第4話 ジョシュア

国境を越えた農地獲得「ランドラッシュ」と呼ばれる現象で水環境の変化などで世界的な問題となった今回の物語の舞台とは国の反対側となるウクライナについて話そう。


ウクライナは、西はポーランド、ハンガリー、ルーマニアなどと接しており、東はロシアと接する東ヨーロッパの国だ。ソビエト連邦を構成する共和国の一つだったが、一九九一年にソ連が崩壊していくプロセスで独立国家となった。


人口は4198万 (2019年)、国土面積は日本の約一・六 倍である。


そして国旗は、上半分は水色、下半分は黄色の二色からなるシンプルなデザインで、、その国土の多くでは、国旗さながらの水色と黄色の光景がどの場所でもみられる。


ウクライナの大地から空を見上げると雲ひとつない青空が地平線の向こうまでひらけており、目の前にはまもなく収穫を迎えるトウモロコシ畑や大豆畑の黄金色になっていることから、国旗でデザインは、空の水色と 実り豊かな畑の黄色というウクライナの典型的な景観を表しているのだという。


わたしがウラジオストクから飛んで、ウクライナを訪れたのは、多くの穀物が収穫の時期を迎える九月だった。ウラジオストクで知り合った日本人がここウクライナでも次々に農地を買収しているということで同行させてもらったのだ。


彼の車に乗り込んで首都キエフの街を出て20分もすると、辺りに建物が少なくなり、畑 ばかりが続くようになった。


ウクライナの国土の六割をも占める農地は、「チェルノーゼム」と呼ばれる真っ黒な土で覆われ、世界有数の肥沃な大地として知られている。


小麦やトウモロコシ、大豆といった穀物の一大生産地で、この国の穀倉地帯は古くから「ヨーロッパのパンかご」と呼ばれてきた。


日本では北海道でもなかなかお目にかかれないような大きさがゆうに二十メートルはありそうな無機的な円筒形の物体が、まるでボウリングのピンのように整然と並べられている。


それらは、広大な農地から収穫した穀物を大量に保管するサイロである。


わたしたちを乗せた車は、その巨大なサイロの前で停まった。


黒い髪の精悍な顔立ちをした大きな男がサイロの前で待っていた。


彼の名は、ジョシュア・グレンコ。バルカン半島の中央部に位置するセルビアから進出してきた農業生産法人「アグリ・インベストメント・ウクライン」 のCEOだ。


ジョシュアはとても頭の回転の早い男だった。


この一時間前、オフィスを訪れた我々を迎えたジョシュアは、挨拶を簡単に済ませて、まずは見せたいものがあると言った。


話はそれを見てからすればいいと言う。そしてやってきたのが、最新の設備を整えたこの巨大なサイロだった。


サイロ一つの大きさは、高さ二十五メートル、直径二十二メートル。それが敷地内に九つも並んでいる。保管できる穀物は一つのサイロについて七千トン。まだ建設の途中で、全てが完成すれば全部で十一万三千トンもの穀物が入るという。


これは世界最大級の保管量だ。


畑で収穫された穀物は、八トントラックに積まれてこのサイロへ運び込まれる。この日は大量のトウモロコシを積んだトラックがひっきりなしにやってきていた。


トウモロコシは入り口の検査場で品質のチェックを受けた後に、床面に穴を開ける形で作られた取り入れ口に流し込まれている。


大きなトラックの荷台が斜めに傾き、ストッパーが外れると同時にザザーとものすごい音を立ててトウモロコシが一気に流れ落ちる様子は圧巻だった。


その後は、ベルトコンベアで保管庫の内部に運ばれたトウモロコシが、水分の含有率が一定になるまで乾燥されて、異物を取り除かれてクリーニングされた後、厳密に温度や湿度を管理された状態で保管される。


そして、より高い値段で売るために、相場が上がってくるタイミングまで、そのサイロで過ごすことになるのだ。


わたしたちがコントロールルームに入ると、保管庫一つひとつの温度や湿度を管理するスイッチがリーディングルームのようにビッシリと並んでいた。


設置されたパソコンの画面には、穀物の運搬状況を示すデータや各保管庫の温度、湿度などの細かいデータが表示されている。


穀物の運搬から乾燥、クリーニング、温度管理まで、 全ての工程がコンピュータで自動的に行なわれているようだ。


「現在この分野で我々のシステムより優れたものは存在しません。最新のシステムなのです」


社長のジョシュアは自信にあふれた口調で語った。


サイロの敷地には専用の線路が引かれ、貨物車が停まっている。この線路はウクライナ国内を走る鉄道に接続され、黒海に面した有名な港町オデッサに通じているという。ウクライナの農地で生産された大量の穀物が、セルビアの企業によって巨大なサイロに集められ、鉄道を通り、オデッサ港から世界各地に送られていく。


その売り先は、EU諸国に加え、サウジアラビアをはじめとする中東諸国や北アフリカ諸国など、砂漠地帯で食料の自給が難しい国々だ。


アグリ・インベストメント・ウクライン社は、セルビア国内で農業生産や物流などを手広く手がけるが、ウクライナでの農地獲得のために二〇〇六年に設立され、個別の農家と農地の買収交渉をしたり、経営破綻した小規模の農場を買い集めたりする形で農地を拡大してきた。


これまでに確保した農地は、三万ヘクタール。東京二十三区のおよそ半分の面積に相当する広さだ。


なぜウクライナで農地の拡大を続けるのか。社長のジェリコが強調するのは、農業ビジネスの将来性だ。


「全世界が人口増大に直面している。数年後には世界は七十億人以上になり、さらに十二年ごとに人口は十億人ずつ増えていく。これは遠い将来の話ではなく、もう数年後の話なんだよ。それによって食料、農作物への需要は飛躍的に増大するから、世界中が我々の作る食料を待ち望むようになる」


大規模な農地での食料生産を目指す彼らは、耕作面積が限られるウラジオストクでの事業拡大を中断し、肥沃な農地が広がるウクライナに目を向けていた。


「ウクライナなら一万ヘクタール、二万ヘクタールという土地をまとまった形で手に入れることができる。ヨーロッパの他の国では農地が散在していてそんなことは不可能だが、ここでは農地を 大規模に拡大して農作物を生産することは、かなり採算性がいいのだよ。我々は今ウクライナの三つの州で三万ヘクタールの農地を手に入れているが、この一年のうちにさらに十万ヘクタールにまで農地を拡大できるだろう」

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