36 パリの地下迷路

 アンヌ太后の話を聞いたシャルルは、何の迷いもなくこう断言した。


「そのスペイン人らしき男たちは、フランシスコ・デ・メロの隠密部隊ベンガンサの剣士たちでしょう。そして、奴らはリュクサンブール宮殿の隠し地下通路を使い、宮殿内に侵入したのです」


「隠し地下通路だって⁉ そんなものがあるのか!」


 マザランはそう言って驚いたが、アンヌ太后は(それはあり得る話だわ……)と心中でうなずいていた。


 アンヌ太后の隠れ家であるヴァル・ド・グラース修道院にも地下に続く隠し通路があり、昔、政治犯としてリシュリューに追われているアンヌの味方の貴族をその地下にかくまっていたことが何度もあったのだ。


 ここリュクサンブール宮殿は、数々の陰謀を巡らせた挙句に息子のルイ十三世によって追放されたマリー・ド・メディシスの住処だった伏魔殿ふくまでんである。陰謀家の彼女なら、自分の宮殿に隠し地下通路のひとつやふたつ作っていてもおかしくはない。


「私もその意見に同意です。……しかし、シャルル・ダルタニャン。なぜあなたは、リュクサンブール宮殿にそのような地下通路があると知っているのですか」


「お答えします、太后様。それは、パリに上京したばかりの若造だった俺が初めてトレヴィル殿から与えらた任務が、『リュクサンブール宮殿に潜入し、マリー・ド・メディシス様の陰謀を探れ』というものだったからです」


 銃士見習いにすらなっていなかった十五歳のシャルルは、銃士隊に入るための試験として、国王ルイ十三世に対してクーデターを起こそうとしているという噂が流れていた王母マリーの陰謀の実態を調査して来いとトレヴィルに命令されたのである。その宮殿潜入には、同じく銃士隊に入隊することを希望していたアルマンも同行し、途中で喧嘩しながらも、宮殿に侵入するための地下通路を発見して任務を成功させたのだ。思えば、あれがアルマンと一緒にやった最初の仕事だった。


「ほら、この通りです」


 シャルルは、ルーベンスの連作絵画『マリー・ド・メディシスの生涯』がある広間にアンヌ太后とマザランを案内し、マリー・ド・メディシスが夫アンリ四世と結婚する場面を描いた絵画が飾られている壁の前にしゃがんだ。

 床にあったわずかなへこみに短剣を差し入れ、ぐいっと剣の柄に力を入れると――ゴゴゴ……という重い音とともに床石が動き、人間一人がようやく通れそうな狭い階段が現れた。


「おお! 本当に地下通路が……! こんなところに隠し扉があったとは驚きだ。しかし、スペイン人たちは、なぜこの宮殿の地下通路のことを知っていたのだろう?」


「それは考えるまでもないわ、枢機卿すうききょう。数々の陰謀に関わってきたシュヴルーズ公爵夫人は、マリー様とも気脈を通じていた時期がある。あの女が、リュクサンブール宮殿の地下通路を知っていても、おかしくはない。そして、おそらく、シュヴルーズ公爵夫人とボーフォール公、スペインの隠密部隊は……このパリの地下に隠れている」


 アンヌ太后は自分の足元を見ながらそう言った。


 マザラン襲撃に失敗して投獄されることを恐れた要人派の貴族たちの多くがすでにパリから逃亡してしまっている。要人派の重鎮ヴァンドーム公にも逃げられた。しかし、その息子であるボーフォール公はパリから外に出たという情報がない。いまだにパリ内にとどまり、シュヴルーズ公爵夫人と行動を共にしていると見てよい。


 ルイ十四世が誘拐された現場であるこの部屋には、以下の内容の置き手紙が残されていた。



 ――国王を命あるまま返して欲しければ、ふたつの条件を飲め。ひとつ、宰相マザランを解任すること。ふたつ、国王の実の父はボーフォール公であるとパリ市民たちに公表すること。これらを三日以内に実行しなければ、国王の幼い体はむくろとなって帰って来るだろう。



 間違いなく、これはシュヴルーズ公爵夫人が書いた脅迫状だろう。そして、ボーフォール公は彼女の陰謀に巻き込まれている。


 パッソンピエール元帥げんすいの手勢や護衛隊が血眼になってパリとその近郊を捜索しているが、シュヴルーズ公爵夫人たちを発見したという報告はまだ来ない。マザランを襲撃したベンガンサ隊は少なくとも三十人以上いるという話だ。そんな大人数が、犯罪者の捜査・逮捕を得意とする護衛隊の捜索の網の目にかからないのは変だ。ということは、つまり……。


