42 決戦(前編)

(迂闊だったわ。爆破して道を作り、背後から奇襲してくるとは……。崩落の危険があるのにそんなことをするわけがないと決めつけてしまっていた)


 シュヴルーズ公爵夫人は、いつでも拳銃を撃てるように準備をしながら、敵に裏をかかれたことを悔しがっていた。


 イグナシオはあの爆音を聞き、ここにきっと駆けつけてくれるだろうが……。もう少しここにベンガンサ隊の隊士を残しておくべきだった。迎撃に向かったイバンは部下二人をあっさりと倒され、逃げ戻って来た。今、シュヴルーズ公爵夫人とボーフォール公を守るのは、左腕を満足に動かせないイバンだけだ。


(敵が姿を見せたら、これで撃ち殺してやる……)


 シュヴルーズ公爵夫人は、一人でも敵の戦力を削ごうと、複数の足音が聞こえてくる闇の彼方に銃口を向けた。しかし――。


「気をつけて! 敵は拳銃を持っています!」


 牢屋の中のシャルロットが声を振り絞ってわめき、救出者シャルルたちに危機を知らせたのである。助けが来ると知って元気を取り戻していたマドモワゼルも「撃ち殺されるわよ! 警戒しなさい!」と怒鳴っていた。


「チッ! 小娘たちが……!」


 余裕を失いつつあるシュヴルーズ公爵夫人は頭に血が上り、二人をキッとにらんだ。しかし、すぐに闇の向こうへと視線を戻す。今は小娘二人を罵っている余裕など無い。


 ――敵の足音がいよいよ間近に迫って来た。怒りのせいで手が震えてしまっている。このままでは狙いがぶれてしまう。しかし、撃つしかない。


 ズダーン!


 ついに、シュヴルーズ公爵夫人は発砲した。


 銃声は耳にうるさいぐらい地下内に響き渡ったが、被弾した敵の悲鳴は聞こえてこなかった。シャルロットたちの声で危機を察知したシャルルと三銃士はしゃがみながら剣を突き出して突進して来たのである。


「シュヴルーズ公爵夫人、覚悟!」


 先頭のアンリが一瞬でシュヴルーズ公爵夫人に接近し、彼女の右手をざくりと突いた。「ぎゃっ!」と悲鳴を上げ、シュヴルーズ公爵夫人は拳銃を落とす。


「貴様! よくも私の美しい手に傷を負わせてくれたな!」


「いかにも悪役が言いそうな陳腐ちんぷな台詞ですねぇ! 大人しく逮捕されなさい、悪党!」


「そうはさせるか!」


 イバンはアンリに斬りかかろうとしたが、その行く手を遮る者があった。炎の銃士アルマンである。


「俺と戦え。モットヴィルでの決着をつけるぞ」


「望むところだ!」


 もはや我が命もこれまでと覚悟をしたイバンは、正面からアルマンに突撃し、右手のレイピアだけで捨て身の猛攻をかけようとした。


 しかし、アルマンは受け身には決してならない剣士だ。同じようにイバンに突撃し、双方激突した。


 イバンの乾坤一擲けんこんいってきの突きは虚しく空を切り、ごふっと吐血した。アルマンのレイピアがイバンの胸を貫いたのだ。イバンは力尽きて倒れ、「い、イグナシオ……!」とうめいた後に絶命した。


「この男、万全な体ではなかったのか……。それなのに、真っ向から俺に挑んできた。スペイン人にも骨のある剣士がいたのだな」


 アルマンは十字を切り、誇り高き剣士の冥福を祈った。そして、短剣を握ってアンリと対峙しているシュヴルーズ公爵夫人にこう告げた。


「シュヴルーズ公爵夫人、もう終わりだ。降参しろ」


「嫌よ。他人に屈するぐらいなら、死んだほうがマシ」


「俺は、お前を殺したくない。闇に侵されたその心を救ってやりたい。だから、大人しく捕まって罪を償え。そして、陰謀とは無縁な平凡な女に戻るんだ。お前にも、純粋に友や隣人の幸せを望んでいた穏やかな日々があったはずだ」


「私を救う? 罪を償え? 何を偉そうなことを言って……」


 シュヴルーズ公爵夫人がせせら笑ってそう言いかけた時、


 ドゴーン!


