第3話 変わらない夕食

 違和感に抗いながら何とか講義を終え、締め切りが迫るレポートの作成のため私は図書館に行った。課題は「家庭における性の役割と役割の性について」である。特に関心のあるテーマではない。そんなことは自然に任せればよく、特に考えることでもないと思っていたが、とにかく単位取得のためには仕方がない。字数だけクリアすればいいと、それっぽい本を数冊、書棚から持ち出しパッチワークのように所々抜き書し始めた。


 猛暑が続いていたこともあって、館内の冷房はかなり低く設定されていた。トイレに行く回数が自ずと増えて仕方が無い。私は度々、席を立ちトイレに行った。トイレで用を足しズボンのファスナーを上げ、自分が映る鏡を見ないように手を洗いまた席に戻った。男子トイレでは普通、手洗いに長々と時間を費やすものはいないのでごく自然な動作ではあったが、私にとってはかなり意識的な行動であった。


 帰り道で洋服と雑貨を売る店のウィンドーに目がいった。夏物の青いワンピースだ。立ち止まり何気なく覗いてみた。あまり洋服にばかりお金が使えるわけでもないと見ているだけだったが、店員が私に気づき笑みを浮かべながらこちらに近づいてきた。今日は見ているだけですと手を少し上げてそれを遮り、私も微笑んだ。そのときウィンドーに映る自分の姿がはっきりと目に入った。実際しているように掌を見せて店員に断わりのサインを送る私の姿だ。やはり私なのだが完全に私ではないのだ。昨日と同じように短髪にティーシャツ、ジーンズにいつものカバン、薄汚れたスニーカー姿の私だ。また自分自身、私そのものへの不審が首をもたげてくる。誰なのか分からない分けではない。私は私だ。しかし私が違っているのだ。私のままかわった私なのだ。もう一人の私というようなものではない。現実に自分が自分ではなく、自分なのだ。また突然、発火した違和感にせかされて家路を急いだ。


「真琴、ごはん出来たわよ」

 私は夕食を食べに階段を下りた。

「今日はお父さんも一緒だけど、いつもどおり、たいしたものじゃないよ」

 母の言葉に父が表情を崩している。

「また唐揚げ!」

「揚げ物ばかりだから体重を気にしてるの」

 母が嫌みを返してきたが聞かぬ振りで私はビールの缶を少し大げさに開けた。

「女の子なんだから。イスにすわるなりビールなんてやめなさいよ」

「もう成人していますよ」

 ビールを一気に喉に流し込んだ。今日一日の不安や焦燥、また他人から逃げるような早足で疲れた体が癒される。他のアルコールはほとんど口にしないがビールは別だ。不快な気持ちを溶かしてくれる。いつもと同じ味だ。

「父さんも、どう?」

 私が缶をもう一つ取り蓋を開けて父にビールを勧めると、食べかけの唐揚げを急いで口に入れ「ありがとう」と受取り、父も一気にビールを流し込んだ。

「はぁ、うまいな。真琴も就職したらどうせ付き合いで飲まなきゃならなくなる。お前は男だからよけいにそうだ。男が酒を勧められて断る分けにもいかないだろう。慣れておかないと」

「ここは就職活動の場じゃないのよ」

 父の言葉を母が遮るように言った。


 私は夕食をとりながら父も母もなんら変わった様子がないことに安堵した。宮沢も田辺も、何も私に不審を抱いていないようだった。ビールの酔いも手伝って気持ちが落着いてきたようだ。違和感は消えないが朝食のときのように食べ物が喉を通らないということはない。いつもと同じ食感、満腹感を感じた。

「少しは手伝いなさいよ、女の子なんだから。食べたらお風呂に早く入ってね」

「はい、はい」

 母の小言を止めるようにはっきりと返答し階段を駆け上がり部屋に戻った。



(続く)




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