「太后様のおっしゃる通りじゃろう。このパリで、絶対に見つからない最高の隠れ場所といったら、パリの地下に広がる地下坑道じゃ」


 夜を徹しての捜索に疲れて帰還したパッソンピエールが、皺枯れた声を広間に響かせながら入って来た。


「地下坑道? 何ですか、それは」


 マザランがそう問うと、パッソンピエールは大嫌いなリシュリューの後継者であるイタリア人の顔をギロリと睨み、


「親しげに話しかけるな、青二才! スイス傭兵を率いて助けに駆けつけてやったのは、太后様の命令だったからじゃ! てめぇの命なんぞ、本当なら紙くずみたいに鼻をかんでポイッと捨ててやりたいぐらいじゃ!」


 そう罵って、マザランをビビらせた。そして、マザランの青ざめた顔を見て満足すると、根は親切な老人なので、いちおう説明してやった。


「パリはな、長い歳月をかけて大きくなっていった都市なのだ。そして、数多くの宮殿や教会、その他建築物の建造に使う石灰や石膏せっこうはどこから調達したかというと、パリの地下からじゃ。

 パリの北側には石膏、南側には石灰岩が地下に眠っていて、それらを採掘して石材にしていたのじゃ。数百年の間、採掘を続けたせいで、この都市の地下には数えきれないほどたくさんの坑道がある。

 そして、いつしか地下は、家をなくした貧しい人間や盗賊、政治犯罪者などなど……様々な輩がうごめく場所となった。中には、『地下に棲む悪魔を見せる』と虚言を弄し、見物料をとって市民を地下内に誘うインチキ商売人もたまに現れると聞いたことがある」


「その地下坑道のどこかに、シュヴルーズ公爵夫人たちが隠れているというのですか? それでは、あの者たちを見つけ出すのは困難なのでは? 地下坑道は無数にあるのでしょう? そこをあちこち逃げ回られていたら……」


「いや、奴らも無闇に地下を動き回らず、ひとつの場所にとどまっているはずじゃ。なにせ、長年パリで暮らしているわしですら、パリの地下迷路のほんの一部しか把握できておらんのだ。いくら奸智に長けるシュヴルーズ公爵夫人でも、逃げ回るために地下坑道を行き来していたら、遭難して餓死するだけじゃ。リュクサンブール宮殿の地下通路から侵入者が現れたということは、奴らはたぶん今でもこの宮殿の真下の地下坑道におるのであろう」


「パッソンピエール元帥のおっしゃる通りです。ただ、パリから脱出するための地下の逃走経路だけは確保しているはずです」


 シャルルがそう言うと、パッソンピエールは頷き、「地下通路を使ってこの都市から逃げるとしたら、一番怪しいのはパリ南郊の丘陵にある坑道の入口じゃ。ただちに兵を派遣して、封鎖しておくべきじゃな」と答えた。


「脱出する出口さえおさえておけば、逃げられる心配はありません。すぐにでも地下に潜り、陛下を助けに行きましょう」


 シャルルたちの足元の地下坑道には、ベンガンサ隊にさらわれたシャルロットもいるはずだ。


 待っていろよ、シャルロット。すぐに助けに行くからな――とシャルルは心の中で呟いた。


「うむ、善は急げじゃ。この作戦の指揮は儂がとろう。王家三代に仕えた儂の最後のご奉公じゃ。シャルル・ダルタニャンよ、お前は銃士隊の仲間を連れて来い。あと、必要な人材は……う~む、誰がいいじゃろうか」


 パッソンピエールは考えながらしばし唸った後、「ああ、そうじゃ!」とひらめき、手を叩いた。


「パリの地下迷路のことを誰よりも詳しく知っておる人間がおるではないか! ヴァンサン神父じゃ! 太后様、あの神父殿を呼んでくだされ!」


「え? ヴァンサン神父? 愛徳姉妹会の創設者である、あのおじいさんのことですか?」


 アンヌ太后は、パリ市内で貧民救済の活動をしているヴァンサン神父がなぜ地下迷路に詳しいのか分からず、首をひねるのであった。

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