第6話 ふたつの事故
翌日になっても野球部の試合での失敗、迫るレポートの締め切りが頭の片隅に住み着いて落ち着かないだけではなく、私が自分に抱く不思議な違和感が頭のみならず心にも大きな影を落としていた。一人で部屋に居ても不安は消えるどころか増してゆく。他人の目から逃げていたほうが安全だなどとは言えないようで、一人で部屋に籠もっていると自分が自分に迫ってくるようだった。私は気晴らしになるかどうか分からないが、自分自身に不穏でいることから逃げるように外に出た。行くあてもないので歩くしかなかったが、視界に入る外界の様子は案外に私を落ち着かせてくれたようだった。
ぬるい風が吹いている。暑さも一段落した日曜の午後だ。通りまで来るとひとの往来は激しくなった。車も自転車も間を置かずに私を追い抜いていく。街中のウィンドーに映る自分は相変わらず明らかに私であって私ではない。道行く他人の目も気にはなるが、慣れだろうか、意識して放っておくことぐらいは出来るようになっていた。
馴染の古書店に入った。高校の頃からひと昔前の作品を好んで読んだ。SFやミステリーも好きになった。マンガなどは昔のものがいい。懐かしさを抱きながら少年マンガを手にとって見る。ファンション誌のコスメ特集なども面白い。幼い頃の憧れだったその時の流行が、色あせて現代アートに生まれ変わったようにもみえる。
陽が傾いてきた。数時間街中を巡り歩き、そろそろ家に帰ろうと私は行きに通った交差点を渡っていた。ちょうど三分のいちほど渡ったとき、前から歩いてくるひととすれ違いざま、はっきりとした声を聞いた。
「お前はだれだ」
聞き間違いではない。明確に輪郭をもった言葉が、間違いなく私に向けて発せられ、まるで耳元で誰かに一語一語囁かれたように生々しく聞こえた。途端に足を止め、ふり返ったが心当る者はいない。流れるように信号を渡って行くいくつかの背中が見えただけだった。私は恐怖にかられ足早に信号を渡ろうとした。そのとき大きな光に一瞬、私の視界が消えた。それが右折してきた車のヘッドライトであることは確認できたが、腰から足にかけての強烈な衝撃と痛み、建物が反転し道が近づいてくる景色が同時に感じられただけで、それ以外は覚えていない。
気づくと病院のベッドの上だった。幸い軽い打撲ですんだようだ。頭も打っていたので検査をして翌日には退院ということになった。
「信号ぐらいもっと注意して歩けないの? ぼーとしてたんでしょう」
病院に呼び出された母が看護師に渡された書類の記入欄を埋めながら言った。
「いてぇ、」
私は笑いながらも正直なところを答えざるを得なかった。
「明日、退院だそうよ。あと・・・」
母が同部屋の患者に遠慮をするように声を小さくして続けた。
「あなた、覚えてると思うけど、高校の同級生だった真輝さんが今日、亡くなったと連絡がきたの。あの読書好きの子。私がここに来る直前にお母さんから電話を頂いて、明日の夕方葬儀らしいの」
覚えているも何も高校時代、一番仲が良かった親友だ。大学は別になったが四年生になる現在まで連絡は取り合っていた。自分の交通事故のことなど忘れるほどのショックを受けた。
「どうして?」
「交通事故ですって。全身を打って即死だったらしいわ」
母もよく知っている友人だった。返答の声もより小さくなっていた。
「明日、必ずお葬式には行きたい」
おそらく今日が通夜であろう。最後の別れなどと言葉にすれば浅薄だが、長く付き合ってきたその最後の地点には、一緒にいたいと心から思った。
(続く)
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