第7話 村
彼らはウクライナには2008年に進出し、約一年の間に六千ヘクタールの農地を確保したという。
山手線の内側の面積とほぼ同じ広さだと言えばイメージが湧くだろうか。そこで、小麦や大豆、ソバの実やマスタードの生産を始めたそうだ。
投資会社の潤沢な資金を使って、派手な買収劇を繰り広げているのかと思えば、そういった想像とはかけ離れた現実的な方法で、その農地獲得の手法はとても地道な交渉によって手に入れていたのだ。
ウクライナの農村地帯を一つ一つ回り、何度も通って村長や神父など地元の有力者と関係を築いて、その村の利益のためにできるだけのことをする。
サッカーチームの子供たちにプレゼントを贈ることもあれば、教会にバスを贈呈することもある。
そして、村の有力者を通じて農地を所有する村人たちにそれを提供するよう呼びかけてもらうのだ。
小さな農村が点在するこの地帯では、多くの人が年金や近くの都市への出稼ぎで生計を立てている。独立後に割り当てられた農地を、村人たちの多くがもてあまし、放置しているのが実情だ。
それをどれだけかき集められるかが勝負となる。
そもそも、ウクライナの法律では農地を直接売買することは禁止されているから、農地 を買い集めることはできない。そこで、細切れの農地を所有する村人たち一人ひとりに地代を払って借りることになる。
村ごとになるべく多くの人を説得して農地を借り、まとまった大規模な農地にまとめあげるのだ。
我々も日本でやっている農地交渉と同じ手順のようだが、日本は地権者が住所不定になっていたりで難航することも多いので、農地をまとめるという意味ではこちらの方が管理しやすいのかもしれない。
こうした外国企業と農村の良い関係とは何だろうか。
ヴォシチャンツィ村を訪問する十日ほど前に、わたしたちは印象的な場面に遭遇していた。その日も、悪路を揺られて西ウクライナの小さな村に向かっていた。ゲオルギーから、今日は農地を貸してくれている村人たちに年に一度の地代の支払いをすると聞き、同行することにしたのだ。
広大な農地が広がる地域を過ぎると、村はずれの空き地に蟻のように集まる人々の群れが目に飛び込んできた。
三十人ほどの人だかりの中心に停まっているのは、彼らの会社が用意した巨大なトラックで、荷台の上では現地社員数人がバケツを持って、足下から何かをすくい上げては、荷台 の端に設置された直径五十センチほどのパイプに次々と流し込んでいた。
流し込まれたものは、パイプを通じて荷台の下に集まる村人たちのところに落ちてくる。
村人は大きな麻の袋をパイプの出口に広げて、落ちてくるものを必死に受け止めていた。
荷台に満載されていたのは、収穫を終えたばかりの小麦だ。村人たちへの地代の支払いは、現金ではなく、小麦の現物支給で行われるのだ。村人たちは押し合うようにパイプの下に袋を突き出し、落ちてくる小麦を受け止めようとしている。身なりは、正直、あまり豊かそうには見えない。
女性たちが、小麦を受け取りながら口々に何事かをわめきあっていた。
「わたしには子供が二人もいるんだ。こんな少しばかりの小麦をもらって黙っていられるか。本当は仕事が欲しいんだよ。まだまだ働けるんだ」
「一カ月たった六百グリブナ(約七千円)の年金じゃ生活できない。政治家たちは贅沢な生活をしているのに」
「静かに!騒がないで」
「騒いでないよ。本当のことを言っているだけさ!」
「麦なんかいらない。お金が欲しいんだ」
彼らの会社が村人に払っている地代は、農地の場所や土壌の質によって異なるが、 大体一ヘクタール当たり小麦三百キロだという。現金に換算すると三百グリブナ、日本円で三千 五百円ほどになる。
一年間の地代が一ヘクタールで三千五百円という破格の安さだ。それでも家畜の飼育やわずか な年金で何とか生計を立てている村人たちにとっては、貴重な収入であることは間違いない。放置していた農地を貸すことでわずかでも収入が得られるのだから、ありがたい話ではある。
しかし一方で彼らが、たいした産業もない田舎町で、仕事も少なく、独立後ずっと貧しい暮らしを強いられてきたやりきれなさを抱えていることが痛いほど伝わってきた。
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