クズの異界流儀
数奇ニシロ
1章
第1話 接収
目を開けるとそこは白い空間だった。
床は無機質に白く、壁は見える範囲にはない。
ぼやっと白い印象だけがある、そんな空間だった。
こんな場所に来たことはない。しかし、どこか見覚えがあった。
(いや、そんなことより問題は――)
少年、
近くには同年代の男女が自分を除いて7人――全員見覚えがある。クラスメイトだ。
目を瞬かせる者。
周囲を見渡す者。
戸惑いの声を上げる者。
全員今のこの状況を把握し切れていない。
(自分たちはなぜこんなところにいる?さっきまでは――)
彼の記憶では、彼らは全員同じバスの中で座っていたはずだ。クラスの親睦を深めることが主目的の修学旅行に向かうバス。今や当たり前になった無人運転で目的地に向かっていたバスはやがて長いトンネルに入り、しばらくすると――。
(轟音と大きな衝撃。ひしゃげて迫りくるバスの天井。それが最後の記憶か)
そして気がつけばこの白い空間に立ち尽くしている。戸惑い具合を見れば彼らの記憶も大差ないだろう。
何が起こったのか推測はできる。記憶の轟音と衝撃は凄まじかった。おそらく、大規模なトンネル崩落事故が起こった。そして巻き揉まれたバスが潰れた。もちろんそのバスの中にいた自分達も無事では済まなかったはずだ。なのに、ここにいる全員が五体無事で立っている。
事故の衝撃で意識と記憶が飛んでいるか、あるいは――。
(もう死んでいて、ここは死後の世界ってとこか)
彼は特定の信仰する宗教があるわけではなく、死後の世界も信じていたわけではない。
しかし多くのフィクションの作品で死後の世界に行く状況は見慣れている。それゆえそういった発想も自然に思い浮かび、そして受け入れることができた。
単に死後の世界に行くだけでなく、死んで異世界に転生する小説も彼はいくつか読んだことがある。異世界転生小説のブームが起きたのは十年以上前だが、最近も話題の作品がいくつか出てきており第2次ブームと呼ばれ始めていた。暇な時間の多い彼がそれらの作品に触れているのも自然な流れだった。
(そしてもう一ひとつ気になるのは――)
なぜこの空間に見覚えがある気がするのか、だ。
(現実でこういう空間に来たことはない。であれば現実以外での体験――VRシステムか)
専用マシンを用い、VR空間の中で活動するシステム全体がそう呼称されている。それは今や当たり前に万人が利用し、社会インフラの一部として、生活に欠かせないものになっている。
当初は一部のゲームのみに利用されていたVRだが、他の娯楽・仕事・学校教育・買い物といったあらゆる人間活動に利用されるようになるには、然程の時間はかからなかった。
当然、彼も毎日VRシステムを利用している。そしてVR起動時に最初に体験(ダイブ)する空間、いわゆるホーム空間と今いる白い空間はどこか似通っていた。もっとも、VR空間での体験は限定的な感覚再現を通じた擬似体験でしかない。言ってみれば感覚のリアリティが現実の体験とはまったく異なるのだ。彼が完全にリアルに感じている今の空間との類似性にすぐには思い至らなかったのも無理の無い話だった。
すぐには、といっても実際にはここまでの思考に数秒も要していないのだが。
(VRシステムであればメニューコマンドが使えるはずだが――そういえば前に読んだ異世界転生小説でも似たようなことをしていたな)
思い至ってしまえば慣れ親しんだ思考操作を試してみるだけのこと。彼は口には出さず頭の中だけで言葉を発し、思考コマンドを実行した。
(【メニューオープン】)
果たして、コマンドを実行するや否やいつも通りに彼の目の前には半透明のディスプレイウィンドウが浮かんでいた。
『NAME: クズ リュウガ
AGE:15
権能:《接収》』
(本当にコマンドが実行できたか。ということはここはVR空間なのか?いや、こんなリアリティのあるVR体験はしたことがない。そしておかしい点はもう一つ。メニューコマンドを実行したはずなのに、出てきたのはステータスウィンドウ……)
コマンド実行の感覚、出てくる半透明のウィンドウ。これらはいつも使っているVRシステムと変わらない。そしてまだ戸惑っている様子のクラスメイト達は、突然出現したウィンドウに何のリアクションも示さない。つまり、本人以外にはウィンドウが見えない仕様もVRシステムと変わらないようだ。
(
彼が権能の欄に注目すると、もうひとつ説明の書かれた小さなウィンドウがポップアップした。