 という大きな音がした。怪力イザックが牢屋の木の柵を軽々と蹴破り、中に閉じこめられていたシャルロットとルイ十四世、マドモワゼルを救い出したのだ。


「シャルルさん!」


 シャルロットはすっかり安堵して、泣きながらシャルルに抱きついた。シャルルは、


「泣くな、シャルロット。お前は笑っている時が一番可愛い」


 と言い、頭を撫でてやった。シャルロットは「また子供扱いをする!」と怒ったが、顔は笑っていた。シャルルと生きて再会できて嬉しいのだ。


(ああ。これが、人の温もりか……)


 口ではシャルロットを子供扱いしながらも、シャルルは、彼女の体温が自分の体を温めていく幸福に満ち溢れた感覚に、思わず胸が熱くなっていた。


 兄の恋人だったコンスタンスとは、手さえ握り合ったことがなかったのだ。だから、ずっとコンスタンス一途だったシャルルは、人を愛する心は知っていても、女性と愛し合い、触れ合った時に生まれる幸福感を今まで知らずに生きてきたのである。


(今はまだコンスタンスの死が生々しく記憶に焼きついていて、俺を悩ませるが……。彼女の悲しい記憶も時間が経てば、いつかきっと優しい思い出に変わり、シャルロットとしっかり向き合える日が来るはずだ。悲しみから必ず立ち直って、俺はシャルロットを堂々と愛せる男になりたい)


 シャルルはそう胸に誓うのだった。








「ひぃ、ひぃ……。た、助けてくれぇ……。わ、わしは王の従兄弟なのだぞぉ~!」


 シュヴルーズ公爵夫人はアルマンに取り押さえられた。

 そして、ボーフォール公もイザックに首根っこをつかまれて持ち上げられ、宙ぶらりんになりながら泣き喚いていた。


「お前たち、その男はいちおう王族だから殺さないでやってくれ」


 幼いルイ十四世が、ボーフォール公をかばうと、シャルルたちは「ははっ」とうやうやしく頭を下げた。シャルロットに勇気づけられてから、ルイ十四世はいっさい泣かず、子供なりに王らしく振舞おうとがんばっているようだ。


「よくぞちんを救出してくれたな。お前たちは何者だ?」


 ルイ十四世は、シャルルにそう問うた。シャルルたちが青いカザック外套がいとうを着ていないため、自分を守護する銃士であると分からないのだろう。シャルルは小さな主君の前にひざまずき、こう答えた。


「陛下。我々はフランスの太陽であるあなた様を守る剣です。……このシャルル・ダルタニャン、陛下のために命を捧げる所存でございます」


 シャルルに続き、アルマンたち三銃士も名乗り、ルイ十四世に忠誠を誓った。未来の太陽王はシャルルたちの忠義の宣誓に満足し、「うむ!」と可愛らしく首を縦に振った。


「さて、ボーフォール公。陛下のご慈悲により、命を救われたわけだが……」


 シャルルはくるりと振り返り、ボーフォール公に歩み寄る。そして、さらりとレイピアを抜いた。「ひっ……」とボーフォール公は短い悲鳴を上げる。少年期から戦争に参加して人一倍の勇気があったはずのボーフォール公だが、シュヴルーズ公爵夫人の恐ろしい陰謀にずっと付き合わされて、すっかり精神が衰弱していたのである。


「貴様は陛下の出生に関するよからぬ噂を流した。それは、決してやってはならない大罪だ」


「そ、それは、シュヴルーズ公爵夫人が……」


「黙れ! もしも、今度同じ大罪を犯すことがあったら、俺は絶対に貴様を許さない」


「な……何だと⁉ 王族である俺を殺すとでも言うのか! 一介の軍人に過ぎないキザマが! ふ、ふん! やれるものなら、やってみろ!」


 ヤケクソになったボーフォール公が「貴様」を「キザマ」と言い間違えてそう喚くと、シャルルはボーフォール公の顔にレイピアの切っ先を突きつけ、射抜くような目で睨んでこう予告した。


「そんな生易しいものではない。貴様の存在をこの世から消す。お前を生きたまま死者にしてやるぞ。よく覚えておけ」


 ボーフォール公は、シャルルの恫喝どうかつおびえ、不覚にも小便を垂らしていた。




 後年の話だが――。

 この事件で逮捕されて牢にあったボーフォール公は、やがて罪を許されて復帰した。そして、かつての勇ましさを取り戻してフランス軍を率い、各地の戦争で活躍するようになった。

 だが、「ルイ十四世は、先王の子ではない」という噂はなおも国内でささやかれていて、ボーフォール公は権力を得るためにその噂を再び利用しようと考えるようになった。

 その矢先、ボーフォール公はオスマン帝国との戦闘中に突然行方不明になる。

 ちょうど同じ時期、ピネローロ監獄に布製の仮面を被った謎の男が収監され、後にバスティーユ牢獄に入ることになる。人々はその男のことをいつしか「鉄仮面の男」と呼ぶようになり、その正体について憶測したが、真実の顔は誰にも分からなかった。


 ――国王陛下の信頼篤いあなたなら、仮面の男の正体を知っているのではないのですか?


 と、銃士隊長になっていたシャルル・ダルタニャンに聞く者があったが、シャルルはその質問をした男をギロリと睨んで黙らせ、何も答えなかったという。

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