39 闇うごめく巣穴の中へ(後編)
シャルルと三銃士、そして、坑道の道案内役としてヴァンサン神父も加わり、五人はヴァル・ド・グラース修道院の地下に潜った。
地下への侵入口は、修道院の礼拝堂の裏手の庭に隠されており、アンヌ太后の無二の味方である修道院長ルイーズ・ド・ミリの案内で、その地下階段へと五人は足を踏み入れたのである。
この修道院の地下坑道も、相当複雑な迷路になっている。
はるか後年の一七九三年、冒険心を起こした修道院の門番が無断で地下に入ってしまい、そのまま行方不明になった。そして、十一年後に地下に潜った人々が骸骨となったこの門番を発見することになる。パリの地下の闇に潜るということは、それほど危険なことだったのである。
「それにしても、驚いたなぁ。地下の三層まであるのか、ここ」
「でかい声を出さないでください、イザック。君の無駄に大きな声は、坑道内ではぐわんぐわん響くんですよ」
アンリが眉をしかめ、イザックに文句を言った。シャルルたちは今、修道院の地下二層目にいる。ここからリュクサンブール宮殿の地下坑道へと侵入するのだ。
「みなさん、くれぐれも気をつけて歩いてください。坑道内は、いきなり天井が狭くなります。うっかりしていたら、岩に頭をぶつけるかも知れません。それに、つらら石ができていて、それで頭を打つこともあります。あと、足元にも気をつけてください。何の前触れもなく、坑道に大穴が開いていることがありますから」
ランタンで暗闇を照らしながら先頭を行くヴァンサン神父が、シャルルたちに様々な注意をうながした。六十三歳だというのに、ヴァンサン神父は大小の石や人間の骨らしき物がゴロゴロと転がっていて歩きにくい坑道をすいすいと進んで行く。シャルルたちは、ヴァンサン神父にはぐれないように、必死に神父の後を追いかけた。うっかり神父の背中を見失うと、いくつにも枝分かれしている別の坑道に迷いこんでしまうからだ。
「ヴァンサン神父。注意しろと言うのなら、もうちょっとゆっくりと歩いてくれませんか」
「ああ、すみません、イザックさん。ですが、ここからは嫌でもゆっくり進むことになりますよ。ほら、見てください」
ヴァンサン神父がランタンで坑道を照らすと、その先の道は極端に天井が狭くなっていた。しゃがむどころか
ヴァンサン神父、シャルル、アルマンが先んじて狭い坑道内に這って侵入すると、図体のでかいイザックは「俺、ここ通れるかなぁ……?」と不安そうに呟いた。
「お尻がつまるようだったら、僕が後ろから短剣でつついて前に進ませてやりますよ。ビビッていないで、さあ進んだ、進んだ」
アンリは、イザックのお尻をペチペチ叩きながら急かす。
イザックは「ぜ、絶対に短剣で尻を突くなよ⁉」と言いながら、渋々入って行く。結局、途中でつまり、アルマンに前から腕を引っ張られ、アンリに尻を両手で押されて、へとへとになりながら狭い坑道を抜け出した。
「や……やっと抜けられたぁ~!」
「しっ……人の話し声が聞こえる。子供の泣き声もだ。……陛下のお声だろうか」
シャルルが押し殺した声でそう言った。リュクサンブール宮殿の地下坑道の近くまで接近し、複数の人間の会話の声が聞こえてきたのだ。地下坑道は何ひとつ雑音がないため、そばにいる人間の息遣いすらうるさく聞こえる。多少離れた場所にいる人間の話し声でも、わりと鮮明に聞き取れるのである。
「爆弾の爆発音なんて、瞬時に敵の耳に入りそうですね。塞がれている壁を破壊したら、敵はすぐに我々の元にやって来るでしょう」
「……アンリの言う通りだな。神父殿は、そろそろ地上に戻ったほうがいい。斬り合いになったら、巻きこまれてしまう」
「いいえ、シャルルさん。道案内を引き受けたからには、最後まで責任は果たさなければなりません。それが、人と人の約束というものです。それに、壁を爆破した後も、陛下たちが囚われていると思われる地点まで、まだ地下迷路が続きます」
「しかし、神父殿を危険な目にあわせるわけには……」
シャルルが躊躇していると、アンリが「シャルル。ここはヴァンサン神父の好意に甘えましょう」と言った。
「僕たちだけでは、おそらく陛下の元までたどり着けないはずです。任務を遂行できなければ、危険を冒して地下に潜った意味がありません」
「……そうだな。よし、分かった。神父殿、あともう少しだけ道案内を頼みます。アンリは、そろそろ爆弾の準備をしておいてくれ」
シャルルたちは、今度は広々とした空間が広がる坑道を進み、地上の陥没事故で行き止まりになってしまった地点についに到着した。
「みんな、十分に下がっていてください。今から爆発させます。
……それにしても、ここが走って逃げることができる広い場所でよかった。壁に爆弾を設置して、安全な場所まで避難するのに、さっきみたいな狭い坑道だったら、這ってお尻から逃げないといけませんからね。もたもたしていたら、爆発に巻きこまれてしまいますよ」
アンリはそう言うと、小型爆弾の火縄についた火が消えないように、ふぅー、ふぅーと息を吹きこみながら、道を遮っている壁に近寄って行く。
「なあ、シャルル」
離れた場所まで避難しながら、アルマンがシャルルに話しかけた。その声は、何か迷いがあるように感じられた。どうした、とシャルルは友の顔を見る。
「俺は、シュヴルーズ公爵夫人を殺さねばとずっと思っていたが……。あの女の魂は、たとえ死んであの世に行っても、浄化されないほど深い闇を抱えてしまっている。俺は……殺すのではなく、あいつに生きて罪を償わせたい。そうしないと、奴は死んだ後も救われないだろう。
しかし、俺が彼女を逃がしたせいで今日のような事態になってしまった。やはり、彼女への同情など捨てて、この手で殺さなければ……とも考えて悩んでいるのだ。俺は、どうするべきなのだろうか……」
(やはり、アルマンは優しいな)
アルマンは友情のために生きる義に篤い剣士だ。それと同時に、愛が深く、優しい。かつて愛した女シュヴルーズ公爵夫人に対する情愛を捨てきれずにいるのだろう。今、アルマンの中では、友への義とおのれの情愛の深さに矛盾が生じ、苦しんでいるのだ。
親友として、どんな言葉をかけるべきか……。シャルルはしばし考えた末、アルマンにこう言って微笑んだ。
「お前が正しいと信じる道を行けばいい。俺は、お前の選択を信じる。お前が、シュヴルーズ公爵夫人……マリー・ド・ロアンという女の邪悪に侵された心を救ってやりたいと願うのなら、どれだけ歳月をかけてでもそうするべきだ」
「…………シャルル。ありがとう」
アルマンも笑い、シャルルを見つめる。ランタンの光しかない闇の中だが、二人は親友がどんなふうに笑っているのか、長年の付き合いでよく分かった。きっと満面の笑みだ。
「爆発させますよ!」
アンリがそう叫び、爆弾を放り投げた。そして、くるりと方向転換して、シャルルたちが避難している場所まで猛然と走る。
「シャルル、ごめんなさい!」
「え?」
「ちょっと火薬を入れ過ぎたかも!」
闇と静寂に包まれた地下坑道に、爆発の光と轟音が炸裂した。
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