『《接収》:触れた対象の権能を奪う』
(――条件発動型の強奪スキルといったところか。有用ではありそうだがそれ以上に問題も多い。今の状況も権能とやらの詳細も不明だが、予想通りであればこの状況はかなりまずい。最悪を想定して動くべきだ。リスクはあるが――)
それとなく周囲を確認する。この空間で気が付いてからほとんど時間は経っていない。
クラスメイトたちは口々に話し合い始めていた。
「……たしかに最後の衝撃は只事じゃなかった。なにか事故が起きたのかもしれない。そして僕たちも巻き込まれた……」
「……なあ、もしかして俺たちはもうその事故で死んでるんじゃ……」
「えっ! いっいやそんな! だって私たちこうして……!」
彼らも今のこの状況の異常さ、そして自分達が無事だったはずがない事に思い至り始めている。
そして――視線を見ればステータスウィンドウを開いている者はまだいないことがわかる。
(まだ間に合うはずだ。次の展開が始まる前に行動する必要がある。迷っている時間は――無い)
一瞬の逡巡。
それだけで彼は行動を開始した。
♢
「えっえ〜〜っと。たしか私達さっきまでバスにいたはずで……。あっあれ? ねえクーくんこれって一体……⁉︎」
最初に彼の異常に気が付いたのは隣に立っていた少女、
突然見知らぬ空間で気が付いたのだ。彼女は普通に戸惑い、混乱しながら記憶を遡ろうとし、それでも現在の状況に至る記憶がないことにさらに混乱し、しばし思考停止に陥り……周囲の会話もあまり耳に入っていなかった。そして隣りにいた、見知った
しかし、彼は既に普通ではなかった。
「う、うう……」
俯いていた彼は何やら呻き声を上げ――。
「えっえっ、どうしたの? 大丈夫?」
少女が肩を揺するのも気が付かないかのように体ごと大きく揺れ出し――。
「うう……違う、違うんだ、おっおれは……」
何か意味のわからない譫言を口走り、揺れながらフラフラと歩き出した。
蛇行し、揺れながらふらつく彼の腕はブラブラとスイングし、必然ほかのクラスメイト達にぶつかり、かすめていった。
「クーくん⁉︎ 誰か、誰か止めて! 様子が……!」
おかしい、と少女が言い切る前にふらついていた久頭は進路上にいた他のクラスメイトに身体ごと派手にぶつかっていた。
「痛っ! なんだよいったい……おい何だ⁉︎ こいつおかしいぞ!」
ぶつかられたクラスメイトが向き直り、ぶつかっていった反動でフラフラとさらによろめいた少年を見る頃には、彼の様子は誰の目にも尋常ではなくなっていた。
「う、ううっうああ! おっおれは‼︎」
目は血走り口からは泡を吹き腕を振り回しながら奇声を発するその様子に誰もが意表をつかれ、思わず息を、思考を、身動きを止める。
一人の少年を除いて。
「やめろ! まずは落ち着け! 僕たちが死んでいるとしてもだ!」
そう叫びながら背の高いクラスメイトが久頭を背後からがっしりと羽交い締めし、抑え込む。自分たちが死んだという可能性に堪えきれず錯乱した、咄嗟にそう推測しての行動だった。
「あああ! ああああああ!」
羽交い締めされた久頭はしかし尚も暴れるように腕を動かそうとし――。
――パチンッ!
小気味良い音が響いた。
それは久頭の頬を綺麗に平手打ちした音だった。
「っへ?」
「――ごめんなさい。落ち着いてくれたかな?」
頬を張られた久頭は突然の衝撃に、先程まで錯乱し暴れていたのが嘘だったかのように呆けている。一方で、平手打ちをかました女子はまるで自分が殴られたかのように涙目になっている。
それは、そんな奇妙な光景だった。
後から思えば、と久頭は思い返すことがある。
たとえ錯乱している相手を正気に戻すためとはいえ、突然平手打ちをするなんてのは彼女――
――とはいえ、その瞬間に久頭が考えていたのは全くそんなことではなかった。
(自分達が既に死んでいるしれない、その可能性に恐怖し、錯乱した小心者。どうやら狙い通り、そんな風に解釈してくれたようだ。ビンタされるとは思わなかったが……これがきっかけで正気に戻ったように見えるだろう)
もちろん彼は最初から真に錯乱などしていない。むしろその場にいる誰よりも冷静であり、最も多くの手がかりを得ている人間であり――。
(そして今、条件は揃った)
――全ては計画通りに進んだ。
(権能:《接収》――【
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます