人の目に入ってくる。
部屋の中央にある木製の大きなテーブルには、様々な種類のロケットやシャトル、探査機の模型が置かれていた。その模型を取り囲むように沢山の資料が山積みになっている。
コースケは膨大な数の資料に圧倒されていた。この部屋だけで値段がつけられないほどの価値があるように思えた。
島本は言った。
「過去150年に渡る宇宙開発の資料だ」
「どうしてこれを」
「すぐにわかる」
島本はテーブルの上にあったリモコンを操作した。すると、会議室正面のブラインドが開き、窓の向こうには、地下に広がる吹き抜けの巨大空間が姿を現した。
「これは……」
「凄い……」
「マジかよ……」
3人は大きなガラス窓の向こうを一目見ると、窓際へと駆け寄った。そこには、宇宙を志す人間なら誰もが驚くであろう光景が広がっていた。発射台と組み立て施設、それにスペースシャトルが目に飛び込んでくる。コースケたちはビルの9階ほどの高さから、吹き抜けの空間全体を見下ろした。
目の前には、機体側面に黄色いフレームを装着したスペースシャトルが、2本のワイヤーで上を向くように吊り下げられている。ワイヤーを辿って頭上を見上げると、天井付近に取り付けられた移動式の黄色いクレーンが見えた。眼下を見ると、シャトルの下には、フォークリフトやクレーン車、台車など様々な機材や機械が置かれていた。辺りを見回すと、コンクリートの壁を覆い隠すように、天井まで続く重厚な鉄骨の足場が組み上げられている。そして、吊り下げられたシャトルの向こうには、大きな発射台がそびえ立っていた。
コースケは、すぐにここがどういう施設かわかった。地下の巨大空間に宇宙機の組み立て施設と発射台が作られていたのだ。この地下空間は天井が非常に高く、筑波や種子島、ケネディ宇宙センターにあるような宇宙機の組み立て棟をそのまま地下に持ってきたような雰囲気があった。しかし、地上の組み立て棟と違っていたのは、組み立て施設と発射台がすぐ隣に並んでいて、1つの空間となっていることだった。この巨大空間は、組み立て施設と発射台をまとめて地下に押し込んだような構造をしていて、あちこちでトラス構造の足場やフレームが芸術的に組み上げられている。天井や足場の至る所で輝く暖色の照明は、無機質な鉄骨や吊り下げられたシャトルを美しく照らしていた。
驚く3人に向かって島本は言った。
「ようこそ、ISAへ」
少し間を置いてから、コースケは口を開いた。
「ISAは無くなったはずじゃ」
それを聞いてエリは、壁に貼られた新聞記事の切り抜きに目を留めた。一面の見出しには『ISA打ち上げ無期限凍結へ』と書かれている。
島本は、エリが見ていた新聞記事を指差して説明した。
「確かにISAは解体された。だが、情報を分断している連中がいてな。予算なんかはとっくの昔に打ち切られたが、裏で研究資料を集め保護してるってわけだ」
「その連中って、エクストラクターですか?」
コースケが言った。
「エクストラクターでもあり、Goopleだ」
「グープル!?」
レンは反射的に声を上擦らせた。
「ネットの情報は」
エリが落ち着いた声色で尋ねる。
「ヒドいもんだ。科学研究の成果や論文より、今や噂話や陰謀論の方が大きな影響力を持っている」
「じゃあ、アポロ11号は本当に月へ」
コースケは前のめりになった。
「アポロは月に行った……私は確信している。だが、その事実を証明できるものがない。検索エンジンは見たか?」
「はい」
コースケはコクリと頷く。
「アポロの通説が塗り替えられたのも、ISAへの批判が高まったのも、Goopleのアルゴリズムが巧妙に働いた結果だ。当時から、ISAに否定的な情報だけが人々に届いていた」
島本は壁の資料を指差す。それは検索結果のキャプチャーだった。『ISAとエクストラクターの黒い噂』『NASAの嘘とアポロ計画』『消えた宇宙開発の予算』『ISAに募る不信感』などと題されたWebページが並んでいる。
「Goopleは、これをパーソナライズの結果と主張している」
「パーソナライズ?」
レンは首を傾げた。
「パーソナライズは、ユーザーが好む情報をアルゴリズムが推測し、それを優先的に表示する仕組みだ。これ自体はありふれたものだが、Goopleはこの仕組みを検索エンジンに導入した」
「おかげで我々の発信する情報は、検索エンジンには表示されなくなった。Goopleが言うには、ユーザーの選好に合わせて情報を表示させているだけだと。実際はどうなんだろうな。いずれにせよ、ISAは情報戦でもGoopleに敗北したんだ」
「なぜそんなことを」
コースケは質問する。
「宇宙開発競争に勝つためだ」
「Goopleはパーソナライズによって、人々の思考、つまり閃きやアイデアをコントロールしようとした。流通する情報を制限すれば、革新的な技術は生まれなくなる。そして、自らは宇宙開発の研究成果を独占した。さっきの記事の続きを読んでみろ」
エリは新聞記事を読み上げた。
「ISAの解体により、職員の大量解雇が懸念されるが、宇宙開発の大手民間企業が元職員の受け入れや一部業務の引き継ぎをすることで合意しており……」
「GoopleはISAを解体に追い込み、研究者と世界各地の宇宙センターを手に入れた」
「HALが狙われたのも」
エリは島本の考えを察した。
「Goopleの指示である可能性が高い。その目的は分からないが」
島本はテーブルの上に置かれたデスクトップPCを操作した。ブラウン管モニターにニュース番組が映し出される。
『サトシ・シマモトと呼ばれる人物が一連のエクストラクター事件に関わっているとみて、警察は捜査を進めています。この人物はISAの元職員とのことで、ISAとエクストラクターの間に何らかの繋がりがあるのではないかと懸念されています』
「彼らは狡猾だ」
島本は吐き捨てるように言った。
「何があったんですか?」
レンは疑問を投げかける。
「Goopleの動きに気づいてから、私は世界各国を飛び回って宇宙開発の研究データを保護しようとした。もちろんアポロに関する記録も」
「ジョンソン宇宙センターに行った。そのサーバー内には、NASA時代からの電子化されたアーカイブがあった。アポロ以前からはじまる宇宙開発の膨大な研究資料が記録されたデータセンターだ。私はそれをコピーしようとサーバーにアクセスしたんだ」
そこまで話すと島本は一呼吸おいた。
そして、重い口調で告げる。
「だが、そこにデータは存在しなかった」
「存在しない?」
コースケが訊いた。
「代わりにあったのは、囮のデータ。巨大なデータセンターの中身は空だった。そこで私は、罠に嵌められたことに気づいたよ」
コースケは島本に問いかけた。窓の外にはシャトルが見える。
「でも、何か計画があるんですよね?」
すると島本の表情が曇った。
「何もない」
「……ただ資料を集めてるだけ?あのISAがただ資料を集めてる?」
「これが現実だ」
島本の言葉はずっしりと重かった。
「キミは自分の心配をしたほうがいい。Goopleを刺激したことで、エクストラクターも警察も敵に回してしまったんだから」
冷淡に言った島本は、コースケを背にして立ち去ろうとした。
「ちょっと待ってください」
「巻き込んですまなかった」
「そういうことを言ってるんじゃないんです!」
コースケは声を荒げていた。
「君たちには状況が好転するまで、身を隠してもらうしかない。とはいえ、留まるか否かは、君の自由だ」
「……」
コースケはもどかしさを噛みしめる。
「上の階に居室がある、今日はゆっくり休め。あと、Goopleのネットワークには接続するなよ」
島本はHALを連れて部屋を出ていった。
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